夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

パラオへの旅で、再生したタンポポおばさん!!

2018-05-17 20:30:42 | 日記・エッセイ・コラム

                                          生まれ変わりました!!

50才の時、不整脈の発作で、心臓のカテーテルアブレーション手術。

線維筋痛症による慢性的な疼痛。

脳幹左橋出血等立て続けに襲った病魔。

慢性肝炎、高血圧、糖尿病…

家からは通院の時以外外出したこともない、

毎日ベッドに横になっているだけの私。

激痛や、めまい、脱力、低血糖等で

何度も救急車のお世話になり、入退院を繰り返す夢も希望もない日々でした。

 

                   もう一度海外旅行に行くことを夢に見る

『元気になって、もう一度海外旅行に行きたい!!』

と言う夢は持っていました。

 

がその頃の私は、身体が全然言うことを聞きませんでした。

玄関先で、転倒して頭から地面に激突。

手も出なくて、いきなり顔面着地。

顔は血だらけ。お岩さん状態。

運び込まれた病院でも、どこから治療しようかと言う程あちこち傷だらけ…

気持ちと身体の動きが連動していなくて、

年がら年中、身体中あちこち傷だらけ。

 海外旅行どころか、成田空港迄も辿り着けないだろうと思われる私でした。

 

痛み止めの薬の副作用による霧視。

低血糖による脱力。意識朦朧等を経験して、

いよいよ寝たきり状態になるのではと覚悟。

 

生きて来た思い出に

Г死んでもいいから、もう一度海外旅行に行きたい。」

と主治医の川上正人先生にお話すると、

先生はГ行けるよ!!」と

力強く答えて下さいました。

 

 「車椅子でも連れて行く」と言う夫の力強い言葉。

夫は、何と、十年のパスポートを二人分用意してくれました!

そんなに長い間使える程生きていられるかしら

と思いましたが、

周りのみんなの熱意に応えようと、

目標は海外旅行と決めて、

前よりもより一層リハビリに励むようになりました。

 

座っていられさえすれば、目的地に着けるので、

痛くてもなるべく座るように心掛けました。

 

            日本と 時差の無いパラオでノンビリ!

不自由な身体では、団体旅行はとても無理です。

私は病気で何もかも錆び付いていますので、二人で

ノンビリ静養出来るパラオの離れ家風のホテルに決定。

 

パラオ

見るもの、聞くもの全てが新鮮

なのに

初めてなのに懐かしい!!

 

無言の戦跡に励まされました

 

海軍水兵だった父が生前話してくれたパラオ。

蒼、青、碧…

悲しい程に澄み切った空。

漆黒から無色透明迄全ての色のある海。

島のあちらこちらに散らばる旧日本軍の残した太平洋戦争の闘いの跡。

異国の地で戦死した旧日本軍の兵士たちの「もっと生きたい!!」と言う願いが私に移ったかのように、

もっと生きたいと言う希望、生きて日本や社会の為に役に立ちたいと言う力を貰いました。

 

 Г夢を叶える」言う大切な贈り物を貰ったパラオへの旅です!!