三菱一号館美術館のヴィジェ・ルブラン展の後、近代美術館の岡本太郎展を見ました。
マリー=アントワネットの画家として同い年の王妃に重用されたルブランは、
当時数少ない女性画家でありながら、流行の衣装をまとった華麗でセンスの良い肖像画を描くことで王侯貴族を魅了し、
絶対王政最後の華やかな宮廷を活写する多くの作品を残しました。
ルブラン展は、男性中心の美術史の中で埋もれていた、彼女をはじめ
華々しく活躍していた18世紀のフランス女性画家達を回顧する野心的な展覧会でした。
アントワネットのイメージを定着させた肖像画や、画家自身の知性や美しさセンスを主張する自画像の完成度の高さ美しさに
目を見張るものがありました。
また、女性が画家として生きるには厳しい世界で、堂々と王侯貴族に取り入り、ひいきにされてアカデミーの会員にまで上り詰める
ルブランや、カぺが自画像で見る限り少女の様にあどけない容姿であることに驚いたり、
確かな技術で描かれる肖像画から強くみなぎる自信に圧倒される力を感じました。
彼女たちから見れば、有名なマリー・ローランサンなどデッサンもおぼつかない頼りない存在に霞みます。
フランス革命で、パトロンだった多くの王侯貴族は哀れにも断頭台の露と消え、王党派のルブランも命の危険にさらされますが、
本人は、絵の修業と称して歓迎する外国で涼やかに暮らし、長い亡命生活中も、
アカデミーに作品を送って入選させるなど画家として実にたくましい生きざまを見せ興味深く思いました。
その後向かった岡本太郎展は「きれいな絵なんか気持ちが悪い!」と豪語して、画風、在りようからするとまさに「対極」
大阪万博で怒ったような太陽の塔の顔に驚き、「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」のウイスキーグラスが家にもあったり
身近で、面白く、主張のある日本の現代芸術家の待望の回顧展でした。
私蔵されることを嫌い売らなかったからか、今まで一般の美術館ではあまり作品を見る機会がありませんでしたが、
小気味のいい岡本語録とともに展開される芸術を十分に満喫できる展覧会でした。
彼の生きざま、哲学には、筋の通ったすがすがしいものがあり、再評価されて当然と納得しました。
昨日、北野たけしが中国の火薬アーティストをTVで紹介していましたが、偶然の美などと称して安易な作品作りをして商売をしている
アクションペインティング系の芸術など、一笑に付してしまうほど、岡本太郎の芸術に立ち向かう意思、対決するパワーを感じました。
実物を間近で見ると、絵の具が実に美しく、造形も確かで見ごたえがあります。
彼は、「芸術というのは、生きることそのものである」と言います。その意味では、ルブランの生き方にも通じるものがありそうです。
ミュージアムショップで買った著書「強く生きる言葉」には、
不条理=「賭けとおし、貫いて運命を生きる、そのためにつまらぬ目に会い、不条理に痛めつけられても、
それはむしろ嬉しい条件として笑って貫きとおす人間でありたい。
ふりかかってくる災いは、あたかも恋人を抱きいれるように受ける。」
という一文もありました。
生きることに立ち向かう芸術家という特殊な人間でなくても、
天災という不条理が平凡な市民生活を襲うこともあります。
自分から進んで立ち向かった困難も、自然から受けた不条理もすべからく自分を強くする試練だとわりきって受け入れ、さらに
「ぶつかってきたこの運命に正面から戦いを挑んでゆくほかはない。ただ前に向かって心身をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけだ。」と力強く叫びます。
つらい気持ちを整理して、まっすぐに前を向いて生きていく人々に覚悟や励ましや勇気を与えてくれる、芸術家のパワーに感動です。
マリー=アントワネットの画家として同い年の王妃に重用されたルブランは、
当時数少ない女性画家でありながら、流行の衣装をまとった華麗でセンスの良い肖像画を描くことで王侯貴族を魅了し、
絶対王政最後の華やかな宮廷を活写する多くの作品を残しました。
ルブラン展は、男性中心の美術史の中で埋もれていた、彼女をはじめ
華々しく活躍していた18世紀のフランス女性画家達を回顧する野心的な展覧会でした。
アントワネットのイメージを定着させた肖像画や、画家自身の知性や美しさセンスを主張する自画像の完成度の高さ美しさに
目を見張るものがありました。
また、女性が画家として生きるには厳しい世界で、堂々と王侯貴族に取り入り、ひいきにされてアカデミーの会員にまで上り詰める
ルブランや、カぺが自画像で見る限り少女の様にあどけない容姿であることに驚いたり、
確かな技術で描かれる肖像画から強くみなぎる自信に圧倒される力を感じました。
彼女たちから見れば、有名なマリー・ローランサンなどデッサンもおぼつかない頼りない存在に霞みます。
フランス革命で、パトロンだった多くの王侯貴族は哀れにも断頭台の露と消え、王党派のルブランも命の危険にさらされますが、
本人は、絵の修業と称して歓迎する外国で涼やかに暮らし、長い亡命生活中も、
アカデミーに作品を送って入選させるなど画家として実にたくましい生きざまを見せ興味深く思いました。
その後向かった岡本太郎展は「きれいな絵なんか気持ちが悪い!」と豪語して、画風、在りようからするとまさに「対極」
大阪万博で怒ったような太陽の塔の顔に驚き、「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」のウイスキーグラスが家にもあったり
身近で、面白く、主張のある日本の現代芸術家の待望の回顧展でした。
私蔵されることを嫌い売らなかったからか、今まで一般の美術館ではあまり作品を見る機会がありませんでしたが、
小気味のいい岡本語録とともに展開される芸術を十分に満喫できる展覧会でした。
彼の生きざま、哲学には、筋の通ったすがすがしいものがあり、再評価されて当然と納得しました。
昨日、北野たけしが中国の火薬アーティストをTVで紹介していましたが、偶然の美などと称して安易な作品作りをして商売をしている
アクションペインティング系の芸術など、一笑に付してしまうほど、岡本太郎の芸術に立ち向かう意思、対決するパワーを感じました。
実物を間近で見ると、絵の具が実に美しく、造形も確かで見ごたえがあります。
彼は、「芸術というのは、生きることそのものである」と言います。その意味では、ルブランの生き方にも通じるものがありそうです。
強く生きる言葉 |
ミュージアムショップで買った著書「強く生きる言葉」には、
不条理=「賭けとおし、貫いて運命を生きる、そのためにつまらぬ目に会い、不条理に痛めつけられても、
それはむしろ嬉しい条件として笑って貫きとおす人間でありたい。
ふりかかってくる災いは、あたかも恋人を抱きいれるように受ける。」
という一文もありました。
生きることに立ち向かう芸術家という特殊な人間でなくても、
天災という不条理が平凡な市民生活を襲うこともあります。
自分から進んで立ち向かった困難も、自然から受けた不条理もすべからく自分を強くする試練だとわりきって受け入れ、さらに
「ぶつかってきたこの運命に正面から戦いを挑んでゆくほかはない。ただ前に向かって心身をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけだ。」と力強く叫びます。
つらい気持ちを整理して、まっすぐに前を向いて生きていく人々に覚悟や励ましや勇気を与えてくれる、芸術家のパワーに感動です。