見るだけで運気アップパワースポット巡り

科学オタクです。
今は、原付で旅したパワースポットをめぐりを書いてます

原付旅 安土の城跡と信長の野望の巻

2022-11-25 09:57:00 | 旅行

連続大河ブログ 原付旅

レイラインポイントコンプリートの旅


安土の城跡と信長の野望の巻

さて、前回までタイム原付旅琵琶湖家族旅行編でした。偉大な母と愉快な父の色々な思い出を噛み締めながら、雨の琵琶湖畔東側を北上していきます。


安土の城跡と信長の野望の巻


さてさて、雨が小降りになってきました。見えてきました!安土城跡!今は城郭は残っておらず、城跡となっています。

はい!安土城といえば、織田信長ですよね!ご存知の方も多いと思いますが、安土城うんちくを少々!始まり、始まり〜!

織田信長が46歳の時に築いた城です。以前の記事にも書きましたが、「城」と言う漢字は「土」が「成る」と書いて「城」!お城といえば、石垣の上に天守閣のあるスタイルを想像しがちですが、実はそれまでの城は土塁(土で作った壁)と堀(土を掘った溝)と一階建ての廓で構成された物が主流だったそうです。この安土城が、天守閣&石垣の近代城郭の最初のお城だそうです。流石!信長!凄い革命家!アイデアマン!





地上6階地下1階!高さ32メートル!金色の最上階!深紅で八角形5階部分!本丸には寺院が建てられていて、天守閣の礎石の中央だけ欠落していて、吹き抜けの空間があり仏舎利(お釈迦様の骨)を収めた仏塔が立っていたと考えられる!信長はその仏塔の上で生活すると言う正に天下布武!大うつけか、大人物か、仏様以上の存在と言うことをアピール!

そうです!安土城は他の城郭にはない、寺院や執務などを行う生活空間、豪華な装飾や絵画があったそうです。

そして、他の城は「天守」に対し安土城のみ「天主」となっています。超特別な存在と言うアピールか?漢字間違えたか!間違えだとしても、誰も指摘できませんけどね!怖いし!それに初めての天守閣だから、それまで呼び名がなかったわけですから!その後の人たちが間違えたのか、親方様に配慮したのか!

後に作られる安土城タイプの近代城郭に比べると防御力や攻撃力は劣りますが、その当時類似する城は無く、最強にして最も豪華な建造物だったに違いありません!当時の最新技術!石垣を組む穴太衆(あのうしゅう)もこの頃から一気にメジャーになり、現代もなお世界で活躍中とか!テレビで石垣の建設を見ましたが、巨大な石をワイヤー一本で釣り上げるのを目の当たりにしました!重機こそ使いますが、巨石の重心を感覚で見極める技術!熟練の技ですね!また穴太衆についての記事は別の機会に

信長は特別な存在感が強くなりすぎたのか、岐阜城にいた頃は家臣と宴会を開いた記述が残っており、仲間意識や共に行動する横並びのリーダー的存在だったのに対し、領土の多角化などで自らが戦場に行くこともなくなり、安土城での全体の指揮、家臣との距離が広がっていったんでしょうね。

信長は天正15年の正月、家臣たちに有料で城内の見学をさせたとか!会いに行ける戦国武将!自分自身の凄さを見せつけたい、誉められたい屋さんなのですね♪でも有料にしたのが運の尽き!この年にあの本能寺の変が起きるのです!

いや〜!戦国ロマンですよね〜!あれ?安土桃山ロマンか?

解説しよう!



鎌倉時代が終わり、戦乱の戦国時代に突入!そして、信長の登場、から豊臣秀吉、秀頼の大坂の陣までが安土桃山時代!信長の代表的な城!安土城!豊臣秀吉の代表的な城!伏見城(桃山城)で、安土桃山時代となったのである!

だけど!それだったら、信長は岐阜城か清洲城、秀吉は大坂城で清洲大坂時代では?って思ってしまいました。()


次回 オタマジャクシと多賀大社の巻


ここまで読んでくださった方の願い事が叶います様に


レイラインポイントコンプリートの旅



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (asai0088yo)
2022-11-24 20:24:06
天守閣 天主閣 知りませんでした
ありがとう ございます
返信する
Unknown (tdragon)
2022-11-25 00:12:39
@asai0088yo 👍
色々知識を入れてから旅すると100倍楽しいです!知は力って言いますしね!
ちなみに「知」「血」又は「地」より授かるから「チから」だそうです!多分訓読みの「血」が有力です!
返信する

コメントを投稿