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TAOコンサル『ルオー研究ラボ』

「ジョルジュ・ルオーの生涯」
「ルオーの影響を受けた人々」

ルオー晩年作品・・イル・ド・フランスなど黄金色に輝く田園風景

2015年10月23日 | ルオーの作品
ブログに秋のことを書き、秋と聞くと何をイメージするかと問いかけ、若い女性なら失恋の秋、高齢者はたそがれの秋と書きながら、ふとルオーの作品のことを思い出した。ルオーの後期油彩作品に「たそがれ=イル・ド・フランス」という作品がある。
イル・ド・フランス・・出光美術館蔵 

ルオーは師ギュスターブ・モロー亡きあと、娼婦やサーカスの道化師など社会の底辺に生きる人々や社会の不正義・罪悪を描き続けた。初期作品には油彩画は少なく水彩やグァッシュが大半で、『酔いどれ女』『鏡のなかの娼婦』のような娼婦の醜い肉体を悲しみと慈悲の心で描いた作品や傲慢なブルジョアを描いた『プーロ夫妻』など、その色彩や強烈な表現は独特なものであった。作品の根底にルオーの宗教的信条があったが、当時ルオーの絵の本質は理解されなかった。

その後も『裁判官たち』や『法廷のキリスト』など、裁く者と裁かれる者を力強い筆致で描いた作品を残しているが、1930年代以降は『小さい家族』『傷ついた道化師』など悲しみのなかにも人間的な暖かさを感じさせる画風へと変化していく。画面も黄色を主調とした赤や明るい青など華やかな色調となり、『うらぶれた旅のサーカス』を副題とする連作などの道化師の表情は穏やかさと優しさに溢れている。風景画にキリストや聖書の人物が登場するのもこの頃からで、晩年の『聖書風景』など、黄金色の光り輝く田園風景のなかにキリストが現れる作品たちには、ルオーの晩年の心のやすらぎが感じられる。


作品『たそがれ=イル・ド・フランス』はこの地方の夕暮れの風景を描いているが、青い空と赤い大地が印象的である。光り輝く黄金色の風景のなかに立つ人々とキリストの姿が心を打つ。晩年のルオーは心穏やかであったのであろう。聖書風景や田園風景などいずれも見る者を平穏な気持ちにさせる。もう一つの画像は『聖書の風景』、いずれも出光美術館所蔵作品である。
某雑誌に載った我が書斎風景

ギュスターブ・モローとジョルジュ・ルオー

2013年12月03日 | ルオーの作品
 現代美術が好きで僅かながらコレクションしてきたが、生涯の研究テーマはジョルジュ・ルオーであると思っている。従ってルオー展を見逃すことはないのだが、このところ忙しく汐留ミュージアムでの「モローとルオー展」、会期終了間際にやっと観てきた。


 ルオーは1890年、19歳の時、国立美術学校に入学、ここで出会うのが生涯の師ギュスターブ・モローであった。モローは伝統的な美術学校の常識に捉われない自由な美術指導を行ったことで知られている。特にルオーの才能を高く評価、ルオーもこれに応えて交流を深めて行った。モローのルオー宛て書簡には“親愛なる我が子よ”とあり、ルオーのモロー宛て書簡には“あなたを敬愛する弟子”と記されている。これを見ると教師と生徒以上の親密ぶりがよくわかる。

 そのモローに勧められ、ルオーは二度にわたってローマ賞に挑戦する。これらの作品は精密なデッサン力と明暗表現に優れたアカデミックな卓越したものであったが、二度とも落選する。これを見て、国立美術学校の教育に限界を感じたのであろう、モローはルオーに学校をやめることを勧め、ルオーもこれに従う。ここからルオーの貧しく孤独な生活が始まるのだが、こうした後、ルオーの作品はテーマも画風も大きく変化、道化師など社会の底辺に生きる人々を描き始めるのである。
 その後1903年にモロー美術館が開館、ルオーはその初代館長に任命されることになるが、これはモローの遺言であった。モローは死後も愛弟子ルオーを見守り続けたのであろう。


モロー「ピエタ」・・26歳の時の作品


ルオー、1893年の作品「石臼を回すサムソン』

心に沁みる松下電工汐留ミュージアムの『ルオーと風景画展』

2011年06月28日 | ルオーの作品
 ブログにも何回か書いたことであるが、私の現代美術コレクションの原点はジョルジュ・ルオーである。ブリヂストン美術館で、郊外のキリストを見て以来、ルオーに惹かれて、ミゼレーレなどコレクションしてきたが、ルオーサロンまで作ってしまった。

そんな訳で、ルオーの展覧会は欠かさず見ているが、今回の『ルオーと風景画』は非常に良かった。ルオーはピエロや道化師、キリストなどをテーマにした作品を多く残しているが、風景画もパリ国立美術学校でアカデミックな作品に取り組んでいた頃からの重要テーマである。今回の出品作品『人物のいる風景』はそんな若い時代のものである。

 ルオーの風景画は写実的なものではない。描かれているのは、郊外のわびしい場末の風景や田園風景などであるが、どの作品も宗教的な雰囲気を漂わせている。キリストというタイトルが付いていなくても、キリストを思わせる人物が配置され、どれも神秘的な光に包まれている。

