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地方創生・旅日記

九州を愛する男の車中泊・旅日記

国と親父と僕

2025-03-31 14:22:25 | ブログ
親父と僕はともに母子家庭。
ともに小学校一年から。
亡くなり方が違うだけ。

幼心に思ったこと。
家庭を持って男の子が生まれ小学校に上がると僕は死ぬのだろうかと思った。

親父は11人兄弟(兄妹)の9人目で長男。
そして11人全てが島を出て行き、親父だけが祖母の願いでUターン。
その他は全国に散らばる。

親父は新婚旅行の帰りに壱岐に戻らずに福岡で暮らそうと駄々をこねたとおふくろから聞いた。
次女が最初は親父のために壱岐で教師をしていた。
親父を大学に。
親父もそのつもり。
ただ志望校が食い違い親父は行かなかった。

当然、母子家庭だし国立を勧める叔母と東京私立に拘り決裂。

叔母も親父も島を出て行った。

親父は会社員時代に人材育成面から大学の講義を聞く機会があったらしく、おふくろに僕が大学に行くと言ったら家を売っても行かせるとおふくろに承諾させたらしい。
僕は漁業にコンプレックスを持っていた。

親父の兄弟(兄妹)が全国に散らばってるので比較的早くから都市部を知れた。
また従兄弟(従姉妹)のなかでも下から3番目だったから直接情報が知れたので職業選択に関して友だちより多く知れた。

友人と30代の頃、話した。
小さな頃、将来の職業は漁師、漁協、役場しか思いつかなかったという。
彼は優秀だった。
銀行という選択肢はない。

島内四町 、我が勝本町には銀行がないから。
理由は長崎県下一の漁協信用部が排他的だから。
現在でも勝本町勝本浦では気づいていない人は多い。

親父の姉弟11人もいると派閥みたいなのが生まれる。
僕がほぼ等しく愛されたのは親父のおかげ。
なんらかの事を決める決断は親父がしてたみたい。
おふくろは一途でずっと親父をリスペクトしていた。

ただ僕自身、思考がませていたのでおふくろから聞く親父のことは割引いていた。
ませたガキがしんどかったのは職場の人間関係を聞かされたり、愚痴を聞いたり。
祖母が聡明な人だったので、おふくろの話は最終的に祖母が引き取った。

教育は学校より祖母から聞く話しが教育であり、面白かった。
今でも日本の教育制度はおかしいと思ってる。

国家の根幹は教育だというのは揺るがない。

初等教育は読み、書き、そろばんからでもいいと思ってる。

文系理系を分けるのも懐疑的。
詰め込む時期は詰め込んでいいと思う。
無償化は議論が足りない。

今、国が何をすべきか。

選出された国会議員、県議会議員、市町村議会議員の世襲が続く限り、気づかない。
ある意味、世襲議員は被害者なのかも知れない。
アメリカもイギリスも好きではないがアメリカは国民が堂々とNO!と突きつける。
イギリスは制度が整備されている。
フランスは戦い勝ち取った一票の大切さを知っている。

この世襲議員ではなく、教育を含めて考えると100年は要する。
だが国際情勢はそこまで待たない。
そして地方は衰退していくばかり。
政令指定都市にいては気づかない。

基礎自治体一つが人口3万〜5万の自治体がほとんどを占める現実。

こうやって能書きを垂れてビジネスに結び続けきれていない自分を無能だと思ったりする。
この10年間、よく親父のことを思う。

親父ならわかってくれる、わかるはずだと。
おふくろからじゃなく、様々な人から聞く親父像なら。

ちなみに偏差値的に言えば数多い従兄弟(従姉妹)の中で僕が最も低い大学なのは言うまでもない。
妹も含めて。
大いなる劣等感を抱き続ける55歳です(笑)



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働き方改革は失敗

2025-03-30 18:54:58 | ブログ


特にマウント取りたいわけじゃない。 
よく「月、残業100時間以上なんてブラックだ。」なんて話を聞いて思う。
残業代貰えるんでしょ?と。 
貰えるんなら働くよ。

働き方改革は失敗だと思う。

もちろん時の政権の責任は重い。
僕らより昔の人たちは嫌々働いてたわけじゃないと思う。
だから、日本企業は世界の中で中心まで行った。

今、ITは浸透し業務は効率化したのに日本企業は衰退し浮き上がれない。
グローバル化はいいことだが食われちゃ意味がない。

価値観を大事にするのは大切だと思う反面、それを是としてしまうのは危険。
退職代行サービスの景気が鰻上りだと聞きショックを受けた。
身近にいたら驚くよ。

今、歪な売り手市場になっている。
バブル世代の人たちの売り手市場とは違う。
「働いてやってる」感が大きいと思う。

会社の社員がみんな定時退社、残業なし、有給消化、産休、育休、ハラスメント防止、コンプライアンス、高収入、ボーナス、退職金。
これらを全て叶えると会社で働いてる人の時間足りなくなると思う。
全てが大企業並みにはなれない。
大企業は大企業で組織の厳しさもある。

外資もどんどん日本に入ってる。
いったい自己資本率が高くその内訳の株が日本人ならばいい。

正直、10年後が怖い。

果たして純然たる日本企業はどれだけ残れるのだろうか。

最近感じること

2025-03-28 17:06:30 | 社会



壱岐という離島にはもう既に変わってる。
スピードの速い現代社会。

SNS上で感じること。
Facebook率は減り、InstagramからTikTok、YouTube、short動画など。
不思議に復活しているX。

みんなの行動を見てみると旧町の境はないように感じる。
自分のアイデンティティが勝本町勝本浦にあることは間違いないと思う。
大都市から見ればニッチな垣根がなくなってるような気がする。
勝本弁を勝本浦では喋っても壱岐高に行けば上手く会話できてるんだろうなと思う。
彼らが生れた時はもう既に漁船数も少なくなっていて、漁師町という認識はないんじゃないかと思ったりする。

何度も書くが都道府県の漁獲高は1位・北海道、2位・長崎県。
長崎県の県下一がJF勝本という時代が長かった。
それも知らないだろう。








ある意味、人口減少と中学校の統廃合で急速に垣根がなくなったのかなと。

10年の経過でここまで変わるのが今の社会なんだろうなと思う。


過疎が進むのは自明の理であり、僕自身が老害の域に入ってることは当然で自分が20歳の時、50代の集団に入るかと言えば入らないし、入らなかった。

一昨日、妹から香典の話で電話があった。

なぜか五島に行ったことがあるか聞いてみたら、「ない」と。
どこか離島に行ったことがあるか尋ねると「ない。なんで離島で生まれ育ってわざわざお金払って離島に行かないけんと?フェリー苦手やし。」

