TAOコンサル『ルオー研究ラボ』

「ジョルジュ・ルオーの生涯」
「ルオーの影響を受けた人々」

ルオー晩年作品・・イル・ド・フランスなど黄金色に輝く田園風景

2015年10月23日 | ルオーの作品
ブログに秋のことを書き、秋と聞くと何をイメージするかと問いかけ、若い女性なら失恋の秋、高齢者はたそがれの秋と書きながら、ふとルオーの作品のことを思い出した。ルオーの後期油彩作品に「たそがれ=イル・ド・フランス」という作品がある。
イル・ド・フランス・・出光美術館蔵 

ルオーは師ギュスターブ・モロー亡きあと、娼婦やサーカスの道化師など社会の底辺に生きる人々や社会の不正義・罪悪を描き続けた。初期作品には油彩画は少なく水彩やグァッシュが大半で、『酔いどれ女』『鏡のなかの娼婦』のような娼婦の醜い肉体を悲しみと慈悲の心で描いた作品や傲慢なブルジョアを描いた『プーロ夫妻』など、その色彩や強烈な表現は独特なものであった。作品の根底にルオーの宗教的信条があったが、当時ルオーの絵の本質は理解されなかった。

その後も『裁判官たち』や『法廷のキリスト』など、裁く者と裁かれる者を力強い筆致で描いた作品を残しているが、1930年代以降は『小さい家族』『傷ついた道化師』など悲しみのなかにも人間的な暖かさを感じさせる画風へと変化していく。画面も黄色を主調とした赤や明るい青など華やかな色調となり、『うらぶれた旅のサーカス』を副題とする連作などの道化師の表情は穏やかさと優しさに溢れている。風景画にキリストや聖書の人物が登場するのもこの頃からで、晩年の『聖書風景』など、黄金色の光り輝く田園風景のなかにキリストが現れる作品たちには、ルオーの晩年の心のやすらぎが感じられる。


作品『たそがれ=イル・ド・フランス』はこの地方の夕暮れの風景を描いているが、青い空と赤い大地が印象的である。光り輝く黄金色の風景のなかに立つ人々とキリストの姿が心を打つ。晩年のルオーは心穏やかであったのであろう。聖書風景や田園風景などいずれも見る者を平穏な気持ちにさせる。もう一つの画像は『聖書の風景』、いずれも出光美術館所蔵作品である。
某雑誌に載った我が書斎風景

「ルオーとフォーブの陶芸家たち展」・・陶器絵画に熱中したルオー

2015年04月15日 | ルオーの作品

汐留ミュージアムの「ルオーとフォーブの陶芸家たち展」を初日に観てきた。・・(作品画像はWEBより借用)



フォービズム(野獣派)とは何か。1900年代初頭のフランスで、原色を基調とした鮮やかな色彩の絵画を展開したマチスやマルケ、ブラマンク、ルオーなど一群の作家たちを評した言葉である。彼らは新しい表現を模索する中で陶器制作にも関心を持つのであるが、これらの画家たちに協力したのが陶芸家メテであった。

大皿「アダムとイブ」

私のコレクションの原点はルオーであり、これまでもルオーの陶磁器については観る機会はあったが、メテについては初めてであった。日本ではメテの陶磁器についての紹介は余りなかったこともあり、見応えある展覧会であった。特に施釉陶器の青が素晴らしい。

ルオーはこの陶器での表現に強い関心を持ったと見え、一時期メテとの協同制作に熱中した。「花瓶、水浴の女たち」の青を基調としながらも茶褐色や深いグリーンが使われた作品など、キャンバスの絵画世界を観るようだ。ルオーは貧しくも懸命に生きる人々をテーマにした作品を多く残しているが、大皿「ソリダルテ(連帯)通り」はまさにそういう情景を描いた作品であり、心を打つ。

