ケリーライカートの『オールドジョイ』を観た。
最近、U-NEXTにたくさん出てきたケリーライカート作品。
『リバーオブグラス』も青春の逃亡劇として頗るよかったが、この作品もとても心に残る良作である。
内容は、昔の旧友と会って、二人で田舎をドライブして、キャンプする話。ただそれだけである。
しかし、田舎で久々にあう人との接し方など、ソレがとても実感のこもっている感じに僕には思えた。というのも、僕にもこうした感情がよく働いたことがあったからだ。
夜になり、二人で焚き火を囲みながら、話をする。
なんでもない会話の中に、時々笑いがあり、懐かしい話もする。
少し無理をして、宇宙論の話などをする。超弦宇理論の話などをして、さらに、宇宙は雫のように落ちていくんだというような独自の見解なども話す。
聞いている方がちょっと、失笑するようなそぶりを見せる。
そういう感情の機微ー、昔あった人と、懐かしみながら、なんとなく気まずい感じを抱きながら、お互いを非難することもなく、しかし距離をとりすぎるわけでもない。
そうしたテンションが張られた中で、二人の旅は続いていく…。
とにかく、ハイキングのシーンなどは、緑が美しい。温泉に入るシーンも、自分がよく友達とやる感じであって、妙に感情移入してしまう。
この温泉の中で、「悲しみは使い古した喜びである」という題名の表現が出てくる。
与謝蕪村の句に、
我が涙古くはあれど泉かな
というのがあるが、なるほどもう昔の友と会っても、そこで流す涙はあの頃のような新鮮な何事にも感動して驚いていた、そのような涙でもないが、しかしソレは昔から変わらない喜びの感情が今でも働いていることである、と。
と言って、二人は別に感傷的であるわけでもない。涙を流すわけでもない。
それが妙に既視感のあるものであった。
この映画は、僕のように、田舎で生まれ育ち、大学を都会に出て、また帰ってきた人間には、そこで昔の友人と遊んだりした人間にはとてもよく理解できる映画のような気がする。
二人の関係が昔のようであることはない。それは時間が経ち過ぎてしまった。ただそれだけのことであると、お互いがお互いの記憶を探りながら、今を紡ごうと時々外れたことを言い合ったりして、また徒らな時を過ごしている…。
なんとなく、杜甫の詩を思い出した。国破れて山河あり…。
田舎の風景というのは、残酷なほど、二人の心情と対照を成して、変わらずにそこにある。
それで、彼らの感じていることも、よく僕らの感じることでもある。
まぁ、僕もこの映画を理解するほどには歳をとったのかもしれない。