ポン太よかライフ

得した気分、首都圏見て回りの旅、美術館散歩

浅草のアミューズ ミュージアム御存じですか?

2011-05-20 11:24:39 | 博物館、美術館行ってきました
    
    
少し前になりますが、4月の末に浅草に行ってきました。
浅草寺では、東北大地震の義捐金になるというので普段は入れない五重の塔わきのお庭と絵馬の公開も見てきました。
金龍山浅草寺平成本堂大営繕記念ー大絵馬寺宝展と庭園拝観、菖蒲や真っ赤なつつじと新緑の緑が何とも美しい庭園で、
五重塔とスカイツリーの並び立つ新名所の風景を楽しみました。
かつて本堂外陣に並べて掲げられた大絵馬は、観音参詣の多くの人々の目を引き付けるもので、絵師が技量や意匠を競い合ったそうです。
武者絵など勇壮な歴史画や能に取材した力作などが数多く並び、谷文晁、鈴木其一、歌川国芳、柴田是真らの大作があり驚きました。
徳川将軍家や歌舞伎の二代目勘三郎ら信仰厚い有力者が著名な日本画家に依頼して浅草寺に奉納したのでしょうか、
思いがけず見ごたえがある屏風の様に大きい立派な絵馬をたくさん観ることができました。

   
ニ天門を出てすぐのところに白い細長いビルがあり、アミューズ ミュージアムの大きな表示があります。
10月10日までの長期にわたって、開館1周年記念特別展ⅡJapanese Beauty もっとかわいく!女らしく展を開催しています。
普通の女の子が、豊かでない暮らしの中、手に入るものを最大限工夫して「もっとかわいく!女らしく」と願い、
ハンドメイドの着物に残した美しい刺子。
重要有形民俗文化財の津軽刺子着物のアートを、消費文化の対極とみた企画です。

この館は布文化と浮世絵の美術館で、青森の民族学者、田中忠三郎が半世紀にわたって山村をめぐり歩き集めた布などが展示されています。、
農家の生活が豊かになり消えてゆく衣類や民具を集めた常設展示コーナーの個人コレクションは、
昔の農家の暮らしを知らずに初めて訪れる人に衝撃を与えることでしょう。
池袋の東武百貨店に隣接する日本伝統工芸館で読んだ解説によると青森の津軽の伝統工芸のこぎん
当地で江戸時代農民が木綿の着物を着ることが許されず、麻布を何枚も重ねて木綿の糸で要所要所を縫い、
寒さをしのぐために保湿と補強のために布に施された知恵の産物がこぎん刺しの元々の姿だそうです。
特別展にある結婚のときに用意したこぎんなどは、精錬された文化に発達した手の込んだ模様の物で、
最近小物として作られるこぎんは、色彩豊かな糸で木綿地やウールなど上質の生地に施された装飾的なものです。
そういったこぎんに見慣れている者にとって、常設展示室にある生き伸びる為に編み出されたボロといわれる刺子の布、
例えば、どてらの持つ10キロを超す重さは、恐ろしい寒さに耐え生きる執念が麻布に縫い込められているようで衝撃を受けます。
かつての極貧の生活を恥じる人々がボロなど、その生活の道具であったものを語らずに人知れず捨ててしまったために収集は困難で、
またまれに捨てることができずに大事にとっていた老婆が、求めに応じて出して見せると、老婆に対して家族は、
そげなもん恥さらしてと極めて冷淡であったと言います。老婆は、おめえらをこれで育ててきたんだ!とボロをたくさん持ち、
近所にも融通して心底ありがたがられてきた誇りであったものへの侮蔑に怒りと悲しみを見せたといいます。

黒沢明監督の映画「夢」でも使われた民族衣装のコレクションは多彩で、豊かで、生きる力を持つ布の生命力があるように感じました。
赤犬の毛皮のコート、鮭の皮で作ったブーツ(ヒレが付いている!)など、ゲゲゲの女房もびっくりの耐乏生活グッズにも仰天です。
展示スタイルや、広告のコピーは今風ではありますが、内容は重くしっかりと心に残りました。
      

香りーかぐわしき名宝展

2011-05-16 09:01:07 | 博物館、美術館行ってきました


東京芸術大学美術館の香りーかぐわしき名宝展を見てきました。
所々に蓋をあけて香りを体験できる箱が置いてあるのも楽しく、身近に香りを感じられました。
元々仏教に伝来したものが日本独自の香道の文化などに広く発達していく様子が時代を追って示されていきます。

展示は、香木の本体から、香木で作られた観音像仏具や茶道の香炉や貴族の衣装に焚き込めるために使われた伏籠など多岐にわたり、
日本の香りの文化が発展し、様々に生活の中で変容していく様子をあますことなく紹介したいという意気込みが伝わってくるようでした。

中でも香道で使われるお道具の数々が圧巻で、豪華な嫁入り道具が目を引きました。
香道は室町時代の東山文化のころ、茶道や華道が大成するのとほぼ同時期に作法なども大成されたそうですが、
茶道、華道ほどに生活の中でのなじみがなく新鮮で、江戸時代にはやった組香の一つ源氏香の図が香道のイメージとして
大きく紹介されていました。自然、源氏香のルールに従い5つの香をどのように聞き分けて図にあらわすのか興味のわくところですが、
説明が簡単すぎて会場ではどうしても理解できず、ネットで調べてすっきりしました。
具体的な一例があると簡単にわかることなのですね。

