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世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第3章北米編 「砂漠の悪戯vol.1」】

2013-10-22 23:20:12 | 日記

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2013年10月21日。

《砂漠って不思議な力があるような気がする。心が透明になるような、魂が浄化されるような・・・。アメリカ・ニューメキシコ州には、真っ白な砂漠が存在する。ホワイトサンズ国定公園。1人砂丘に腰を掛け、我思う。》

そこにあるのはひたすらに純白を貫く砂の丘。その中に、僕は1人佇む。


な~んも考えずに、ただ白い砂漠を見つめる。


色々なことが頭を過ぎるけど、それを無視する。

出来る限り、脳ミソを空っぽにする。

砂を見つめ続ける。ただただ果てしなく白い。


「ああ、何だか死んで焼かれた後の骨みたいだな・・・。」

どうせ死ぬんだよな、近い将来。

こんな本があったな。『明日死ぬかもよ?』

明日どころじゃない、あと10分後に死ぬかもしれない。

そしたら俺は焼かれて、こんな色の骨になって、後は大地に返るだけなんだな・・・。

こんなに美しい白い砂漠なのに、何故か死を想う。


白い砂漠は夕日を浴びて、橙色へとその姿を変える。


「おお、メッチャ綺麗やん。」


でもこんな現実もある。この砂漠の大半は、米軍のミサイル発射実験基地なんだって。

なんだそりゃ。こんな綺麗な砂漠なのにそんな使い方しちゃっていいんかい。さすがはアメリカ(笑)。

ミサイルか。人を殺すための兵器。

この「骨の色」の砂漠には、ある意味お似合いなのかな。


俺は生きている間に、何を残せるかな。

俺は何を残したいのかな。

ここまでの人生で、何かを残せているのかな。



俺はいつも「死」を積極的に捉える。いずれ必ずやって来る「死」を、ただの恐怖として考えたくはない。

生きている限り、「死」はやって来る。それは命あるものの宿命だ。

だったら、いつかやって来るその日まで、精一杯生きよう。

砂を手に取り、また地面に巻く。


「ああ、俺たちなんてこんなもんか。」

小せぇ小せぇ。俺たちなんて小せぇ。

この白い大地は「死」の集積。俺たちは、この1粒1粒みたいなもんなのかもな。

そんな1粒1粒が集まって大地となり、今の俺たちの「生」の源になっている。

「死」は無でも無駄で無意味でもなく、未来への礎であり糧であり歴史である。

やべ、もうすぐ入り口が閉まっちまうわ。

さて、歩き出しますか!「死」に向かって!!!


2013年10月21日。ヒューストンに向かう途中のRV Parkにて。

【ふじもん世界放浪「放学記」第3章北米編 [タイセツナコト」】

2013-10-21 11:01:21 | 日記

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2013年10月20日。

《僕はずっと、「日本人の代表のつもりで旅をしている」ということを言い続けているが、今日、その気概の大切さをアメリカ人から教わった。場所はニューメキシコ州の片田舎の名もなきガソリンスタンド。たまたま出会ったあるご夫婦が、僕たちに大切なことを教えてくれた。》

僕たちは今ニューメキシコ州にいる。外には相変わらずの大平原が広がり、走っても走っても、その景色は終わることがない。本当はもっと先まで進んでいる予定だったのだが、運悪くアメリカ政府機関の閉鎖のタイミングと重なってしまい、予定通り動くことができなかった。そのためかなりの遅れが出てしまってはいるが、それもまた運命。メッチャ楽しみながら、アメリカ横断の旅を続けている。

生まれて初めてのキャンピングカーでの旅。それも1ヶ月というなかなかの長期間だ。2~3日ならともかく、何週間もキャンピングカーに乗り続けていると、何かしら不具合が生じてくる。


ちょこっと愚痴(笑)。

いやね、すごい快適なキャンピングカーなんですよ。綺麗だし広いし、基本的に何の問題もないんです。が、スタートしてすぐの段階から、ちょいちょいトラブルが発生しているんですよね。

まず食器。
マグカップが附属されているのですが、そのうちの1つを持った途端に取っ手がバキッと!ええ?持っただけだぜ?そんなわけなかろう!しかしどうみても折れている。なんだそりゃ、いきなりそれかい!

