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TAOコンサル『ルオー研究ラボ』

「ジョルジュ・ルオーの生涯」
「ルオーの影響を受けた人々」

ルオー版画『ミゼレーレ作品42』の寄贈のこと

2013年05月30日 | ルオーの版画芸術
 イースター(復活祭)の日、父のお骨を多摩霊園にある日本基督教団松沢教会の墓地に納骨した。若い頃から敬愛してきた賀川豊彦につながるこの教会の墓地で静かに眠りたいという父の遺言に従ってのことである。葬儀に関しては松沢教会牧師や役員の方に大変お世話になった。

 そんな感謝の気持ちを込めて、長年にわたるコレクションからルオーの作品を一点、この教会に寄贈することとした。私のコレクションの原点はルオーであり、初めて購入したのも『ミゼレーレ』シリーズの中の一点であったが、この作品を寄贈することにした。『ミゼレーレ』は、ルオー芸術の集大成とも言える記念碑的な作品であり、銅版画22点が納められた銅版画集である。

 寄贈した作品は1926年制作の『ミゼレーレ』NO.42『置き去りにされたる十字架のキリストの下に』である。十字架上のイエス・キリストを描いたもので、現在この作品は松沢教会の礼拝堂の隅に飾られている。



 

ルオーの版画芸術4・・版画集「ミゼレーレ」

2012年08月04日 | ルオーの版画芸術
版画集『ミセレーレ』に色彩はない。ルオーが色彩の王者と呼んだ黒一色で描かれた白と黒の単色版画であり、ここにルオーの強い意図が感じられる。白と黒というのはいわば光と闇を意味しており、光とは聖なるもの、闇とは世俗的人間世界の象徴である。ルオーは人間の苦悩の姿と受難のキリストとを対照的に表現するのに、余計なものを削ぎ落とした白と黒だけによる重厚なマチエールの版画世界を築きあげたのである。『ミセレーレ』とは、旧約聖書の詩篇五一章三節の「神よ、我を憐れみたまえ、御身の大いなる慈悲によりて・・」のラテン語の冒頭「憐れみたまえ」から取られた言葉である。版画集『ミセレーレ』には母子像のような暖かい情景もあるが、多くは寒々しい郊外風景、荒地に種をまく人、重い荷を背に歩く貧しき者たち、傲慢そうな金貸しや権力者、戦争に傷ついた人々などであり、人間の罪を背負ったキリストとともに描かれている。そこにあるのはいかにも絶望であるが、決してそうではなくて悲惨な情況のなかで苦悩する人々を照らす希望の光が微かに見えるのである。『ミセレーレ』はその希望の光に向かって祈るルオーの内なる精神の告白であり、そこにこの作品の崇高な魅力があると、私は思っている。




●参考文献  
「ルオー」         高田博厚        1953年
「ジョルジュ・ルオー」   ファブリース・エルゴ  1993年
「ルオーの版画」      フランソワ・シャポン  1979年
「ジョルジュ・ルオー」   柳宗玄         1990年
「ルオーの版画芸術」    柳宗玄         1989年
「ルオーの道」       柳宗玄         1998年
「ルオーの芸術」      柳宗玄         1984年
「ルオーの版画」      高木幸枝        1989年
「凝縮された人間愛の息吹」 小川正隆        1984年
「魂とのアンティームな対話」中山公男        1973年
「ルオーの魅力とその価格」 ポール渡部       1973年

ルオーの版画芸術3・・版画集「受難(パッション)」

2012年08月03日 | ルオーの版画芸術
ルオーは『ミセレーレ』と併行して、一九二〇年代以降『サーカス』やヴォードレールの詩集『悪の華』を題材にした一四点の単色銅版画集と一二点の色彩銅版画集などの制作をはじめている。『受難(パッション)』はアンドレ・シュアレスの詩画集『キリスト受難』の挿画として制作された一七点の色彩銅版画と本文部分にルオーの下絵による八二点の木版画が入れられた版画集で、一九三九年に刊行された。この銅版画は受難というキリスト教理念の根幹をなす主題のもとに、聖書にでてくる漁師や職人そしてキリストなどが精神性高く描かれている。一九三三年に制作着手の『流れる星のサーカス』は色彩銅版画一七点によるルオー自身の詩画集として一九三八年刊行された作品である。ルオーにとって生涯を通じての重要な主題であったサーカスの道化師や踊り子などが熟達した色彩技法のもとに描かれている。ルオーにはこれらの他にも、『回想録』『小さな郊外』『秋』等の作品があるが、ルオー版画の代表作といえば、『ミセレーレ』、『受難(パッション)』『流れる星のサーカス』であり、そしてそれらの頂点ともいえる最高傑作が『ミセレーレ』なのだと、私は思っている。ルオー研究家である柳宗玄氏は、著書のなかで「・・『ミセレーレ』は、第一次大戦の記念碑として、戦後ヨーロッパ各地に作られたいかなる建築や彫刻も比肩しえぬ大きな意味をもつものと思われる」とまで言い切っている。


