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満足で幸せになっちゃうヒミツの方法教えます!

「幸せ」になるには、法則があります。

それは、学校では教えてくれません。

あなたにだけ「こっそり」教えます。

【せっかく人間なんだから】

2015-10-21 14:33:41 | 幸せの「考え方」
こんにちは。村岡民弥子です。

私が、「偏差値ではその価値を
語れない」自由の森学園という

中高一貫の学校に娘を入学
させている事について、
こんなご意見を頂きました。


Fさんより、

(自由の森学園は、)
これからの世の中を生き抜く
には、最高の学校なのでは…と
思います。

ただ、いざ自分の子を…となる
と相当の勇気が必要ですね…

親が学歴社会の教育を受けて
いるので…

今後は徐々に変わって行く
のが分かっているのに…

ーーーーーーーーーーーーーーー

これに対しての私の回答は、


そう、「生きる力」をつけて
いるのだと思います。
学園祭の準備を通しての
子どもたち同士の心模様を
聞いていても、様々な葛藤を
経験している事が分かります。

「勇気」というか、「覚悟」ですね。

先日、納得の話を聞きました。


資本主義社会は、
「リスクを取る事を決めた人」
の方が稼ぐ!


例えば、出産。
夫婦だけで自宅出産を選択した
としたら、万が一、出産時に
不測の事態が起きたとしても、

その責任を自分たちで受け止め
対処すると、
「覚悟」する訳です。


私が、助産院出産を選択したのは、

先天性異常と言われる障害の
中には、出産時の医師による
医療過誤もあるらしいと
聞いたから。

分娩台が、医師が作業を
し易いように「高く」して
あるから、

勢いよく生まれてきてしまった
赤ちゃんを落としたり、
無理に引っ張って首に
障害が起きたりする事があると。

一番は、陣痛促進剤による、
予期せぬアクシデント!


でも、そんな事実があった事は、
当然知らされず、

「残念ながら障害がありました」
と片付けられてしまうらしいと
聞いたのです。


そんなの絶対に嫌だから、
畳で産んで、促進剤も使わない
自然分娩の方が、

「人為的なリスク」回避が
出来ると思ったのです。

もし、その子ども自身に
生命力が無くて、生存が難しく
なった場合の方が、
納得して諦めがつくと思って。


この出産時に「何か起きたら」
訴えられるというリスクを、
医師は取っているので、

自然に生まれてくる力を
持っている赤ちゃんの誕生に
立ち合う事で、100万以上の
収入を得る訳です。


という話を聞いて、
本当に納得しました。

それなりの学歴を持って、
それなりの企業に就職すれば、
それなりの人生を送る事は
出来るでしょう。

リスクはありません。
(正確には、昭和の時代には、
リスクは無かった?)


でも、ほどほどそこそこの
人生を生きるだけ。

本当にやりたい事が別に
あるかもしれなくても、

それをする時間の自由を
人質に差し出しちゃっているから。



今朝、娘が、猫がウンチをする
のを見て、

「ももちゃんが、ウンチを
生みました~」って報告して
くれました。

飼い猫の仕事は、熱心に
お願いして、餌をもらい、
寝て、次の食事時間を待ち、
食べて、寝て、そしてウンチを生む。


誰も疑問を持たないけれど、

本当にやりたい事があるのに、
生きる為にその気持ちを諦めて、
会社勤めしている人は、
これに近いなーって感じて
しまいました。


リスクを避けてウンチを生む毎日。


たまに、呑んだり、旅行していれば、
ちょうど心地よいという
人の事まで否定しないけれど。


せっかく人間に生まれたから。

私は、やりたいと感じる事を
全部やってみて、それで路頭に
迷って、のたれ死んでも、
やっぱりそっちがいい!

