障がいのある子どもと大人の支援 ~分かり合えると問題解決の道が見えてくる~

このブログは、障害児・者の心を大切にした対人援助技術「心のケア」を学び実践しているメンバーが集まり投稿しています。

ごめんなさい! あれは本当ではありません

2022-12-19 11:48:48 | 自閉症児の子育て

ハンガウトです。私は大学卒業後知り合った大先輩と一緒に通園施設を起ち上げ、そこに勤めていた頃に心のケアの技法を知りました。以来数十年、ずっと親子の子育て相談をしてきました。振り返れば、懺悔したいことが山ほどありますが、その中の一つ。
 相談では、親子の気持ちを大事にしているので、私自身も常に、自分の気持ちに正直に、おつき合いしてきたつもりです。それでも、様々な事情からしかたなく、「本当は、そうじゃないんだけど…」と思いながら、対応したことがあります。

 勤務していた通園施設に通っていた自閉症男子で、3歳頃からのつき合い。私が独立後も、片道100キロ以上ある道のりを、お父さんが休みの日を選んで、18歳を過ぎる頃まで、クルマで通ってくれました。明らかに遅れはあるものの比較的学習能力が高く、つたないながらも会話が成立しますし、大きくなってからは、行動統制もできて、かなり周囲への適応もできていました。

 そんな彼が、高校進学を決めるときのこと。彼の住んでいた地域には、進学校として有名な高校があり、彼はいつも見かけるそこの高校生に、かねてより一種の憧れのような気持ちを持っていました。だから当然、そこの入学試験を受けるつもりでいたのです。
 ところがお母さんは、挫折感を味あわせたくないという親心から、受験させたくありません。私は、試験で落ちれば本人も諦めがつくから、受験だけさせてやればよいと思っていましたが、お母さんの気持ちは変わらず、仕方なく、受験そのものを断念してもらうことになりました。

 ふつうなら、支援級といえども英語の学習があるはずですが、なぜか彼の通っていた支援級では、授業がありませんでした。
 そこで、「実は、高校の入学試験には、英語という科目があるのよ。外国語を勉強するんだけどね。でも、なぜだか解らないけれど、キミの中学では英語の授業が無かったでしょ、だからキミは英語を知らないよね。それだと、入学試験を受けられないんだよ」と、苦肉の策で説得しました。
 本人にしてみれば、長い間の夢を諦めるのですから、泣きの涙で説得を受け入れました。
 
 その翌日から、彼は毎日、ラジオやテレビで「英会話」番組を、視聴するようになりました。大きくなっても、それを忠実に実行していたので、とっくに日常会話くらいは習得していたかもしれません。                                                     

 若気の至りとはいえ、なんという浅はかな知恵で説得をしてしまったのだろうと、今でも後悔の念でいっぱいです。本来なら、もっと時間をかけて、親子双方の折り合いがつくまで話し合うのですが、なにせ遠いところから通っていたので、せいぜい月に一度しか会えず、もう、試験までに時間が無かった、まぁ、タダの言い訳ですが…。              
 また私自身が内心では、「たとえ0点だって、受験させればいいのに」と思っていたので、自分の本心を殺して説得したため、なおさら後味が悪く申し訳ない気持ちです。

 通ってこなくなってから10年くらい経って、たまたま見学に行った作業所で彼と再会しました。会ったとたんに、ポッと顔が上気したので、「あ、憶えているんだ」と解りましたが、そのまま彼は立ち去ってしまいました。なので、若い頃の過ちを謝ることも、いまだできていません。当日帰宅してから、お母さんに連絡したところ、今も毎日「英会話」の勉強を続けているとのことでした。

 〇〇くん、あれは嘘です、ほんとうにほんとうに、ごめんなさい!