そうだろうと思う。

率から言えばほぼ島から出た人間は戻ってこない。
特に多いのがうちの町。
今、壱岐にいる若者は自分たちの価値観で幸福を感じてるんじゃないかなと思う。

ただ僕自身、本音は「一度は島を出て社会を見た方がいい」と思ってる。

理由は明確で他の自治体で離島じゃなく、人口規模が同じくらいの自治体と違うのは陸路で思い立ったらすぐ都市部に出れるし、社会見学を常にしてる感覚。

こういったことはネットで解決。
とはならない。

そして重要なのは産業。

すぐに走りがちな行政の企業誘致。

壱岐に来て企業側にメリットはほぼないと思う。
慈善事業になるとなんにも残らない。
レオパレスのコールセンターが壱岐に集約されたのは創業者一族が勝本浦の人間で創業者が当時の市長と高校の同級生。

ひと悶着あったのは場所。

市長は郷ノ浦にと主張。

断固反対のレオパレス創業者のやり取りの上、勝本浦へ。
※市長は勝本浦出身で郷ノ浦町に婿入り

やはり、ループすると「観光業」になる。

そういった意味で長崎県のIR不承認には正直、ショックを受けた。
最後のカードだと思ってた。

壱岐に関しては邪魔にならないよう勧めたいこと勧めようと思った。
幸か不幸か田舎って10年で変わるね。
今感じていることはいい方に変わったと考えることにした。

これからの地方創生

2025-03-24 19:56:02 | 社会
今回、ネガティブで批判的なこと、裏事情はなるべく書かないように努めようと思う。
書き出した時点なので書き終わった時どうなってるかはわからない。
僕が福岡県福岡市在住なので九州目線になることは多い。


皆さんが描きがちな地方創生は豊かな自然の中で体にいいとされる食物を食べ、健康的に過ごす。
というイメージが強い。
これは個人の自由だし、僕自身も素晴らしいことだと思う。
写真、動画など目から入る情報は凄いもので強烈なインパクトを与え洗脳されていく。

国の「地方」という定義をご存じでしょうか?
東京以外は地方です。


私が住む福岡県福岡市165万人都市も地方です。
地方自治体最高人口の神奈川県横浜市380万人都市も地方です。
日本には地方自治体(市町村)が1700余りあります。

ちなみに東京都で一番大きな自治体をご存じですか?
東京都八王子市56万人都市です。

地方創生交付金対象外の自治体は
東京都、横浜市、名古屋市、大阪市、京都市だったと記憶してます。
地方創生交付金を全自治体が利用しているのは栃木県、富山県、京都府、鳥取県、徳島県、愛媛県、高知県、長崎県、熊本県、大分県です。

まず地方創生の前に都道府県別の財政は東京都以外赤字です。

この赤字に着目すると僕にとって地方創生は経済の活性化となります。
これは日本全国車中泊で周り学んだ結果です。
九州は30周はしました。


地方をここからは政令指定都市以外を地方と呼ぶことにします。

■神奈川県横浜市377万人


■大阪府大阪市275万人


■愛知県名古屋市233万人


■北海道札幌市197万人


■福岡県福岡市161万人


■神奈川県川崎市153万人


■兵庫県神戸市152万人


■京都府京都市146万人


■埼玉県さいたま市132万人


■広島県広島市120万人


■宮城県仙台市109万人


■千葉県千葉市97万人


■福岡県北九州市93万人


■大阪府堺市82万人


■静岡県浜松市79万人


■新潟県新潟市78万人


■熊本県熊本市73万人


■神奈川県相模原市72万人


■岡山県岡山市72万人


■静岡県静岡市69万人

政令指定都市(令和2年国勢調査)

これらの政令指定都市は、どうにか生き残れるだろう。
特に首都圏、関西圏、東海圏は。


【地方創生施策】
デジタル田園都市国家構想総合戦略等
デジタル田園都市国家構想基本方針
デジタル田園都市国家構想総合戦略
デジタル田園都市国家構想関係施策

まち・ひと・しごと創生総合戦略等
まち・ひと・しごと創生長期ビジョン
まち・ひと・しごと創生総合戦略
まち・ひと・しごと創生基本方針
地方人口ビジョン/地方版総合戦略
地方創生予算

稼ぐ地域をつくるとともに、安心して働けるようにする
「地方の中核となる中堅・中小企業への支援パッケージ」

地域の担い手展開推進事業
RESAS(リーサス)
プロフェッショナル人材事業

地方とのつながりを築き、地方への新しいひとの流れをつくる
移住情報
地方創生テレワーク
政府関係機関の地方移転
地方拠点強化税制
地方大学・地域産業創生交付金
東京圏の大学の地方サテライトキャンパス
「奨学金」を活用した大学生等の地方定着の促進
地方創生インターンシップ
関係人口の創出・拡大
子ども農山漁村交流プロジェクト
高校生の地域留学推進のための高校魅力化支援事業
地方と東京圏の大学生対流促進事業
企業版ふるさと納税
ふるさと求人・移住支援金・起業支援金

結婚・出産・子育ての希望をかなえる 「地域アプローチ」による少子化対策の推進
結婚・出産・子育ての支援
仕事と子育ての両立
地域の実情に応じた取組(地域アプローチ等)の推進
少子化対策に資する分析や好事例等の各種情報

ひとが集う、安心して暮らすことができる魅力的な地域をつくる
地域再生エリアマネジメント負担金制度
中心市街地活性化
小さな拠点の形成
地域活性化プラットフォーム
都市再生
棚田地域振興
民間資金等活用公共施設等整備事業
日本版DMO別ウインドウで開きます
明治日本の産業革命遺産
住宅団地の再生

多様な人材の活躍を推進する
地方創生伴走支援制度
地方創生人材支援制度
地方公共団体等へ人材を紹介・派遣する事業に関するワンストップ窓口
地方創生カレッジ事業
地方創生コンシェルジュ
地域活性化伝道師
生涯活躍のまち
地方創生に資する地方公共団体の外国人材受入関連施策等

新しい時代の流れを力にする
近未来技術等社会実装事業
環境モデル都市・環境未来都市・SDGs未来都市
「地方創生×脱炭素」推進事業

国と地方の取組体制等
デジタル田園都市国家構想交付金
デジタル人材地域還流戦略パッケージ
地域再生
国家戦略特区
総合特区
構造改革特区

地方創生といってもこれだけの策がある。
正直、何がなんだかわからないですよね。
これに合致するもの、合致させたいものを自治体(市長、行政、議員)が選択して進める。
観光・産業・移住が三大テーマだと思います。
私は観光において地方はインバウンドに頼らず「小さな観光」を目指したがいいという様々な地域を見て思います。
地方がどう頑張っても京都にはなれない。