いずれも陶器をキャンバスのように使っての絵画表現であり、そこにはルオーの世界が広がっている。
「花瓶、水浴する女たち」

 「ソリダルテ(連帯)通り」


ギュスターブ・モローとジョルジュ・ルオー

2013年12月03日 | ルオーの作品
 現代美術が好きで僅かながらコレクションしてきたが、生涯の研究テーマはジョルジュ・ルオーであると思っている。従ってルオー展を見逃すことはないのだが、このところ忙しく汐留ミュージアムでの「モローとルオー展」、会期終了間際にやっと観てきた。


 ルオーは1890年、19歳の時、国立美術学校に入学、ここで出会うのが生涯の師ギュスターブ・モローであった。モローは伝統的な美術学校の常識に捉われない自由な美術指導を行ったことで知られている。特にルオーの才能を高く評価、ルオーもこれに応えて交流を深めて行った。モローのルオー宛て書簡には“親愛なる我が子よ”とあり、ルオーのモロー宛て書簡には“あなたを敬愛する弟子”と記されている。これを見ると教師と生徒以上の親密ぶりがよくわかる。

 そのモローに勧められ、ルオーは二度にわたってローマ賞に挑戦する。これらの作品は精密なデッサン力と明暗表現に優れたアカデミックな卓越したものであったが、二度とも落選する。これを見て、国立美術学校の教育に限界を感じたのであろう、モローはルオーに学校をやめることを勧め、ルオーもこれに従う。ここからルオーの貧しく孤独な生活が始まるのだが、こうした後、ルオーの作品はテーマも画風も大きく変化、道化師など社会の底辺に生きる人々を描き始めるのである。
 その後1903年にモロー美術館が開館、ルオーはその初代館長に任命されることになるが、これはモローの遺言であった。モローは死後も愛弟子ルオーを見守り続けたのであろう。


モロー「ピエタ」・・26歳の時の作品


ルオー、1893年の作品「石臼を回すサムソン』

ルオー版画『ミゼレーレ作品42』の寄贈のこと

2013年05月30日 | ルオーの版画芸術
 イースター(復活祭)の日、父のお骨を多摩霊園にある日本基督教団松沢教会の墓地に納骨した。若い頃から敬愛してきた賀川豊彦につながるこの教会の墓地で静かに眠りたいという父の遺言に従ってのことである。葬儀に関しては松沢教会牧師や役員の方に大変お世話になった。

 そんな感謝の気持ちを込めて、長年にわたるコレクションからルオーの作品を一点、この教会に寄贈することとした。私のコレクションの原点はルオーであり、初めて購入したのも『ミゼレーレ』シリーズの中の一点であったが、この作品を寄贈することにした。『ミゼレーレ』は、ルオー芸術の集大成とも言える記念碑的な作品であり、銅版画22点が納められた銅版画集である。

 寄贈した作品は1926年制作の『ミゼレーレ』NO.42『置き去りにされたる十字架のキリストの下に』である。十字架上のイエス・キリストを描いたもので、現在この作品は松沢教会の礼拝堂の隅に飾られている。



 

『 孤高の画家 ルオーの生涯 』 その2 山下 透

2012年12月10日 | ジョルジュ・ルオーの生涯
ルオーは一八七一年五月二七日パリで生まれた。パリコミューンが崩壊する前日、ヴェルサイユ軍と革命軍との激しい市街戦が展開されたパリ北東部の労働者街ベルヴィル地区の地下室でのことであった。ルオーの作品には貧しい郊外の夕暮れの風景がよく見られるが、それはこの労働者街での貧困と悲惨の幼少体験に培われた精神世界の表出に違いない。父親はブルターニュ出身の忠実な家具職人で、熱心なカトリック信者でもあった。しかも自由思想の持ち主でもあり、カトリック信条と自由思想との共存を主張しローマ法皇から破門された思想家ロベール・ド・ラムネエの熱烈な信奉者でもあった。ルオーのなかに流れる頑固な職人的気質はこの父親譲りのものである。ルオーが芸術に関心を持ち始めたのは、母方の祖父の影響といわれる。この祖父は古本屋でマネやクールベの複製画やドーミエの版画を買い集めるような人物で、ルオーの絵の才能に気付きその将来に夢を託し愛情を注いだ。一四歳の時、ステンドグラス職人の工房に徒弟奉公入りした。後に「これほど素晴らしいものを扱う資格は自分にはないとすら思った」と回想しているが、ステンドグラスのさまざまな色彩がルオーを惹きつけ、色彩への感受性を育てたことは間違いない。この頃から、働きながら装飾美術学校の夜間教室に通って絵を学びはじめる。


