ポン太よかライフ

得した気分、首都圏見て回りの旅、美術館散歩

麗しのうつわー日本のやきもの名品選

2010-01-26 15:49:05 | 博物館、美術館行ってきました
出光美術館麗しのうつわ展を見てきました。
古いものでは、奈良、平安時代の土器、猿投窯の穏やかな灰釉にはじまり、色鮮やかな京焼の仁清、斬新なデザインが面白い尾形乾山、そして薄手で透明感のある伊万里の磁器をへて、近代のモダンな板谷波山まで、出光美術館に収蔵された名品の数々を堪能しました。
出光美術館の解説文は、いつもすばらしくイメージ豊かで、分かりやすく、作品の良さがひきたちます。見所は、拡大した写真をパネルにして本物のすぐ上に掲げてくれるので、たとえ絵巻の小さな部分でも、細部まで見たような気になり、満足できるので楽しいです。
たとえば、今回、尾形乾山の色絵芦雁文透彫反鉢には、こんな解説がついていました。
『空を舞う雁、霞、風になびく芦の、それぞれにゆったりとした回転を外からそっと掬い上げると、このような鉢のかたちになるのだろうか、雁の鳴きかわす声や飛び立つ羽音が、高く響いているかのようである』
実物は、会場でご覧下さい!

三菱村三菱一号館で岩崎彌太郎をしのぶ

2010-01-19 13:20:48 | 博物館、美術館行ってきました
今年は、大河ドラマで竜馬伝が放送され、竜馬と同郷の岩崎彌太郎にも注目が集まりそうな気配がします。
  
銀座同様、丸の内界隈も少しの間にすっかり変わってしまいましたが、真新しい丸の内パークビルからイングリッシュガーデンを隔てたところに、三菱一号館美術館が再建されたので、一丁倫敦と丸の内スタイル展を見てきました。
この辺りは、江戸時代の大名屋敷があったところで、光の祭典が行われた丸の内3丁目は、旧丸の内大名小路にあたり、旧因州池田屋敷表門がありました。大名屋敷表門としては東京大学の赤門と並び称され黒門と呼ばれるものです。つまり鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門というわけです。数度の移転を経て今は上野の東京国立博物館に移築されています。
岩崎彌太郎は、陸軍用地であった丸の内の土地を明治23年(1890年)に政府から一括購入し、地震に耐える洋風建築の林立する事務所街にする構想を立てました。そして東京国立博物館を最初に設計したことでもゆかりの深いジョサイヤ・コンドルが、1894年三菱初の洋風事務所建築である旧三菱一号館を作りました。
建物に入ると、右手奥に竣工当時の内装の資料室があり、古い時代のニュースフイルムを延々と無声で流していました。洋装と和装の人が忙しくいきかう町、関東大震災、昭和天皇の行幸列車など、気分はすっかり現代を離れ過去にワープ。デジタルギャラリーでは東洋文庫静嘉堂文庫など、ゆかりの施設に所蔵された文化財をデジタル資料で見ることができます。1階は無料で入れるスペースです。特別展を見るにはレトロなカウンターでチケットを買い、エレベーターで3階に上がります。丸の内の歴史と文化を都市や建築が形成されていく過程を通して見ていく展示は、日本人が西洋に追い付こうとする活気を感じてわくわくしました。三菱一号館の復元は、可能な限り忠実に行われ、レンガも、当時に近い製造法で、質が似ている中国の工場に特注したそうです。建設方法も、当時に近いやり方だそうで、様々な工程ごとに資格を持つ若い職人たちが係わり、大勢がひしめくように手作業でレンガ積みをする制作風景なども、コンドルが指揮した明治の頃の活気がしのばれました。
コンドルは、若干24歳で日本政府のお抱え外国人として来日しましたが、ロンドン大学で建築を学び、名のあるウィリアム・バージェス事務所で働き、一流建築家への登竜門であるソーン賞受賞の経歴を持つ、イギリスでも将来を期待された建築家で、辰野金吾、曾禰達蔵、片山東熊ら、優秀な建築家を育てた教育者として大きな功績を残し、日本の建築界の恩人といわれる方です。日本舞踊の師匠だった奥さまの影響もあってか、日本文化への傾倒も深く、海外に紹介する本も出しています。河鍋暁斎に師事して日本画を学び今回スケッチ帳の展示もあって、優しい筆使いに人柄がしのばれました。流石に建物や風景画は見事で、達者な画力をうかがえました。
                
 思いのほか長居をしたので、Cafe1894で一休み、旧銀行営業室を復元した高い天井や、装飾柱の彫刻が素敵なレトロな空間です。何と髪を七三に分けたモダンボーイ?にランチプレートを給仕してもらい、文明開化にわく、ちょっと得意げな明治の雰囲気を楽しみました。