次に排水パイプ。
宣言します。僕たちは断じて無茶な運転はしていません。公道を走り、スピードも守り、悪路などにも入っていません。それにも関わらず、トイレと台所の汚水を排水するパイプから水がポタポタと・・・。ええ?まだスタートしたばっかだぜ?俺たち何もしてね~ぜ?そりゃないだろうよ、何で漏れてんのさ!

そして給水ホース。
この旅始まって最初のRV Parkに行ったときのこと。さぁ給水をしようと附属されているホースを繋いでみたら、あらビックリ!バンバンに水が漏れるじゃありませんか!よく見ると、ホースの接続部分が明らかに楕円形に歪んでいる。そりゃ漏れるわな!おいおいおい、そこは直しておいて下さいよ~!結果的に漏れても給水できているからよかったけど、これで水が入らなかったら大騒ぎですよ!

などなど・・・(笑)。でもまぁそうは言っても普通に走ることはできているので、順調に移動はできているんですけどね。こういうトラブルも旅の醍醐味。いや、トラブルこそ旅の醍醐味!でぃすいずあめりか!ってことで、良しとしましょう!(笑)


さて、話をシリアスに戻します。グランドキャニオンを見学した僕たちは、Gallupという街で一泊し、次の目的地「ホワイトサンズ」という国定公園に向けて出発をした。

しかしどうも何か調子がおかしい。ここ数日そうだったのだが、走っていると、何故か車が右に寄っていく。もしかしたらタイヤの空気圧がおかしいのかもしれないと思い、ガソリンスタンドに寄って空気を入れることにした。

しかし・・・。

空気の入れ方が分からない・・・。しかも空気入れの機械に目盛りなどはついておらず、これではタイヤにどのくらい空気が入っているのかも分からない。う~ん、これは困った・・・。

悩んでいても仕方ないので、とりあえず僕は隣で同じく空気を入れているおじさんにやり方を尋ねてみた。するとそのおじさんは、自分の車のタイヤに空気を入れているにも関わらず、手を止めながら何度も親切丁寧に教えてくれた。

「ここ押すと空気が出て、手を放すとこれが動くんだ。この目盛りが空気圧のゲージだよ。」

やり方が分かった僕らは早速自分たちの車のタイヤに空気を入れようとした。するとなんと、そのおじさんが「俺がやってやるよ!」と言わんばかりに、手助けをしてくれるではないか!


アメリカのガソリンスタンドの空気入れは、小銭を入れると一定時間空気入れが動くシステムで、このガソリンスタンドでは25セントコインを3枚入れると機械が動く仕組みだった。小銭を持っていなかった僕たちが困っていると、なんと助手席に座っていた奥さんが車から降りてきて、お金を入れてくれたのだ!

そしておじさんは完全に僕たちに変わって空気を入れてくれている。ちょっと面倒くさいタイプのタイヤだったようだが、おじさんは慣れた手つきでホイールを外し、空気を入れてくれた。

僕は何度も「Thank you very much」とお礼を言った。しかし、そのおじさんが返してくれた一言で、僕は「自分の在り方」を深く考えさせられた。


「気にするな!ここは俺たちの国だから、外国人を助けるのは当り前さ!」


たとえばもしこのご夫婦が僕たちに冷たく接していたら、僕は「なんだよ、アメリカ人って嫌な感じだな。」と思うだろう。しかしこのご夫婦がとても優しく助けて下さったことで、僕は「アメリカ人って優しいな。とてもいいじゃないか。」と思うことになる。

