写真は「みぞれ」。シャーベットのようです。みぞれは雨まじりの雪で、季節の変わり目に降(ふ)ることが多い。今日のように急に寒くなったときに思い出される詩を紹介します。
けふ(きょう)のうちに
とほく(とおく)へ いってしまふ(しまう) わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
うすあかく いっさう(いっそう) 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
青い蓴菜(じゅんさい)の もやう(もよう)のついた
これら ふたつの かけた 陶椀(とうわん)に
おまへ(おまえ)が たべる あめゆきを とらう(とろう)として
わたくしは まがった てっぽうだまのやう(よう)に
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
宮沢賢治「永訣(えいけつ)の朝」より
病気で妹が亡(な)くなるときの詩です。高熱があるため、つめたい「あめゆきをとってきてちょうだい」と何度もたのむ妹。悲しくつらい気持ちのような暗い雲と、美しくお菓子のような「あめゆき」(みぞれ)が対比されています。
教科書に載(の)っている「注文の多い料理店」「やまなし」も宮沢賢治の作品です。くるしい・つらい・こわいものと、たのしい・うれしい・うつくしいものが同居(どうきょ)しています。「どんぐりと山猫」もお薦めしておきます。
宮沢賢治は生きているうちに、作品が全く売れなかったそうです。「雨ニモマケズ」にあるように良い人間関係を作りたいという強い願いと、それがうまくいかない葛藤(かっとう)とを抱(かか)えていたといいます。
昭和六年九月廿日再ビ東京ニテ発熱
大都郊外ノ煙ニマギレントネガヒ
マタ北上峡野ノ松林二朽チ
埋レンコトヲオモヒシモ
父母共二許サズ
廃躯ニ薬ヲ仰ギ熱悩ニアヘギテ
唯是父母ノ意僅二充タンヲ翼フ
宮沢賢治の最後の手帳から
けふ(きょう)のうちに
とほく(とおく)へ いってしまふ(しまう) わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
うすあかく いっさう(いっそう) 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
青い蓴菜(じゅんさい)の もやう(もよう)のついた
これら ふたつの かけた 陶椀(とうわん)に
おまへ(おまえ)が たべる あめゆきを とらう(とろう)として
わたくしは まがった てっぽうだまのやう(よう)に
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
宮沢賢治「永訣(えいけつ)の朝」より
病気で妹が亡(な)くなるときの詩です。高熱があるため、つめたい「あめゆきをとってきてちょうだい」と何度もたのむ妹。悲しくつらい気持ちのような暗い雲と、美しくお菓子のような「あめゆき」(みぞれ)が対比されています。
教科書に載(の)っている「注文の多い料理店」「やまなし」も宮沢賢治の作品です。くるしい・つらい・こわいものと、たのしい・うれしい・うつくしいものが同居(どうきょ)しています。「どんぐりと山猫」もお薦めしておきます。
宮沢賢治は生きているうちに、作品が全く売れなかったそうです。「雨ニモマケズ」にあるように良い人間関係を作りたいという強い願いと、それがうまくいかない葛藤(かっとう)とを抱(かか)えていたといいます。
昭和六年九月廿日再ビ東京ニテ発熱
大都郊外ノ煙ニマギレントネガヒ
マタ北上峡野ノ松林二朽チ
埋レンコトヲオモヒシモ
父母共二許サズ
廃躯ニ薬ヲ仰ギ熱悩ニアヘギテ
唯是父母ノ意僅二充タンヲ翼フ
宮沢賢治の最後の手帳から
コメントありがとうございます
お返事遅くなり失礼しました
いわゆる教育漢字は戦後整備されたもので、戦前のとくに使用例の少ない熟語の読みは特定が難しいと聞きます
賢治研究者でもない、一介の学習塾講師の素人考えです
「大都郊外ノ煙ニマギレントネガヒ
マタ北上峡野ノ松林二朽チ
埋レンコトヲオモヒシモ」
「東京郊外の工場で働き孤独に生きようと願い、また北上山地の山々にはさまれた土地で松林のなかひとり死ぬまで暮らそうと思ってきたが
「北上(きたかみ)峡野(きょうや)」
どのような方むけに朗読されるのでしょうか。興味がわきます
「マタ北上峡野ノ松林二朽チ」の北上峡野はどう読むのか教えてください。