今は春のお彼岸ですので、私の御先祖様を紹介したいと思います。
お墓や過去帳、戸籍等から、私が学生時代に調査したものです。
大学生当時は実家に籍がありましたので、自分の家の御先祖様調べとして、
市役所の戸籍等も学術的な研究として閲覧出来ました。
墓地の墓石には天正とか様々な文字が読み取れるのですが、幾たびもの寺の火災で
寺の過去帳等が消失してしまっているようです。
古文書等も古くなるほど筆文字が達筆になり、判読出来ないものもありました。
男性はもう一代判明しています。
家を守る
私が産まれた家は江戸時代の末期に建てられた家でした。
昭和の末に解体されるまで、手入れや修理をし続け
百数十年住み続けました。
私も外見も中身も旧い家から嫁ぎました。
ピカピカに磨かれた大黒柱や上がり端。
綺麗に掃き清められた三和土。
それらを守り続けた女性たちを紹介致します。
名前 さわ 文化4年8月5日生まれ 1807年
東椎路 高遠又平 祖父 又蔵三女
名前 きゃう 弘化4年6月24日生まれ1847年
東原 大島幾太郎 叔母 祖父清八二女
大正12年6月19日死去76才
名前とま 慶応3年2月25日生まれ 1867年
岡の宮 江藤由太郎伯母 祖父 忠蔵 長女
名前せき 明治30年10月20日生まれ1897年
東椎路 鈴木立太郎 四女
昭和50年5月26日死去 78才
名前 やす江 大正12年3月1日生まれ1923年
富士市 菊池哲造 三女
平成2年7月31日死去 67才
やす江は私の母親です。
と言う訳でお嫁に来たのに、五代前迄遡る事が出来るのです。
今年は2015年
1807年から208年の月日が経っています…
幸運なことに、断絶しないで延々と一つの家が続いて来た訳です。
祖母のせきは私にいつも、「大きな家には大きな荷物。」と言っていました。
家とはそんなに大切なものなのだろうかと子供心に疑問に思ったものですが、
こうして御先祖様の名前や生年月日、出身地や実家迄判ると、
200年も前の方も身近に感じます。
天災や戦争等幾多の困難を乗り越えて生き抜いて来てくれたのだと
自然に感謝の念が湧きます。
幸い私も孫たちを授かりましたので、まだまだ続いて行ってくれるのではないかと思います。
女から見た女の御先祖様の話です。
勇ましい話や、功績、書き物等は殆ど残っていません。
きっと旦那様を支え家を守り、精進していたのだろうと思います。
お仏壇にはお花を絶やさないで、好物を供えたり、御給仕をしたり、お経は上げていますが、書いている内に江戸時代に生きた御先祖様に逢いたくなって来ました!
天気が良くなったら、故郷の御先祖様のお墓参りに連れて行って貰おうと思います。