時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

いまどき踏み絵を求める違和感

2022年08月19日 | 時のつれづれ・葉月 

多摩爺の「時のつれづれ(葉月の34)」
いまどき踏み絵を求める違和感

ここんとこ、テレビを付ければ・・・ 朝から晩まで、
政治と宗教について、ああでもない、こうでもないといった議論が繰り返されていて、
ウクライナがどうだとか、台湾がどうだとか、防衛費がどうだとか、
コロナがどうだとか、経済対策がどうだとか・・・ 大事な課題が隅っこに追いやられている。

先の内閣改造で任命された大臣や、副大臣、政務官のコメントが、正直だったかどうかは別にして、
取りあえずは、申し訳なさ程度に頭を下げてるし、
今後はケジメをつける(関わりを持たない)と言ってるが、
それでも信用できないと突き放すんだから、
メディア各社は・・・ なにを言っても許さないとの姿勢を貫こうとしている。

予め断っておくが・・・ ここから述べることは個人的な思いであって、
本件に関して、同調を求めているわけではないし、論争するつもりもないので、
そこんとこだけは、ご理解いただきたいし、
議論になりかねないようなコメントは、申し訳ないがご遠慮願いたい。

政治と宗教についての考え方は、人それぞれだが、
そもそも宗教が政治に関わることは、内閣法制局の見解で何ら問題なく、
政治が宗教に関わり、便宜を図ることは許されていない。

これが政教分離だが・・・ これを知らないというか、勘違いしている人が多く、
常にそこんとこが批判の的になっており、いい加減に学んだらどうかと思いもするが、
宗教とビジネス(霊感商法など)、さらには反社会的行為(脅迫や拘束など)は、別問題なので、
これについてはハッキリ切り分けて、当該宗教団体の活動について早急に精査し対処すべきである。

たんなる勘違いというか、知らなかったことについては、学べばいいだけだから、
そのことについて、どうのこうの言うつもりはないものの、
最近なんとなく不気味に感じているのは、
結論ありきで・・・ 頭ごなしに、否定から始まっていることである。

当該宗教団体が、キリスト教系だから云うんじゃないが、
まるで江戸時代の・・・ キリスト教禁止令のよう見えて仕方がない。

本件に関するメディアの報道姿勢は、まるで隠れキリシタンをあぶり出そうとするかのように、
上から目線で質問を浴びせたり、ワンイシューのアンケートで踏み絵を踏ませて、
なにか見つかると、問答無用で「神妙にせい。」としていることに・・・ 違和感が隠せない。

総理は今回の内閣改造で、要職に就いたものに対して、当該宗教団体と関係があったか否かを点検し、
その上で厳正に対処する(関係を切る)ことを約束させているが、
それを信用しないというのだから・・・ 残された解決方法は、全議員が関係を明らかにした上で、
解散して、総選挙をするしかないが、いまのところ、そんな声は聞こえてこない。

言論の自由、報道の自由、さらには・・・ 知る権利があるとはいえ、
いまメディアがやってることは、怒りにまかせて煽りに煽り、国民に同調圧力を求め、
関係する議員や、政府の要職に就いている者に対して、お前たちは真っ黒で、とんでもない奴だと、
レッテルを貼っているように見えるが・・・ 間違っているだろうか?

そもそも、論点としなければならないのは、
当該宗教団体を特別扱いして、便宜を図ったか否かだと思うが、
それが論点になってないし、
あくまでも、いまのところだが・・・ そのような証拠が出ているわけでもない。

個人的には、それでも・・・ この宗教団体がやってる高額な寄付は、どうみてもやり過ぎだし、
議員がこんな団体と繋がりを持つなんて、もっての外だと思ってはいるが、
この国は法治国家であり、お隣の国にように、感情で判断する人治国家ではない。

当該宗教団体が名称を変更したことに、便宜が図られたと推論でもの言う元官僚もいたが、
国家の転覆を企てたオウムが、アレフに名称変更しているのに、この団体はなぜダメなのか?

当該宗教団体を、庇うつもりはないし、贔屓したいわけでもないが、
その理由について、国民が納得できるよう、オウムと比較した説明をしてくれなきゃ、
当該実務に関わった、元官僚ともあろう方が、好き嫌いで・・・ もの申しているに等しい。

論点の一つでもある、霊感商法は消費者契約法の改正で、既に対策がうたれていて、
「問題にするな。」などと言うつもりはないが、
論争の舞台は、メディアの場ではなく、司法の場にあるはずである。

また、もう一点の論点であって、最大の論点でもある高額な寄付については、
法律の専門家じゃないので、詳細は分らないが、どうやら法律に明記されてないようなので、
ここにフォーカスして、徹底した議論をするなら、それはそれで大事なことと思う。