人間はみんな、よりよく生きたいと願っている

2022-11-08 23:04:28 | 日記

こんばんは。

まきこっこです。

ちょっと独り言言わせてください。

 

日ごろ支援をしていて

どうしても他の支援員さんに、利用者さんの気持ちがうまく伝わらないなあと思うことがあります。

そう感じることの根っこには

「人間はみんな、一人残らずよりよく生きたいと願っている」

ということを、私がうまく伝えられないところにあるように感じられます。

どんな言動をしていても、その奥には、本当はもっとよりよく生きたいんだという思いがあるのだということ。

利用者さんに限らず、人はすべて、本来はそうだと思うのです。

やけっぱちになっていても。鬱になっていたとしても。理不尽を突き付けるクレイマーになっていても。

アルコール中毒になっていても、弱いものを虐待してしまっていても。

その言動の奥には、そうしてなければいられないほどの思いがあって。

そこまでしなくては自分を守れなくなってしまった事情があって。

本当なら。できることなら。愛し愛されて安心して生きていきたいと、人の役に立って、認められて、生きていきたいと思わない人はいないのではないかと思うのです。

 

悪いことをしている人は悪い人。

悪い人は悪人なんだから、善く生きようなんて思っているはずない。

そう決めつけてしまうと、その人の人間としてのすべてを否定してしまう感じがします。

 

人の価値観はそれぞれなのだと思うのですが、コミュニケーションに障害を持っている人を支援しようとする私たちは、「いい人」「悪い人」という考え方を無くしていくことが必要なことように感じます。

一人ひとりを大切な人として、尊重して関わっていくために、まずは人間そのものの存在を大切なものとして尊重する。

そうして初めて「心」をケアすることの意味と大切さにつながっていくのではないかと思うのです。

 

なあんて。

満月でしかも皆既月食の夜だからか、ちょっと感じたことを書いてみました。日記だから許してください。

まずは、自分を大切にしましょう。

私も早く寝て、明日もお仕事頑張ります!

 

 


ストレスを小出しにする、ということについて

2022-09-27 18:26:03 | 日記

こんばんは

まきこっこです。

研修の中で「ストレスを小出しにする」ということについて考える機会がありました。

日ごろ私がしている支援の中で、それにあたることはどれだろう、と考えたときに思い浮かんだことを書いてみます。

 

利用者さんたちは、普段伝えられない思いがたくさん降り積もるとパニックという形で出てしまうと思います。

私は普段のやり取りの中で、相手の中に伝えられない気持ちが膨らんでいて溢れそうだな、と思う時にあふれる前に発散できるやり方を探しています。

作業を黙々とやっていて、突然立ち上がり、物を投げたり職員に掴みかかってきたりする女性の方がいました。最初はなぜ突然パニックが起きるのかわからず、暴れる彼女とひたすら体で付き合いながら気持ちが収まるまで待つ、ということしかできなかったのですが、その方が何が苦手で、どういう時にその思いを我慢しているかが少しづつわかってきてからは、その場を離れて外を歩く、投げてもいい柔らかいぬいぐるみなどを壁に向かって思いっきり投げる、一緒に叫ぶ、などすることで、大きなパニックにならずにすんでいます。

 

もう一人。言葉も話せて、かなり自立度の高い女性の方なのですが、不調になると、おとなしい利用者さんを狙ってひどくつねる、ということをします。同じ人を執拗に追いかけて他害しようとすることもあり、それを職員が制止しようとすると大暴れになります。

その方は普段から細かいことを気にされ、何度も職員に聴きに来たり、体の不調を何度も訴えに来たりします。自立度の高い方なので、職員の方に一度言えばわかるはずと思われていたり、体調不良の訴えも仮病のことが多いと判断され、まともに取り合ってもらえないことがよくあります。