『 孤高の画家 ルオーの生涯 』 その1  山下 透

2012年09月27日 | ジョルジュ・ルオーの生涯
ルオーはいろいろな意味で孤高の画家である。

 アカデミズムに背を向け、世俗の評価を超越した画家としての生き方は孤独で、作品も現代美術のなかで特異な位置を占めている。フォーブ=野獣派と呼ばれることがあるが、これはマチス、マルケらと共にサロンドートンヌの創立に参加かつ作品発表したことによる誤解と思われ、描かれているのは明らかに違う世界である。フォーブが色彩を大胆に使った明るい陽光の世界を描くのに対し、ルオーは人間の精神をいかに表現するかを追求した作家である。

 伝統的な宗教画の否定からスタートし、アカデミズムの世界とは一線を画している。キュビズムなど抽象美術でもなく、シュールレアリスムでもない。あえて言うなら表現主義ということになると思うが、いわゆる風景画や人物画でもない。芸術を分類評価する評論家からすると比較するものがなく厄介な対象であったからなのか、美術史においても孤立している。


ルオーの版画芸術4・・版画集「ミゼレーレ」

2012年08月04日 | ルオーの版画芸術
版画集『ミセレーレ』に色彩はない。ルオーが色彩の王者と呼んだ黒一色で描かれた白と黒の単色版画であり、ここにルオーの強い意図が感じられる。白と黒というのはいわば光と闇を意味しており、光とは聖なるもの、闇とは世俗的人間世界の象徴である。ルオーは人間の苦悩の姿と受難のキリストとを対照的に表現するのに、余計なものを削ぎ落とした白と黒だけによる重厚なマチエールの版画世界を築きあげたのである。『ミセレーレ』とは、旧約聖書の詩篇五一章三節の「神よ、我を憐れみたまえ、御身の大いなる慈悲によりて・・」のラテン語の冒頭「憐れみたまえ」から取られた言葉である。版画集『ミセレーレ』には母子像のような暖かい情景もあるが、多くは寒々しい郊外風景、荒地に種をまく人、重い荷を背に歩く貧しき者たち、傲慢そうな金貸しや権力者、戦争に傷ついた人々などであり、人間の罪を背負ったキリストとともに描かれている。そこにあるのはいかにも絶望であるが、決してそうではなくて悲惨な情況のなかで苦悩する人々を照らす希望の光が微かに見えるのである。『ミセレーレ』はその希望の光に向かって祈るルオーの内なる精神の告白であり、そこにこの作品の崇高な魅力があると、私は思っている。




●参考文献  
「ルオー」         高田博厚        1953年
「ジョルジュ・ルオー」   ファブリース・エルゴ  1993年
「ルオーの版画」      フランソワ・シャポン  1979年
「ジョルジュ・ルオー」   柳宗玄         1990年
「ルオーの版画芸術」    柳宗玄         1989年
「ルオーの道」       柳宗玄         1998年
「ルオーの芸術」      柳宗玄         1984年
「ルオーの版画」      高木幸枝        1989年
「凝縮された人間愛の息吹」 小川正隆        1984年
「魂とのアンティームな対話」中山公男        1973年
「ルオーの魅力とその価格」 ポール渡部       1973年