その後、武家から庶民への第3章、絵画の香りの第4章と続きました。
絵画に描かれた花や楚蓮香の図などまで入れると、香りを文化に昇華したというより、
庶民生活の中に紛れた香りにまつわるものといったゆるいくくりに拡散していくためか
量もジャンルも雑多で印象が薄くなりました。
香道の発展までとそのお道具はみごとで印象に残りましたので、香りを愛でる文化に絞って観てもよいと思いました。

同時開催の春の名品選も見ごたえがありました。
新収蔵品として、鈴木貫爾のダチョウ、蓮田修吾郎の龍班スクリーンの2点が加わり新鮮でした。

ルブラン展VS生誕100年岡本太郎展、「はればれと立ち向かう生きざま」いさぎよし!

2011-04-30 16:14:22 | 博物館、美術館行ってきました
三菱一号館美術館のヴィジェ・ルブラン展の後、近代美術館の岡本太郎展を見ました。
   
マリー=アントワネットの画家として同い年の王妃に重用されたルブランは、
当時数少ない女性画家でありながら、流行の衣装をまとった華麗でセンスの良い肖像画を描くことで王侯貴族を魅了し、
絶対王政最後の華やかな宮廷を活写する多くの作品を残しました。
ルブラン展は、男性中心の美術史の中で埋もれていた、彼女をはじめ
華々しく活躍していた18世紀のフランス女性画家達を回顧する野心的な展覧会でした。
アントワネットのイメージを定着させた肖像画や、画家自身の知性や美しさセンスを主張する自画像の完成度の高さ美しさに
目を見張るものがありました。
また、女性が画家として生きるには厳しい世界で、堂々と王侯貴族に取り入り、ひいきにされてアカデミーの会員にまで上り詰める
ルブランや、カぺが自画像で見る限り少女の様にあどけない容姿であることに驚いたり、
確かな技術で描かれる肖像画から強くみなぎる自信に圧倒される力を感じました。
彼女たちから見れば、有名なマリー・ローランサンなどデッサンもおぼつかない頼りない存在に霞みます。
フランス革命で、パトロンだった多くの王侯貴族は哀れにも断頭台の露と消え、王党派のルブランも命の危険にさらされますが、
本人は、絵の修業と称して歓迎する外国で涼やかに暮らし、長い亡命生活中も、
アカデミーに作品を送って入選させるなど画家として実にたくましい生きざまを見せ興味深く思いました。



その後向かった岡本太郎展は「きれいな絵なんか気持ちが悪い!」と豪語して、画風、在りようからするとまさに「対極」
大阪万博で怒ったような太陽の塔の顔に驚き、「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」のウイスキーグラスが家にもあったり
身近で、面白く、主張のある日本の現代芸術家の待望の回顧展でした。
私蔵されることを嫌い売らなかったからか、今まで一般の美術館ではあまり作品を見る機会がありませんでしたが、
小気味のいい岡本語録とともに展開される芸術を十分に満喫できる展覧会でした。
彼の生きざま、哲学には、筋の通ったすがすがしいものがあり、再評価されて当然と納得しました。
昨日、北野たけしが中国の火薬アーティストをTVで紹介していましたが、偶然の美などと称して安易な作品作りをして商売をしている
アクションペインティング系の芸術など、一笑に付してしまうほど、岡本太郎の芸術に立ち向かう意思、対決するパワーを感じました。
実物を間近で見ると、絵の具が実に美しく、造形も確かで見ごたえがあります。
彼は、「芸術というのは、生きることそのものである」と言います。その意味では、ルブランの生き方にも通じるものがありそうです。

強く生きる言葉

強く生きる言葉
著者:岡本太郎
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ミュージアムショップで買った著書「強く生きる言葉」には、
不条理=「賭けとおし、貫いて運命を生きる、そのためにつまらぬ目に会い、不条理に痛めつけられても、
     それはむしろ嬉しい条件として笑って貫きとおす人間でありたい。
     ふりかかってくる災いは、あたかも恋人を抱きいれるように受ける。」

という一文もありました。
生きることに立ち向かう芸術家という特殊な人間でなくても、
天災という不条理が平凡な市民生活を襲うこともあります。
自分から進んで立ち向かった困難も、自然から受けた不条理もすべからく自分を強くする試練だとわりきって受け入れ、さらに
「ぶつかってきたこの運命に正面から戦いを挑んでゆくほかはない。ただ前に向かって心身をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけだ。」と力強く叫びます。
つらい気持ちを整理して、まっすぐに前を向いて生きていく人々に覚悟や励ましや勇気を与えてくれる、芸術家のパワーに感動です。





