連続大河ブログ 原付旅
レイラインポイントコンプリートの旅
オタマジャクシと多賀大社の巻
さて、前回は安土城跡で織田信長に思いを馳せ、やっぱり凄い人だったんだな〜って!本能寺の変の後謎の火災!その後、再建される事なく現在まで…。そして、安土城の事「安土桃山城」って思ってた人!これを機会に覚えてくださいね♪ 安土城と桃山城は別々ですよ!
オタマジャクシと多賀大社の巻
さてさて、安土城を後にして東に進路変更!多賀大社に向かいます!
多賀大社は、古事記、日本書紀に登場する神々の父!伊邪那岐命(イザナギのミコト)がお隠れになったと言われる幽宮(カクリノミヤ)です。神様がお隠れになるって言うのは、お亡くなりになる、つまり死ぬということです。淡路島の伊弉諾神宮の記事でも書きました。よかったらこっちもどうぞ
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原付旅 神々の父、伊弉諾と淡路島、オノコロジマの巻 - 見るだけで運気アップパワースポット巡り
琵琶湖は淡水の海、淡海(あわうみ)と呼ばれていて、イザナギがお隠れになったのは淡路島とも阿波国とも…。諸説あり!古事記日本書紀初心者には判断つきません!でも、人間ごときが神様の事を計り知る事自体おこがましい。けど、面白いからしょうがない!
多賀大社の御祭神は「ご夫婦揃ってイザナギ、イザナミです。
夫婦円満、子授かり、安産祈願などとのご利益があるそうです。
戦国時代にはすでに「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」などと言われ、京都から多くの参拝者が訪れていたそうです。伊勢神宮の御祭神アマテラスも熊野大社の御祭神スサノウもイザナギとイザナミから生まれた神様ですからね!
その、お多賀さんのお守り?として知られているのが「お多賀杓子(おたがしゃくし)」です。杓子とは現在の御飯を茶碗に盛る道具「しゃもじ」の事で、何でもかんでも、誰も彼もの意味で使われる「猫も杓子も」の杓子です。時を遡る事、飛鳥時代から奈良時代へと移り変わる頃、第44代天皇、元正天皇(げんしょうてんのう)に多賀社の神官が帝の病の平癒を祈念して強飯(こわめし)を炊き、杓子を添えて献上したところ、帝の病が全快したそうです。この頃のご飯はパラパラで今のようなしゃもじでは、すくいにくかったそうです。なのでこの頃のしゃもじは、おたまのような形をしていたそうです。いわゆる大きめのスプーンですね。ご飯もすくったけど、帝の命も救ったって感じ?
ちなみに、この時お多賀杓子に使用した木材は「シデの木」だそうです。シデの木?聞き慣れないですよね。でも公園とかでもしかしたら見てるかも?秋になるとオシベが黄緑色の藤の花のように垂れ下がって、まるでビールに使われるホップのような感じで誰かがあります。しめ縄や玉串にギザギザの白い紙がついているの、分かります?あれ、「紙垂(シデ)」って言います。ここから名前がついたんだと思います。元々「しだれる」って意味みたいですね。
ちなみに、この紙垂は稲妻の意味もあるみたいですね。邪気を払ったり、田んぼに落ちると窒素酸化物が地中にできて稲が豊作になるそうです。なので稲の妻「稲妻」なんですって!
そして、時は流れ、スープをすくう道具が「おたま」となり、ご飯も盛る道具が「しゃくし(しゃもじ)」となったそうです。そして、よく似た形の蛙の子供の事を「おたまじゃくし」と言うふうになったそうです。
そして、元正天皇の頃に藤原不比等(ふじわらのふひと)により日本書紀が完成!クーっ!色々繋がってきますね!
次回 井伊家と彦根城と近江商人の巻
ここまで読んでくださった方の願い事が叶います様に…」
レイラインポイントコンプリートの旅
子どもの頃から、味噌汁は杓子、ご飯はシャモジ、水を掬うのをヒシャクで育ちました。
オタマは都会の洒落た家庭語だと思っていました。
語源は同じようなので、その土地、家庭毎に使い分けがちがうんでしょうね。
茶道のヒシャクをオタマ、シャクシ、シャモジとは言わない?
「ヒシャク」の語源は「ひょうたん」の別名「ひさご」から来ていて、奈良時代にはひょうたんを半分に割って柄をつけたタイプと木を薄く切って丸めた現在の形の2タイプあったそうです。両方ともヒシャクで、木のタイプは水用、ひょうたんのタイプは汁物用だったみたいです。
勉強させていただいております。
僕は 覚えられる 自信がないから
貴方のblogをその都度 見る事にします
有り難う ございます
楽しいですね
物の名前、地名など成り立ちを知ると
旅行も生活もちょっと色がつきます
私も知ってる事だけです
古事記も1年生です
好きの力って凄いですね