つまり、僕らにとっては、このたまたま出会ったご夫婦は「アメリカ代表」だったわけだ。そしてこのご夫婦にとっては、僕らは「日本代表」なわけだ。このご夫婦の振る舞いによって僕たちは「アメリカ人」のイメージを持つわけだし、助けてもらっている立場とはいえ、僕たちの振る舞いによって彼らに「日本人」のイメージを与えることになる。

僕はここまでのアメリカの旅の中で、アメリカ人のイメージがかなり良くなった。正直、アメリカに対してちょっと懐疑的だった僕は、もっとアメリカ人も冷たいのではないかと考えていたのだ。

しかし現実はそうではなかった。「偶然のご縁」によって僕とお話をして下さったアメリカ人のほとんど全ては、上手く表現できないが、みんな「良い人」だった。僕にとっての「アメリカ代表」となった方々の振る舞いによって、少なくとも僕という日本人は、この国への印象をかなり良いものへと変えられている。


このご夫婦は、僕に大切なことを僕えてくれた。

「親切であれ。他人に優しくあれ。」そして「常に自分はその国の代表だと思って振る舞え。」


僕は今、他の国に土足で上がらせていただいている。アメリカに限った話ではなく、本当に多くの人に僕は助けられて旅を続けられている。僕は今「助けられ続けている」立場にあるのだ。そのことを絶対に忘れてはいけない。

人生における大切なことってたくさんあると思うけど、どんなに金持ちになるより、どんなに高い社会的地位を手に入れるより、僕は「今隣にいる人」に優しくできる人でありたい。そういう当たり前の小さな「優しさ」の方が、人間として大切だと思う。

今日出会ったこのご夫婦は、きっと「普通の」アメリカ人なのだろう。しかし僕にとっては、一生忘れることのできない大切な「普通の人」になった。


偉そうにふんぞり返る「凄い人」よりも、いつも謙虚に相手を思いやれる「普通の人」の方が、よっぽどいいじゃないか。

常に利益ばかりを求める「成功した金持ち」よりも、貧しくとも卑しくなく「他人を思いやれる貧乏人」の方が、よっぽどいいじゃないか。



ニューメキシコ州の名もなきガソリンスタンド。こんな片田舎で、僕にとっての大きなレッスンが待ち受けていたんだなぁ。

もう出会うことはない。伝えることもできない。だけど、せめてこの場を借りてもう一言・・・
「Thank you very much!I remember your lesson!」

2013年10月20日。ホワイトサンズ国定公園にほど近いRV Parkにて。

【ふじもん世界放浪「放学記」第3章北米編 「ヘイジャパニーズ!まだそんなことを言っているのかい?】

2013-10-19 22:25:35 | 日記

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《Where are you from?と聞かれれば、当然僕はJapanと答える。今でこそ「同盟国」という関係ではあるが、かつては大きな戦争を交えた日本とアメリカ。アメリカの旅の中で、日本人だと話して怪訝な顔をされたことは今のところ一度もない。そんなアメリカ人の姿勢が、歴史に対する考え方を僕に問い掛けてくる。》

2013年10月18日。

アメリカに入国してちょうど20日が経過した。グループではあるものの、ツアーなどではなく個人で行動をしているので、色々な場面で現地のアメリカ人と話をする機会はたくさんある。

全体的な印象として、非常にフレンドリーであるというのが僕のアメリカ人に対する率直な感想だ。ちょっとトラブルがあって困っているときなどでも「no problem!」と言ってみんな助けてくれるし、RV Parkなどでもとどんどん話し掛けてくる。アメリカンジョークもガンガン飛ばしてくるが、もっとも、それがジョークなのか本気なのか、僕レベルの英語力ではなかなかすぐに理解できないのだが(笑)。

さて、そんな陽気なアメリカ人なのだが、ほとんどの人が僕たちにまず聞いてくる質問と言えば「Where are you from?」である。別にアメリカ人に限らず、外国人と話をするのならまずこの質問をするものだ。