出光美術館で、抱一、其一のデザインセンスを楽しむ

2011-02-27 13:15:45 | 博物館、美術館行ってきました

今年は、抱一の生誕250年にあたるそうで、そのせいか琳派の展示は各地で見られます。
琳派芸術ー転生する美の世界と題して光悦・宗達に始まる琳派芸術を紹介してきた出光美術館の展示が、
後期展示に替わり、いよいよ酒井抱一を中心とする江戸琳派に舞台を移して再開しました。
前期のに対して、後期は、18世紀から19世紀にかけて銀屏風の志向が高まり雰囲気が変わります。
また、自由奔放で、武骨な印象もある力強い宗達に比べて、精錬され軽い印象ではありますが、優れたデザイン性を感じる抱一は、私の最も好む画家の1人です。
風神雷神図屏風の裏に描かれた秋草図屏風のしなやかな草花のリズムはここちよく、いつまで見ても見飽きることがありません。

抱一の高弟其一の作品も、沢山ありました。理知的で硬い傾向があり、芒野図屏風は霧の部分は銀の芒、
他は黒の同じリズムで整然と立ち並ぶ芒によって明快かつ対比的な構図をとり、
まるで現代の着物のデザインを見るようでした。

また、それを解説する出光のキャプションの書き方も面白く、たとえば其一の桜・楓図屏風はこんなでした。
…正面をまっすぐに向かって花開く無垢な桜花の姿に対して、何とも老獪不気味ながら間抜けた素朴味のある楓の太い樹幹をとり合わせる趣向もさえている
機知的で明快な構図により新奇な趣をねらおうとする其一画の特徴が発揮されている。
四季花木図屏風にいたっては、…桔梗のニヒルに笑うかのような姿がおもしろい。と断言して
同じ顔、同じ角度で並ぶ桔梗に思わずひざを打って笑ってしまいました。

解説にとどまらず、ここまで主観的に断言して評すると、作品を評価して収蔵しているという
館側の強い意識を感じて敬服します。
    

今回ミュージアムショップの目玉商品のクリアフォルダーは、の中仕切りで2ポケットになった光琳の紅梅図屏風
の中仕切りのある抱一の白梅図屏風が用意され、いずれも箔っぽく加工された優れものでした。
私は迷わず銀をゲット!お気に入りです。

平山画伯を偲び上野に行き、公園の大規模工事にびっくり!

2011-02-26 10:55:55 | 博物館、美術館行ってきました
   
門外不出の薬師寺の「大唐西域壁画」が見られるとあって、東京国立博物館に行ってきました。
2009年に79歳で亡くなられた平山画伯の偉業に触れ、改めて敬意を感じました。
画家として仏教美術のルーツ、シルクロードを幾度となく取材の旅をし、
政治不安や劣悪な環境にさらされる文化財に胸を痛め、その保護に生涯尽力されました。
人と話をするときも、座る場所がない時も、絶えず絵筆を動かして制作に励み、
私財を投じて散逸する文化財の収集に当たり、いずれその国が安定したら返却しようという
保護の姿勢や、世界に文化財保護を訴える精力的な活動に頭が下がります。
個人でもここまでのことができるという勇気や、自分も何かしなくてはならないという思いがかき立てられます。

終生変わらぬ信念が、作品の品格や、媚びない崇高さとなって観る者の心を揺さぶります。
大きな「大唐西域壁画」の前に立つと、砂漠の熱にさらされ、高山の厳しい風に立ち向かいながら、
経典を求めてシルクロードを旅する不思議な心持ちになります。
ライティングの巧みさや広い会場を歩く展示環境の良さもあって、絵の前を歩くと、
本当に広大な自然の中を進むような寄る辺のない心細さを体感しました。

  
上野は久しぶりでしたが、西洋美術館から先の噴水の周辺が大きく様変わりしていて驚きました。
東京都美術館の改修に合わせて、公園の整備をするそうですが、長期にわたっての大工事になり、
レストランエリアなども予定されているようです。野宿の方の行く末が気になりますが、
追いやるだけでなく、人足寄せ場の様な社会復帰の場を作るなど、何か手立てを講じて救えないものでしょうか。

江ー姫たちの戦国

2011-02-24 09:12:25 | 博物館、美術館行ってきました


生きた。愛した。戦った。ー史実が語る戦国姫の軌跡ー
と題して江戸東京博物館でNHK大河ドラマの特別展が開催されました。
展示には、レプリカや写真資料もあり、大河ドラマの人物関係や時代背景を知って、
番組観賞の助けにするための案内といった感じでした。
NHKスタジオパークまで行かなくてもその年の大河ドラマで関心が高まる時代を、
分かりやすく体系だてておさらいする企画として楽しめました。

場所が両国ということもあって、今八百長疑惑問題で揺れ動く国技館も気になるところです。
江戸時代から続く庶民の楽しみ、相撲が、興行として残ってくれることを祈るばかりです。
スポーツというより娯楽としての価値が高いので、場所が中止になっても、人気が落ちないよう
無料でお年寄りのファンが多い施設を回るとか、巡回してパフォーマンスを見せるとか、
休場中真面目に謹慎するより、積極的にサービス営業に励むことが大事だと思いますが、どうでしょう?
感覚になじまない取り締まりはほどほどにしないと、力士を責めすぎて相撲が消滅しては
角をためて牛を殺すの例えになってしまうのではないかといささか心配です。
    