 今回の展覧会には、私が好きな作品が何点も出品されていた。『たそがれ、あるいはイールド・フランス』、『夕暮れ』、『秋の終わり』などである。特に、晩年の黄金色に包まれたルオーの心象風景が素晴らしかった。 しかも、嬉しいことに、私の現代美術コレクションのきっかけとなった『郊外のキリスト』も出品されている。これは、ブリジストン美術館の所蔵作品であるが、凍てつくような郊外の街路にキリストと二人の人影が佇む作品は、崇高で精神性の高いものだ。


作品イールド・フランス 

 ところで、この『パナソニック電工・汐留ミュージアム』の美術館運営はいささか問題あり。この日、美術館の外側の壁に貼られたポスターなのにカメラを向けると、撮影は駄目だという。・・美術館の外側だよ、しかも、ただのポスターだよ。(笑)
作品撮影もオーケーのニューヨーク近代美術館などと比べると鑑賞者の視点がない。所詮は大企業が金の力で収集した美術館なのだろうか。せっかくのルオー作品が台無しだ。


このポスターが撮影禁止??・・信じられない美術館だ。



宗教画家ルオーのイメージとは異なる作品『ユビュ親父』

2010年05月20日 | ルオーの作品
 ルオーの『ユビュ親父シリ-ズ』はそれほど好きな作品という訳ではないのだが、ルオー・コレクターとしては見逃す訳にはいかない。この作品、まとめて見る機会は滅多にない。・・というわけで、パナソニック汐留ミュージアムに出かけた。

 ユビュとはフランスの作家アルフレッド・ジャリの劇『ユビュ王』の主人公のことである。画商ヴォラールから、この作品の制作を依頼されたルオーは、いささか滑稽で支離滅裂な主人公に共感できず、その気にならなかったのだが、ミゼレーレ作品制作を交換条件に引き受けたとのこと。ルオーの主題であるキリストや道化師などの作品とはいささか異なるイメージではあるが、ルオーにかかると、素晴らしい世界が生まれるから不思議だ。描かれているのは、フランスの植民地を舞台とした黒人やいささかグロテスクな白人たちであるが、人物の動きが素早いタッチで、しなやかに表現されている。

 別室に展示された新収蔵品は過去に見た作品ではあるが、どれもとてもよかった。

●『古びた町はずれにて又は台所』・・1937年 油彩・紙

・・・この作品は、もう何年も前、清春白樺美術館で見たことがある。描かれているのは“キリストのいる室内風景”であるが、ルオーの聖書風景の一つ。小林秀雄が、一度見たら忘れられない感銘を受けたと語っている。


●『避難する人々』・・1948年

・・・いい作品である。第二次世界大戦で家を焼かれた貧しい一家が避難する様子が描かれている。これは旧約聖書の出エジプト記のエクソダスをイメージした作品である。


●『キリスト』・・1937~38年 油彩

・・・版画集ミゼレーレの第二作目を油彩画にした作品である。モノクロ銅版画のミゼレーレの世界を色彩で表現した名品である。


作品『ユビュ』の一部


ルオー『キリスト』(部分)

松下電工ミュージアム『ルオーとマティス展』を見て思うこと

2008年05月07日 | ルオーの作品
 私の美術コレクションの原点は“ルオー”。この30年、現代美術作品と並行し、『ミセレーレ』などルオー版画を少しずつ蒐集してきた.。我が書斎&サロンも『流れる星のサーカス』と命名、ささやかなルオー研究を続けている。そんなわけで、ルオー展は必ず観ている。

 そういう意味では、今回の展覧会はユニークな切り口で面白かった。国立美術学校のギュスターブ・モロー教室で知り合ったルオーとマティスだが、画風も生き方も違う二人なので、余り交流はなかっただろうと思っていた。しかし、2006年、ルオーに宛てたマティスの書簡が発見され、二人が生涯にわたって交流を持っていたことがわかったというもの。本展は、そんな軌跡をたどりながら、“素晴らしい芸術への共感”をテーマに二人の作品を対比的に展示している。

 ところで、『松下電工ミュージアム』はルオーをテーマにしていることもあって好きな美術館の一つだが、その運営は素人っぽい。この展覧会の時も、作品を見終わり、ソファーに腰を下ろして手帳とボールペンを出した途端、館内整理の女性が走ってきて、鉛筆に変えてくれという。その言い方が事務的で硬く、ルオー作品に感じ入っている気持に水をかけられたような気分であった。日本の美術館の方針は似たようなものなので、承知はしているが、もう少し優しい対応はできないものか。 

 ニューヨークのMOMAやメトロポリタン美術館では写真もメモも会話もOK、要するに鑑賞することを大事にしているのだと思う。美術館の作品保存という使命もわからないではないが、日本の美術館は絵を鑑賞することの意味をもっと研究すべきだと思う。特に松下電工のような企業なら、公立美術館以上に顧客重視の重要性は分っている筈なのだが・・・。


ルオーとマティス展