ある日、もう作業が始まっているのにも関わらず、自分の着替えの袋が一枚足らない、と職員に訴えて回っていました。私は以前彼女と一緒に着替えの服を整理したことがあったので、自分の持ち場を他の方に頼み、彼女のへ行き一緒に探しました。その袋は無事見つかったので作業に戻るよう話し、私も自分の持ち場に戻ったのですが、しばらくすると彼女はまたやってきて今度はたくさんある小さなビニール袋をたたんで欲しい、と訴えてきました。きっと他の職員さんに頼んでも、そのくらいのこと作業が終わってからすればいいと言われ応じてもらえなかったのでしょう、何人かの職員を渡り歩き、私のところまで来たようです。私は彼女の中に不安や心配ごとがあって、それをせずにはいられないのだろうと感じました。なので「心配なことがあるんだね。あなたは袋もいつもきちんとたたんでおきたい人だしね。でも、私も今はこの場所を離れられないから、たたんで欲しかったらここへ持っておいで。」と話しました。彼女は一度引き返し、再び5枚ほどのクシャクシャになったビニール袋もをって現れました。私が袋丁寧に伸ばしたたんでいく様子をじっと隣に立ってみていたので「心配しなくても、全部きちんとたたんでおくよ。ちょっと時間がかかるから、まってても暇でしょ。その間作業してたら?」というと、すんなり作業に向かい、作業終了時間までしっかりやれたようです。

彼女は作業をさぼりたいわけじゃない。ただ、今はどうしても目の前のことが気になって、いてもたってもいられない状況。余裕のある時なら、あとでね、が通用するけれど、どうも通用しそうにない様子。

だとしたら、彼女の気になっていることを大切にしてあげることが、彼女自身を尊重することだと感じました。

そのあとも今度は大きめのビニール袋を三角にたたんで欲しいという要求を言ってきましたが、それは午後の休憩時にしようと話すと、納得して待つことができました。そして一日を穏やかに過ごすことができました。

彼女は家で虐待された経験があり、学童期は児童寮で過ごしています。自分の訴えを聴いてもらえなかったり、軽くあしらわれたり、約束を守ってもらえなかったり。。。。そんなことが積み重なって、小さな不安が生まれるとどうしようもなくなってしまうのでしょう。

彼女のストレスを小出しにさせてあげられるとしたら、しっかり彼女と向き合って、訴えてくることを真摯に受け止め、一つ一つ誠実に答えていってあげることなのではないかな、と感じています。職員に細かいことを訴えてこれる時点で、本人は小出しにしようと頑張っているのだから、それをきちんと受け取っていくこと。尊重して大切にすること。

これも、声に出しながら、他の職員さんと共有していきたいなあ、と思いました。


私などより、ずっと賢い自閉症

2022-09-24 11:20:12 | 自閉症児の子育て

 ハンガウトです。

 一般に、自閉症は、認知機能の障害だと言われます。ところが長くつき合っていると、「私なんかより、ずうっと物事の本質を解っている」と思わされる、そんな体験がたくさんあります。おそらく、のほほんと育った私と違って、幼い頃から様々なつらさを乗り越えてきているので、ふつうは高齢になってようやく悟るようなことも、かなり早いうちから達観してしまうのだろうと思います。

 その一つ、支援級に在籍していますが、言語や行動面で問題の多い中学1年生。家庭環境のおかげか、小学生の頃から、詩を読むとか英語の学習などを好んでいましたが、私から見るとそういう知識は、あまり実生活で活かせません。そこで中学に入学したとき、「せめて近所におつかいに行かれるように、オツリの計算くらいはできるようにしようよ」と、学習内容について提案をしました。
 既に私の身長を遙かに超えていたので、並んで座っていても、上から私を見下ろす形になるのですが、そのとき、彼はこちらを見て鼻先で笑いました。「あれ、ちゃんと聴いてなかったのかな」と思って、再度提案。やはり、私を見下ろし、鼻先でフン! 

 おとなげもなく完全にムカついた私は、「こっちが真剣に提案してるのに、何よ、その態度は! 何か文句があるなら、言ってみろ!」と、言葉での会話はムリなので、筆談援助の手法で書いてもらいました。すると正確な文言は憶えていませんが、
「生活に便利なために、勉強するんじゃない」と書きました。
「ああ、そうかい、それじゃあ、何のために勉強するのさ!」と聴くと、しばらくじっと考えていましたが、やがておもむろに、「ヒトとして生きるため」と書いたのです。

 これには、マイりました、まるで大きな石で頭をガツンとやられた感じ。「確かに,その通りだ、私が浅はかだった。だけど私は、ちゃんと生活することも大事だと思う気持ちも捨てきれないから、実生活に役立つことと、ヒトとして生きるための勉強と、半々でやっていこう」と、結着しました。

キミは仙人か!?       キミは仙人か!?