とはいえ・・・ あってはならない脅迫や強制を含め、マインドコントロールは論外としても、
信仰の核心に触れた信者が、信仰心を表わした寄付や布施に対して、
政治が介入して、その多寡を勝手に決めていいものかという疑問は拭えない。

寄付の限度額を法制化することについて・・・ 個人的には反対でないものの、
正直言って、これを整理して法律に明記するのは、困難を極めると思うし、
仮にそれが整理できたとしても、いったいだれがどうやって監視していくのか?
宗教団体のみならず、様々な団体や結社が対象となってくると捉えれば、影響は途轍もなく大きい。

監視せずに、相談や訴訟に任せるのであれば・・・ いまとなんら変わらず、
高額な寄付によって、家族が不幸に陥った場合、罰する基準が明確で容易になるものの、
寄付額と、弁護士費用を天秤にかければ、
実際問題として、泣き寝入りする家族が出てくることもあるのではなかろうか?

だとすれば・・・ まさかだが、公安の捜査対象とするか、
そうでなければ、戦時中の特高警察のような組織に対応を求め、監視するしかないが、
それをやってしまうと、別の意味で大問題になり、恐ろしい社会になるだろう。

また、寄付の限度額を法制化すると、
自治体に、億単位の寄付をする奇特な人がいても、全額が受け取れない場合もあるだろうし、
その方の遺産の相続人が、寄付に納得してないこともあったりすれば、
そこでまた、新たな揉め事が起こることもあり、寄付が受け取りづらくなるのではなかろうか?

これは余談だが、戒名や仏事、法事に、タリフ(料金表)が設定されたら、
お寺さんは堪ったもんじゃないだろうし、
「ふるさと納税」で税収が減った自治体からブーイングが出て、
改正を求められることもゼロではないと思うが・・・ 如何なものだろうか?

さらに・・・ 選挙の際のボランティアについても問題視されている。
ボランティアに来た人物の信仰や、背景を調べてから手伝ってもらえという声もあるが、
その費用は、いったいどこから出るのか、
そもそも見返りを求めない奉仕だから、身上調査もしない・・・ それがボランティアなんだと思う。

ボランティアから入って、それを利用しようとする輩は、ゼロではないと思うが、
性善説のボランティアに、疑いの目を向けてしまうということは、
人を信用しない、心の貧しい国になって行くことになるが・・・ それで、良いんだろうか?

また、当該宗教団体に、国政選挙で当落に影響するほどの力があるわけでもないし、
影響があるとすれば、参議院比例区の党内順位を決める部分ぐらいで、
彼らが求めるリターンは、おそらくボランティアで繋がりを作って、
教団のイベントに出てもらったり、祝電やメッセージを求めて、
当該宗教団体の・・・ ステータスを上げるぐらいとの声も出ている。

けっして、影響力が少ないからそれで良いというのではないが、
それでもボランティアの素性や関わりを、厳しくチェックしなければならないのであれば、
宗教団体だけじゃなく、労働組合や各種団体や結社を巻き込んだ幅広い議論が必要となるし、
確認する手間と、相応のコストがかかることも忘れてはならない。

ぐだぐだと書いてしまったが・・・ そろそろ纏めたい。
報道の自由は尊重すべきだが、
いま、この国のメディアは、法律の判断よりも少し高いところから、
客観性よりも、主観を最優先させて、情報を垂れ流し・・・ 裁きまで下してないだろうか?

人間だから、感情に左右されるのは致し方ないことだが、
法治国家のメディアが感情に任せて、お隣(半島)の人治国家を真似しているように見える。
ここにきて鼻息荒く、フライング気味に垂れ流すメディアの報道は、
はたして、国民が求めていることなんだろうか?

事実を正確に伝えるのが、メディアの仕事だと思っていたら、
警察が介入する刑事ならいざ知らず、警察が介入することのない民事において、
メディアが、勝手に白黒を付けて、国民に同調圧力を仕掛けているような気がしてならない。

昨今のメディアや、野党の姿勢や発言を見ていると、
踏み絵を求めるだけなら・・・ まだしも、
とんでもなく堅苦しい地雷(制約)を求め、書き物(法律)にしたいように見えてしまう。

70年弱の人生経験を積んできた、年寄りとしては、少々口が過ぎているかもしれないが、
そういった疑念が、イマイチ拭いきれないし、
悪い熱にうなされているような気がするのは・・・ 私だけだろうか?

過去には霊感商法があり、いまは高額寄付だから、常にトラブルを抱えていたにも拘わらず、
政治もメディアも無関心だったことは・・・ ちょっと悲しいし、
なんで今頃になってと思いもするが、元総理の事件がなければ、そのままだったのかもしれない。

ハッキリ言って、法律には触れてないものの・・・ 政治家として道義的な責任は、やっぱりあると思っているが、
だからといって・・・ 道義的責任をいくら追求しても、
その先に生産性がないことも、仕方のないといっちゃ身も蓋もないが、事実ではなかろうか?