ルオーの版画芸術3・・版画集「受難(パッション)」

2012年08月03日 | ルオーの版画芸術
ルオーは『ミセレーレ』と併行して、一九二〇年代以降『サーカス』やヴォードレールの詩集『悪の華』を題材にした一四点の単色銅版画集と一二点の色彩銅版画集などの制作をはじめている。『受難(パッション)』はアンドレ・シュアレスの詩画集『キリスト受難』の挿画として制作された一七点の色彩銅版画と本文部分にルオーの下絵による八二点の木版画が入れられた版画集で、一九三九年に刊行された。この銅版画は受難というキリスト教理念の根幹をなす主題のもとに、聖書にでてくる漁師や職人そしてキリストなどが精神性高く描かれている。一九三三年に制作着手の『流れる星のサーカス』は色彩銅版画一七点によるルオー自身の詩画集として一九三八年刊行された作品である。ルオーにとって生涯を通じての重要な主題であったサーカスの道化師や踊り子などが熟達した色彩技法のもとに描かれている。ルオーにはこれらの他にも、『回想録』『小さな郊外』『秋』等の作品があるが、ルオー版画の代表作といえば、『ミセレーレ』、『受難(パッション)』『流れる星のサーカス』であり、そしてそれらの頂点ともいえる最高傑作が『ミセレーレ』なのだと、私は思っている。ルオー研究家である柳宗玄氏は、著書のなかで「・・『ミセレーレ』は、第一次大戦の記念碑として、戦後ヨーロッパ各地に作られたいかなる建築や彫刻も比肩しえぬ大きな意味をもつものと思われる」とまで言い切っている。


ルオーの版画芸術2・・版画制作の時代

2012年08月02日 | ルオーの版画芸術
ルオーが本格的に版画作品を手がけるようになったきっかけを作ったのは、ルオーと独占契約を結んだ画商ヴォラールであった。ヴォラールはアルフレッド・ジャリの風刺戯曲『ユビュ王』をもとにした『ユビュ親爺の再生』の挿画制作を交換条件に、ルオーが構想を熟成させていた『ミセレーレ』の出版を提案した。ルオーとしてはユビュ親爺には何の関心もなかったが、ミセレーレへの強い思いから承諾することとした。『ユビュ親爺の再生』は二二点の銅版画と一〇四点の小口木版を添える形で一九二三年完成したが、ルオーの版画によってみごとな挿画本が生まれることになった。ルオーによる『ミセレーレ』の構想は第一次大戦直前の一九一二年頃から芽生え、既に一〇〇枚近い素描が書き溜められつつあった。もともとの構想が、悲惨と戦争というテーマそれぞれ五〇点ずつの銅版画連作という膨大なものであったことから考えるとルオーのこの作品への意気込みが相当なものであったことがわかる。

 『ミセレーレ』の銅版画制作はこうして一九二一年着手となるが、どこまでも完璧を期そうとするルオーの職人的な辛抱強い追求が一点一点すすめられた。版画に取り組んだ画家は多いが、ルオーほど版画を独立した美の世界として確立した画家はいない。その独特の銅版画技法について、ジェームス・サル・ソビーは著書の中で「・・彼の版画技法を明確に説明せよと問われた場合、これほど面食らう質問はないだろう。まず、下絵の素描がヘリオグラビュールという全く新しい写真製版技法で銅版の上に焼き付けられる。この銅版原版上に、ビュラン、ドライポイント、ルーレット、更に従来考えられなかった石目やすりや紙やすりまで用い、またルオー独特の墨の陰影を立体化するための明暗のグラディションをつくるため、ワックスを表面に塗らず直接ブラッシュを使って銅板上に硝酸で描画する複雑さです。これはまた、粒状の表面をつくるためにも効果的だったわけです。」と書き記している。ルオーの銅版画は何段階ものステートの試作の繰り返しの中から重厚な画面が出来上がってくるという、実に精魂を傾けた制作活動の結晶であった。こうして、専門家をも驚嘆させる革新的な技法によるルオーの版画世界が築かれていったのである。しかし忘れてならないのは、ルオーは単に造形上の関心として技法のための技法を追及するような作家ではなかったということである。ルオーにとっては悲惨と絶望にありながら生きようとする人間の精神こそが問題であり、そういう主題をどう表現するかについての技法の追求に果てしない努力を重ねたということなのである。こうして『ミセレーレ』は一九二七年に完成、最終的には五八点に絞られた銅版画として刷り上げられたが、第二次大戦の勃発やヴォラールの死などがあって、結局版画集として発表されたのは一九四八年のことであった。構想から実に三六年の歳月が経過していたのである。