・移住情報
・地方創生テレワーク
・地方創生インターンシップ
・子ども農山漁村交流プロジェクト
・企業版ふるさと納税
・結婚・出産・子育ての支援
・地方大学・地域産業創生交付金
・日本版DMO
・環境モデル都市・環境未来都市・SDGs未来都市
・国家戦略特区

通常、会社などで勤務されている方はほぼ耳にしないと思います。
上記に絞れば少しは聞いたことがあるのかな?と思い選択してみました。
民間企業で大きく関わってくるのは、広告代理店、旅行代理店、システム関連企業など。
行政側(では、政策企画課、観光商工課、地方創生課(この部署は途中から突如できて、一瞬に各自治体に作られたと記憶してます)。
地域おこし協力隊、移住・定住などが多く、地域活性化の名の下、商工会、商工会議所会員が絡んできます。
民間企業は出入りのコネクション、行政側が憧れる広告代理店、旅行代理店が多く、またシステム会社は「実績がない」と新規参入は拒みがちです。
いつも思います。大手ベンダーも最初は実績はないのでは?
ハゲタカ広告代理店は10,000人程度の自治体に舞い降りて3分程度のPVを作り、2億ほど貰って去っていきます。
こういった事例は日常茶飯事です。

移住は私自身、当初、注目すべき問題だと思っていました。ある県の自治体で突出して実績を残しているところがあり、訪問しました。
彼は熱く語り、地域おこし協力隊と比較して苦言を呈していました。そこには異常とも言える50名余りの地域おこし協力隊が存在し、彼は「3年間身分保障がある協力隊より0から来た移住者を応援します。」と言い職務終了後は移住者の家のペンキ塗りの手伝いをしてました。

また、この県の他自治体で驚くことを聞きました。
補助金についてです。
こういった地方創生施策を商工会員、組合員などにどう勧めてるのか?と聞くと「勧めたりすると怒られます。向こうがプランを持って来られて確認してハンコ押すだけです。ある意味、楽です。」
これが本来の姿だと思ってます。

しばらく、移住の重要性に重きを置いていましたが、ふと気づきました。
日本のπは決まってます。
どこかが一人増えれば、どこかが一人減る。
決定的だったのはあるサーファーが集まる町に注目しました。
そこは誰かに呼ばれたのでもなく、補助金があるわけじゃなく、サーフィンが好きな人たちが勝手に引っ越してきて自然とサーファーのコミュニティを作り、自らが町に溶け込んでました。

政策で移住するのではなく、自分たちが住みたいところに移住する。

これが真の移住なんだと思いました。

お金を使って人を呼ぶのは愚策だと思います。
移住したくなるような風土を自然と醸成していくのがベストだと。
だから転々として稼いでる人たちが発生します。

地域おこし協力隊
地域おこし協力隊については下記の表をみれば一目瞭然です。


何をかいわんや?
・待遇がいい
・楽である
の証だと考えました。
今はだいぶ精度は上がってると思います。

一時期、悪評が立ち真面目な隊員が可哀そうでした。
今、新卒の就活の選択肢に入っています。
隊員になって任務完了後、その地に残り就職、起業するというのが国の目標ですが、ままならない状況です。
さらさらその地に残るつもりがない子が多いのに驚きました。
※事例は書けません

これは国税で賄われています。

地方行政の役割は入隊に当たりキチンと審査し、入隊後はキチンと管理する。
これだけでいいんです。
彼らは遊びに来ているわけじゃない。働きに来ているんですから。
コネクションでの入隊を禁止(無理だとは思う)。
私が住む福岡市の市政には全面的賛成はしていませんが、地域おこし協力隊採用が3年前というのにはリスペクトしました。
それも3名。

キチンと企業の就職と同様に採用すれば、相互の食い違いも起こらず彼らも活躍できます。

地方創生テレワーク
地方創生テレワークはテレワーク企業主導じゃなく委託先主導でやった方がいいでしょう。
テレワーク企業が地方でテレワークを行ってもさしてメリットはなく、形だけ感が強いです。
行政サイドがお願いして企業サイドが来ている感は否めない。
そもそも、地方にテレワークの価値、ノウハウがない。

結婚・出産・子育ての支援
この制度は必要だしいい制度だと思います。
ただ、結婚は除外していいと思います。
お金を配れば結婚するか?
婚活を主催すれば結婚するか?

テレビ番組でイベントが放映されたりしますが、ほんの一部です。
一組のカップルの誕生したとして、俯瞰してみると極々、一組です。
また、ほぼ仕込まれています。
なぜ、わかるのか?陰謀論じゃないか?
私の故郷でテレビ番組主催のイベントが行われ、同級生が出演していましたから。

出産・子育て支援に関してはどんどん行うべきだと思ってます。
自分たちの町の子どもは自分たちで育てるという意識自体が本来の町の在り方だと思ってます。

日本版DMO
これが地方に存在するのに驚きました。
政令指定都市でさえ逡巡してるのに5万人程度の自治体が看板掲げて成り立つのか?
意味がありません。
やるならば特化してやる。
そして、やれるのは中核市以上に限定されると思います。

ピックアップして書きましたが、私の中の結論として、主役はその土地に住まう方々です。
いろんな施策を取り入れなくても、みんなが今ある会社、農業、漁業に勤しめば勝手に創生していきます。
私にできることは働くところがほしいと言われればコールセンターを起業していただくお手伝いをするだけです。
コールセンターと言っても1回線から10回線(1席から10席、1ブースから10ブース)の小さなコールセンターです。

リスクヘッジは行います。

大きな課題の一つが過疎地、離島の生き残りです。
日本には有人離島が417島あります。
残酷ですが、消滅するかコンパクトシティ化するしかないと思ってます。



離島は人口1人の離島もあります。
ここはドライに努めるように見てます。
「本土に来てください」の一言です。インフラの維持の負担。
その土地に拘る意識も理解できますが存続は厳しい。
20年後、名前は残っても自治体として存続しているのは佐渡島、福江島、対馬くらいじゃないかと思ってます。
国自体が高齢化社会で地方のそういう方々のお子さんが都市部に出て生活しているパターンは多いです。
消滅可能都市と言われてるところにはお年寄りの方の集まりが多く、これは生命の危険にさらされてるのが現実です。

