べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

「日本はなぜ戦争をしたの?」

2015年12月19日 | 私事・未分類
ヒトは「結論」を急ぎます。「結論」を示(しめ)せば多数に支持されやすい。その「結論」がウソでもです。さらに「悪者」を設定すると多数を誘導(ゆうどう)しやすくなります。


よのなかに「悪はある」と思います。意図(いと)的に悪いことをするひとはいます。少数ながら大きな悪です。

さらに、悪いことだとうすうす知りながら目をつぶるひとがたくさんいます。わたしもです。誰もが石持て打たれます。小さな無責任はどこかしこにあります。すべきことをしなかったやれることをしなかった、たくさんの無責任が意図的に悪いことをするひとを支(ささ)えます。

よのなかは半分はひとのせい半分は自分のせいなんだと、わたしは思います。よのなかに責任はあります。職権の範囲または実権の範囲の責任はあります。


よのなかに「悪者」はいないとも思います。仮に「悪者がいる」とすると同時に「良い人がいる」ことになります。良い行(おこな)いはありますが、ヒトの限界から逃(のが)れられる「良い人」なんてどこにもいないのに。「良い人」を望み「悪者」さえ除(のぞ)けば上手くいく。多くのひとがそう考えてドイツのヒトラーや日本の近衛(このえ)内閣や軍部の暴走さえ支持しました。当時の政党政治家や財閥(ざいばつ)の金持ちこそが「悪者」だったからです。

そんな気分を煽(あお)った組織があります。マスコミです。マスコミは、たくさんの無責任を増幅(ぞうふく)させます。


月刊ジュニアエラ 2015年8月号「日本はなぜ戦争をしたの?」の特集です。

現政権を、意図的に悪いことをしたひと達に重ね誘導するイラストがありました。従来の社会批評漫画の範囲ですしキャプション(説明文)で煽ってはいません。がっかりしたのは、いまだに「悪者」を仕立てる手法を用(もち)いたことと、マスコミが積極的に世論を戦争へと誘導したことについて”まったく”触れていなかったことです。


現代政治の大枠はカネの流れで決まります。タイミングや組み合わせは変われども、現代日本でどの政党が政権を取ろうと大枠は変わらない、とわたしは思います。残念ではありますが。

わたしは、マスコミを「悪者」には仕立てません。戦争に向かうなか自(みずか)ら目をつぶった責任はあれど、売れるためにいまなお「悪者」を仕立ていても、です。わたしたちのなかにある「悪者」を仕立てたい気分は、「良い人」を望む裏返しです。期待ばかりふくらみその期待は必ず裏切られます。どこかに「良い人」を望むことはわたしたちの無責任の集合でしかないからです。マスコミの無責任は、わたし達自身が「良い人」たろうとしない無責任の反映です。実現が難しいからと理由をつけて、無責任から抜け出そうとさえしない反映です。

意図的な悪はそれだけならばチンケな犯罪者にすぎず、たいしたチカラは持たないのですから。


わたし個人に大枠を変えるチカラはありません。でも声を発することとその手段はある。わたしとおなじようにモヤモヤした気分を抱えるひと達に届けばと願います。(藤田)

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