奇想的な江戸博のたてものを見上げると、NZ地震の直後だけに、構造に不安を感じますが、日本の建物は
総ガラスが流行りなので、大地震の際にはどこにいても危ないでしょう。
ましてや愛用している地下鉄など、活断層がゆがんだらライフラインとともに壊滅的、くわばら、くわばら。

展示の最後になじみのない宮殿(くうでん)というものがありました。
仏教の礼拝対象である仏像などを納める厨子の一種だそうですが、
サイズが人が入れるほど大きく、りっぱな屋根もあるのでちょっとした庵の様でした。
父母である江と秀忠に愛された徳川忠長が、自分の領地駿府に私的に作らせたもので、
江戸で亡くなった江の宮殿が増上寺の霊廟に建てられたのとは別に、
江(崇源院)の位牌を納める為に作られました。
大きく立派で、丁寧な装飾で飾られた宮殿を見ていると、将軍になることだけでなく、
愛された親の元で暮らしたかった忠長の未練が伝わってくるようで、そのコーナーだけ、
妙に心を打つ人間味が伝わってきて印象的でした。

マイセン磁器(2)…『磁器の』錬金術師ベットガー恐るべし!

2011-02-21 22:00:20 | 博物館、美術館行ってきました




大航海時代のヨーロッパは木や金属の器しかなく、東洋の陶器や磁器は金にも匹敵した価値があり、
磁器の制作は、土くれから金と同等の物を生み出す文字通りの錬金術でした。
ヨーロッパで最初に磁器の製造に成功したのが、東洋磁器収集に並々ならぬ情熱を傾けた
ドイツ東部ザクセン選帝公国フリードリッヒ・アウグスト1世(強王)のもとで生まれたマイセン磁器です。
この誕生秘話が面白い!
なんと、ベルリンから逃亡してしてきた若き錬金術師ベットガーをとらえて幽閉し、
宮廷科学者チルンハウスの協力のもとに、体系的な実験を繰り返し、
ついにドレスデンにおいて硬質磁器を発明したといいますから、
まさに錬金術のたまものだったわけです。
1682年生まれのベットガーが1707年に発明し1710年から本格的な工房が稼働したとあるので、
焼き物の錬金術師ベットガーは二十歳そこそこの若造だったに違いありません。
 確かドレスデンには錬金術師たちの住処が並んだ通りなどもありました。
ベットガー以外にも王の命令で錬金術にいそしむ人々の営みがあったのでしょう。
土くれから磁器ですよ!金と等価ですよ!
当時の世界にあっては、いくらでも刷れる造幣機を手に入れたほどの経済効果、
革命的に国力がアップしたことでしょう、100人の子がいたという磁器マニアアウグスト強王の高笑いが聞こえてきそうです。
アルもエドもびっくりだ!!
日本の先端技術は、模倣されたり、流出されたりで忸怩たるものがありますが、マイセン磁器製作の秘法は、
エルベ川下流マイセンのアルブレヒツブルク城内の工房で守られ、恐るべき速さで進歩を遂げました。
石膏や長石などの材料に恵まれたとはいえ、中国の紫泥「宜興窯」を真似た初期のベットガー器発明から
2年で白磁13年で絵付けに成功、天才絵師ヘロルトの活躍で20年そこそこにして
16色もの鮮やかな色彩を自由に駆使した50㎝を超す大作をものにし、マイセン磁器の栄光の時代を築きます

薩摩焼を始めた朝鮮の陶工たちが、苦労を重ね土探しだけで20年の歳月を費やしたのに対して、
マイセン磁器が芸術品として完成するまでの速さには驚くばかりです。
磁器の歴史をたどる作品群は、東洋の模倣、シノワズリから始まり、喫茶の流行や、
港湾交易図に見るようなヨーロッパ版画を元にした独自の遠近、濃淡、細密と言った
リアリティーのある表現も加わっていき18世紀ロココの黄金期には、
奇跡の造形師ケンドラーの出現で多彩を極めます。
強王の死や7年戦争によって計画は夢に終わりましたが、景徳鎮、有田、マイセンの磁器で満たす「日本宮」
宮殿建設計画で、目玉となるメナージェリ(動物園)に展示されるはずだった、50㎝から1mを有に超える生き生きとした動きや表情の動物像が残っており、圧巻でした。(高級クラブの置物みたい)
のちに表情豊かな動物は、小型化されロココ貴族の価値ある蕩尽としてテーブルに飾る小物(ギャラントリー)として愛されました。
フランスで流行した戯画(サンジェリ)として貴族や職人姿の猿を立体で造形した猿の楽団の指揮者は、
わずか15㎝ほどですが、14ほどの細かなパーツを組み合わせた1753~55年頃のケンドラー作で、
今見ても面白く精錬されたデザインの優品です。
 


マイセン磁器(1)…アウグスト強王の壁画に思う

2011-02-08 15:54:38 | 博物館、美術館行ってきました


サントリー美術館に行ってきました。
マイセン磁器の300年、壮大なる創造と進化
というタイトルで、磁器誕生後の繁栄から、いくつもの戦争や、東西分断を経て今に至るまで、マイセン磁器の歴史を見ごたえのある作品群で通覧することができました。