と思ってしまいます。
父が自殺しているからなのでしょうか。


親の生き方が子どもに与える影響力は、物凄いのだと思います。

正に、背中を見せるしかない。



【生きている間に、あと何回?】

2015-10-13 23:38:45 | 幸せの「考え方」
こんにちは。村岡民弥子です。


2日も書き込みが出来ませんでした。
くたびれ果ててしまって・・・




なぜかと言うと、




73歳になったばかりの母に
ガラケーからスマホへの買い替えを
提案して、昨日ついに実施。


そのお蔭で大変な事になっています。




昨日、分かれる前に、
必要最小限のことを教えて
実家を後にして帰宅したのですが、


今朝、早速、
「何にも出来ない!」という
クレーム電話が!
「何に困っている?」と尋ねると、
昨晩教えた事ばかり。
それでも、全く記憶はないらしく、
メモしたはずの紙も見ないまま、


「もう、やっぱり止める!」




これ、母のいつもの事。



マンションを引っ越した時も、
「やっぱり引っ越さなければ良かった!」


冷蔵庫が壊れて買い替えた時も、
「こんな使い難いの、交換してもらう!」

完璧主義者であるために、瞬時に
今までと同じように、使いこなせないと
猛烈なストレスを感じるのでしょう。

今日は、朝から、5回。
合計6時間近く、
「さっきも説明したよね。朝から何回も」


こちらも、さすがに疲れてしまって、
ついつい、語気が荒くなって・・・



横で聞いていた娘に、
「どんなに怖く言ってるか、
ボイスメモで録音してみた方がいいよ。」と
指摘されてしまいました。



あー、本当にダメですね。

私は、父を自殺で亡くしているので、
「昨日が最後の日だなんて、思わなかった」
という思いを経験しているのに。

母との会話だって、
これが最後かもしれないのに。



そうで無かったとしても、
お互いに離れて暮らしていて
年に数回しか会わないのですから、


母が生きている間に、
あと何十回かしか
会えないかもしれないのに、

自分の仕事がはかどらず、
イライラしてしまって、
ついつい怒っちゃって・・・

あーあー。

これは、年齢に関係なく、
誰とでも、一緒なのです。

「今日が、この一瞬が最期だとしたら」
その意識を持って、事に当たらないと。




















【どうして一が一じゃない?】

2015-10-11 11:42:13 | 幸せの「考え方」
こんにちは。村岡民弥子です。

◯◯典礼のCMを見ていた娘が、
不思議そうに発した言葉。

「何で、万が一の時って言うの?」
「絶対に死ぬんだから、一が一よね。」

面白いなーと思いました。

何故って、結婚して一週間も
経過していなかった、ある日の
出来事を思い出したのです。


まだ「ガン告知」が今のように
一般的に行われていなかった頃、

私の生家では、もし家族の誰かが
ガンになったら、

私と母は、
「自分で人生の後始末をしたいから、
躊躇なく本人に伝えて欲しい。」

父は、
「余命いくばくもないと知ったら、
その瞬間から、生きる気力を
失うと思うから、教えないで欲しい。」

そういう取り決めをしていました。

家族の中の出来事は、
自分の家族のルールしか知らない
ので、それが当たり前と思いがち
ですよね。


私は、長男の妻になった訳だから、
当然、義父母についても
この「重要な事」を把握して
おかなければならないと思い、


お茶を飲みながら、何気なく、
「お義父さんたちは、どうしたい?」
と尋ねたのです。


その瞬間に、義父母も夫も
カチーンと空気が凍りつき、
暫しの沈黙。


やがて、義父が、
「そんな縁起でも無い事を
軽々しく口にするものじゃない」
と、いきなり不機嫌になったのです。


晴天の霹靂とは、この事!


私が嫁いだのは、「お寺」
義父も夫も、僧侶。


日々、亡くなった方々の霊を
彼の世にお送りするお手伝いを
生業としているのに、

自分の「その時」の事を
「縁起でも無い」と思っているとは!


結局、その話題に触れる機会は、
以後やって来ませんでした。


その家で生まれた、遺伝子も
受け継いでいる娘が、

死ぬ事は、「一が一なのに」と
サラッと言ってのける様子を
義父母が見たら、


「育て方が悪い」って
思われるのかなー。


死生観は、生き方に大きな
影響を与えますね。

いくつも離婚の理由はありますが、
私にとって、かなり大きなウェート
を占めていました。

「今日を生きている価値」を
感じたい!!


リウマチで寝た切りの時も
強く、その事を感じました。


私の今回の人生のテーマ
なのでしょうね。

それを、強く認識出来るように
用意された「出来事」


人生は、いつも完璧です!



