時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

歴史に刻まれた開会式

2021年07月24日 | 時のつれづれ・文月 

多摩爺の「時のつれづれ(文月の24)」
歴史に刻まれた開会式(東京2020)

12時47分、都内上空にブルーインパルスが五色のスモークを使って五輪を描き、
20時13分、天皇陛下のご臨席を賜った国立競技場に、
世界の各国・地域から集まったアスリートたちが入場すると、
2,000機のドローンを駆使したセレモニーなどが行われ、
大会組織委員会会長、IOC会長の挨拶を経て、天皇陛下が高らかに開会を宣言した。

すったもんだを繰り返しながらではあったが、
史上最多の33競技339種目に、204カ国・地域と難民選手団を含む、
約11,000名アスリートが集結して、東京2020が・・・ いよいよ始まった。

海外のメディアがどのように捉えて、どのようなコメントを添えて配信したかは分らないが、
おそらく、国内からは「ダサい。」だの、「ショボい。」だのといった声が上がってくるのだろう。

とはいえ、コロナ禍に配慮して、
世界各地で亡くなった多くの方々を偲び、黙祷を捧げる時間をつくり、
国旗や大会旗の掲揚には、医療従事者やエッセンシャルワーカーが関わるなど、
派手さを抑え、シンプルで落ち着いたなかに、歓声と拍手を求めることなく、
静かに心に届けるメッセージが織り込まれた、実によく練られた開会式だったと思う。

ここまでの道程を振り返れば・・・ 決して順風満帆だったわけではない。
大会を招致した都知事、JOC会長、組織委員会会長が、
自らのスキャンダルで、相次いでその任を離れ、開幕迫った直前にはアンチの人々が泣いて喜ぶ、
とんでもないスキャンダルが続き・・・ 激震の連続だった。

開会式や閉会式のセレモニーの企画運営に関わる、重責を担ってた3名の文化人たちが、
晴れやかな舞台で、賞賛の拍手を受けることなく、
顔が見えず、声も聞こえない、SNSや書面というツールを使って、
それらしき殊勝な文言を並べて、お詫びを述べると・・・ 相次いで、そそくさと退場していった。

自ら辞任を表明した2名の文化人(音楽家と絵本作家)は、
学生時代に自らが関わった陰湿なイジメを、武勇伝としていたことが、
オープンにされると・・・ あっさり白旗を上げたが、
一方で行き過ぎた過ちとは云え、学生時代(未成年のころ)の過ちについて、
誠意を持って事前に詫びを入れていれば、このようなことなかったと思うし、
ここまで叩かれることはなかったと思うが・・・ 自らの才能に自ら蓋をするはめになってしまった。

また、解任された1名の文化人(元芸人の演出家)は、
あろうことか、ナチスのユダヤ人虐殺を揶揄するネタで、
動画を作っていたことがバレてしまい、辞任を求められる間すら与えられず解任されてしまった。
彼の場合は、その出来事が23年前とはいえ、
既に成人であり、仕事としてやってしまったことを看過することはできない。

いかに当時の若者たちの風潮が、そうであったとしても、
そのことを謝罪して前に進んでないのだから、その結末は・・・ 言わずもがなではなかろうか?
また、海外からの反響と抗議を、真摯に捉えて謝罪するなら、
書面だけの謝罪は極めて薄っぺらで、土下座までする必要はないと思うが、
キチンと会見して頭を下げなければ・・・ 禊ぎを済ませたとはいえないと思う。

こういったことが起こると、必ず起こるのが責任の所在だ。
大会の運営に全責任を負う、
組織委員会の会長(政治家)と事務総長(元官僚)にあることは間違いないが、
一方で彼らはクリエーターではなく、セレモニーで挨拶することはできても、
企画し運営する知識など持ってるわけではない。

よって・・・ 責任者は、クリエイティブな仕事を専門とする会社に、
条件を示して仕事を委託(丸投げ)する。

いわゆる・・・ 仕事の業務委託契約であって、契約書がオープンになれば、
受託した会社が、委託先から提示された条件を守ってなかったことが判明するのだろうが、
それはできないだろうし・・・ だからといって、受託した会社が表舞台にでて謝罪することはなく、
委託元が全責任を負うということになるのが、いまのこの国にある責任の取り方である。

大会事務局が「クリエイターたちの身体検査をやってなかったのか?」という声が一斉に上がった。
尤もだと思うが、それもこれも含めての契約だから、
事務局は決して開き直ることはしないものの、彼らにも言い分はあって、
受託会社に対し・・・ 「お前ら、なにやってんだ。」ということなんだろう。

さまざまな分野で分業が進み、餅は餅屋でなくては、良い仕事が困難となった社会では、
一つの仕事を企画立案し、作り上げ、人々に提供する過程において、
契約上の責任と、社会的な責任において、責任者が違うということを、
いったいどう捉えるべきなんだろうか?

どこかで、誰かが儲けている、商業主義を忌み嫌う人々は多い。
しかし、スポンサーを排除し、アマチュア精神に則り、
税金とボランティアだけで開催できる、国際大会などはないだろう。

主催者があって、それに同調するスポンサーがいて、
様々な場面に分業された仕事を受け持つ人々がいて、
時に為政者がそこに絡み、アスリートたちが繰り広げる熱い戦いに、人々は拍手し喝采を送っている。

賛否両論が渦巻くなか、いまや解決不能となった、
さまざまな疑問を投げかけた・・・ 東京2020がスタートした。

世界がコロナ禍に喘ぐなか、歴史に挑戦し「東京2020」の名を刻む、
意義ある大会であってほしいと期待しつつ、
「やって良かった。楽しかった。」と、笑顔に溢れる大会であってほしいと願ってやまない。

追伸
あえて一つ、不満だったことがあるとすれば、聖火の最終ランナーが大坂なおみさんだったこと
ワールドレベルの、彼女の実績にイチャモンつけるつもりは全く持ってないが、
彼女は、今回のオリンピックに初出場する選手である。

ハーフであることや、心の病と闘っていることにメッセージ性がないとは云わないが、
オリンピック4連覇の伊調馨さん、
オリンピックで名言を残した東京下町のゴールドメダリストの北島康介さん、
冬の大会の選手ではあるが、東日本大震災の被災地出身のメダリスト羽生結弦さんがいるではないか?

オリンピックで数多の感動を生み、国民の多くを歓喜させてくれた選手に、
敬意を払うべきではなかっただろうか?

さらに、大坂さんは聖火の最終ランナーを受けたことにより、
今後の自らの振る舞い(ラケットを蹴飛ばすなど)に対し、聖火ランナーとしてあるまじきといった、
批判や小言が付き纏うことになると思うが、そこまで考えていたのだろうか?
老婆心ながら、最終ランナーを受けたことを・・・ 悔やむ日が来ないことを願ってやまない。

そして、腹立たしかったことが一つあったので、これだけは記しておきたい。
あえて、どこの国とは云わないが、2カ国ぐらいだったと思うが、
マスクをせずに入場行進した国があった。

国民性なのか、それとも知的レベルなのか、
はたまた確固たる意思を持ってのことなのか、そこんとこは分らないが、
汚い言葉を使いたくないと思いつつも、
このような一握りの筋肉バカたちが、大会を台無しにすることがないよう願ってやまない。


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