魅せます江戸っ子の粋、柴田是真の漆×絵

2010-01-18 14:51:18 | 博物館、美術館行ってきました
三井記念美術館で幕末から明治にかけて、漆芸術の超絶技巧を駆使して、多彩な作品を残した柴田是真の漆工と絵画作品が展示されています。
 宮彫師の職人の家系で11歳から古満寛哉に蒔絵を学び、16歳にして図案に頼らず仕事をするため鈴木南嶺に師事して京都四条派の絵を学ぶほどの研究熱心さに感心。のち推されて本場京都で絵を学ぶ間にも歌学、国学、漢字、茶道等の教養を身につけ、飛躍的に腕をあげたそうです。
 根っからの職人気質に加えて、40歳頃までは名が知られず、売れない時期が長かったせいもあってか、「金銀は貴重で、蒔絵の材料は、金銀に限るべきではない」が持論で、あたかも金銀や、金属、高価な紫檀を使ったかのような、変わり塗り技法を編み出して、江戸っ子たちをあっと驚かせる遊び心満載の作品を残しました。
 お茶室で、合金の重そうに見える菓子器を持ち上げると、あらら、紙製で軽くてびっくり、茶入れを拝見したら、焼き物でなく竹でできていて軽くてびっくり、さぞや楽しかったことでしょう。
 絶えていた、難しい青海波塗りを復活させたり、重箱に描いた水車の羽の一つ一つを異なる塗りの技法で表したり、一目見たのでは分からない細かなところにいちいちこだわりを持って変化をつけるので、地味な色合いの漆に華やかな色彩の変化が感じられます。小さな印籠ひとつにも見飽きることのない感動的な作品世界を繰り広げる職人気質が立派です。
 明治に入ってからは、近代美術工芸の発達に貢献し、内国勧業博覧会に関わり、欧米での万国博覧会に出品し、ウィーン万博では富士田子浦蒔絵額が進歩賞牌を受けるなど海外での評価が高まりました。アメリカ人のエドソンコレクション初帰国と副題がつくように、海外流出品が多い江戸以降の作家ですが、本展の国内所蔵品の中では、近頃人気の伊藤若冲の作品を数多く所蔵することで有名な、板橋美術館からの出品に、目を引く良いものがたくさんありました。

三井記念美術館では、入場の際に、45の難しい漆工用語を解説したパンフを配布してくれ親切でした。下記のサイトに、入場料を100円割り引く割引券がありますので、これから行く方はコピーしてお持ちください。三井美術館ご利用案内ページ
 

黄昏の銀座たてもの散歩、光の芸術に酔いしれる

2010-01-11 20:17:49 | 旅行
 たてもの散歩ボランティアガイドのみなさんの館外学習に同行しました。
今回は、銀座1丁目から7丁目まで、途中わき道に入りながら、歴史的建物と、
最先端の話題の建物の見どころ、45カ所を約3時間かけてまわりました。

 
集合前に、銀座コアビルの東京セントラル美術館に寄って春の書道展を見てきました。ここは、若いときよく訪ねた思い出の美術館で、いろいろな企画展示が行われる収蔵品を持たない美術館です。今でいうなら六本木の国立新美術館のような機能で、無料で入れることが多く、訪ねるたびに意外なものに出会えておもしろかったです。新春にふさわしく、入口には書家の方々が思い思いに書いたトラの字が並び、日本の活字文化の表現の多彩さを楽しみながら鑑賞しました。

そして「GINNZAギンザ銀座ー世界のファッションとレトロの街角」と題したたてもの散歩が始まりました。銀座1丁目、昭和7年建築の奥野ビル、銀座芸術の発信基地として、今も画廊やアンティークショップでいっぱいの、とてもレトロな元高級マンション。
それからは一変、トップブランドの競演の数々に感嘆の声を上げつつ、ちょっと見ない間にすっかり変わってしまったなじみのたてものに思い出を重ねながら、見上げる首が痛くなるほど斬新なデザインに見とれてまわりました。


 新しい建物の多くは、外壁が多彩です。窓の形がランダムな泡のようで面白いMIKIMOTO 銀座2は、2枚の鋼板の間をコンクリートで充填した構造の壁を持ち、その表面を真珠のような色合いの柔らかなピンク色に塗装、造船所のような高度な技術を駆使して、熔接した継ぎ目が分からない美しい仕上がりになっています。
また、ポーラ銀座、シャネル銀座などの新しいビルはもちろん、
カルティエブティックオペークギンザ、ディオール、ダンヒルのように既存たてものに外壁を新たに取り付けるだけのリニューアルをほどこしたものも、内臓のLED照明で夜には様々な光を演出したものがほとんどです。建築家だけでなく、豊久将三など、著名な照明デザイナーとコラボレーションしたものが多く、壁というより、光のデザインパネルの様相でした。


ゴールのライオン銀座7丁目店は、大正ロマンを感じさせる良い雰囲気のビアホールです。1階のモザイクが有名ですが、30年ほど前に改装した赤御影石のアーチ型の入り口が温かい印象で大好きでした。この日解説をしてくださった建築家のK氏が手がけたと分かりサプライズ!K氏を囲んでライオン前で記念写真を撮りました。

パピリオンのような新しい建物も素敵でしたが、時を経てもなお、銀座の風格を象徴するような和光の時計台や、三越のたたずまいも魅力的です。教文館ビルから4丁目交差点のあたりの景観はいつまでも残ってほしいと思いました。

ユリノキのはちみつ、お味は?

