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「シティ」で「ポップ」なはずの山下達郎は、まだ発展途上だった日本が生み出した幻想だったのか。今となっては滑稽で悲しい

2023-07-11 22:13:10 | 山下達郎大好き
「シティ」で「ポップ」なはずの山下達郎は、まだ発展途上だった日本が生み出した幻想だったのか。今となっては滑稽で悲しい
7/11(火) 13:17配信
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集英社オンライン
音楽プロデューサーで作詞家の松尾潔氏が「スマイルカンパニー」との業務委託契約が終了したことを受けてのラジオでの発言が物議を醸している山下達郎氏。80年代、彼の音楽や活動を肌で体感し、リアルに眺めた作家の甘糟りり子氏が、今の思いを綴る。 【画像】2022年6月リリースのアルバム『SOFTLY』は大ヒットに

ラジオを聴いて頭をよぎった「忠誠」という単語

もう何年も前だけれど、ラジオで山下達郎さんが、アナログレコードとデジタル録音の違いをコップに水を貯めることに例えて解説していた。コップにバケツの水を入れようとすると溢れる、その溢れた部分が「グルーブ」といわれるもので、デジタルは水を注ぐものがコップではなく風呂桶サイズだから溢れるわけがない、みたいな内容だった。およそ頭が論理的でない私でも、「なるほど!」となった。 知性とは自分の頭で考え発言できる性質を指す。むずかしいことやぼんやりとしていることを噛み砕いて話せることは知性だと思う。山下達郎さんを知性のある人だと勝手に思い込んでいた。7月9日放送のラジオ番組「サンデー・ソングブック」を聴くまでは。あの日のラジオでの、ごくシンプルな話を、ずらしにずらし、こねくり回して、自己防衛に走る様子は知性とはかけ離れたものだった。 性暴力・性加害を知らなかったといい張るのはさて置き(スタジオに篭りきりで新聞も週刊誌もニュース番組もネットニュースもご覧にならないのでしょうか。もしかして、スマホをお持ちではないとか?)、松尾潔さんの「社長の記者会見を。これを機に膿を出し切って」「第三者委員会を設置すべき。事務所下にある再発防止チームではそれに当たらない」というごくまっとうで地に足のついた発言を、どうして「憶測に基づく一方的な批判」といい切ってしまえるのだろうか。 そして、性加害については「本当にあったとすれば、許しがたいこと」といったそばから、その疑惑をかけられているジャニー喜多川氏への敬意と賛美を重ねる様は、なんというか「忠誠」という単語しか思い浮かばなかった。いや、疑惑をかけられているというより、実際の被害者たちが次々と名乗りを上げている状況で、ラジオ番組を使い、その功績を長々と称えることの異様さに気がつかないことに驚く。「スマップ」「嵐」「男闘呼組」と解散・活動休止したグループの名前を次々と出したのも、唐突すぎて意図がわからない。 性加害について知りようがないからコメントを出しようがないというけれど、そこではなく、松尾さんのごくまっとうな発言がジャニーズ事務所に都合が悪いから、スマイルカンパニーが松尾さんを一方的に切り捨てたことへの容認が批判されていたはずだが、意図的にずらしているのか本当に理解していないのか。 幹部の如く松尾さんと事務所の契約内容などについて詳細を話す一方で、自分のことを「一タレント」といったり、「作品に罪はない」といったかと思うと、自分の発言を理解できない人には自分の音楽は不要といったりする。もしこの発言が原稿として校閲に出されたら、「?」の赤ペンで真っ赤になりそうだ。


最高におしゃれな三十秒だった、カセットテープのCM
私が山下達郎という名前を知ったのは1980年、カセットテープ「maxcell」のCMだった。細過ぎず太過ぎないジーパン(今でいうデニム)に白シャツ、生成色のジャケットというシックないでだち(ジャケットの袖はラフにたくしあげられている。今でいう抜け感がある着こなし)、場所は少しずつ明るくなっていく明け方の海。膝まで海に浸かり、長い髪をなびかせ、右手をピストルに見立て、人差し指でこちらを撃ち抜くような仕草をする。流れる歌はかの名曲「RIDE ON TIME」。最後に「いい音しか残れない。マクセル」というナレーションが入るだけ。性能をまくし立てたり、登場人物が派手に踊ったりおどけたり、そういうのは一切ない。最高におしゃれな三十秒だった。 山下達郎=クールで都会的というイメージが確立された。どろっとしていて湿っぽい「歌謡曲」や「演歌」の対極に位置する存在だった。 それ以降、テレビという下世話な箱の中に本人が登場することは滅多に(もしかしたら、一切かも)なかった。1982年に結婚したパートナーの竹内まりやはあの頃、西海岸的「和製アメリカン・ポップス」の歌い手で、こちらもからっとしておしゃれなイメージだった。二人が結婚した時、勝手に「東海岸」と「西海岸」のカップル誕生と思ったりもした。 80年代には「シティポップ」なんていう言葉はなかったが、二人の歌が醸し出すドライでファッショナブルなイメージはまさしく「シティ」で「ポップ」、…のだったはずだった。
リゾートホテルやディスコではなく、賭博場辺りをイメージして聞くべき音楽だったのか
加熱する報道を受け、松尾さんが日刊ゲンダイの連載「メロウな木曜日」にことの経緯を書いていた。それによれば、スマイルカンパニーと深い関係にあるジャニーズ事務所に物を申した松尾さんがスマイルカンパニーに存在し続けるのを山下サイドが認めるのはむずかしい、「なぜなら、三家(注・山下家、ジャニーズの藤島家、スマイルカンパニーの小杉家のこと)のつきあいはビジネスではなく『義理人情』なのだから」と伝えられたそう。家だの義理人情だの、任侠を連想させる単語が並ぶこの一文は衝撃的だった。「シティ」でも「ポップ」でもないし、都会的でもファッショナブルでもない。勝手にそんなイメージを抱いていた自分が滑稽でもの悲しい。リゾートホテルやディスコではなく、賭博場辺りをイメージして聞くべき音楽だったのか。 彼らが体現したように見えたシティポップはアメリカにあこがれる発展途上国だった日本が生み出した幻想なのかもしれない。

 
 





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