人口減少は止められないと思ってます。
止まるのは8000万人から9000万人だと思います。

過疎地、離島などに厳しい言い方になりますが、インフラを維持するには税金が使われます。
勘違いされがちなのは過疎地、離島の自治体の税金で賄われるだけじゃない。
該当自治体以外、全国の国民が投入される。
直接的な言い方をすれば、全国民に知らない間に迷惑をかけてしまうという事実です。

自治体職員は(しかたないのかもしれません。)国税だから使っていい、都道府県税だから使っていい、市町村税だから慎重にというパターンは多い。
理屈から言っても心理的な面から言ってもそうなるのかな?と思います。
ただ、回りまわって考えると全国民が納めている税金に繋がることが理解できると思います。

もう地方は「生き残り」の段階に入ってます。
世の中、「学び」、「繋がり」、「ワークライフバランス」、「リスキニング」、「少子化対策」、「居場所づくり」などの言葉が躍ってます。
全ていいことだと思いますし、否定はしません。
ただ、経済成長(首都圏、関西圏、東海圏除く)はせず衰退していくと思ってます。
そうなると人は首都圏、関西圏、東海圏に近寄って行きます。
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地方は住民が主役です。
主役が普通に一所懸命働き、子どもが一所懸命学び(学習、スポーツ)、家庭が機能する。
特に国に頼らず、補助金に頼らず、これを普通にやって行けば勝手に経済は活性化し勝手に創生していきます。


古今東西、「普通」が一番難しいと言われたりします。

しかし、それをやらなければ地方は生き残れない時期に来ています。
再度、言います。
主役である住民が普通に頑張れば地方経済は活性化し、勝手に創生していきます。


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道の駅・七城メロンドーム【熊本県菊池市】

2025-03-18 13:28:44 | 旅日記
















メロンはこの時期出ていないと果物音痴?というか果物が食べれない僕です(汗)
メロンがないと思うとちょっと拍子抜けか、自然と小さな鮮魚売り場に(笑)
千葉県産のサバが390円
この前佐賀関で見た3,000円のサバとどこがどう違うかわからない僕です。
こういう話はどうでもいいか(汗)
どうにか担当の方を呼び出してもらうと専務でした(汗)
この建物は市が87% JAが13%みたい。
メロンについて詳しく教えて頂いた。
農業関係者の方ならわかるのかもしれませんが糖度が14%に達しないと採用しないそうです。
販売方法を尋ねると対面販売だ、と。
JAが?
と尋ねると農業従事者がだそうです。
JAは入れないとはっきり仰ってました。
そうしないと農業従事者の利益が少なくなるから、と。
農業従事者が真剣になるから売れる、と。
なんと、メロンが売れる日は売上1,000万円。
フロアが満杯になるらしい。
驚きました。
人口5万人。
『壱岐もJF外して直販したらいいやん!』とまで仰られ身が竦む思いでした。

また、いろいろ話すうちに枕崎の話をすると専務ご自身が枕崎の鰹の遠洋漁業船に乗っていたと。

それで恥ずかしい話、長崎県民なのに平戸市がふるさと納税14億のうち10億程漁業に入れていると。
宗像もそれに近いそうです(汗)
甘塩うにとアジの開きを置いて頂こうと交渉したものの返事は「俺が七城町の人間に殺される」と。

七城町の結束を感じた。

結局、『本気になるかどうかですよ』と仰ってました。
なんだかんだ1時間以上話していたみたい。
東京の帝京大学の学生さんが研修に来られたので辞したけど呆気にとられた感と脱力感が相まって(笑)
顔晴りましょう!



20240610
メロンを知らない僕がメロンを知った道の駅でもある。
いろんことを教えてくださった。
経営者は代わって久しい。
専務は退かれていた。

城乃井旅館の温泉でバッタリ元専務親子と会い笑うしかなかった。
時の流れは早い。

人が代われば経営体質も変わる。

現館長の印象は上を見て仕事をされる方のように感じていた。
新しい館長宛てに何度も訪問したが、会えず(僕の中では居留守と捉えていた(笑))
ある時、偶然見つけて笑いながら「どうぞ」と部屋へ入れてもらった。
仕切り的には問題はないと思ってた。
どうも、誰に担当者にするかが重要に感じて、みんなが嫌がるだろう雰囲気を感じて出てきた答えが館内にいる魚屋さんに卸したら?
そこはもう話していた。
「ここは売れない。場所代は高いし」とマイナス面ばかり仰り、ならなぜいるんだろうと思ってた。

思い切って聞いてみた。
「他に店舗があるんですか?」と
。すると「いや、ここだけ」。
いよいよ不思議感が募った(笑)

ここでの大きな収穫はお茶屋さんと知り合えたこと。

僕が行くところ、行くところ写真をFacebookに上げるとコメント欄に観光スポットのアドバイスなどを頂いた。
なんで?
お茶屋さんが?
と思ってたら、あるホテルの営業の方だった。
納得がいった。

熊本の酪農の大打撃など。

頑張ってるところは頑張っているという思いと同時に市町村合併の難しさをここでも知らされた。

ところで隈府って読めます?
「わいふ」だと。

ここでも補助金の話を行政の課長さんにいろいろ聞いた。
阿蘇の震災後、旅館が・・・。

ここは1市3町の合併で
・旧菊池市
・菊池郡七城町
・菊池郡泗水町
・菊池郡旭志町
で現菊池市

誰も見ないから書いてもいい(笑)
ここでも市町村合併の弊害が数年前の施策
新店舗などで起業した場合、旧菊池地域(隈府など)に出店の場合補助金が出る。
他町に出店しても補助金は出ない(笑)
首長って泡沫国会議員なんかより権力あるもんね。

この町もすることがある。

順番は日田、基山、菊池って感じかな。
短気な僕が「待つ」ということができるように少しなった気がする(笑)

基本情報
所在地:〒861-1368 熊本県菊池市七城町岡田306
電話:0968-25-5757


【七城メロンものがたり】



メロンの里 菊池市七城町
熊本県の北部に位置し、美しい水と、肥沃な大地に恵まれた
菊池市七城(しちじょう)町。
町のシンボルでもあるメロン型の建物が一際目立つ「七城メロンドーム」では、
お客様が、今か今かと、その日を待ちわびるお目当ての商品があります。
〝肥後グリーンメロン〟です。

肥後グリーンメロンの魅力は、何と言っても高い糖度!
その甘さは、マスクメロンを凌ぐと言われています。
また、見た目は、綺麗な球体ではありませんが、
大玉で翡翠色と評される美しい果肉に魅了されます。

