夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

山の家の売却完了

2024-06-26 21:22:18 | 日記・エッセイ・コラム

山の家の売却完了

2024年6月26日(水曜日)

平成3年6月に引っ越した我が家の二番目の家の売却が完了しました。

 

 

2024年6月24日(月曜日)撮影。

写真は夫が家の内外を片付けた時に、闘病中の私に見せようと思って撮影して来てくれました。

引っ越し回数13回の私にとって人生で一番長く住んだ家。

子育てをした色々な思い出のある家です。

 

  隣りに交通事故の加害者がやって来た

よりにもよって私の人生の線維筋痛症の疼痛の始まり。

わき見運転でブレーキを踏まないで、私に突っ込んで来た交通事故の相手が、

他所の現場を立ち退かされて、家の前の草ぼうぼうの空き地に、鉄筋加工の

作業所とプレハブの小屋を建てて毎日顔を合わせるだけで、嫌気が差していました。

「知り合いが交差点付近の現場で働いているので、いるかなと思って脇見をしていた。」と平気で言うような男と、

「免許が停止になると困る」と平然と言い放つその妻。

男は怪我をした私を救助するどころか、妻に電話をしていたそうです。

救急車を呼んでくれたのも、右折中のお弁当配達員なのです。

二十日間の入院中、一度も見舞いにも来ないし、家にも訪ねて来ないので、被害者の家の真ん前などと言う認識は全く無し。

トラックで塀をぶつけられた時に、「どれだけ人に迷惑を掛けるつもりですか」と交通事故の被害者だと名乗ると

「事故を起こしたのは覚えているが、相手のことは知らないし、覚えていない。」

 

開いた口が塞がらないとはこういう時に使う言葉。

「逃げることないよ。」お母さん。と子供たちも言ってくれましたが、私の人生を大きく変えた加害者の顔を見るのも嫌。

窓から外のプレハブ小屋を見るのも嫌。ろくな世話もされずに置き去りにされた大きな犬が、夜間大きな声で吠えるのを聞くのも恐ろしい。

加害者が移って来てからの、苦痛の日々。

 

 子供達も独立して、空き家になっていました。

 

傷付いた人が美しい富士山を見て元気になって欲しい。

世の中のために役立てて欲しいと思って、役所や福祉関係の皆様等々を通して

家庭的に恵まれない子供や、グループホーム等々色々な所を探していましたが、

夫婦二人共に癌になってしまいましたので、亡くなった後のことを考えて整理する事にしました。

 

 東日本大震災で被災した方が、福島から静岡県に移住して来て、家を探していて、一目で気に入って下さったとのこと。

長く住み続けて欲しいと思っています。

 

これでまた一つ終活が出来ました。

片付けると言うことはとても大変な作業。

まだまだやり残している事が沢山あります。

一つ一つ片付けて、立つ鳥跡を濁さずようにしたいと思っています。

 

 30年程住んだ山の家長い間ありがとうございました。