時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

予め正解があるわけではない。

2020年03月01日 | 時のつれづれ・弥生 

多摩爺の「時のつれづれ(弥生の1)」
予め正解があるわけではない。

2月28日、総理が重たい政治決断をくだした。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、全国の小学校、中学校、高等学校に対して、
地域や学校の実情を踏まえたうえで、
各自治体が工夫して3月2日より春休みまで臨時休校することを要請した。


「唐突である。」「違和感がある。」「社会が崩壊しかねない。」などと、
辛らつなコメントを発する自治体の長がいた。


一方で・・・ 「もっと早く出してもよかった。」「幼稚園まで含める。」などと、
好意を持って呼応する自治体の長もいた。


さらには、既に自ら判断して休校の指示をだしたうえで、

緊急事態宣言まで発して、今週末は不要不急の外出を控えてほしいと呼びかけた自治体の長もいる。

野党はというと「撤回を求める。」だとか、「支離滅裂だ。」などと、
想定どおりのコメントを大幹部が繰り返している。

もはや国難ともいうべき課題であるにも拘わらず、なんでも反対の姿勢を崩さないばかりか、
対案を出すわけでもなく、大事な審議時間をいたずらに費やすだけだから、
こと新型コロナウイルス対策に関しては、期待の欠片すら見出すことができない。

これから向かわなきゃならない先に・・・ 予め正解が用意されているわけではない。
考え方は人それぞれだから、
どんな判断をしても、なにをやっても反対意見をもってる人は少なからずいる。


ましてや、「あっ!」というような大きな判断をすれば、
そのしわ寄せがいろんなところに波及するのは・・・ 当然だろう。


教育現場で、家庭で、保護者の勤務先で、社会システムで
準備や検討する時間が必要だというのは尤もだが、

だからといって、時間をかければ良いというものでもないんじゃなかろうか。
むしろ時間をかけて議論を繰り返すことによって、大事な行動が遅れ、リスクが拡大する恐れもある。

地域事情を熟慮したうえで、総理が要請した日からの休校はできないと判断した自治体の長もいた。
それで良いんじゃなかろうか。
さらには・・・ 決めるだけ決めて、あとは地方に丸投げだとの意見もネットには散見している。
意見はあっても良いが、それがどうしたというんだろうか。

個人的には、その後の適用が安易になってしまう恐れと、
移動制限等の強制力からみて緊急事態宣言には躊躇するが、
もし、政府(総理)が緊急事態宣言をだせば、
いまの法律では指定された地域の対策は、都道府県知事が担うことになる。


今回はその寸前だとの想像力があれば・・・ 丸投げの何が問題で、どこが悪いのだろうか?

都道府県知事は、当然の如く事態の進行と対策を先読みしておくべきであって、
「いまさら・・・ 」などど不満を言ってる知事は、想像力が乏しく、
何も考えてなかったと自白したに等しい。


指示を受けなきゃ、何も考えない、何も行動しない自治体の長が、もしいたとすれば、
その方が大問題ではなかろうか。

現場を知らない中央から、一から十まで具体策を指示されたら・・・ それこそ堪ったもんじゃない。

立場の違い(統治機構の上下関係)があるとはいえ、
プライド意識と被害者意識が意地を張り合ってる場合じゃない。


丸投げされてからが、現場力であり、知恵比べであり、辣腕(らつわん)の奮いどころだと思うが、

それが問題だというんだったら・・・ 現場は「自信がない。」と言ってることに等しい。
申し訳ないが、そんなことも考えられず、
口を開けば愚痴ばかりの自治体で、これからも生活したいとは思わない。


また、何かにつけて生活の保障をしろというのは、ある程度は理解できるものの、
一方では、如何なものだろうかとの思いも拭えず、
何でもかんでも政府にお願いということには同調できない。


天変地異だけじゃない、半島の暴発まで加えれば、
不測の事態(災害)は、いつ、どこで起こるか分からないのが常識なのに、

日本人にインプットされた遺伝子には、
災害と云えば地震や台風などの自然災害だけだと決めつけている節があり、

今回のような新型コロナウイルスは、病気の一つと捉えられ、災害ではないと決めつけている。
さらには、中国・武漢発の人災だと決めつけている人もいるだろう。

だから今回のような事態が起こった時、自ら判断して行動することを傍らに置き、
災害じゃないのに、水際で防ぎきれなかったことを責め、政府の対応が悪いと声高に批判をする。