   

昨年ドレスデンに行き、第二次世界大戦で、街が徹底的に空爆を受けたにもかかわらず残ったヴィッティン家出身の諸侯の行進という壁画を見ました。マイセン磁器タイル25,000枚で作られた101.9mに及ぶ壁画で、最も存在感を持って表されていたのが、マイセン磁器誕生に関わったザクセン選帝侯兼ポーランド王「アウグスト強王」です。この壁画の写真が資料として展示されていたので、思いがけない再会に懐かしい思いがこみ上げました。

制作は意外に新しく、1907年にドレスデン城のシュタルホーフの外壁に完成したものとありました。
さすれば、ヨーロッパ各窯の発達による厳しい競争の中で、貴族から裕福なブルジョアジーへ販路を変えて1851年のロンドン万博を皮切りに、パリ、アントワープ、1873年のシカゴ万博で各国のライバル窯としのぎを削って新しいデザインが模索されていくころでしょう。
時代は1890年代パリから始まったアールヌーヴォーを受け入れ、1920年代に多くの意欲作が生まれたアールデコ期をむかえる過渡期にあたります。1905年に作られたヘンチェルの愛くるしい子供の置物も印象的でした。

アールデコ期には、外部のアーティストのコラボレーションも盛んになり、人物彫刻のショイリッヒ、クールな印象だがケンドラーの再来を思わせる動物彫刻のエッサー、斬新な造形ベルナーらの魅力ある作品が並びます。

その後マイセンは大戦を経て、第二次世界大戦後は社会主義国東ドイツの領内となり、手びねりなどのアーティストの一点物(ユニカート)で細々と続けられました。1990年の統一後もワックスやクリューデによる取っ手が蜥蜴の食器デザイン「ファブラ・セルビィス」で個性を示しましたが、かつての存在感は感じられませんでした。

大航海時代は、ヨーロッパには、木や金属の器しかなく、東洋の陶器や磁器は金にも匹敵した時代でした。その頃の磁器の制作は、土くれから金と同等の物を生み出す文字どうりの錬金術でした。それに比べて、工業製品の普及した現在は、その価値が極めて低くなってしましました。
イギリスの歴史あるウェジウッド窯に見るように経済的な衰退が進んでいることが気がかりです。

日本橋三越で薩摩焼の歴代沈壽官展を見る

2011-01-20 21:58:50 | 博物館、美術館行ってきました

日本橋三越の歴代沈壽官展、とてもよかったです。
パリ三越エトワールにおいて開催された展覧会の凱旋公開だそうです。
日本でも、歴代薩摩焼のまとまった展示が見られることはめったにないそうなので、必見です。
秀吉によって朝鮮半島から連れてこられた陶工たちの一人、初代沈当吉による素朴な作陶から始まる沈壽官窯の流れを見ることができます。
白い陶土を見つけるまで20年もの苦労がありましたが、細かな貫入が美しい白薩摩が焼かれるようになり、
島津家に保護されて発展していきました。
幕末から明治にかけては、世界にもてはやされた日本の輸出工芸品の一翼を担った中興の祖、
透かし彫りなど革新的技術を確立した12代の天才性に目を見張りました。
また、その後の苦難の歴史の中で技術を守りつないだ13代14代の方々にも敬意を感じました。
また、陶器でありながら技術的には工業作品かと思うほど安定した完成度で、新しさを感じる作品を作り続けている
15代の脂の乗った仕事ぶりにも感嘆するばかりでした。
個人的には14代壽官さんに親しみを感じていましたので、作品を拝見することができてうれしかったです。
(父の家に祖父から譲られた「百世清風」の由来のわからない拓本の屏風がありました。
14代壽官さんがTVで取材された際に同じものが映っていたので、お持ちだと分かり、
その御縁で書簡のやり取りがあったと聞いています。北朝鮮の碑で今はもう原石が無くなったているだろうとのことですが、
壽官さんも作者の名を知りたがっていらっしゃったそうです。)

  
本館6階美術画廊で同時開催中の薩摩焼15代沈壽官展(即売会?)も大人気ですごい熱気でした。
十四代は、薩摩焼を通じて日韓文化交流に貢献、主人公として司馬遼太郎氏の小説「故郷忘じがたく候」に登場します。
書家とのコラボレーションで、この小説の印象的なシーンが揮毫されて薩摩焼が置かれた上方の壁に掲げられていました。
一つ一つの作品についての解説はないのに、繊細な作品に込められた歴史や、陶工たちの思いが伝わって、感無量でした。




ほんとうにびっくり!幕末・明治の超絶技巧 泉屋博古館分館

2010-12-08 12:47:37 | 博物館、美術館行ってきました
    

紅葉がきれいな泉屋(せんおく)博古館分館に行ってきました。
ここ六本木一丁目泉ガーデン界隈は、緑が多い静かな所で、再開発して坂の多い地形に
近代的で斬新なフォルムのビルが立っています。