ルオーの版画芸術1・・その生涯

2012年08月01日 | ルオーの版画芸術
 私の書斎の壁には、ルオーの版画集『ミセレーレ』のなかの一点『深き淵より』が掛けられている。白と黒の単色版画なのに存在感があり、静けさと包み込むような美しさに溢れている。ルオーとの親交が深かった彫刻家高田博厚氏は著書『ルオー』のなかで、この『ミセレーレ』について「これは彼一生の力作であるばかりでなく、あらゆる時代にわたっての銅版画の大傑作であろう」と書き記している。

 画家としてのルオーについては、その色彩作家としての天分やマチエールへの卓越した才能が高く評価されている。ルオーは油彩の画家であり水彩やグワッシュの作品にも優れたものが多いが、繰り返し削られ塗り重ねられた絵の具は慈愛に満ちた不思議な光りを放っている。晩年の、憂いある色調が静かで平和な世界を描きだしている『イル・ド・フランス』や光り輝く黄金色の田園風景のなかにキリストが現れる『聖書風景』などはそういう多彩な色彩による代表作で、まさに色彩とマチエールの画家としてのルオーの世界である。
 しかしルオー芸術のもう一つの魅力は、一九〇二年から一九一四年頃にかけて制作された人間風景の作品群の中にある。ルオーは師モローの死後孤独と貧困の生活をおくるが、宗教的主題によるアカデミックな作品を描かなくなってから数年後のこの時期、主題も画風も一気に大きく変化することになる。作品に登場するのは、哀しみの表情の道化師や醜悪な肉体の娼婦など社会の底辺に生きる人々、傲慢そうな裁判官、欲の塊のような資本家、小市民的偽善者たちであった。
 ルオーが描こうとしたのはルオーが生きた世紀末の時代の人間社会への憤りであったと思われ、社会の虚偽、罪悪、貧困、そして愚かで罪深い人間たちへの憤激が素早く厳しい筆致で描かれている。それにも拘わらず、そこには単なる風刺や糾弾ではない人間への限りない慈愛が滲んでいる。それはルオーのなかに流れる宗教的信条によるものであり、同時に友人であるレオン・ブロア、ユイスマンス、アンドレ・シュアレスなどカトリック作家や詩人達の影響もあったに違いない。こういう三〇代から四〇代にかけての、いわば人間成熟時代のルオー芸術の集大成が版画集『ミセレーレ』であり、人間風景の時代の頂点に位置する作品として貴重な存在なのである。
(「ルオーの版画芸術2」へ続く)


ブリヂストン美術館『郊外のキリスト』

心に沁みる松下電工汐留ミュージアムの『ルオーと風景画展』

2011年06月28日 | ルオーの作品
 ブログにも何回か書いたことであるが、私の現代美術コレクションの原点はジョルジュ・ルオーである。ブリヂストン美術館で、郊外のキリストを見て以来、ルオーに惹かれて、ミゼレーレなどコレクションしてきたが、ルオーサロンまで作ってしまった。

