3月から4月にかけて、色々と忙しいことが多すぎて、かなり頭おかしくなりそうである。
これは個人的なもの、社会的なものが同時に訪れている。
いくらか世情に機敏な人は、今の社会の大きなうねりに多少の「気の病」に罹ることがあるだろう。
どうも、変化の激しさが、季節の変わり目とも重なって体調がすぐれない。
しかしこれもまた好転するだろうと思う。最近思うのだが、社会的なものと個人的なものは、どこかで繋がっている。その細い糸は、思慮に及ばないものであるが、そういうのを縁と昔の人は言っていたのかも知れない。
不思議なつながりに出会うことが多いということだ。 そして以前から僕の思っていたことがちゃんと実現されていっている、ということも日常的に起こりつつあるのだ。
私は最近そのように世界の不可思議な現象に、その偶然の賜物に驚くばかりである。
私たちは大きな時代の変わり目にいる。いつの時代だったか、足穂の本で読んだと思うのだが、「いつだって時代は過渡期だ」と言う言葉を覚えているが、そう言っても今の時代は、あまりに本気の変化であろう。
私も4月から新しい職場で働くことになります。どうも体調は、頭の奥の方がぼんやりと靄がかかっている気もするが、桜花のうつらとうつらと咲きいくような、そんな心持ちが頭にあるような気がする。
頭山、の落語は案外、こうした日常の季節の変わり目から得たものだったのかもしれませんね。
蠢く、という字にも春の文字がありますが、本当にそんな気配で、地の底から、いろんな生き物なり、わだかまりなり、海なりが、もくもくと湧き上がってくるのがわかりますね。