当然僕らは日本人なので「Japan」と答えるのだが、ほぼ100%の人が笑顔で「good!」などと言ってくれる。もちろん中には日本のことが好きではなく、内心「なんだよ、日本人か。」と思っていた人もいたかもしれない。しかしとりあえずであったとしても、Japanと聞いての彼らの反応が悪いとは思えない。皆快く僕たちと話をしてくれる。


僕は考える。約70年前、僕たちはお互いに殺し合いをした。しかし今、僕たちは「同盟国」であり、「仲間」ということになっている。この国のフレンドリーな国民と話をしていると、そんな意識も自然と湧き上がってくる。

インターネットの状況が良いときなどに、僕はときどき青山繁晴さんという方のラジオ番組をYouTubeで拝聴する。ある放送の中で、青山さんはアメリカ人についてとても興味深い話をしていた。

その話の中で、次のように述べていた。

「アメリカ人にあの戦争の話をすると、『まだそんな昔の事を言っているかい?』という反応が返ってくるんですよ。」

僕はこの話ににとても興味を惹かれた。僕は歴史とは、絶対に忘れてはならないものだと思う。そして絶対に学ばなければならないものだとも思う。しかし、その過去の歴史に囚われてもいけないものだとも思う。

日本とアメリカ。忘れてはならない、大きな歴史がある。あの戦争の結果によって、今の我が国の枠組みが形作られたと言っても過言ではないだろう。


僕は言う。「過去の歴史を忘れてはならない」と。

「アメリカ人よ、日本人としては決して忘れられない歴史があるぞ。あなた方が日本に対して行ったことは、僕たちは決して忘れるわけにはいかない。」

しかし、僕はまた言う。「しかし歴史に囚われてもいけない」と。

「アメリカ人よ、大切なのは未来である。過去には色々あった。しかし共に繁栄できる未来のため、惜しみなく協力をしていこうではないか!」


僕たちは、過去の歴史と目の前にある今とこれからの未来に対して、どのような考え方を持つべきなのだろう。

アメリカの人々と話していると、過去に囚われていても仕方がない、という気持ちが沸いてくるような感覚に陥る。それくらい彼らは、とことんフレンドリーに話し掛けてくる。あくまで僕が出会ったわずかな人々ではあるが、日本人に対してそれほど悪いイメージを持っているとも思えない。

しかし、僕の心の中には「過去の歴史」から見るアメリカ人がある。それは以前のブログでも書かせていただいたように、ネイティブアメリカンへの侵略の歴史であり、アジアやアフリカへの植民地化の歴史であり、原爆投下の歴史であり・・・。日本という国家は欧米の植民地になる歴史を防ぐことができたが、ペリー来日をはじめ、欧米列強諸国に日本を植民地化する意図が大いにあったことは、紛れもない事実であろう。

じゃあ、僕たち日本人は、いつまでもそのことを問い続けるべきなのか?

決して忘れてはいけない歴史のはずだ。しかし、そのことをいつまで言い続けることが適切であり、また何を僕たちは求めているのか?そもそも「いつまで」の問題なのか?「何を」得られれば、僕たちは満足し納得するのか?

本当のアメリカ人の気持ちとは何なのか?戦勝国故の『まだそんな昔のことを言っているのかい?』というセリフなのか?そこ心はどこにあるのか?

僕たちの意識は、「敗戦国」故のものなのか?人間として、日本という国の国民として、当然の意識なのか?

先の大戦の捉え方については、間違いなく日本人とアメリカ人の間に大きな隔たりがあるであろう。いや、ないわけがない。アメリカ人が言う『まだそんな昔のことを言っているのかい?』という感覚と、僕たちが言う『過去の歴史を風化させてはならない』という感覚とは、大きな隔たりがあるはずだ。


何が正しいのだろう。

正しい歴史認識」とは、何なのだろう。

ただ1つだけ・・・。「みんなで協力して、明るい未来を創っていこう!」という発想だけは、正しいはずだ。

「過去を水に流す」ことが正しい歴史認識?
「過去を問い続ける」ことが正しい歴史認識?