そう捉えれば・・・ 国民に疑問を投げかけるまでが、メディアの仕事であって、
裁きを下すのは、メディアの仕事ではないと思うが・・・ 間違っているだろうか?

あくまでも、個人的な思いになるが・・・ けっして、批判が悪いと言ってるわけではない。
政治家が迂闊だったことは間違いないが、大なり小なり頭を下げている。
にも拘わらず、情け容赦なく政治家を糾弾しても「ゴメン。」に続く言葉は見つからない。

最も大事なことは、政治家とこの宗教団体との関わりが、
この国の政治や行政を、歪めてしまっていたのか、否かであって、
論点はそこにあると思うが・・・ メディアは、その論点をないがしろにしている。

そう捉えれば、メディア主導での批判が度を過ぎてしまい、メディアが強い力を握ってしまうと、
翼賛会的な偏った思考に、誘引される恐れがあり、
けっして好ましいことではないと思うが・・・ 如何なものだろうか?



老婆心ながら、気になるのは・・・ 当該宗教団体が「窮鼠猫を噛む。」という諺にように、
この国のメディアの報道に、行き過ぎた内容があるとして、
国際的な人権団体などに訴えた場合、
メディア各局の責任者や、番組のMCや、コメンテーターは対峙することができるのだろうか?

また、当該宗教団体が企画したイベントや、発行している書物や、雑誌などに、
メディア各局は、協賛したり、広告を出したりしてないのだろうか?

テレビを見ているだけの我々には、どうでも良いことだが、
法律に触れない部分を、嫌みたらしく、執拗につつきすぎてしまうと、
痛烈なしっぺ返しにあって、赤っ恥を掻くようなことも想定され、
要らぬ心配だが、不穏な空気感があって・・・ 少し、胸騒ぎがしている。

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4 コメント

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おはようございます。 (アリス)
2022-08-19 08:45:43
いつも拝読しておりますが相変わらず切り口が鮮やかです。
ご主張している事には同意で全く異論はありません。

こういう問題はなかなか本音をズバリと表現できない。
これらは言論の自由を阻害している懸念があります。
逆に言えば、それだけ言論は弾圧されていると言えます。

例えば、公〇党と創〇学会はどうなのか?話題が多い?
この点は政府も公正に考えられない弱点があります。

ですが、宗教の何処が悪いのか?この点ですが法律の
中で犯罪行為があったのかなかったのか?だろうと思います。

或いは、犯罪行為であっても法制化されていなければ
罰することが出来ません。

従って、後出しジャンケンより法律改正が先決です。
どう考えても、宗教を含む全ての団体・組織・グループの
政治活動を真剣に見直す必要があると思います。

私の意見は、国家にとって最も大事な政治ですから
個人的な応援は良しとするが、企業・団体・グループ等
の応援活動にはある程度の合理的な制約が必要だと思います。

しかし、これ等が対処できるのは公安を初めてとして
司法の役割だろうと思います。ここが居眠り状態では
世の中は良くなりません。しかし、司法も人間です
から相当に汚染されている事が大問題だと言えます。
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Unknown (多摩爺)
2022-08-19 09:37:04
アリスさん、恐縮です。

このネタは、ここ1週間ぐらい前から、ずっと気になっていて、いつか書きたいなと思っていました。
頭のなかにあっても、文章にするのが難しいネタでしたが、
なんとか纏めることができたかなと思っています。

お金はありませんが、時間はたっぷりある爺さんですが、アリスさんのように、内容を掘り下げることができないまま、
1~2時間で綴っているので、軽い文章になっていて、稚拙な表現もありますが。
そこんとこだけは、割り引いていただければと思います。
こんごともご贔屓いただければ幸甚です。
ありがとうございました。
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その時だけの騒ぎで! (yamaguti2520)
2022-08-19 16:52:53
その時だけ騒いでいるような気がしてなりません!喉元過ぎれば熱さを忘れるみたいな感じです。今のマスコミには問題がありますネ❕今だけ騒ぎあとは野となれ山となれそんな感じです。これで良いのかな~
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Unknown (多摩爺)
2022-08-19 18:49:00
yamaguti2520さん、こんばんは

議員が関係を持つには、道義的には問題があると思いますが、法律に触れてるわけではありません。
訴訟に至っている案件は、金額的には大きいようですが、件数的には数件だとテレビによく出る弁護士さんが言ってました。
数件であろうと、それが引き金となって元総理が亡くなっているので無視は出来ませんが、
政府や与党議員のチョンボ(道義的問題)をしつこく責めても、謝罪の先には生産性がありません。
国会で嫌みったらしく追求する野党議員を見ていて、改めて彼らには任されないなと思いました。

それはそうと、お元気になられたようで安堵してます。
奥様を大事にしてあげてくださいね。
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