時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

西瓜にまつわるトラウマ

2020年08月08日 | 時のつれづれ・葉月 

多摩爺の「時のつれづれ(葉月の5)」
西瓜にまつわるトラウマ

小学校に上がる前だった記憶があるから、
おそらく5~6歳の頃(昭和30年代の初め)だったと思う。
あの日から60年以上が過ぎたというのに、私にはどうしても拭いきれないトラウマがある。

閑話休題、この時季が旬で、とっても美味しいフルーツといえば、なんてたった西瓜だろう。
桃や葡萄も美味しいが、西瓜はなんてたってお手頃な価格だから嬉しい。
大きく切られた西瓜に、がぶりと食いつく光景は、
子供が居ようが居まいが関係なく・・・ 夏そのものだと思う。

しかし、私には・・・ 西瓜を食べたという記憶がない。
アレルギー等があって、食べられないのではない。
自らの強い意思というか、一つのトラウマが原因で心が食べることを拒否しているのだ。

お盆に父や母の実家に、いとこたちが集まると、婆さんは必ず西瓜を切ってくれていた。
しかし、私には縁側に座って西瓜を食べ、いとこたちと種の飛ばしあいをしたという記憶が全くない。

私の記憶によると・・・ 当時、住んでた家の裏は農地で、けっこうたくさんの畑が作られていた。
おそらくこの時季なら夏野菜や、西瓜などが作られていたのだと思う。
畑を含むこの辺りは、野菜を洗うため池があったり、
木登りできる程度の木があったり、小川が流れていたりで、
子供たちは秘密基地を作ったりする、かっこうの遊び場でもあった。

保育園から帰ってくると、年齢が近い男の子たち4~5人で、いつも遊んでいたが、
ある夏の日、ひとりの仲間が、目の前にある西瓜を指さし、
「喉が渇いたから西瓜を食べよう。」と言ったら、
別の仲間が「西瓜を割って食べちゃ叱られるから、西瓜の汁を吸おう。」と言った。

「どうやって吸うんだよ?」と、誰かが聞くと、
一人の仲間が「一寸待ってくれる?」と言い、家に戻って割り箸とストローを持ってきた。

そして・・・ 4~5人の悪ガキたちは、次から次に西瓜に割り箸を突き刺し、
できた穴にストローを突っ込むと「美味い。美味い。」と言いながら、
西瓜の汁を片っ端から吸い始めていた。

何分ぐらいやっていたのか・・・ その記憶は殆どないが、
2~3日そんなことを繰り返していたのだろう。
結果的には、一つの畑に出来ていた西瓜の大半に、割り箸を突き刺す悪事を働いてしまった。

それから数日経った、ある日の夜だった。
何度か挨拶したことがある、ご近所の優しそうなオバサンが、鬼の形相で家にやって来た。
オバサンの後ろには、俯き加減で元気のない遊び仲間の母親たちと、泣き顔の遊び仲間もいた。

玄関に出た母は、びっくりして・・・  「どうしたんですか?」と問うと、
「どうしたもこうしたもありません。」とオバサンが云うと、
「あなたの子供と、この子たちが、私の畑の西瓜を全滅させたんです。」と捲し立て、
泣き出してしまった。

あまりの剣幕だったことと、あまりに幼かったことから、
当時そのような出来事があったことぐらいしか覚えてないが、
その光景が記憶にあるんだから・・・ 事の顛末は、そんなもんだったと推察する。

その夜、母からこっぴどく叱られ、父からはゲンコツを食らったことは記憶にある。
母が云うには・・・ 割り箸を刺したところから腐り始めるので、もう売り物にならないらしい。
幼心に、とんでもないことをしてしまったことだけは、なんとなく分かったが、
直後に父が発した、厳しい厳しい一言が
その後、60年経っても消えることがないトラウマになってしまった。

「お前は一生かけて食べるぐらいの西瓜を腐らせたんだから、もう二度と西瓜は食べなくていい!」
きつい一言が頭の上から・・・ 雷とともに降ってきた。
たった一言だったが、この一言が、西瓜嫌いというか、
西瓜を食べないようにしてしまうのだから・・・ 言葉の力は凄い。

あれから60年経つが、私は未だかつて一度も西瓜を口にしていないし、
我が家の食卓に、西瓜が上ることもないんだから極端すぎるが、
これは本当のことで、けっして嘘ではない。

結婚して、子供ができて、女房が西瓜を買って来ても、
それは子供用であり、私が口にすることは全く持ってあり得ない。

あの事件から4~5年経ち、小学校の高学年になった頃、我が家は引っ越すことになり、
当時の遊び仲間とは離れ離れになり、西瓜畑を毎日見ることも無くなった。

その年の夏休みだったと思う。
遊びに行った母方の実家で、祖母が従弟たち皆に西瓜を切ってくれたが、
見向きもしない私を不審に思い、祖母が母に訊ねた場面を・・・ いまでもハッキリ覚えている。

母と祖母の会話はこうだった。(これは、よく覚えている。)
西瓜畑のオバサンは、戦死されたご主人の遺族年金と、西瓜や野菜などを作って生計を立てていて、
ダメにした西瓜を、みんな(悪ガキ仲間の親たち)で弁償したという話だった。

この話も・・・ 大きな衝撃だった。
当時の私は、中学生になったら、西瓜の復活宣言でもしようかな?なんて、
密かに思ってた矢先にこの話である。

これは拙い。
小学校の高学年といえば、ものの分別が分からない5~6歳とは違う。
母と祖母の会話で、事の顛末を改めて知ることになり、父の雷以上の強い衝撃に打たれてしまった。

とんでもないことを・・・ していたのである。
私(たち)は、とんでもないことを・・・ やらかしていたのである。
それが、父からの叱責を超えた、自らの自覚というか決意として、
「もう西瓜は食べない。」と決めた瞬間だった。

そんなことがあったなんて、女房も知らないし、子供たちも知らない。
両親だって・・・ もう忘れてるかもしれない。
そのことについて、喋る必要がないから、
こちらから喋ることがないまま・・・ 60年超の時間だけが過ぎている。

そして、私の償いというか、トラウマというか、拘りは・・・ きっと、これからも続くだろう。
いまとなっては、それで良いとさえ思ってるんだから、変わり者の爺さんだが、
そんな奴がいても・・・ 良いんじゃなかろうか?


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