アメリカの人々は、今日もまた語らずともその姿勢で僕に問い掛けてくる。


「ヘイジャパニーズ、まだそんな昔のことを言っているのかい?」


グランドキャニオンの目を見張るような大渓谷を眺めながら考える。ここも元々は、ネイティブアメリカンの聖地なのだ。本当に正しい返答は、僕なんかじゃまだとても分からない。やっぱり僕はまだまだだな・・・。


2013年10月18日。グランドキャニオン国立公園にほど近い、キャメロンのRV Parkにて。


【ふじもん世界放浪「放学記」第3章北米編 必見!Another Planet in アメリカ!】

2013-10-18 10:20:46 | 日記

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2013年10月17日。

《僕たちは今日、「他の惑星」に行ってきた。情報では「地球外の景色が見たいあなたへ」という場所だと聞いていたのだが、そこはまさに、地球のものとは思えない「他の惑星」そのものだった。》

ここはアメリカ・ユタ州の田舎町、カナーブ。ここから車で40分ほど移動した場所に、「他の惑星に連れて行ってくれる」旅行会社がある。

国道をひたすらに走っていくと、左側に看板が見える。これが入口だ。


ちなみにホームページはこれです。

http://www.paria.com/


とっても優しい奥さんのスーザンと、寡黙で田舎のアメリカンの雰囲気たっぷりの旦那さん、スティーブがお出迎えをしてくれた。そして僕たちを「他の惑星」に連れて行ってくれたのだが、その場所とは・・・。

「ホワイトポケット」

日本人にはあまり馴染みのない場所である。ほとんど知られていないのではないだろうか。

実は僕たちは、このホワイトポケットを目的地にしていたわけではない。本当は「ザ・ウェーブ」という、抽選でしか入ることのできない日本人の間ではけっこう有名な場所に行くつもりだった。しかし、アメリカの政府機関の閉鎖問題により、ザ・ウェーブの抽選が行われず、どこか他に良い場所はないかと探していたところ、ここにも「他の惑星」がると聞きつけ、行くことにしたのだ。

費用は175ドル。1日のツアーにしてはかなり高い。僕たちの間でもどうするか話し合いをしたが、「地球以外の景色を見に行こう!」という結論になり、この旅行会社に向かった。

ジープに乗り換え、走ること2時間。いよいよ「惑星」の入り口に辿り着いた。



あとは写真に語ってもらおうと思います!(笑)少しだけですが、どうぞご覧になって下さい!

んん?なんだあの白い山は・・・?


おお、まさに「ホワイトポケット」!なんじゃこの世界は!


まるで亀の甲羅か、皮膚のアップのような不思議な景色・・・。


ちなみに僕は、メロンパンみたいだな~と思ったので、「メロンパンロック」と勝手に命名しました(笑)!


山頂にいるのは、今一緒に旅をしているカズさんとターミーさんです!


カズさん、絵になるわ~!


この子は紅一点、さやかちゃんです!


こんな岩の中でも、木が生えてくるその生命力に感嘆です・・・。


可愛いサボテンも・・・!


水も所々に溜まってます。


山頂のカズさんとユータくんです!



白い岩を越えると、茶色が混ざった摩訶不思議な世界へ。


1000年前のインディアンの壁画もありました!


さらに矢じりや土器の破片も発見!


カズさんは何故か突然ヘビと格闘を開始!(笑)



そしてこの「ホワイトポケット」の見どころは、まるで「ウェーブ」のような、波打った地層の景観なんです。実は僕たちが行こうとしていた「ザ・ウェーブ」もまさにこのウェーブが売りなんですが、ここでも美しいウェーブが見られるんですね!

それではどんどん見ていきます!


これなんか、マジで凄かった!


一番美しいウェーブだったのはここかな・・・!


ここも良かったなぁ!


まるで亀?怪獣の口?みたいな不思議なウェーブロック。


おお、なんだこの渦巻は!