そんな訳で、ルオーの展覧会は欠かさず見ているが、今回の『ルオーと風景画』は非常に良かった。ルオーはピエロや道化師、キリストなどをテーマにした作品を多く残しているが、風景画もパリ国立美術学校でアカデミックな作品に取り組んでいた頃からの重要テーマである。今回の出品作品『人物のいる風景』はそんな若い時代のものである。

 ルオーの風景画は写実的なものではない。描かれているのは、郊外のわびしい場末の風景や田園風景などであるが、どの作品も宗教的な雰囲気を漂わせている。キリストというタイトルが付いていなくても、キリストを思わせる人物が配置され、どれも神秘的な光に包まれている。

 今回の展覧会には、私が好きな作品が何点も出品されていた。『たそがれ、あるいはイールド・フランス』、『夕暮れ』、『秋の終わり』などである。特に、晩年の黄金色に包まれたルオーの心象風景が素晴らしかった。 しかも、嬉しいことに、私の現代美術コレクションのきっかけとなった『郊外のキリスト』も出品されている。これは、ブリジストン美術館の所蔵作品であるが、凍てつくような郊外の街路にキリストと二人の人影が佇む作品は、崇高で精神性の高いものだ。


作品イールド・フランス 

 ところで、この『パナソニック電工・汐留ミュージアム』の美術館運営はいささか問題あり。この日、美術館の外側の壁に貼られたポスターなのにカメラを向けると、撮影は駄目だという。・・美術館の外側だよ、しかも、ただのポスターだよ。(笑)
作品撮影もオーケーのニューヨーク近代美術館などと比べると鑑賞者の視点がない。所詮は大企業が金の力で収集した美術館なのだろうか。せっかくのルオー作品が台無しだ。


このポスターが撮影禁止??・・信じられない美術館だ。



宗教画家ルオーのイメージとは異なる作品『ユビュ親父』

2010年05月20日 | ルオーの作品
 ルオーの『ユビュ親父シリ-ズ』はそれほど好きな作品という訳ではないのだが、ルオー・コレクターとしては見逃す訳にはいかない。この作品、まとめて見る機会は滅多にない。・・というわけで、パナソニック汐留ミュージアムに出かけた。

 ユビュとはフランスの作家アルフレッド・ジャリの劇『ユビュ王』の主人公のことである。画商ヴォラールから、この作品の制作を依頼されたルオーは、いささか滑稽で支離滅裂な主人公に共感できず、その気にならなかったのだが、ミゼレーレ作品制作を交換条件に引き受けたとのこと。ルオーの主題であるキリストや道化師などの作品とはいささか異なるイメージではあるが、ルオーにかかると、素晴らしい世界が生まれるから不思議だ。描かれているのは、フランスの植民地を舞台とした黒人やいささかグロテスクな白人たちであるが、人物の動きが素早いタッチで、しなやかに表現されている。

 別室に展示された新収蔵品は過去に見た作品ではあるが、どれもとてもよかった。

●『古びた町はずれにて又は台所』・・1937年 油彩・紙

・・・この作品は、もう何年も前、清春白樺美術館で見たことがある。描かれているのは“キリストのいる室内風景”であるが、ルオーの聖書風景の一つ。小林秀雄が、一度見たら忘れられない感銘を受けたと語っている。


●『避難する人々』・・1948年

・・・いい作品である。第二次世界大戦で家を焼かれた貧しい一家が避難する様子が描かれている。これは旧約聖書の出エジプト記のエクソダスをイメージした作品である。


●『キリスト』・・1937~38年 油彩

・・・版画集ミゼレーレの第二作目を油彩画にした作品である。モノクロ銅版画のミゼレーレの世界を色彩で表現した名品である。


作品『ユビュ』の一部


ルオー『キリスト』(部分)

出光美術館のルオー連作展、油彩画『受難(パッション)』に感動

2008年08月15日 | ルオーの作品
 出光美術館の『ルオー没後50年・大回顧展』はよかった。ルオー最盛期の代表的作品“連作油彩画”『受難』と銅版画集『ミセレーレ』を中心とした230点の展示であるが、あらためて感動してしまった。

