本日は卒業設計講評会、さすがに疲れた。思うところはいろいろあるけど、何はともあれ、お疲れ様。現代サッカーと同じで、ハードワークの先にしか、未来はないね。来年は講評会の形も大改革の決意。
— 日野雅司 (@Arch_Hino) 2019年2月10日 - 00:29
そして大学の非常勤講師から常勤になって、圧倒的に見え方が変わったのは卒業設計だな。普段の課題とは、責任が違う。そこまで教員が負う必要はないと思うけど、自分が幾人かの心の師匠と呼べる方々から受け取ったものくらいは渡したい一心。
— 日野雅司 (@Arch_Hino) 2019年2月10日 - 00:42
でもまあ、卒業設計は評価してもらえたり、もらえなかったりするけど、他人からどう見られるかよりも、各自がいまやりたいことをやりきれているかどうか、がすべてだと思う。
— 日野雅司 (@Arch_Hino) 2019年2月10日 - 01:04
そしてその「今やりたいこと」というのが意外とくせ者で、内面からふつふつと湧いて出てくるものが、必ずしも「やりたいとこ」ではないかもしれない。やりたいことは自分の中にはないかもしれない。だからリサーチしたり、模型を作ったりする。
— 日野雅司 (@Arch_Hino) 2019年2月10日 - 01:24
こんな仕事もやってます。 twitter.com/kenchiku_info/…
— 日野雅司 (@Arch_Hino) 2019年2月10日 - 15:04
卒計講評会を終え、あれが足りなかった、伝えきれなかった、頑張ったのに悔しいけど楽しかったです…と学生たちがやって来る。成長したなあ。できあがった作品もそこへ至る道のりも、到達できなかった理想もそこへの遠い道のりも、みんな立派な卒計だな。頑張ったみんな、悔しいみんなも、幸せになれ。
— やまだ (@yamada__asuka) 2019年2月10日 - 14:57
卒業設計の講評会シーズン真っ只中。設計教育に携わる皆様のつぶやきを見ていると、様々な講評会が乱立した結果「評価されるかされないかは大して重要ではない」という見解が共有されている模様。健全だなと思う。
— satoruito / 伊藤暁 (@strito) 2019年2月10日 - 14:46
確かにその傾向を感じる。
— 長崎辰哉 (@TatsuyaNagasaki) 2019年2月10日 - 15:16
でも違和感がある。
評価されないことは重要ではないが、評価されることはかなり重要だとキチンと伝えられていないとしたら、それこそ健全ではないのではないか?
など。 twitter.com/strito/status/…
個人的には評価されようがされまいが、どっちでもいいと言う気持ちです。学生には、卒業設計の講評会は自分と外部の距離感を計測する場、くらいの姿勢で臨んで欲しいですね。
— satoruito / 伊藤暁 (@strito) 2019年2月10日 - 15:43
もちろんそういう気持ちになれる設計を仕上げることが前提ですが。 twitter.com/tatsuyanagasak…
昨日は卒業設計の講評会。
— 小笠原 正豊 Masatoyo Ogasawara (@masatoyo_san) 2019年2月10日 - 17:41
これから続く長い設計人生の中で、卒業設計は一つの通過点。
いつどのような能力が伸びるか、本人を含め誰にも分からない。
大切なのは今後も常に自己研鑽し続けること。
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