ルオーの版画芸術2・・版画制作の時代

2012年08月02日 | ルオーの版画芸術
ルオーが本格的に版画作品を手がけるようになったきっかけを作ったのは、ルオーと独占契約を結んだ画商ヴォラールであった。ヴォラールはアルフレッド・ジャリの風刺戯曲『ユビュ王』をもとにした『ユビュ親爺の再生』の挿画制作を交換条件に、ルオーが構想を熟成させていた『ミセレーレ』の出版を提案した。ルオーとしてはユビュ親爺には何の関心もなかったが、ミセレーレへの強い思いから承諾することとした。『ユビュ親爺の再生』は二二点の銅版画と一〇四点の小口木版を添える形で一九二三年完成したが、ルオーの版画によってみごとな挿画本が生まれることになった。ルオーによる『ミセレーレ』の構想は第一次大戦直前の一九一二年頃から芽生え、既に一〇〇枚近い素描が書き溜められつつあった。もともとの構想が、悲惨と戦争というテーマそれぞれ五〇点ずつの銅版画連作という膨大なものであったことから考えるとルオーのこの作品への意気込みが相当なものであったことがわかる。

 『ミセレーレ』の銅版画制作はこうして一九二一年着手となるが、どこまでも完璧を期そうとするルオーの職人的な辛抱強い追求が一点一点すすめられた。版画に取り組んだ画家は多いが、ルオーほど版画を独立した美の世界として確立した画家はいない。その独特の銅版画技法について、ジェームス・サル・ソビーは著書の中で「・・彼の版画技法を明確に説明せよと問われた場合、これほど面食らう質問はないだろう。まず、下絵の素描がヘリオグラビュールという全く新しい写真製版技法で銅版の上に焼き付けられる。この銅版原版上に、ビュラン、ドライポイント、ルーレット、更に従来考えられなかった石目やすりや紙やすりまで用い、またルオー独特の墨の陰影を立体化するための明暗のグラディションをつくるため、ワックスを表面に塗らず直接ブラッシュを使って銅板上に硝酸で描画する複雑さです。これはまた、粒状の表面をつくるためにも効果的だったわけです。」と書き記している。ルオーの銅版画は何段階ものステートの試作の繰り返しの中から重厚な画面が出来上がってくるという、実に精魂を傾けた制作活動の結晶であった。こうして、専門家をも驚嘆させる革新的な技法によるルオーの版画世界が築かれていったのである。しかし忘れてならないのは、ルオーは単に造形上の関心として技法のための技法を追及するような作家ではなかったということである。ルオーにとっては悲惨と絶望にありながら生きようとする人間の精神こそが問題であり、そういう主題をどう表現するかについての技法の追求に果てしない努力を重ねたということなのである。こうして『ミセレーレ』は一九二七年に完成、最終的には五八点に絞られた銅版画として刷り上げられたが、第二次大戦の勃発やヴォラールの死などがあって、結局版画集として発表されたのは一九四八年のことであった。構想から実に三六年の歳月が経過していたのである。


ルオーの版画芸術1・・その生涯

2012年08月01日 | ルオーの版画芸術
 私の書斎の壁には、ルオーの版画集『ミセレーレ』のなかの一点『深き淵より』が掛けられている。白と黒の単色版画なのに存在感があり、静けさと包み込むような美しさに溢れている。ルオーとの親交が深かった彫刻家高田博厚氏は著書『ルオー』のなかで、この『ミセレーレ』について「これは彼一生の力作であるばかりでなく、あらゆる時代にわたっての銅版画の大傑作であろう」と書き記している。

 画家としてのルオーについては、その色彩作家としての天分やマチエールへの卓越した才能が高く評価されている。ルオーは油彩の画家であり水彩やグワッシュの作品にも優れたものが多いが、繰り返し削られ塗り重ねられた絵の具は慈愛に満ちた不思議な光りを放っている。晩年の、憂いある色調が静かで平和な世界を描きだしている『イル・ド・フランス』や光り輝く黄金色の田園風景のなかにキリストが現れる『聖書風景』などはそういう多彩な色彩による代表作で、まさに色彩とマチエールの画家としてのルオーの世界である。
 しかしルオー芸術のもう一つの魅力は、一九〇二年から一九一四年頃にかけて制作された人間風景の作品群の中にある。ルオーは師モローの死後孤独と貧困の生活をおくるが、宗教的主題によるアカデミックな作品を描かなくなってから数年後のこの時期、主題も画風も一気に大きく変化することになる。作品に登場するのは、哀しみの表情の道化師や醜悪な肉体の娼婦など社会の底辺に生きる人々、傲慢そうな裁判官、欲の塊のような資本家、小市民的偽善者たちであった。
 ルオーが描こうとしたのはルオーが生きた世紀末の時代の人間社会への憤りであったと思われ、社会の虚偽、罪悪、貧困、そして愚かで罪深い人間たちへの憤激が素早く厳しい筆致で描かれている。それにも拘わらず、そこには単なる風刺や糾弾ではない人間への限りない慈愛が滲んでいる。それはルオーのなかに流れる宗教的信条によるものであり、同時に友人であるレオン・ブロア、ユイスマンス、アンドレ・シュアレスなどカトリック作家や詩人達の影響もあったに違いない。こういう三〇代から四〇代にかけての、いわば人間成熟時代のルオー芸術の集大成が版画集『ミセレーレ』であり、人間風景の時代の頂点に位置する作品として貴重な存在なのである。
(「ルオーの版画芸術2」へ続く)


ブリヂストン美術館『郊外のキリスト』