 ルオーには『受難(パッション)』というタイトルの17点の色刷り銅版画と82点の小口木版画がある。これは詩人アンドレ・シュアレスの宗教詩を添えた詩画集であるが、画商アンブロワーズ・ヴォラールの提案を受けて新たに制作したのが、この連作油彩画『受難』である。小口木版画の為にグワッシュで描かれた版下画をもとに書き直した作品なので、大半が小品であるが、その深い色彩とマチエールが精神性を漂わせ、見る者を敬虔な気持ちにさせる。

 画商ヴォラールの死後、この連作油彩画が散逸しそうになっているのを知った川端康成や白樺派の作家たちが保存を働きかけ、出光興産の創業者出光佐三が買い取ったのだそうだ。細かいいきさつはともかく、東洋古美術に造詣が深いとはいえ、あまり関心のなかった西洋美術、それもキリスト教精神の作品を購入した決断には敬意を表したい。ルオーのキリスト教精神と東洋の伝統に培われた精神が触れ合ったということであり、このコレクションは日本にある文化資産として長く歴史に残るであろう。

 連作油彩画『受難』はどれもよかったが、その他、ルオー晩年期の『イル・ド・フランス』や『聖書の風景』など、私の好きな作品も多く、満ち足りた気分の1日であった。


これは『受難1』、連作油彩挿画本の表紙を飾る作品である。
描かれているのはキリストの“聖顔”であるが、扉絵にふさわしく、周囲はアーチや祭壇で装飾され、より荘厳な印象である。
*作品画像は出光美術館サイトより


 私は自分の書斎&サロンを『流れる星のサーカス』と命名して楽しんでいる。そのくらいルオーが好きということであるが、このスペースにはルオーの『ミセレーレ』などと一緒に“アンコール・ワット”の仏頭なども並べてある。つまり、精神性の深さにおいては、キリスト教も東洋もなく、国や宗教を超えた普遍的な美しさを感じるのである。


松下電工ミュージアム『ルオーとマティス展』を見て思うこと

2008年05月07日 | ルオーの作品
 私の美術コレクションの原点は“ルオー”。この30年、現代美術作品と並行し、『ミセレーレ』などルオー版画を少しずつ蒐集してきた.。我が書斎&サロンも『流れる星のサーカス』と命名、ささやかなルオー研究を続けている。そんなわけで、ルオー展は必ず観ている。

 そういう意味では、今回の展覧会はユニークな切り口で面白かった。国立美術学校のギュスターブ・モロー教室で知り合ったルオーとマティスだが、画風も生き方も違う二人なので、余り交流はなかっただろうと思っていた。しかし、2006年、ルオーに宛てたマティスの書簡が発見され、二人が生涯にわたって交流を持っていたことがわかったというもの。本展は、そんな軌跡をたどりながら、“素晴らしい芸術への共感”をテーマに二人の作品を対比的に展示している。

 ところで、『松下電工ミュージアム』はルオーをテーマにしていることもあって好きな美術館の一つだが、その運営は素人っぽい。この展覧会の時も、作品を見終わり、ソファーに腰を下ろして手帳とボールペンを出した途端、館内整理の女性が走ってきて、鉛筆に変えてくれという。その言い方が事務的で硬く、ルオー作品に感じ入っている気持に水をかけられたような気分であった。日本の美術館の方針は似たようなものなので、承知はしているが、もう少し優しい対応はできないものか。 

 ニューヨークのMOMAやメトロポリタン美術館では写真もメモも会話もOK、要するに鑑賞することを大事にしているのだと思う。美術館の作品保存という使命もわからないではないが、日本の美術館は絵を鑑賞することの意味をもっと研究すべきだと思う。特に松下電工のような企業なら、公立美術館以上に顧客重視の重要性は分っている筈なのだが・・・。


ルオーとマティス展