時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

散る桜 残る桜も 散る桜

2021年04月20日 | 時のつれづれ・卯月 

多摩爺の「時のつれづれ(卯月の19)」
散る桜 残る桜も 散る桜 (亡父の四十九日)

残念ながら、私は帰省することが叶わなかったが、
昨日、実家に電話をすると、亡父の四十九日の法要を無事に済ませることができたと報告があった。
コロナ禍において、東京在住というだけで行動が制限されるのも辛いが、
お国の一大事ゆえに、さらには事の次第に分別がつく年代ゆえに・・・ 協力せざる得ないだろう。

例年より早く咲いた、父が自慢していた庭の桜も、すっかり葉桜になったようだが、
「これからゴールデンウィークにかけては、毛虫が出てくるから駆除が大変なのよ。」と、
母は愚痴を溢していた。

なにを言うやらと思いもするが、
少しでも気になることがある間は、母も元気に暮らしてくれるものと信じたい。

葬儀のあと、帰京する前日に手配しておいた満中陰志の発送も、
妹が確認してくれて・・・ こちらも、ひと安心
あとは6月の半ばに、二度目のワクチン接種が終わると、帰省して墓園へ向かい納骨することが叶う。
その日がいつになるのか、確約できないのは辛いが、母にはゆっくりと待っていてもらいたい


「散る桜 残る桜も 散る桜」という・・・ 良寛さんが詠んだ、辞世の句がある。
桜は咲いた瞬間から、散ることを宿命づけられていることに例えて、
人間は生まれた瞬間から、亡くなることが確約されていることを意味し、
致死率100%の「寿命」という・・・ 不治の病に罹っているということを教えている。

庭の手入れが好きで、毎年のように咲く桜も、父の自慢の一つだった。
昭和4年生まれの父にとって・・・ 桜といえば、
やっぱり鶴田浩二さんが歌う、台詞入りの「同期の桜」だろう。

正直なことを言えば・・・ 軍歌を賛美することは憚られるし、そのつもりは全く持ってない。
とはいえ、終戦が間近に迫った昭和20年の春、
悲壮な決意を綴った、特攻隊員の日記を暗唱する場面には、
戦争を知らない世代であっても・・・ 神妙な面持ちになってしまう。

父は予科練を目指していたというから、あと1~2年、大戦が長引いていたら、
同様の日記を残していた可能性もあり・・・ 切なすぎて心が痛む。

戦時下、戦後復興、高度経済成長などなど、父が足跡を残した昭和・平成・令和へと続いた92星霜
よりによって、最晩年に襲ってきた新型コロナウイルスという、想定外のバケモノによって、
残念ながら、対面での別れは叶わなかったが、
もし機会があったなら、私は親孝行ができていたのか・・・ それを問うてみたかった。

満開の桜を待つことなく、蕾が膨らみ始めたころ・・・ あなたは、静かに逝ってしまったが、
あなたにできなかった親孝行を含めて、母へは倍返しで感謝を伝えたい。
よって、寂しくて仕方ないのは分かるが、母を傍に呼ぶのは、しばらく待ってくれないだろうか。

散る桜 残る桜も・・・ 散る桜
ちょっと切ないが、私と母の花びらが、今日も1枚ずつ・・・ 風に舞っている。
空の彼方のあなたの元にも、飛んで行っただろうか?
見守ってくれていたら・・・ ありがたい。

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