枯れるように最期を

2015-10-10 23:07:06 | 幸せの「考え方」
川島なお美さんが、最期まで舞台に立てた理由

10年以上、「手厚い介護」で、
看取りまで行ってきている施設の方が、

自分たちのしてきたケアは、
「枯れて最期を迎える」という事を
邪魔していたのかもしれない。

この事をもっと考える必要が
ある気がすると仰っていました。

動物なら、「獲物、餌を自分で捕れなくなったら終わり」

人間だって、本来は、
「食べられなくなったら」
自然に最期を迎える準備に入る
タイミングという事なのですね。

漫然と生きるのではなく、
「いつか必ずくる死」を認識し、
準備して、生きる覚悟が大事ですね。

川島なお美さんが最期まで舞台に立てた理由

【見えない世界を信じる?】

2015-10-04 00:37:39 | 幸せの「考え方」
こんにちは。村岡民弥子です。

スピリチュアルと聞いて、
どんなイメージを持ちますか?


「ものごとは心でしか
見ることができない。
大切なことは目には見えない。」
サン=テグジュペリ(星の王子様より)

高校生の頃に、この本を読んで、
何となく、そうなんだろうなーという
程度で捉えていました。


それが、ある出来事を経験して、
「信じるしかない」と
思えるようになり、

更に、今は、
「信じた方が」生きやすい。
と思うようになっています。


信じる、信じないは、人それぞれだと
思うのですが、私に起きた出来事を
お話しますね。


結婚して、5年目。
娘が生まれて、2年半ほどした頃、
私のストレスは相当のもの
だったのでしょう。


何と、当然、強度の斜視に
なりました。

私には受け入れ難い現実が、
目の前で、日々起きる事に対して、

現実を見たくないという防衛反応が
働いたのかもしれません。


ある日突然、景色が全て二重に見える
ようになってしまいました。

数日絶っても、何の変化も無いので、
眼科に行くと、

「子どもの頃から、きっと斜視の傾向があったものが、
加齢に伴って強く出て
きたのかもしれませんね、」と

全く、治療の術がない様子なのです。


本当に絶望的でした。

手元の大根を切ろうとしても、
片目をつぶらないと、二本ある。

車を運転していても
(するなって話ですが!)
対向車線から・・・

同じ車が2台近づいて来るので、
すれ違う少し前に片目をつぶって
やり過ごす。


愛する我が子の顔さえ、抱いていても
二つ見えるのです。


一生、このままなのかしら?
さすがに、眠れぬ夜を過ごしました。


それでも、強がりの私は、
外で人と会う時には、何事も無い
素振りをしていたのです。


そんな時、霊感の強い友人が、
「目、おかしくない?」
と声をかけてきたのです。


事情を話し、別れた後、
夜になって、彼女から電話がかかって
きました。


「しばらく無視してたんだけれど、
どうしても、民さんに電話しろって
うるさいのよ。」と。

どうやら、「天からの声」が
そう聞こえたらしく、


明日、軽井沢に、「不思議な力」を
使える方がくるのだけれど、
一緒に行く?

と誘ってくれました。


もちろん、藁をもつかむ思いの私に、
断る理由はありません。


いくら無謀な私でも、
長距離の高速道路を
片目で運転する事は出来ず、
電車で軽井沢へ。

道すがら、車窓に流れる木々の葉は
全て二重になっていて、グチャグチャ。

まだ2歳の娘を抱きながら、
「この目のままだったら・・・」と
とめどなく、涙が流れてきました。


軽井沢のペンションに着き、
半信半疑のまま、その方に、

5分ほど、私の目に手を当てて頂き、
その翌日も、さらに5分。


たったそれだけで、


何と、何と、景色がクリアに!!!


帰りの新幹線から見えた、
一枚一枚がくっきりと見えた葉っぱを
私は一生忘れないでしょう。


そんな経験を得た事によって、
私は、「見えない世界」を
信じるしかなくなったのです。


そして、その後も、
更なる経験によって、

「信じた方が、人生がずっと楽になる」と変化していく事は、
順にお話しますね。


さて、今晩から、我が家は、
大天使にお越し頂いています。

たくさんのミラクルが
起こる事でしょう!

ワクワクです!!