 

誰しも、得意なことと不得意なことがあります。行動能力だけでなく、心の成長も然りです。私たちだって、年齢のわりに成長した面と、子どもっぽい面とがありますね。かれらは、そのばらつきが大きいのだと思います。単なる発達の遅れなら、だいたい〇歳レベルだと思えば済むのですが、自閉症の場合は、未熟な部分と成熟した部分との落差が甚だしい、だから彼のように、まるで達観したようなことを言ってるくせに、一方ですごく幼い部分もたくさんある、これが、周りを困惑させる、誤解の素でしょう。


 こんな例もありました。
 特別支援学校小学部4年生の女の子、言葉はまったくなく、かなり重度の自閉症です。幼児期から、障がい児向けの水泳教室に通っていて、プールは大好き。小学生になって、ようやく背泳ぎができるようになりました。
 毎年、障害のある子どもたちを対象とした、地区の水泳大会があり、そこに参加する選手を決める、記録会が設けられています。プールが大好きな彼女にとって、本領発揮のチャンスだと、お母さんは張り切って、事前に記録会の行われるプールへ連れて行ったり、何度もルールを言いきかせたりして、準備万端。ところが当日、本人は泳がなかったのです。あれやこれやと工夫したけれど、ガンとして泳がなかったとのこと。
 
 お母さんはがっかり。そこで、プールには行ったのに、どんな思いで泳がなかったのか、筆談援助で訊いてみたところ、ひと言だけ書きました。
 「競争は、みんなに、みんなに良くない」
 これには、思わず唸ってしまいました。お母さんも、「そんなポリシーがあったのか、それじゃあ、しかたがないわね、わかった、大会は応援だけしに行こう」と、納得されました。


 もひとつ、オマケ。比較的学習能力の高い、小学2年生の男の子。単語を並べて言葉も話しますが、ときどき途中でとつぜん、その場の話題に関連する歌を歌い出します。その日の話しは、家族中のハブラシを隠してしまうので、困っているということでした。実は本人は、隠しているつもりはなく、片付けてきちんと収納しているだけなのですが…。 
 それでも家族は、使うたびにあちこち探さなくてはならず、とても迷惑なので、なんとできないかと相談中のとき、とつぜん歌い出したのが、
 ♫ ひとりは皆のために~、皆はひとりのために~ ♫  
 たぶん、「てのひらを太陽に」という歌の一節です。

 お母さんと私は2人で顔を見合わせ、「どういう意味? 双方の都合をちゃんと考えろってことか?」と、頭をひねりました。                      

 

 

 

 


伝わるとうれしい!~その後~

2022-09-19 20:43:16 | 日記

こんばんは。

まきこっこです。

 

前回書いた伝わるとうれしい!のその後です。ちょっと長くなってしまいますが。。。。

実は、あの記事を書いた翌日大変なことが起こってしまったんです。

朝、Mさんが施設に到着してから、散歩に出たいという要求があって。私は送迎車に添乗していたのですが、その後は他の方の個別対応が入っているので付き合えなくて。でも午前中Mさんの担当になっていた方が「いいよ。私と散歩しよう。」とMさんと二人で出かけて行ったのです。その方はMさんが最初に執着し始めた大好きな職員で、Mさんとの関係も良好なのですが、私はそのやりとりの仕方に少し不安が残っていました。屋外に走り出したMさんを施設に連れて帰ってくることを、まだ一人ではできない方だったから。それなのにあっさり二人で出かける姿を見て、「私の知らない間に、やり取りに自信がついたのかな。」そう思って不安ながらも見送りました。

そして二人で出かけた先で、Mさんは大好きな職員の気を引きたくて、危ない坂道を猛スピードで駆け下り、転倒して体中と顔面にひどい擦り傷を負いました。結構な出血も伴い、見るからに痛々しい感じでした。

