夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

みんなとっても綺麗ですよ!

2015-03-25 22:19:12 | 日記・エッセイ・コラム

玄関先の雪柳越しの富士山

 道路沿いの生け垣も満開

タクシーの運転手さんは、雪柳の生け垣を連想するらしくて、我が家を説明すると、

Гああ、あの白い花が咲いている家」と応えてくれます。

 

日向みずきの花

可愛らしくて可憐な花

見た目よりも丈夫な木です。

            

                           今年初めての我が家の庭の野生のスミレ

 

富士山の上に三階建ての雲

 

今年も白いタンポポが咲きました!

四年前東日本大震災の後で、庭と道路の割れ目から芽を出しました。

地震で隙間が出来て命を吹き返したのだと思います。

一昨年、散歩道の空き地に白いタンポポが沢山咲いているのを見かけましたので、白いタンポポは昔からこの辺りに咲いていたのだと思います。

 

 

スミレさん、タンポポさん 、日向みずきさん  、雪柳のお友達たちみんな

今年も、ありがとう。

みんなとっても綺麗ですよ!

  

 


紅い桃の花・桃色の杏の花・白い沈丁花

2015-03-24 23:27:12 | 日記・エッセイ・コラム

 

毎日今か今かと待っていた紅色の八重咲き花桃が満開になりました!

真っ白な富士山が後方に見えています…

 

 

私が畑の紅い桃の花を見たいとせがんだので、ケビンが会社から早めに帰宅して、畑迄桃の花見物に連れて行ってくれました!

息を呑むような艶やかな花です。

普通は桃の花は桃色です。

花桃は桃色か白色です。

私の生家には、一本の木で、枝によって、紅、白、桃の三色の咲く花桃の大きな樹がありました。

この樹は偶然に紅い花の咲く枝になった実から生えたようです。

他の実生は殆ど白色です。

 

 

遠くからでも目立ちます!

隣のお百姓さんはこの花が毎年見事だと誉めてくれます!

最近残念なのは、余りに美しいし、珍しいので、勝手に切って持ち去る方々がいることです。

花泥棒は泥棒ではないとか言う人もいますが、丹精込めて手入れをしている花々です。

手の届く所が折られているのは、痛々しいです。

見て楽しむだけにして欲しいと思います。

 

 

 

清楚な杏の花

蕾は優しい桃色

実もなります。

 

挿し木で育てた白い沈丁花の花

辺りに懐かしい春の香りが漂っていました。

沈丁花は、一枝の挿し木で簡単に殖やせるのに、

大きく育った木でも移植すると枯れてしまいます。

あちらこちらの家に行ったりしないで、一つの家に収まるようにと

以前は、旧家の庭や玄関先には好んで植えられていました。

白色は珍しくて、小豆色から紫色のような花色を良く見かけました。

今日の富士山

寒の戻りで久しぶりにハッキリ見えます。

 

  今日紹介した他にも、庭や畑で色々な花が蕾を付けて、花咲く日を待っています……

                       明日も、また……

 

 


歴史を刻む石塔

2015-03-22 22:37:24 | 写真

 

今日はお墓参りのハシゴをしました。

富士市から、沼津市、国道246を通って小山町の富士霊園迄強行軍でした。

 

私の故郷の石塔です

平成

昭和

大正

明治等は見た事があると思いますので、江戸時代迄遡ってみます。

 

安政四己年十二月                                 1858年

 

安政は幕末期で、安政の大獄は、安政5年

 

 

 

1838年

天保九年十一月十日

天保の大飢饉等があった時代です。

1804年

 

文化元子三月十四日

文化文政時代

 

 

 1779年

 

安永八

六月

1778年

安永七戍三月

今から237年前の月日が刻まれています。

読み取れる石塔の中で一番古い石塔です。

  今から50年程前に私がお墓の草取りをしていた時には、天正等もっと古い時代の年号の朽ち果てた石塔がありました。

昭和53年頃の伊豆半島沖の群発地震や、

伊豆大島の噴火に伴って度々起きた地震。

加えて四年前の東日本大震災で様子が一変してしまいました。

もはや石のかけらのように風化したものもあります。

 

昔、普通の子供にとってお墓は陰気で恐ろしい場所でした。

夏休みには、子供会で、肝試しと言って、夜お墓の探検みたいなことをしたりしました。

いわば本物のお化け屋敷です。

  私の生家は裏庭が小川を挟んで、お寺に続いていましたので、毎日竹藪の擦れる音や、葬式の鐘の音等を耳にしていました。

いわばお寺育ちのようなものです。

古いお墓は、私の歴史好きの原点のような気がします。

 富士霊園にはお洒落なお墓や、新しい形式の墓石も沢山あります。

反対に全くお墓参りされていないようなお墓も。

石塔はただの石。

余り立派な石も困ります。

今日も太平洋戦争で戦死した兵隊さんのお墓が70年を経て壊れかけているのを目にしました。

片付けるのにもお金がかかって大変だそうです。

お墓捨て場の様子をテレビで見たことがあります。

237年以上前の御先祖様の石塔が同じ場所で、直系の子孫の手で延々と供養されている方が奇跡に近いことだと思います。

 

