時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

結果オーライですが、なにか?

2020年05月27日 | 時のつれづれ・皐月 

多摩爺の「時のつれづれ(皐月の14)」
結果オーライですが、なにか?

5月25日、東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、北海道にだされていた緊急事態宣言が解除された。
まだまだ油断はできないが、4月7日から始まった111日間続いた緊張から解放され、
少しは余裕をもった生活ができると思うと・・・ 第一感は、やれやれである。

アメリカのトップから、名指しで改革を求められたWHOの事務局長は、
我が国が緊急事態宣言を解除したことについて、
新型コロナウイルスの新規感染者が大幅に減少し、死者数も抑えられていると評価し、
今後も感染経路の特定に注力する姿勢を示したことを称賛した。
いまさら、あなたに称賛されても、
なんの価値もないが・・・ 黙っておられないのだろう。

諸外国の報道を要約すれば、下記のとおりだった。
アメリカでは、政府の指示よりも要請・合意・社会的圧力に基づく、
日本独特の封じ込め手法が奏功した。

フランスでは、日本は新型コロナ流行の最悪の事態を回避したが、
単一の明快な理由があるわけではないようだ。

イギリスでは、五輪もあり、当初は新型コロナを過小評価していると疑われたが、
解除により成功例として主張できるとした。

内容的には総じてネガティブで、
ミステリーだが結果だけは認めざる得ないといった論調になっている。

そもそも、欧米手法の感染症対策は、早期検査、早期発見、早期隔離であって、
非感染者で経済を回すという考え方であり、
基本的に検査のパワーが不足し、医療崩壊の阻止とクラスター対策に主眼を置いて、
検査に基準を設け、面談で濃厚接触者潰しをやった超アナログ対策は欧米からしたら理解できないし、
我が国が緊急事態の解除に至ったこと自体が奇怪に見え、
その対策を成功例として認めたくない気持ちがありありと出ている。

欧米方式がスタンダードなのは、封じ込めに成功した中国や韓国も右へならへだったから、
まぁ・・・ 分からんでもない。

感染症の体験に乏しく、対策では後進国の我が国が、
新型コロナウイルスと向き合ったのは実質的に2月の頭からで、
クルーズ船やチャーター便で4,000名もの検査対象者を抱えたところから始まっている。

欧米方式が取れていれば、それに越したことはなかったと思うが、
現実は・・・ そうはいかなかった。

医療崩壊の阻止と、クラスター対策に力点を置き、
隔離優先より死者の最小化という対策を選択せざる得ない状況にあり、
土俵際に追い込まれてからのスタートだったことを忘れてはならない。

第一波をなんとか凌いだといっても、ウイルスが我が国から消えたわけではない。
とはいうものの・・・ 近い将来には第二波、第三波が起こる可能性が高いことから、
今回の対策について、なにが良くて、なにが悪かったのか?
可能な限りで、総括しておかねばならないだろう。

まずは、医療分野について・・・ 政策はどうだったのだろうか?
PCR検査が十分だったら、早く検査してもらってたら、助かった命もあっただろう。
収容するベット数が十分だったら、たらい回しされることなく、
自宅待機することなく、助かった命もあっただろう。

有名人の入院映像や訃報もあったりして、
どうにかならないものだろうかと・・・ 思った日もあった。

多くの国民が厳寒の真冬から、爽やかな初夏までの大よそ4か月弱、
不安に駆られながら、緊張の日々を送っていた。

「こうすれば良かった。」、「あぁすれば良かった。」もあると思うが、
諸外国の実態と比較してみれば、満点じゃないが高いレベルでの合格点(90点ぐらい)だと思うし、
よく頑張ったと思う。

あとは・・・ 蓄積された知識と経験を、整えた設備や環境を、
これからどうやってブラッシュアップするかだ。

また、専門家会議の先生が、8割の外出を減らさなきゃ、
40万人以上の死者が出ると言ったコメントは圧巻で、
国民の気持ちを、一瞬にしてピリッと引き締め、真直に迫っていたゴールデンウィークに一石を投じ、
完璧に近い状態にまで外出を封じ込め、
様々なところから吹き出そうだった不満を、見事なまでに沈静化させている。

このコメントを脅迫と捉えるか、それとも注意喚起と捉えるか、それは人によって様々だが、
危機管理の鉄則は、最悪の事態を想定して、最善となる次の一手に着手することである。

そう捉えれば、ゴールデンウィークで想定される、
多くの人出にブレーキをかけるのは必須であり不可欠だったはずで、
私はアッパレだと思うし・・・ アッパレもアッパレ、大アッパレだと言っても、
言い過ぎではないだろう。

続いて、経済分野について・・・ 政策はどうだったのだろうか?
国民全員に配る布製マスク、我が家に届いたのは一昨日、既に市販品が流通し、
スピード感が著しく欠けている。

国民1人当たりの定額給付金、大きな方針転換の末、1人10万円に切り替えたが、
我が家に申し込み書類は届いていない。
休業補償に至っては、お役所仕事が従前の性悪説だから、
提出書類多すぎて時間ばかりが過ぎている。

政府は遅ればせながらも、あらゆる策を考え、予算措置したものの、いわゆる大企業病?が蔓延し、
「俺(親会社)はやれと言ったのに、やらないやつ(現場)が悪い。」の論理で、
末端レベルへ責任転嫁となっている。

しかも、責任を押し付けられたお役所の仕事ぶりは、相も変わらず人海戦術のアナログ対応だから、
人件費と時間を無駄にするばかりで、申請者以上に受付担当者のほうが疲労しストレスを溜めている。

国から役所の金庫(口座かな?)に札束の用意は出来てても、
現場の事務処理が大渋滞で、待ち時間だけが過ぎていく。
これじゃ・・・ どうみたって不合格と言わざる得ない。
補正予算で、おカネの準備をしたことを評価しても、50点が限界じゃなかろうか?

とはいうものの・・・ 医療政策の90点と経済政策の50点を足して2で割れば、
100点満点の70点だから、
あくまでも私基準の採点だが、資格試験でいう合格ラインには到達している。

様々な事柄と混同した視線で捉えたら不満タラタラで、たくさん厳しい評価があるだろう。
欧米基準の視線で捉えたら常軌を逸した奇策で、ミステリアスな結果であろう、
しかし、結果オーライである。

ワイドショーでは、日本人が素晴らしかっただけで、
政策が良かったわけではないとのコメントもあった。
確かに、批判が多い定年延長法案をゴリ押ししていたし、理解しがたい公務員の処分などもあった。
しかし、味噌糞一緒に、感情だけで政治を評価するのは間違っている。

マスコミは、政治を監視すると口にしているものの、
異を唱えることが正義だと、勘違いしてないだろうか?

政治は結果が全てと云ってるものの、実際は個々のプロセスで評価しており、
枝葉末節を垂れ流してないだろうか?
残念だが、この国のマスコミの政治に対する報道は、
客観的な事実よりも、主観的な主張が上にあるようだ。

大事なことは事実を客観的に整理し、
国民に必要な論点はなんなのか、それを問うことだと思う。

少し前に「芸能人は歯が命」っていう、ちょっと濃いCMがあった。
その決め台詞を拝借させてもらうなら「政治家は間違いなく結果が全て(結果責任)」だろう。
政府の肩を持つ気はないが、なにがどうだったから結果オーライになったのか?
第二波、第三波に備えて、その分析は必要だと思うが、結果オーライにケチをつける必要はない。


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