今日は何と出展者の孫にあたられる方にお招きいただいて、
幕末・明治の超絶技巧と題された数多くの金工に感嘆する一日となりました。

陶芸ほどにはなじみのない金属工芸ですが、まず、ホールにずらりと並んだ鈴木長吉十二の鷹の表情の豊かさや、
色彩の多様さに、圧倒されました。
とても金属とは思えない表現ができることにびっくりでした。

館内は、おもに村田製作所の創業者の息子さんでいらっしゃる村田理如館長のコレクション清水三年坂美術館収蔵の作品で、
住友コレクションからなる博古館ともども、京都が拠点というのも新鮮でした。企業の力で日本の重要な作品がコレクションされていることにも、文化への大きな貢献と感じ、ありがたく思いました。

日本では、今まであまり知られていませんが、幕末・明治の工芸品は海外では大変高い評価を受けています。今回清水三年坂美術館収蔵の七宝、金工、蒔絵、京薩摩のなかから金工の名作がずらりと東京で紹介され、
来館者の熱い視線に、日本でも新たなブームになりそうな予感がしました。

長らく刀剣を装飾して発展を遂げてきた、日本の洗練された金工の技は、明治の廃刀令ともに様々な工芸品への転換に向かいました。
型から抜け出した自由な写実表現や物語を感じさせる豊かな表情が、時を超えてみずみずしい感動を与える
作品となって数多く残されました。

正阿弥勝義の群鶏図香炉もその一つ。
赤い鶏冠に漆黒の尾羽、ふっくらとした鶏の重なる羽毛の一枚一枚が
立体的に自然な形に波打っていて巧みです。
ドーム型の火屋一面に高肉彫りされた小菊も、薄い花弁一枚一枚の重なりが彫り表されるほど
精緻な仕事でありながら、笑いかける様な花々のおおらかさを感じさせ、
冷たさや、硬いところがありません。技術の余裕が神業というほかありません。

火屋に金の丸彫りで蟷螂の摘みを施した香炉も蟷螂の表情が何とも面白く粋なセンスに、
見飽きることがありません。

香川勝廣の菊花図花瓶もシャープな片切彫りで、肉薄でありながら見事な立体表現で、
白く高貴な大輪の菊を端正に表し、堂々とした格の高い花瓶に仕上げてすがすがしい。

手をかけ時間をかけた分だけ、見所深く鑑賞でき一点一点楽しめました。

日本の美術品は浮世絵が印象派に影響を与えたことが有名ですが、金工デザインが、
アールヌーボーに影響を与えたということも今回初めて知ることができ驚きました。
正阿弥勝義の鯉鮟鱇対花瓶や、大島如雲の鯉波置物の流麗な曲線を見ると納得がいきました。
まだご覧になっていない方は、12日までの開催ですので、どうぞお見逃しなく!



三井記念

2010-12-07 13:43:04 | 博物館、美術館行ってきました
      
萬誌(ばんし)は、円山応挙と親交のあった三井寺円満院門主の祐常の日常雑事の記録。
縦7~8㎝、横20㎝ほど、厚さは1㎝あるかなしかといった20冊の小誌で、
透けるような薄紙に細字でびっしりと書かれた中に、応挙の語った芸術論が残されています。
今でいうならデッサンの極意でしょうか、三遠の法という言葉で、モチーフを三次元的に把握する具体的な方法を説いています。

三遠の法とは、平遠、深遠、高遠のことである。
人物、花鳥、山水、何を描く場合も三遠を心しなければ絵は出来あがらない。
手足などを描くに際して、三遠をうまく把握できないときには、鏡に写して描くのがよい。


秘聞録には、大画面に対する考え方が記されています。
遠見の絵について、近くで見ると筆ばなれなどがあるのだが、
間を置いてみると真の如く見える。
近見の絵は、細かな部分も真に迫る体裁で筆遣いや彩色も意識せねばならない
掛け軸、屏風、襖絵などは絵画と間をとって鑑賞したときの効果があるように
描かねばならない


三井記念美術館円山応挙ー空間の創造では、初期の眼鏡絵から松に孔雀図襖や、雪松図屏風まで応挙の奥行きのある立体的な空間表現が満喫できました。

雨竹風竹図屏風などを見ると、右の絵が画面の奥に向かい、左の絵が画面の手前に向かって描かれ、その中央が空いているように描かれ、立体的に見えるよう工夫した迫央構図技法がよくわかりました。

心安らぐ天平の至宝、東大寺大仏展

2010-12-01 06:11:17 | 博物館、美術館行ってきました

       
東京国立博物館の、東大寺大仏展に行ってきました。正面玄関のユリノキの紅葉も素晴らしく、庭園開放もしていました。本展に関しては、
流石に本物の大仏の出展はむりなのでバーチャル映像による解説が多く、本物を見ることができない分熱狂的な混雑からは解放されゆったりと楽しむことができました。
     