などなど、まだまだたくさんの見せ場がありました!「ホワイトポケット」なんて全く知りませんでしたが、ここはかなり良いですよ!オススメです!

そして最後に驚いたのが、ガイドをしてくれたスティーブが、「これで夕飯でも食えよ」と、なんと100ドル渡してくれたんんです!これには一同本当にビックリ!チップの国アメリカなのに、まさか逆チップをもらえてしまうとは・・・!僕も世界中で色々なツアーに参加してきましたが、こんなことは初めてです!


ということで、色々な意味で思い出に残る1日となりました。アメリカ西部を旅し、グランドキャニオンやモニュメントバレーとは一味違った景観を見たいという方には、この「ホワイトポケット」オススメ致します~!

2013年10月17日。今日も冷え込みが厳しいカナーブのRV Parkにて。

【ふじもん世界放浪「放学記」第3章北米編 「デジカメ」の功罪・僕が思うこと。】

2013-10-17 00:06:07 | 日記
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2013年10月16日。

《デジカメ。今現在カメラを使っている人で、デジカメじゃない人は限りなくいないだろう。とっても便利なこのデジカメ。大切な旅の友であるが、その功罪について僕は思うところがある。》

当たり前だけど、僕は写真を撮る。と言ってもそんなに本格的に写真を撮る人ではないので、まぁ安いデジカメにお世話になっているのだが、それでも十分綺麗に記録を残すことはできる。

こんなことを言うと「いつの時代の人間だ!」って言われてしまうかもしれませんが、デジカメって便利ですよね(笑)。だって、カードさえ入れ替えりゃあ何枚だって取り放題だし、必要ない画像はどんどん消せばいい。画質だってちょいといじれば調整できるし、色々な機能も満載だ。

環境のためにもいいですよね。フィルムだととりあえず現像しなければいけないし、必ず紙を使うことになる。でもデジカメならデータとして保存しておけばいいわけだし、必要なものだけ印刷すればよい。今のデジカメは使い方もとても簡単になっているし、旅をしていてもフィルムカメラをみることなどもうまずない。


でもね、僕思うんです。その便利の裏側には、1つの「罪」があるんじゃないかって。

たとえばもしフィルムカメラを使っていて、たとえば16枚しか写真が撮れないとする。」すると僕たちは、必死に考えて大切に写真を撮りますよね。失敗したらそれで終わり。ミスは許されない。しっかりと場所や構図を考えて、1枚1枚必死に撮る。

しかしデジカメだと、そんなことは考えない。バンバン撮りまくって、いらないものは後で消せばいい。だから人は、大切に写真を撮らなくなる。撮るだけ撮って後は消すだけ。

僕はここに、「人間の心の落とし穴」があると思うんです。それは、大量生産大量消費的な、言うなれば「ものを大切にする心」を失うことにも繋がるのかなって。

限られた枚数ならば、1枚1枚「必死に大切に」撮る。しかしデジカメならば、ほぼ何も考えない。もちろん良い写真を撮ろうとはするが、「良くなかったら消せばいい」という思いはきっとどこかにあるはずだ。それって何だかまるで、「限りあるものなのに何も考えずに消費をしまくる現在の資本主義経済における先進国」みたいな状況だなって感じるんです。

僕は今日、「ブライスキャニオン国立公園」という場所に行きました。何千年もかけて形成された奇石群が一面に広がる景観で、その迫力と美しさは圧巻です!聞いていた以上に素晴らしい場所でした!今日はほぼ一日ブライスキャニオン国立公園にいたのですが、さて僕は何枚写真と撮ったのか?数えてみました。

なんと、その数283枚!たぶんそれでも少ない方だと思います。僕は写真を撮らない方なので、撮る人は僕の何倍もシャッターを切っていることでしょう。

あ、ではせっかくなのでブライスキャニオン国立公園の写真も少し・・・(笑)夕日に輝く奇石群の光景は本当に素晴らしかったです!