ちょっと待ってくれ!
何年か先には、首都圏や東海、東南海に震度6クラスの大地震が起こるだろうと、
近年は云われ続けているのに、

あまりにも他人任せで・・・ 危機管理意識の欠如に加え、想像力が乏し過ぎると言わざる得ない。

もちろん、物の備えや、財力の備えも必要だが、
まずは平時から「心の備え(心構え)」を養うことを忘れている。


とは言うものの、確かに唐突だったかもしれないし、もっと早く判断すれば良かったかもしれない。
思いや考えは人それぞれだが、ただ一つ総理の要請でハッキリ分かったことがあったとすれば、
普段は気にもしてなかった自分の生活エリアで、
トップが考えていた危機管理への取組み姿勢が判明したことぐらい、

これを知ったことは大きいし、次の投票行動にもつながるんじゃなかろうか。

初めての体験ゆえに、なにをやっても後手になることは、もはやどうしようもできないことなんだが、
最前線の現場では、連日連夜汗を搔き続け、懸命に頑張っている人たちがいて、
メンタル的にもギリギリの状態のなかで、
不幸にも感染してしまった人たちがいることも・・・ 忘れてはならない。


ネットには「失敗した政府にいまさら言われても・・・ 」と云った芸人のコメントがあった。
なにを言っても構わないが、
私はこのコメントを他山の石とし、自らの言動や行動を律したいと思った。


一番怖いのは、自ら考えることを放棄し、誰かの意見に左右されている人たちだろう。
ネットや、ワイドショーが垂れ流す、言いっ放しのコメントを全て正しいと信じ、
同調している人たちではなかろうか。


そういった人たちに限って、対策が上手くいかないと、
すぐさま手のひらを返して罵詈雑言を浴びせてくるし、
データを示せ根拠を出せと騒ぎたてるだけで、
「じゃぁ、どうすべき。」と対案を示すことはない。

様々な意見が有っても良いが、私は・・・ そんな調子がいい人たちを軽蔑する。

政府が繰り出す要請や、対策の全てが正しいなんて・・・ だれも思ってはいない。
ただ、いま何をすべきか、何を我慢して、何を耐えるべきなのか、つらつら思いを巡らせると、
国難ともいえる今回の試験問題に、予め用意された正解はなく、
事態が収束して落ち着いた後から、事の顛末を検証し、
あるべき対応の模範解答は作られ・・・ 今後に活かされていく。


そのように事態を捉えれば・・・ 政府がどんな対策を打ったとしても、
断片的な部分で結果オーライの合格点はあっても、俯瞰すれば100点満点の対策は期待できず、
いまは、なにをやっても後手後手となって、落第点を取ることは避けられない。

そして、昨今のメディアによる報道姿勢にも注文を付けたい。
正しい情報提供と、正しい対応方法の説明をしてくれることは有りがたいものの、
専門家でもないコメンテーターが、政府を悪者に仕立て、
政権の支持率が落ちたから人気取りしてるなどと揶揄し、

さも知ったげに、無責任で低レベルなコメントを繰り返しているのを見ていると、
芸能人、文化人、知識人といった曖昧な肩書で、
目立ちたがり屋をコメンテーターに使うことは苦言を呈したい。


大人は状況をみながら、過敏に反応することなく、自ら考えて用心するが、
それが困難だと思える子供たちの、健康と安全を第一に考えれば、
対案すら出さず「ああだ。こうだ。」と、イチャモンをつけることは、どう考えても理解し難い。

福島の城下町・会津には、
藩士の子供たちへの教育指針として「什(じゅう)の掟」という心得がある。


その主旨は「ならぬものはならぬ。」ということで、
「ダメなものはダメだ。」という武士の心構えを説いている。

もう少し詳しく云うなら「世の中には、根拠や説明を必要としないものがある。」ということになる。

総理は「子供たちの健康と安全を第一に考えて、断腸の思いで決断した。」と述べている。
この言葉に、根拠や説明は不要だと思うが・・・ 間違っているのだろうか?


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