正倉院御物は、聖武天皇の遺愛の品々を光明皇后が東大寺に奉納したのが始まりです。
近日大仏のひざ下から見つかり、正倉院御物との見解が出て話題の鎮壇具の太刀の情報や、
類似した金堂鎮壇具の展示、国宝の八角灯籠の展示など見所がありましたが、
印象に残ったのはやはり普段見ることのできない角度や距離で大仏と対峙できる映像によるバーチャル体験でした。
冒頭、音楽とともに『華厳経』の世界観を描いた蓮弁の美しい線刻
の拡大画面が映し出されて圧巻でした。
また、奈良時代に創建された大仏殿の外観と当時の夜空を再現するシーンでは、人々の祈りが伝わり感動を覚えました。

盧舎那仏(るしゃなぶつ)は、サンスクリット語で「遍(あまね)く照らす」という意味です。
宇宙そのものである大仏の教えが広まることを願って光背で表し、
蓮をかたどった台座の花弁の一枚一枚に26の平行線で表された無数の世界を線刻し、その中心で釈迦如来が教えを説く様子を表しています。
つまり、無限の世界を照らしすべての生き物を慈しみ、育む「ほとけ」なのです。
奈良時代、人々は、戦禍に荒れ、疫病に苦しむ日々でした。
聖武天皇、光明皇后は仏像造営によって感謝と思いやりの心を広め、命のつながりを大切にし
神々を敬い皆とともに平和な国造りをしたいと祈りました。展示や映像から、そのありがたい御心がひしひしと伝わってきます。

正倉院宝物の中には大量の薬が含まれています。光明皇后は、病気に苦しむ人々を救うため施薬院(せやくいん)を設け、
多くの薬を集めました。ありがたいことに光明皇后のご意志で、大仏に奉納された薬もしばしば治療のために使われ当初の目録より重量が減っているそうです。
他国においては類を見ない為政者による宝物の扱いではないでしょうか。

ミュージアムの思想新装版

ミュージアムの思想新装版

価格:2,940円(税込、送料別)

先日、松宮秀治のミュージアムの思想という本を興味深く読みました。
ミュージアムの定義は、日本の美術館にも博物館にも収まりきれないものだとあり、目から鱗の思いがしました。
そもそもが帝国主義の産物なので、外国のミュージアムを訪れると、暴力的、支配的なおごりを感じます。略奪された墳墓の遺品について、
エジプトなどから返還要請が出ているのも当然でしょう。先住民保護区もミュージアムだそうです。
根津美術館や、東京国立博物館の庭にある朝鮮の道祖神にさえも所有に至る歴史的背景を考えると、心が痛みます。

その点日本古来の仏像の展示は心が安らぎます。
見つめているだけでアタラクシアの境地に至るような気がします!
政教分離した日本では、その存在が一貫して尊いゆえでしょう。
多くの人々の祈りが集まって造りだされ、人々を救済することで尊ばれ、
大切にされたがゆえに今日までお姿を見ることができると思うと安心してありがたくご尊顔を拝すことができます。
ここ数年の仏像ブームの魅力は、そんなところにあるのかもしれませんね。






東京都庭園美術館・五感に沁みる香りの魅力

2010-11-29 18:55:02 | 博物館、美術館行ってきました
急に寒さが厳しくなり、遅れがちだった紅葉もすすみ、慌ただしく冬じたくを始めたような気がします。
おしゃれなブティックが立ち並ぶ街、白金台の東京都庭園美術館香水瓶の世界展を見に行きました。
     
旧朝香宮邸をそのまま使った趣のある美術館は、
建物自体が美しいルネ・ラリックのガラスパネルや、アール・デコデザインで彩られた芸術作品で、
コンパクトながら照明器具や、通風口の鉄柵に至るまで、見事な調和を見せています。

時代とともに変化する350点の香水瓶のデザインは乙女心を虜にするファッション史でもあり
展示された香水瓶それぞれが魅力あるスタイルでした。
近代に、工業製品化された香水が、大衆文化として広まってからのことは、
有名ブランドの創業史として想像がつきましたが、
古代からの香料の歴史を知ることができたのは、世界史を考える上で新しい切り口として新鮮でした。

当然と言えばそれまでですが、宗教的儀式から発展し、紀元前3千年ころ地中海沿岸で
樹木や樹脂を燃やし煙を液や軟膏にしたもの、草花や、動物の香りを油にしみこませた香油が起源です。
容器はゴブレットやアラバスターと呼ばれる形の小さなもので、岩石を研削して香油壺にしたものや、
古代エジプトコア・ガラス(最古のガラス)それがフェニキアを経て、
ヘレニズム時代のオリエントで盛んに作られローマ帝国のもとで吹きガラスと成形型が発明されて
大量生産されるようになりました。
イスラムでは金彩、絵付け七宝、彫刻などの装飾が発達し、これらの先進的ガラス製造技術
香水の蒸留技術ともに十字軍の遠征によってヨーロッパにもたらされました
以来香料は非日常の世界へいざなうツールとして、薬や、文化として
上流階級に広まり、権力や、財力によって、香水を入れる容器にも
それぞれ高度な芸術文化が起こり技術が磨かれていきました。
イギリスのチェルシー窯では、ベニスの商人の美人裁判官を繊細に写したポーシャや、
流行の愛を表すつがいの小鳥など細やかに描写した見所のある多くの作品が生み出され
展示されていた香水瓶はどれも印象的な愛らしさに満ちていました。