デジカメって便利なんですよね、本当に。そんなの当たり前の話っちゃあ当たり前の話なんですが、この「撮ってダメなら消せばいい」的な発想になってしまうのが、僕は何だか人間にとって大切な「何か」を忘れさせてしまう1つの要因になってしまうような気がするな・・・と、考えてしまう。

「ものを大切にしよう!」当たり前の話ですよね。

でも、僕たちは本当に「ものを大切に」できているのだろうか?

今目の前にある「もの」は、全て有限な資源から作られていることを、僕たちは、いや日本人は、どこまで考えられているのだろうか。

古より日本に存在する素晴らしい言葉、「もったいない」。この「もったいない」という表現、英語をはじめ他の国の言語では、非常に翻訳が難しい表現らしいですよね。

もったいない」。こんな素晴らしい感覚を持ち合わせてきた僕たち日本人

別にデジカメを否定しているのではありません。僕だって(安物だけど)デジカメを愛用しているし、これからフィルムカメラに変えようなんて思ってもいない。本当に便利で、素晴らしい発明品だと思う。でも、便利だからこそ、その裏にあるちょっとした影の部分を考えてみたいと思うのだ。

ブラジルのマナウスにいるとき、僕は日本人移住者の方にお伺いをし、インタビューをさせていただいた。その方は移住1世で、大変なご苦労をされてマナウスでの生活の基盤と移住日本人としての地位を築いてこられた方だ。

僕はその方に、「これからのブラジルの日系の子ども達に、あるいは日本の子ども達に、最も必要な教育は何だとお考えですか?」と質問させていただいた。

そのお答えは次のようなものだった。

「ものを大切にする教育ですね。今の子ども達の周りにはものが溢れている。全てのものには作る人がいて、限りある大切な材料が使われている。しかし、ものが溢れ返ってしまうと、そのことに子どもは気付くことができない。全てのものは大切であることを理解することができない。いくらでも手に入ると勘違いしてしまう。私は長い間日本に行っておりませんが、きっとそいういう状況でしょう。ブラジルの日系の子ども達も同じですよ。」

「私が子どもの頃は、とにかくものがなかった。だから何でも大切にしたし、何でも利用してきた。そのころの時代に戻れと行っているわけではないですし、私が偉いわけでもありません。しかしそれでも今の子ども達は、あまりにもものを粗末に扱いすぎる。私はそのこととても心配に思っています。」


非常に簡単で単純なご意見だが、だからこそ大切なことなのだと僕は思い、今でも心に残っている。


「ものを大切にしなさい。」その精神は、今僕たちの心のどこにあるのだろう。

「もったいない」の気概は、魂のどのへんにいるのだろう。

写真を撮ることがフィルムからデジカメに変わったことで、それイコール「ものを大切にできない心になってしまう」なんてことはないだろう。しかし、写真だけに関してはそれでよくても、そのような「何でも撮りたいだけ撮って、要らなけりゃ捨てればいい」という考え方そのものが心に及ぼす影響というのは、少なからずあるんじゃないかなぁと思っている。


資源は有限であり、これまでのような「大量生産大量消費」の時代は終わりを迎えなければならない。理屈としては、きっとほとんどの人がわかっているはずだ。

コスタリカで微生物を使った環境保護活動を行っている、ある日本人の方にインタビューをさせていただいたときのあるコメントが、僕の脳裏に焼き付いている。

「一番難しいのは、人間の意識や考え方を変えていくことですよ。」

バンバン写真を撮っては消去するという行為自体はそれで問題なくても、そこから派生する「心」への影響。そういう小さな影響が、人間の形成に何かを与えているのかもしれない。


ブライスキャニオン国立公園。とっても綺麗だった。バンバンシャッターを押した。strong>僕はこれから、撮り損なった写真を消していくだろう。そして明日の明後日も、同じことを繰り返していくだろう・・・。

2013年10月16日。おっちゃんがちょっと気分屋で、たまにカチンと来ることがあるKanabのRV Parkにて。