以下、武田邦彦さんのブログからコピーしたものです。
リンク・コピーフリーでしたので是非お読み頂きたいと思いupしました。
ハッキリしたこと(2) 4500億円と無策・増税
消費税を5%から10%にするようですが、その理由は「税金が足りない」と言われています。
聞いてみれば当然で、税金で生活している政治家や官僚が自分の給料や権益、
それに天下り先を増やそうというのですから、政治家やその後ろにいる官僚が増税を唱えるのは
「自分だけ得をすればよい」という今の日本ではよく理解できます。
増税の一つの理由として、「赤字国債が多い」からと言うけれど、
赤字なのに国債を出したのは政治家と官僚で、税金を増やすと票を失うから
いつも「国債」で払っておけば自分たちが浪費できる。
そして赤字になったから親(国民)に増税を迫るといううまい方法を考えたものです。
国民にしてみれば「国債を買いましょう」といって買っていたら、
その分だけ税金でとられた・・・考えてみれば国債を償還する力があるのは
国民だけだった・・・という訳です。
(拙著「国債は買ってはいけない」(東洋経済新社))
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3月11日に大震災、12日に福島原発が爆発しましたが、
まだ2011年度予算が執行される前で、国会で予算案が通っていない時期でした。
もし議員や官僚が普通の人たちだったなら、なにはともあれ震災対策や原発対策に
使用する予算を凍結し、人件費ぐらいは出すけれど、
あとは政策が決まり次第、執行するのが決断力というものです。
家計を考えたら判ります。3月11日に家族がなにかに巻き込まれ
急に100万円を必要とするようになっても、給料をそれまでと同じペースで
使っていくなどということはありえません。国家だから時間がかかるということもなく、
内閣が閣議を開いて決めればそれですぐにでもできることでした。
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特に原子力予算の使い方がひどいもので、毎年4500億円を使っています。
福島原発が爆発した後でも原子力関係者は「心から反省」をしなかったのでしょう。
4500億円から除染費用も、福島の人を助けるお金も一切、出さなかったのです。
それをマスコミ報道部はだまっていました。
汚染された農作物を全量、買い取るのに700億円。
NHKの教育テレビが「2000億円も除染にかかるなら、除染はできません」
と言いましたが、この両方を足しても、1年の原子力予算の約半分でした。
直接的には福島県がこの予算を要求しなかったのが致命傷になったのですが、
福島市は除染して綺麗な県を取り戻すより、汚染されたまま県民に
1年20ミリを被曝させる道を選んだのですから、しかたがありません。
福島県は原子力予算を十分に知っているのですから。
それに「焼却してもリサイクル」ということで
利権をとっているリサイクルが4300億円、ダイオキシン対策が1800億円、
それに温暖化では1兆円とも言われ、合計すると実に2兆円を超え、
納税者にとっては1年間2万円に当たります。増税は不要です。
思えば、「事業仕分け」で官僚にうまいことやられました。
実際に実施している事業の「細かい無駄使い」をいくら摘発しても
せいぜい数1000億円規模であることは最初から判っていました。
でもシナリオは、1)まず事業仕分けを体育館でやって注目を浴びる、
2)議員には思いきり過激な発言をしてもらうがシナリオ(何をとりあげるか)は
官僚に任せておくので肝心なものはでてこない、3)マスコミ報道部に取り上げて貰う、
4)たいした効果をもたらさないで終わる、5)「節約は限度だから増税する」という、
6)民主党の公約と全く違うが国民は2年経てば忘れてくれる、というものです。
まんまと引っかかりそうですが、これからでも遅くありません。
こんなに不誠実な政治家を選んでいれば子供たちの将来がないのは
当然でもあります。
(平成23年11月6日)
幕藩体制の時代にあって、バカ殿様が国 (藩) の城主となることになったら、大変である。奇異な言動により幕府に目を付けられるところとなって、お家のお取り潰しになるかもしれない。そうなれば、家臣たちは、路頭に迷う。忠臣蔵の悲劇である。
このような危険を回避するために、家老に責任を持たせて、バカ殿様の藩政に対する影響をできるだけ少ないものにした。
このような、我々祖先の知恵は、幕藩体制崩壊後の明治時代になっても存続し、今日に至るまで続いている。
カレル・ヴァン・ウォルフレンは、<日本政治再生を巡る権力闘争の謎> (2010年3月19日 中央公論) の中で、次のように述べています。
山県[有朋]は、慈悲深い天皇を中心とし、その周辺に築かれた調和あふれる清らかな国を、論争好きな政治家がかき乱すことに我慢ならなかったようだ。互いに当選を目指し争い合う政治家が政治システムを司るならば、調和など失われてしまうと恐れた山県は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような仕組みを導入したのだ。(引用終り)
日本人は議論が出来ない。議論ができない議員が選出されることになるので、選挙にも意味がない。問答無用の志士による果し合いによる決着ばかりが続いていては、この国の序列ある調和は失われてしまう。それで、近代日本は、家老に代わって官僚をおき、彼らに大きな自由裁量権を持たせたのである。こうした方策によりバカ殿様の国政に対する影響を少ないものにする。バカ殿様に関する我々の心配は、今日でもあまり変わっていない。ルーピーな首相に政治主導を唱えられても、国民はただただ困惑するばかりである。
宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。
宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)
こうした歴史的背景を考えれば、我々日本人はもっと英米から考え方を学ぶ必要がある。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812