お家に連絡し、園長や課長からの報告と謝罪がなされたのですが、お家の方の怒りは冷めやらず、施設ごと訴える勢いでした。それでも、うちの施設以外に受け入れ先はないため、私たちは激しい叱責を浴びながらの利用継続となりました。

そしてお家の方からの要望で、しばらくは外出せず(ドライブも禁止)、施設内で過ごすことになりました。

私の中にどうしようもない怒りと落胆がありました。せっかくいい方向に行っていたのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。Mさんとのやりとりのコツをつかんだ職員と一緒に、他の職員にも伝えていく方法を探していこうとしていた矢先に。自信のない方はしないで下さいと言えばよかった?この職員さんなら大丈夫、というあいまいな感じにせず、限定すればよかった?見送ったあの時「一人でも本当に大丈夫?」と念押しすればよかった?

散歩に出られなくなれば、Mさんはまた施設内で暴れたり泣いたりするだろうし、他の利用者さんの安全確保のために、ダダをこねることも許されず抑え込まれてしまうのではないかと想像し、悲しくなりました。理解を示し始めた職員さんたちも、再びMさんのことを困った人扱いするようになってしまうかもしれないと思いました。

でも。

結果は予想外でした。

ケガが痛々しいうちは「ケガが治るまでは散歩には行けないよ。お家の人と約束したからね。」と話すことで、大暴れや大泣きはしないでいられましたが、傷がほぼ完治してくるのと同時にMさんの外出への要求は激しくなり、大泣きや大暴れが始まりました。しかし、その時の職員さんたちの対応がこれまでと全然違っていたのです。「外に行きたいよね。散歩大好きだものね。私達だってあなたと散歩したいんだよ。でもお家の方がまだ心配だから外には出さないでっていうから、私たちは約束を守るんだよ。早く散歩できるように一緒に頑張ろうね。それまで頑張って我慢しようね。」そういう意味合いの言葉をかけながら、暴れるMさんの体を制止するのです。職員を激しく押しのけて外へ行こうとするMさんを押さえ、数人で抱えて、時にはブルーシートに乗せて屋内に運び入れる、という図は以前と変わらないのですが、「あなたの気持ちはわかっているよ。」の要素が加わると、それは暴れる猛獣との戦いのではなく、おびえて荒れ狂っている手負いの獣を治療のために保護するかのような情景になります。有無を言わさず屋内に連れ込もうというのではなく、その場に座り込んで動かない葛藤の時間を、止まって待ってくれる様子も見られます。それがMさんにも伝わるようで、屋内に入った後、ドアをけったり大声で泣いたりすることが多いのですが、それも時間がどんどん短くなっていき、最近では入ってしまえばあきらめてすぐ自室まですんなり移動することもあります。

屋内での活動でも、Mさんとやり取りできるようになった職員が、部屋の窓から外に向けて水鉄砲を打って遊ぶ、ということを楽しそうにしていました。部屋の中に向けて水鉄砲を打たない、というルールを守れるということが必要で、お互いの信頼がないとできないことです。「あなたが約束を守れるとは思わない」と職員が思っていると、Mさんはすぐにそれを見抜いて約束を破って、期待に応えてしまう方だから。部屋中水浸しにして、何なら水鉄砲もたたきつけて壊すでしょう。

外に出ることができなくても、以前とは明らかに違うMさんと職員の姿を見ることができました。職員の方には自覚がないのか「もっとすごいことになると思ったけど、その割に穏やかに過ごせてるよね。Mさんが大人になったんだろうかね。がんばってて偉いよね。」と言っているのを聴きました。

満面の笑顔で外を歩き、聞き分けることもできるMさんを見ることで、職員さんたちのMさんに対する認識が自然に変わっていったんだろうと思うのですが、自然すぎて気が付かないようです。素晴らしい人達だなあと思います。

次回研修の時には、その辺しっかりお話ししてお伝えしたいな、と思いました。

 

長くなりました。

私の怒りや落胆、心配など、思いっきり杞憂だった話でした(^^)/