十字軍によって、文化的に遅れていたヨーロッパ圏の人々が豊かなイスラム文化圏に触れ、
薫香の習慣から町中が焚きしめた香りで包まれていた環境に刺激を受けたという解説は、リアルでした。

先日読んだ塩野七生


絵で見る十字軍物語によると、野蛮で、侵略的だった十字軍に比べ、
イスラムの対応が進歩的、人道的で文化の高さを示すものであったことがうかがえました。

      
庭園美術館の名の示す通り、都心にありながら閑静な自然に恵まれ、
茶室のある日本庭園や動物の彫刻のある洋風庭園があり、
自然を楽しめる空間になっています。
現在12月19日まで期間限定で、日本庭園の紅葉ライトアップをしています。(午後4時から6時まで)
  

浜口陽三展・カラーメゾチントの魅力

2010-11-21 13:50:42 | 博物館、美術館行ってきました

何と形容したらいいのでしょうか、温かみのある柔らかい黒から、
立ち上るように現れる鮮やかな赤いサクランボや、黄色いレモン

まるで、扉を開けて迷い込んだ暗闇の世界に目が次第に慣れていき、
そこにあるものが一つ一つはっきりとした姿や色彩として認識されていくような、
ゆっくりと湧きあがる感動で心が満たされます。

いくつもの鮮やかな色彩のインクが刷り込まれて、描かれた対象は確かにそこにあるのだけれど、
作品の前に立ち、じっくりと時間をかけて見つめていないとすぐには見えてこないような、
観賞に絶妙な時間と距離を要求する特殊な作品の世界です。

そこに描かれたものを細部まで認識し終えると魂が宿り、
は静かに羽ばたきを始め、はフウッと息を吐き、
ブドウの房はゆっくりと回転をし、レモンはころりと仰向けに揺れてみせる。

地下鉄半蔵線の水天宮前からすぐの所にあるミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションでは、
12月12日まで浜口陽三展・カラーメゾチントの魅力を開催しています。
版画の中でもとりわけ手のかかるカラー銅版の、作成方法と魅力を意欲的に紹介する企画です。
浜口陽三の作品を数多く紹介するとともに、実演や、銅版画教室まで開催されます。
カラーメゾチントの若い継承者が育って素敵な作品が次々生まれるといいですね。

小さいながら入口わきにはちょっと一息できるカフェコーナーがあり、
たっぷりのダージリンティーとしっとりしたチョコレートケーキなどのメニューで、静かに観賞の余韻に浸れます。

ちひろ美術館・大人になること

2010-11-17 11:09:35 | 博物館、美術館行ってきました
練馬の上井草にいわさきちひろの作品を展示したちひろ美術館があります。
元自宅兼アトリエで、晩年の22年を過ごしたゆったりと広い敷地の閑静な住宅です。

全館バリアフリーに改装された空間に、ちひろが得意とした子供や自然を描いたカラー水彩がたくさん掛けられとても居心地がよい建物です。ゆったりした安らぎの空間として、車いすのお年寄りや、授乳室付きのこどものへやで本を広げる幼児の姿が目につきます。

ちひろが愛し、絵にも描かれた草花が咲く庭があり、
その庭に臨むカフェも特色のあるメニューを工夫しています。
軽食になるキッシュや、タンポポコーヒーなど、何か日常と離れた世界が広がるイメージがわきました。
  

館内に残されたアトリエからは、昭和のにおいのする丁寧な日常生活の住まい方が見えてきて、懐かしさや、いとおしさ、日々のあわただしさの中でもおろそかに流されてしまわないということ。何かを大切にするという信念の強さを感じました。
壁にはちひろの写真と、こんな言葉がありました。

大人になること
…若かった頃、楽しく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。
…できるだけのことをしたいのです。私が自分の力でこの世を渡っていく大人になったせいだと思うのです。
大人というものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います。


亡くなる2年前の言葉です。数少ない日記などからちひろを偲ぶ本によると、ごく若い時に一度見合い結婚に失敗して相手が自殺するという秘話があり、愛せなかったことで人を死に追いやってしまったという重い過去が人生観を変えたように思いました。
32才で誰の祝福も得ることなく7歳年下の東大出の政治活動家と再婚。売れっ子の画家として家の経済を支えながら一男を育て、夫を支え、後には老いた親を引き取り、人々から愛される絵を描き続けた姿は、自立した女性の生き方として尊敬すべきものがあります。
何事においても深く見、思考し、覚悟して生き、愛情をかけた精いっぱいの55年は、短くありましたが、残した多くの絵に、
今もなお人々の心を打つ強い光を感じます。
 

水墨画のぼかしやにじみを生かした水彩画の原画は、印刷した本で見るよりも、色も艶も生き生きとして生命力を発しているようでした。

秋にちなんだこどものくにの挿絵コーナーでは、柿の木の下で遊ぶ子供の絵が意匠的にも大好きです。

いつの日か、よく晴れた季節の良い時に安曇野ちひろ美術館にも行ってみたいと思いました。