2010-01-07 18:59:06 | 日記

先日芸術麦酒製造構想のラベルコンテストでいただいたはちみつを食してみました。 ユリノキの蜜だそうです。アカシアと比べても遜色ないお味で、さっぱりとして酸味や香りも程よく、おいしく頂きました。どんなお味か一度試してみたかったので感謝! ユリノキといえば、東京国立博物館本館前の大きな木を思い浮かべます。五月頃チューリップのようなカップ型の大きなオレンジ色の花をたくさんつけます。珍しい形の花ですが、皇居の周辺や、以前山種美術館があった千鳥が淵近くなど、都内の街路樹として、意外に目にすることがあります。一つの花からティースプーン一杯分もの蜜が取れ、花盛りの頃に風が吹けば、アスファルトの道路に蜜が降り注いでシミができると聞いたことがあります。銀座でも皇居でもユリノキのはちみつを売っていたようです。  大正天皇が皇太子であった時に「ユリノキ」と名前を付けられたそうです。学名のLiriodendronはLily-treeの意味で、学名をお尋ねになった大正天皇が、「それならユリノキだね。」とおっしゃられたことに由来するとか、なんとなくロマンティックで、どんな花かと期待したくなる素敵なネーミングだと思います。 お正月も終わり、明日は始業式、世の中も日常生活に戻ります。のんびりムードは今日までと、パンを焼いてみました。あんパンとバターロールです。はちみつつけて元気をつけて明日からまた頑張りましょう! 横浜のはちみつ麦酒はgoodbeerさんで通信販売が始まったそうです。330mlで550円。

芸術麦酒ラベルデザインコンペティション受賞のお知らせ

2010-01-05 20:57:51 | 日記

以前このブログでも紹介しましたが、本日「Hama Boom Boom!プロジェクト」さんから入賞のお知らせが届きました。
11月15日に発表された芸術麦酒製造構想企画の横浜のはちみつで作った麦酒のラベルコンテストの結果です。
ハチミツビールは、大賞に選ばれた「HACHEY」のラベルで昨年12月19日から販売開始となったそうです。 
とてもかわいくて、楽しいデザインです。たくさん売れるといいですね!
入賞賞品として、昨年の春、北仲ブリックの屋上で飼育したミツバチが採ってきた貴重なハチミツを一瓶いただきました。
ありがとうございました。

初夢見ましたか?

2010-01-02 16:16:29 | 旅行
 昨晩の夢は初夢、皆さんは、どんないい夢をご覧になられたでしょうか?
昔から一年の初めに良い夢を見ようと、宝船などの縁起の良い枕絵を敷いて寝る風習があります。
 暮れに、湯島の方に行った折、水道橋の近くで金毘羅宮を見つけました。讃岐の金毘羅宮の東京分社で、隣には金毘羅会館が併設され、境内には地元のお稲荷様が祭られていました。この入り口の看板に、宝船の枕絵発祥の地であるとの記載がありました。東海道五十三次のやじさん北さんの話にも出てくるように、お伊勢参りに次ぐ人気の参詣スポットとして有名な金毘羅さんは、海の神様として信仰されているので、おめでたい七福神やお宝を満載した宝船はぴったりという気がしました。

明けましておめでとうございます

2010-01-01 20:01:24 | 日記
 関東地方は穏やかで雲ひとつない、清らかな新年を迎えました。
皆様明けましておめでとうございます。この一年が、よりよい年になりますように心よりお祈り申し上げます。
 
新しき年の始の初春の
 今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)  大伴家持(万葉集)

新しい年の始の初春の今日降る雪のように、ますます重なってほしい、良いことが

 飯田橋駅近くの東京大神宮に初もうでに行ってきました。そこでいただいたパンフレットにこの歌がありました。
東京大神宮は、日枝神社、明治神宮、靖国神社、大国魂神社とともに東京五社のひとつです。
明治13年、明治天皇のご聖断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿としてご分霊をおまつりし、東京のお伊勢さまとして親しまれています。また、日本最古の神前結婚式場として有名なマツヤサロンがある神社としてご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
境内でゆっくりと参拝できるよう入場規制されているため、日蔭の参道に1時間半以上並びましたが、その間ミニホカロンが配られ親切でした。
 境内で、かわいい巫女さんに手水で清めた手を拭く紙をもらったり、神主さんのお祓いをうけたりしながらお参りを済ませると、三が日は、樽酒、伊勢名物の「赤福」、福しるこが振る舞われます。私も三方に100円入れて赤福をおいしくいただいてまいりました!
 配られた冊子むすひによると、20年に一度の式年遷宮では御正殿に納められていた御装束や神宝も新たに作り替えられ、撤下された品々は伊勢市の徴古館に納められているそうです。この建物は、東京国立博物館表慶館の設計をした片山東熊によるルネッサンス様式で、長命だった平櫛田中が遷宮のたびに納めた御彫馬の像も拝観できるようです。
野村満斎インタビューの能の記事も神社との係りを感じさせてくれました。