今では、県内外からのお客様からも愛される〝町の至宝〟となりましたが、
ここにたどり着くまでには数々の苦難がありました。


七城メロンの歴史
七城町のメロン栽培の歴史は古く、昭和8年6月に、七城町在住の有働貫一氏(当時16歳)が、単身ドイツへ研修に赴き、現地での先端技術を学び、帰国後、ガラス温室棚上栽培による「アールスメロン」の青肉と「サットンスカーレットメロン」の赤肉栽培をしたのが始まりと言われています。
当時は、化学肥料など無く、油粕、魚粉、骨粉を使用した、堆肥を作り、農薬は一切使用せずに栽培されていたそうです。

古くから栽培されていた割に、余り知られていないのは、当時は、一般庶民には、とても手が出せない高級果実だったからだと言われています。

戦後しばらくして高値の花だったメロンが大衆化されると、昭和38年に七城町でもメロンの出荷組合が結成され、県内初となる1玉1kg程度の小玉で香りが強い「プリンスメロン」の栽培が始まり、初収穫の際は、大型トラックを複数台チャーターし大阪中央卸売市場に売り込みに行ったそうです。この頃から、熊本県内では、メロンの生産地として名を馳せていましたが、全国的には知名度が低く苦難の時を迎えることになります。



苦難の時
メロンの栽培が盛んになり、多くのメロンの出荷が可能になると、大きな壁にぶつかる事になります。
「売り先が見つからない・・・」県内での知名度は高くなったものの、全国的には知名度も低く、高値で取引できるどころか、買い手が付かない事もしばしば・・・。「このままメロンの栽培を続けようか?別の作物に鞍替えしようか?」
そのような葛藤を抱えながら、生産者は、歯を食いしばり、「売り先を探す事も大事だが、まずは誰もが美味しいと思うメロンを作ろう!」とメロン作りの継続という道を選ばれました。

全国的にも知名度が高くなり、七城産メロンは高値で取引されています。その原点は、苦難の時でも〝美味しさ〟を追求し続けた先人たちの熱い想いがあったからなのだと感じざるを得ません。



新たな目標
「決めたからには、とことんやるぞ!」と日夜良質なメロン作りに取組む生産者の想いとは裏腹にメロンの売れ行きは一向に好転しない・・・。そんな暗いムードの中、一筋の光が差し込みます。「黒いダイヤ」と呼ばれる石炭を採掘する炭鉱の町から「赤いダイヤ」と評される夕張メロンを一大産業としたメロンの町へと様変わりし成功を収めた夕張のニュースでした。

その日から「北の夕張、南の七城」を合言葉に、多くの方に愛され、地域ブランドとしても確立し、ようやく先人から受継いだ技術と知恵が認められた今でも、生産者の皆さまは、先進地研修、種苗会社での研究会などに積極的に取組み「もっと美味しく美しく」を追求されています。

〝日本一のメロンの里〟
生産者は、新たな目標を定めメロン作りに没頭されていきました。



転機到来!
苦難の時でも成功を夢見てメロン作りに没頭した生産者へ追い風が吹きます。
熊本の風土をゆりかごに育成された新品種『肥後グリーン』の誕生です。
「糖度は16度以上。ものによれば17度18度にもなる。」と評判になり、注目を浴びるようになりました。

この転機を切っ掛けに更に追い風が吹きます。平成7年に『道の駅 七城メロンドーム』が開業。
これを機に、品質にこだわり選定した商品のみの販売に着手し、積極的な県内外への販売促進活動を積み重ねた結果『メロンと言ったら七城産メロン』が定着するようになりました。



地域ブランドとして
「七城産メロンはおいしい」との噂が口コミで広がっていく中、七城メロンドームでは、『このおいしさを数値化し、より良い品物をお客様に提供できないか?』と検討を重ね、平成11年4月から『糖度測定機光センサー』を導入。
『糖度14度以上』『見た目も秀品、優品以上』のメロンのみを販売する事で〝何となく甘い〟ではなく〝本当に甘い〟とのお墨付きを得て『七城産メロン』は更に高い評価を受けるようになり、多くの人を魅了する地域のブランドとして確立しました。

今では、生産者自らが自分の手掛けたメロンをお客様と対面方式で販売するのも七城メロンドームの風物詩となり「甘くて美味しいメロンを安心して選べる直売所」として、自宅用のみならず、贈答用としても、七城メロンを求めて県内外から多くのお客様が足を運ばれます。
更なる高みへ

【ソフトクリーム】
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七城産の高級生メロンを贅沢に使用した、当店人気NO.1の商品です。
フレッシュメロンの風味と食感を同時に楽しんでいただけます。
青肉メロン/赤肉メロン(期間限定)の2種類をご用意。原料となるメロンは生産者から直接仕入れ、洗浄・殺菌加工したものを冷凍保存しています。オフシーズンには売り切れてしまうことも。


・生イチゴソフトクリーム



観光スポット・菊池温泉
【菊池一族】



菊池氏
菊池氏(きくち し)は、武家・華族だった日本の氏族。平安時代より九州肥後国菊池郡(熊本県菊池市)を本拠とした豪族で南北朝時代には歴代当主が南朝方武将として活躍したが、南北朝合同後に衰退し、戦国時代に大友氏に滅ぼされた。支流が米良氏として残り、江戸時代には交代寄合、明治維新後は菊池に復姓して華族の男爵家に列した。

概要
中関白藤原道隆の子大宰権帥藤原隆家の子孫と伝承されるが、実際には刀伊の入寇の際に隆家とともに奮戦した大宰府官で、その戦功により大宰少弐、対馬守となった藤原政則の子孫であると見られる。11世紀後半から肥後国菊池郡(熊本県菊池市)の在地領主として勢力を拡大。平安時代末の治承・寿永の乱の頃の当主菊池隆直は、一国棟梁的存在として菊池権守と呼ばれ、鎌倉時代には鎌倉幕府御家人に列した。鎌倉中期の当主菊池武房は蒙古襲来時に奮戦した。1333年には菊池武時が鎮西探題館に討ち入って戦死したが、その子菊池武重は後醍醐天皇の建武新政下において肥後守に叙せられ、以降南北朝時代において菊池武重、菊池武敏、菊池武光が九州の南朝方武将として活躍した。両朝の和合後には菊池武朝が肥後の守護になり、菊池能運まで続いた。戦国時代には阿蘇惟長(菊池武経)や大友重治(菊池義武)などが菊池の名跡を継いだが、義武の時代に大友義鎮に滅ぼされた。能運の子孫は日向国米良(宮崎県児湯郡西米良村)へ逃れ、以後米良氏を名乗るようになったという。米良氏は江戸時代には交代寄合(参勤交代をするが、5000石格の無高で肥後国人吉藩相良氏の扶養という特殊な交代寄合家だった)として続き、明治になり、菊池姓に復し、南朝忠臣菊池氏の末裔の由緒から華族の男爵に叙された。