私は、シンプルで標準的なお墓にしました。

 

 

 

 

 

 


お彼岸の中日に

2015-03-21 23:15:55 | 日記・エッセイ・コラム

 

今日は、お彼岸の中日

暑さ寒さも彼岸迄と言うのに、数日来春の冷たい雨が降り続いている。

私の御先祖様や、母方の御先祖様等のお墓を中心にお墓参りのハシゴをしようと計画していたが、足元が悪いので明日に延期した。

片付けが趣味の私は、今日はお仏壇の引き出しを整理。

懐かしい大伯母や、恩人等の手紙を丁寧に読み返しながら、亡き人々を偲ぶ一時。

こんなお彼岸の中日も良いな…と思う。

混雑した墓地への渋滞した道路や駐車場で、待たされたり、クラックションを鳴らされたり、物見遊山の浮かれた連中の大騒ぎにも悩まされないで済む。

タイミング良く?身延山思親閣から雪害で壊れた水屋や参道の修繕費の寄付の依頼が届いた。

両親を早く亡くした私は身延山の中でも思親閣には特別の思いを持っている。

両親にお小遣いをあげるような気持ちで、参道の修繕費に少しだけ喜捨しようと思う。

踏まれる石。

踏みつける人…

踏みつけても気付かない人…

壊れた道を直す人。

私は壊れかけた道をみんなが通り易くするためにボランティアで、

直している時に倒れて亡くなった父親を誇りに思っている。

お彼岸は、亡き人々と対話…

 


私の御先祖様 女性

2015-03-20 21:58:51 | 日記・エッセイ・コラム

今は春のお彼岸ですので、私の御先祖様を紹介したいと思います。

お墓や過去帳、戸籍等から、私が学生時代に調査したものです。

大学生当時は実家に籍がありましたので、自分の家の御先祖様調べとして、

市役所の戸籍等も学術的な研究として閲覧出来ました。

墓地の墓石には天正とか様々な文字が読み取れるのですが、幾たびもの寺の火災で

寺の過去帳等が消失してしまっているようです。

古文書等も古くなるほど筆文字が達筆になり、判読出来ないものもありました。

男性はもう一代判明しています。

              家を守る

私が産まれた家は江戸時代の末期に建てられた家でした。

昭和の末に解体されるまで、手入れや修理をし続け

百数十年住み続けました。

私も外見も中身も旧い家から嫁ぎました。

ピカピカに磨かれた大黒柱や上がり端。

綺麗に掃き清められた三和土。

それらを守り続けた女性たちを紹介致します。

  名前     さわ  文化4年8月5日生まれ  1807年

 東椎路 高遠又平 祖父 又蔵三女

  

 名前       きゃう   弘化4年6月24日生まれ1847年

 東原 大島幾太郎 叔母  祖父清八二女

大正12年6月19日死去76才

 

名前とま  慶応3年2月25日生まれ 1867年

  岡の宮  江藤由太郎伯母 祖父 忠蔵 長女

 

名前せき 明治30年10月20日生まれ1897年

  東椎路 鈴木立太郎 四女

  昭和50年5月26日死去 78才

名前  やす江 大正12年3月1日生まれ1923年

  富士市  菊池哲造 三女

  平成2年7月31日死去 67才

やす江は私の母親です。

  と言う訳でお嫁に来たのに、五代前迄遡る事が出来るのです。

今年は2015年

1807年から208年の月日が経っています…

 

幸運なことに、断絶しないで延々と一つの家が続いて来た訳です。

祖母のせきは私にいつも、「大きな家には大きな荷物。」と言っていました。

 家とはそんなに大切なものなのだろうかと子供心に疑問に思ったものですが、

こうして御先祖様の名前や生年月日、出身地や実家迄判ると、

200年も前の方も身近に感じます。

天災や戦争等幾多の困難を乗り越えて生き抜いて来てくれたのだと

自然に感謝の念が湧きます。

幸い私も孫たちを授かりましたので、まだまだ続いて行ってくれるのではないかと思います。

女から見た女の御先祖様の話です。

勇ましい話や、功績、書き物等は殆ど残っていません。

きっと旦那様を支え家を守り、精進していたのだろうと思います。

お仏壇にはお花を絶やさないで、好物を供えたり、御給仕をしたり、お経は上げていますが、書いている内に江戸時代に生きた御先祖様に逢いたくなって来ました!

  天気が良くなったら、故郷の御先祖様のお墓参りに連れて行って貰おうと思います。