心と身体の
なんとも言い知れない
断続的な乖離(かいり)現象。
ズレというよりは
裂け目のようなものが
存在に問いかけを続ける。
いや
何も難しいことは
言ってないのだ。
要するに
なぜ自分の身体はここにいて
安曇野に居ないのか。
心は決して離れないのに。
いつも、そんなことばかり
考えているんでしょう?
そう言われても仕方ない。
写真一枚眺めみても
人が見たら
安曇野のどこ?
いつの写真?
もちろんすぐに答えられるけれども
実はそんなことじゃない。
晴れて視界良好のドライブ日和に
安曇野の広域農道を
大町方面に車を走らせ
堀金を過ぎ
やがて
『田中西』という信号が
見えて来たときに
おもむろにハンドルを右に
切って右折
餃子専門店のお店を
少し通り過ぎたあたりで
ちょっと衝動的な気持ちで
道端に車を止め
サッと撮った写真だったかもしれない。
もう少しいけば穂高のきれいな図書館があるところ。
もしくは
堀金のベイシアの先を
左折して、安曇野公園に向かった先に
常念岳がいい感じで見える
あの場所にたどり着いたときに
同じように車を端に止めて
深呼吸しながら
撮った写真だとか…
そんな風景が
いつも視界に入っていた日常。
人は常に
決断の連続で動いている。
何か食べなきゃいけない
眠らなきゃいけない
仕事しなきゃいけない
待ち合わせは時間が遅れないように
近道しよう…とか。
でもそんな決断の連続から
ふと離れたときに思い出す。
写真の中の過去の風景は
様々なあの時の
記憶を蘇らせ
一枚切り取った写真の風景に
話かけてみるように
『あの時はあそこに向かう途中だったんだよな』
と写真を撮った経緯は自分にとっては
連続した風景の真っただ中にあったわけで
やっぱり
自分はあそこに存在していたんだな。
あそこに足跡を残してきたんだな。
今はただ運命に委ねてる
現実があったとしても
濃いめの珈琲を飲んだ時は
安曇野のお店のあの珈琲と似てるなとか
思い出してみたりするのは
たとえば記号として
深煎り珈琲=安曇野のあの店
みたいな
つまり何がいいたいかというと
心と身体
身体はこっちでも
心はあっちだということ。
とりとめもなく
つい。
なんとも言い知れない
断続的な乖離(かいり)現象。
ズレというよりは
裂け目のようなものが
存在に問いかけを続ける。
いや
何も難しいことは
言ってないのだ。
要するに
なぜ自分の身体はここにいて
安曇野に居ないのか。
心は決して離れないのに。
いつも、そんなことばかり
考えているんでしょう?
そう言われても仕方ない。
写真一枚眺めみても
人が見たら
安曇野のどこ?
いつの写真?
もちろんすぐに答えられるけれども
実はそんなことじゃない。
晴れて視界良好のドライブ日和に
安曇野の広域農道を
大町方面に車を走らせ
堀金を過ぎ
やがて
『田中西』という信号が
見えて来たときに
おもむろにハンドルを右に
切って右折
餃子専門店のお店を
少し通り過ぎたあたりで
ちょっと衝動的な気持ちで
道端に車を止め
サッと撮った写真だったかもしれない。
もう少しいけば穂高のきれいな図書館があるところ。
もしくは
堀金のベイシアの先を
左折して、安曇野公園に向かった先に
常念岳がいい感じで見える
あの場所にたどり着いたときに
同じように車を端に止めて
深呼吸しながら
撮った写真だとか…
そんな風景が
いつも視界に入っていた日常。
人は常に
決断の連続で動いている。
何か食べなきゃいけない
眠らなきゃいけない
仕事しなきゃいけない
待ち合わせは時間が遅れないように
近道しよう…とか。
でもそんな決断の連続から
ふと離れたときに思い出す。
写真の中の過去の風景は
様々なあの時の
記憶を蘇らせ
一枚切り取った写真の風景に
話かけてみるように
『あの時はあそこに向かう途中だったんだよな』
と写真を撮った経緯は自分にとっては
連続した風景の真っただ中にあったわけで
やっぱり
自分はあそこに存在していたんだな。
あそこに足跡を残してきたんだな。
今はただ運命に委ねてる
現実があったとしても
濃いめの珈琲を飲んだ時は
安曇野のお店のあの珈琲と似てるなとか
思い出してみたりするのは
たとえば記号として
深煎り珈琲=安曇野のあの店
みたいな
つまり何がいいたいかというと
心と身体
身体はこっちでも
心はあっちだということ。
とりとめもなく
つい。
写真を懐かしむのは何とも言えない気持ちですね。
身体の心の場所。
なかなか良い記事を読ませて頂きました。
はじめまして。コメントありがとうございます。2012年の日記でしたね。この頃
は安曇野から東京へ戻ってきて1年過ぎくらいだったでしょうか。信州での生活
がのびのびと生き々々としていたので何とも言えない逆ホームシックような(東
京へ帰ってきたというのがほんとなんですが)状態でしたね。永住したかった
なぁという思い。