肥後菊池氏
起源
中国の歴史書『三国志』中の「魏志」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条(魏志倭人伝)に登場する狗奴国の官・狗古智卑狗(くこちひく)を、その名前より「菊池彦」に通じるとし、熊本県菊池郡や菊池氏との関連を指摘する説がある。平安時代初期に編纂された勅撰史書『続日本紀』には、文武天皇二年五月甲申(698年7月8日)の條に「令大宰府繕治大野基肄鞠智三城」(太宰府をして大野・基肄・鞠智の三城を繕い治めせしむ)の記述がある。また奈良時代の天平勝宝元年十一月三日(749年12月16日)に奈良東大寺が大宅可是麻呂から進上された61名の奴婢を記録した『奴婢帖』の中には「右京四條四坊戸主鞠智足人」の名が見える。平安時代中期の承平年間(931年 – 938年)に編纂された辞書『和名類聚抄』ではこの地名を「久々知」と註していることから、上代から古代にかけてはこの地域は「くくち」と呼ばれ「鞠智」と表記していたことがわかる。康保4年(967年)に施行された『延喜式』によるとすでに「菊池」の記載があることから、この頃までには「鞠智」に「菊池」の佳字を当てていたものと考えられる。

菊池氏は、1019年(寛仁3年)の刀伊の入寇に戦功のあった大宰権帥藤原隆家の孫とされる藤原則隆が肥後国に下向して土着したとして藤原姓(藤原北家)を自称し、各種系図もこれに沿った内容となっているが、1959年(昭和34年)志方正和は公家が残した日記や『源氏物語』を研究した結果、藤原隆家の後裔とするのは仮冒であり、藤原隆家の下で大宰少弐であった則隆の父藤原政則について、肥後国住人と記述されていることをもって、政則と則隆の代1070年ごろ菊池周辺に土着したとする説を発表、この説が現在まで有力とされている。その出自については、太田亮による代々大宰府官を務めた紀姓の地方豪族とする説、さらには、狗奴国の官・狗古智卑狗(菊池彦) 後裔説、古代鞠智(くくち:山の麓の谷から平野へ出る口)族後裔説、源経基の後裔とする源姓説、など多様な説がある。

近年、政則の初名に「基定」と記された系図と由緒が公表され、これを隆家の五男・基定 (肥前守従五位下) であるとする新説と共に、則隆には、従五位下右近将監「則忠」、従五位下武部少輔「則宗」、従五位下肥前守「武重」という3人の弟がいたことが分かった。

源平合戦時代
院政時代全国の在地支配層は、こぞって中央の有力者に荘園を寄進してその庇護を受け、院の武者として勢力を拡大しようとした。4代菊池経宗・5代菊池経直が鳥羽院武者と記録されていることからも、菊池氏がその例に漏れなかったことが推定される。このころまでに菊池氏一族の中に在地名を名乗る者が現れ、菊池氏一族が肥後国の在地勢力として定着拡散して行ったことが分かる。

平家台頭後は日宋貿易に熱心だった平清盛が肥後守に就任するなど、平家による肥後国統制が強化されると菊池氏は平家の家人と化したが、1180年(治承4年)源頼朝が兵を挙げると翌1181年(養和元年)6代菊池隆直は養和の乱を起こして平家に反抗した。隆直は翌年平貞能の率いる追討軍に降伏し、以後、平家の家人として治承・寿永の乱(源平合戦)に従軍したものの、壇ノ浦の戦いにおよんで源氏方に寝返り御家人に名を連ねた。源平の間を揺れ動いたことで頼朝の疑念を招き、隆直への恩賞は守護に任じられた少弐氏や大友氏・島津氏に遠く及ばず、逆に多くの関東系御家人を本拠地周囲に配置され、その牽制を受けた。

鎌倉時代
8代菊池能隆は承久の乱において後鳥羽上皇方にくみしたため、北条義時によって所領を減らされた。乱後、鎌倉幕府は鎮西探題を設置して、西国の押さえとした。10代菊池武房は元寇に際して、鎌倉幕府から博多に召集され、一族郎党を率いて元軍と戦闘を交え敵を討ち取った。

菊池氏は、伝統的に源平勢力と一定の距離を保ち在地勢力の勇としての意地を見せてきたが、鎌倉幕府に衰えが見られるようになると朝廷とのつながりを深めた。12代菊池武時は後醍醐天皇の綸旨に応じ、1333年(元弘3年、正慶2年)阿蘇惟直・少弐貞経・大友貞宗をさそって鎮西探題北条英時を博多に襲ったが、貞経・貞宗の裏切りによって善戦むなしく鎮西探題館内で戦死した。

武時の遺志は嫡男13代菊池武重に引き継がれ、建武の新政成立後、楠木正成の推薦もあって肥後守に任じられた。武時の武功は高く評価され、その庶子菊池武茂・菊池武澄・菊池武敏らも叙任を受けた。

南北朝時代
足利尊氏が建武の新政から離脱し反旗を翻すと、武重は後醍醐天皇の近くに仕え日本各地を転戦した。武重が関東で戦っているころ、京都を追われた尊氏が九州に逃れ少弐貞経の子の少弐頼尚が尊氏を赤間関に迎えに出た隙に、武重の弟菊池武敏は大宰府の貞経を攻めて滅ぼした。

1335年(建武2年)勢いづいた武敏は阿蘇惟直・秋月種道・蒲池武久・星野家能らを誘って多々良浜の戦いで足利方と戦ったが敗北し、菊池に逃げ帰った。尊氏が京都に攻め上ると、武敏は再度蜂起して足利方に反抗した。また、京都を脱出していた武重は1337年(南朝:延元2年、北朝:建武4年)帰国して武敏と合流し、足利方の一色範氏・少弐頼尚と戦った。以後、九州も南北朝の争乱に巻き込まれていくことになる。

武重・武敏兄弟の死後、菊池氏勢力は沈滞の時期を迎えたが、南朝・後醍醐天皇の皇子懐良親王が、1339年(南朝:延元4年、北朝:暦応2年)征西将軍として九州に下向した。途中伊予国に滞在した懐良親王は、宇都宮貞泰を連れて1341年(南朝:興国2年、北朝:暦応4年)薩摩谷山に上陸、1343年(南朝:興国4年、北朝:康永2年)肥後国宇土において15代菊池武光に迎えられた。懐良親王は阿蘇惟澄の本拠地御船を経由して隈府城に入城した。

このころ中央では尊氏と弟足利直義の間に対立が深まり、1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年)直義の養子足利直冬が九州に下向してきたため、九州は三勢力に分断された。しばらく三すくみの状態が続いたが、1351年(南朝:正平6年、北朝:観応2年)直義の失脚により直冬が九州を去ると、勢力を伸ばした懐良親王は1358年(南朝:正平13年、北朝:延文3年)武光やその兄弟武義・武澄らの働きによって大宰府を攻略した。以後、大宰府に征西府が置かれ九州における公的機関の様を呈していた。

一方、業を煮やした幕府は1371年(南朝:建徳2年、北朝:応安4年)に新たに今川貞世を九州探題に任じた。武光は貞世と戦ったが敵わず、翌年には大宰府を失った。このような中で武光と16代菊池武政が相次いで没し、17代菊池武朝が後を継いだが、1377年(南朝:天授3年、北朝:永和3年)の蜷打の戦いで北朝方に大敗するなどさらなる敗戦を重ね、1381年(南朝:弘和元年、北朝:永徳元年)には本拠地をも追われてしまった。

そして、1392年(明徳3年)の南北朝合一を機に武朝は阿蘇惟政とともに了俊と和睦することになった。

室町時代
18代菊池兼朝は必ずしも室町幕府に忠実ではなかったが、これまで守護であった阿蘇氏が阿蘇郡にしか勢力が及んでいない実情をみた室町幕府は兼朝を肥後守護職に任じた。次の19代菊池持朝の時代には大内氏とともに室町幕府に反抗的な少弐氏・大友氏と戦い、大友氏が持っていた筑後守護職を与えられた。ところが、20代菊池為邦の代に大友氏が幕府から罪を許されて筑後を大友氏と菊池氏の半国守護にすることになると、これに反発した為邦は大友氏と戦い、今度は幕府の怒りを買った菊池氏が筑後守護職を奪われてしまった。

一方、菊池氏の本国である肥後でも阿蘇郡は前守護である阿蘇氏が阿蘇大宮司の立場を利用して同郡を掌握しており、菊池氏の勢力は小国地方に浸透したのみであった。球磨郡と芦北郡も鎌倉初期からの領主である相良氏が掌握しており、内乱時に菊池氏の安堵を得ることはあっても原則的には自立した存在であった。そして、八代郡を支配していた名和氏も菊池氏とは長年南朝方としてともに闘ってきた間柄で菊池氏とともに室町幕府に従った後も自立した存在であり続けた(宇土郡を支配する宇土氏が滅亡すると、同郡も併合している)。菊池氏が守護として確実に支配できた地域は天草郡と「国中」と称された7郡(玉名・山本・山鹿・菊池・飽田・託磨・益城各郡)および筑後守護時代に影響下に入った筑後の一部地域に限られており、それも後述の内紛によって縮小していくことになる。

終焉
父である18代菊池兼朝を追って当主に就いた19代菊池持朝のころから菊池氏一族の間で家督をめぐる争いが持ち上がるようになっていたが、20代菊池為邦の弟で宇土氏の養子になっていた宇土為光が、甥である21代菊池重朝に対して1484年(文明16年)挙兵、敗れたものの重朝没後1501年(文亀元年)再度挙兵した。為光に追われた22代菊池能運は有馬氏を頼って玉名を経由して島原に逃れ、翌1502年(文亀2年)城重岑・隈部運治らと呼応して為光を自刃させた。能運は戦いに勝利したものの、戦傷がもとで1504年(永正元年)わずか23歳で死亡し、以後菊池氏の家督は庶流から輩出されるようになり、菊池氏家督は阿蘇氏や大友氏に横取りされ、こうして菊池氏は滅亡した。

能運の死後肥後国では下克上が進み戦国時代に突入したとされるが、菊池氏の遺領は菊池三家老と言われた赤星氏・城氏・隈部氏らが領するところとなった。


正直、戦国時代まで残っていたらと、タラレバはないが九州の勢力図変わっていたと思う、なんにしても九州から都(京都)は遠い。織田信長(美濃・現岐阜県美濃市)、豊臣秀吉(尾張・現愛知県名古屋市)、徳川家康(岡崎・現愛知県岡崎市)は都(京都)に近い。勘違いされがちだが、秀吉が信長の家来であり、家康は徳川家の大将であり、信長は家康を同格に扱った。秀吉は天下を取ったと言われたとき、家康の大坂城訪問を再三促したが同格の為、なかなか登城しなかった。秀吉の誘いに根負けし(秀吉の姉と結婚)登城、これで戦国大名は家康が秀吉の軍門に下ったとみて豊臣秀吉。太閤と呼ばれたが、将軍、摂政は源氏の血統しかなれないため関白と称した。

薩摩藩は二重鎖国で、その薩摩藩と菊池一族が手を結べば?という妄想してしまう(笑)


【菊池渓谷】
菊池渓谷(きくちけいこく)は熊本県の菊池川上流、水源にある渓谷で、阿蘇市と菊池市に属する。避暑地、紅葉の名所として知られている。

一帯は阿蘇外輪山を取り囲むモミ、ツガ、ケヤキなど広葉樹の原生林に覆われている。「渓谷美の極致」と言われた状態で残っており、阿蘇くじゅう国立公園の特別保護地区、菊池水源として名水100選に選定されている。また、くまもと自然休養林菊池渓谷として森林浴の森百選や、菊池渓谷自然休養林 として水源の森百選等に選定されている。
菊池温泉や阿蘇内牧温泉の開発に伴って、この渓谷も全国に知られるようになったが、レジャー開発をほとんど行っていないため、遊歩道(左岸は九州自然歩道)と売店・トイレがあるぐらいである。穏やかな流れで女性的な景観を擁するが、水難死亡事故は起きている。見所としては掛幕の滝、黎明の滝、紅葉ヶ瀬、竜ヶ淵、天狗滝、四十三万滝(日本の滝百選)、広河原などがある。なお、清掃協力金(強制ではない)を求められる。




















【菊池温泉】
日帰り温泉
隈府
・栄屋旅館
・清流莊
・城乃井旅館
・望月旅館
・宝来館
・菊池グランドホテル
※周湯券1,500円で三つの温泉が入湯できお得です。

私のおすすめは栄屋旅館さんです。

泗水町
・亀の甲温泉
・辰頭温泉

七城町
・七城温泉ドーム

菊池温泉
菊池温泉(きくちおんせん)は、熊本県菊池市の中心部、隈府一帯にある温泉。泉質は弱アルカリ性で肌によいため「化粧の湯」と呼ばれる。湯量が豊富。

アクセス
バス
鹿児島本線熊本駅より熊本電鉄バスで約85分。
豊肥本線肥後大津駅より産交バスで約40分。
自家用車
九州自動車道植木インターチェンジより国道3号、熊本県道53号植木インター菊池線などを経由。

泉質
アルカリ性単純温泉
源泉温度45℃。

柔らかくヌルヌルすべすべとした肌触り。良質で肌に吸いつくような濃厚な湯で、美肌効果があると言われる。そのことから「乙女の肌」ともいわれる。

温泉街
約40軒の旅館が存在する。
温泉街では「周湯券」という湯巡手形を発行しており、1000円で3カ所の温泉を楽しむことができる。
歓楽街的要素が強いことで知られ、従来は男性客、団体客がコンパニオンを呼ぶ宴会型の温泉地であった。そのため最近の女性客、個人・家族客中心の保養型志向の流れの中で伸び悩み、宿泊客数は平成元年の約44万人をピークに減少を続けている。
そこで地元では、女将が中心となって「おしどり夫婦の里」づくりを進め、「わいふ(隈府、ワイフ=妻)の湯」「美肌の湯」をうち出すなど方向転換とイメージアップをはかっている。
また歴史的街並みを保存しようと住民が景観形成協定を結び、景観整備に取り組んでいる。隈府の町中を流れている築地井手を一部復元した水辺空間や、しゃれた店舗等も少しずつ整備されてきている。街路灯にも菊池一族の並び鷹の羽の紋章や菊池千本槍をイメージした斬新なデザインのものが設置されるなど、歴史的町並みづくりへの取組みも進められている。

歴史
隣の山鹿温泉が古くから知られているのと比べると歴史は浅く、開湯は1954年(昭和29年)である。熊本市の奥座敷として栄えた。2006(平成18)年11月には、菊池川流域の玉名温泉、山鹿温泉、植木温泉の3温泉地とともに「菊池川温泉郷づくり協議会」を発足させ、「菊池川温泉郷」ブランド化を目指して共通商品や広域観光ルートの開発などに取り組んでいくことになった。

※菊池温泉は美人湯、化粧湯と呼ばれるようにお湯がツルツルとまた柔らかなぬめりがありとても素晴らしい温泉です。私が自然の凄さを感じるのは、この泉質とほぼ同じ感覚を覚えるのが高屋温泉(宮崎県西都市)、いこいの里(宮崎県串間市)です。両方とも宮崎県ですが、阿蘇山をかろうじて通過してると思います。阿蘇という自然の偉大さか?なんのデータもエビデンスもありませんが、私が肌感で感じてるだけです。
尚、ここでは名前は出さないですが上記温泉施設には明記してます。
一人で笑いを堪えたのが

・注意書きに「湯船で入れ歯を洗わないでください」(現在、改装され変わりました)
書いてあるからには洗った人がいるんだと思ったものでした(笑)

・別の施設には「湯舟に浸かる前に必ずチ〇チンを洗ってください」

こうハッキリ書いていたら、誰も守らざる得ないですよね。

私は温泉巡りをしているのではなく、必要に駆られて(お風呂として)います。だから500円以下を目標に探して入ってきました。九州の温泉の多さ、安さに驚きました。

また、全国入り方はまちまちで「かかり湯」をしないところ、人があるんだと思ったものです。



【竜門ダム】







竜門ダム
竜門ダム(りゅうもんダム)は、熊本県菊池市、一級河川・菊池川水系迫間川に建設されたダムである。
国土交通省九州地方整備局が管理する国土交通省直轄ダムで、菊池川水系における河川法に基づいた唯一のダムである。堤高は99.5mで、型式は重力式コンクリートダムとロックフィルダムの複合型、いわゆるコンバインダムであり、コンバインダムとしては日本で最も高いダムである。菊池川の治水及び熊本県北部地域・福岡県南部地域への利水を目的とした特定多目的ダムである。また、筑後川水系と菊池川水系をトンネルで連携させて水を融通することにより、福岡市への水需要にも一役買っている。ダムによって出現した人造湖は班蛇口湖(はんじゃくこ)と命名され、ウォータースポットとしても利用されている。

班蛇口湖
ダム湖は水没地右岸部の大字より「班蛇口湖」と命名された。ダム湖はヘラブナ、ヤマメ、ウグイ、カワムツの釣りのスポットである他、九州では有名なワカサギ釣りのスポットである。毎年2月には「竜門ダムワカサギ釣り大会」が行われ、200人以上の太公望が釣り糸を垂らす。ワカサギについては1998年(平成10年)より長野県より600万粒の受精卵を購入し、湖で孵化させている。班蛇口湖での釣りについては熊本県菊池川漁業協同組合が漁業権を保有しているため、入漁時には「菊池川遊漁鑑札」という許可証が必要となる。一日鑑札と年間鑑札があり、料金はそれぞれ500円と2,000円である。なお、撒き餌は湖の環境悪化を招くため、またブラックバスとブルーギルの放流は湖の生態系を破壊し漁業に影響を与えるためそれぞれ禁止されている。

【熊本市菊池市の概要】
菊池市(きくちし)は、熊本県北部に位置する市である。

地理
熊本県の北部を流れる菊池川の上流、熊本市から北東約25kmの場所に位置し、市域中央部から南西部は熊本平野の北東端にあたる。大宰府府官の流れをくむ菊池氏の本拠地・隈府(わいふ)を中心に市街地が形成されている。
東部は阿蘇外輪山の天然生広葉樹で覆われ、野鳥の宝庫。その間を縫う清冽な菊池川の源流が大小の瀬と渕と滝をつくり菊池渓谷をなしている。菊池渓谷は日本名水百選にも選ばれており、夏でも平均水温が13度で避暑地として知られ、毎年4月の山開き以後30 - 40万人の人が訪れる。この一帯の国有林は、1965年には九州で初めて自然休養林に指定されている。
北部は大分県と隣接している。
山岳:鞍岳(1119m)、八方ヶ岳(1052m)
河川:菊池川、迫間川、合志川
ダム:竜門ダム

隣接している自治体・行政区
熊本市(北区)
山鹿市
阿蘇市
合志市
菊池郡大津町
大分県日田市

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