takubonpapa blog

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反貧困集会2011

2011-10-16 23:36:04 | 社会
 法政大学で開催された反貧困集会に参加してきた。教育の分科会は高校生の修学保障の課題が中心となったが貧困を解消するためには、単なるローンに過ぎない今の奨学金ではなく給費制の奨学金が必要なのだ。授業料だけでなく通学費や様々なお金がないと高校へ行けないのが実情なのだからその根っこのところを解決しなければならない。はたして国際人権規約の高等教育無償化条項を留保しているこの国が先進国と言えるのだろうか。義務教育の無償化もさることながら高等教育の無償化を早急に実現して社会全体で子どもを育てる社会になってほしい。

 教育分科会は教育費の話題が中心となったが、集会全体としては教育費は後回しという雰囲気だった。そして集会そのものも今ひとつ盛り上がらないというか、その道のマニアックな人たちばかりでなくもっと大衆的な運動の広がりが必要だと感じた。



 3.11大震災以降あぶりだされた貧困について考えてみた。

1.原発建設における貧困
 貧困自治体を原発漬けにするために田中角栄がつくった電源三法は、貧乏な田舎者を札束でひっぱたいて原発を建設するための法律だと思う。これによって貧困自治体はもう一基、さらにもう一基と原発建設を求めて行くようになり財政と雇用が原発に依存して行く。そしてその財源は税金と電気料金で全て国民が負担しているのだ。その利権に群がるのが原発メーカー、大手ゼネコン、政治家、官僚、学者、マスコミでいわゆる原子力ムラの住人達で、住人達が利権をむさぼるためには貧困自治体が存在しなければならず、政策的に貧困自治体が作り出されてきたのではないか。

2.避難生活における貧困格差
 避難所が開設されたころから、「昼間から酒を飲んでいる」とか、「治安が心配だ」と言う住民の噂があった。しかしオレは酒でも飲まなきゃやってられないという思いに共感する。避難所が閉鎖されて仮設住宅に入った今でも、「パチンコに通っている」などの噂がまことしやかに語られることがある。一部ではそういう方もいるのかもしれないが一般化するのは誤りだし、希望が見えなければ心が荒んで行くのはあたりまえではないのか。
 震災から半年が過ぎ、団結して未曾有の災害を乗り切るという思いを共有した時期を過ぎ、避難者間の様々な格差が見えてきて妬み合いが生まれてきているとも聞く。
 大手マスコミが取り上げなくなってきたこれからが本当に大変になっていくのに、本当の敵を見誤り、規範論や自己責任論が幅をきかせてくることに憤りを感じてしまう。
 補償もさることながら、避難者が希望を持って自立できるだけの雇用を確保して、住民自治を確立させるためのフォローが必要なのではないか。

3.県外避難における格差
 福島では震災以降約1万2千人の児童生徒が県外に転校したと言われている。何もかも失って福島に残る意味がないと考え避難した方もおられるかもしれないが、子どもの被ばくを心配して転校させた家庭がほとんどではないだろうか。これは勝手な想像だが、この場合にも格差と貧困が横たわっているのではないかと考えている。主に都市部において県外へ転校できる条件がある家庭はある程度所得が高い階層なのではないだろうか。逆に転校させたくても経済的な理由でできない家庭もあるだろう。

4.教育費思想の貧困
 震災により県教育庁の庁舎が使えなくなり県教委はその体をなさなくなった。そのような中でも保留にしていた人事異動を8月に行うことや、取り憑かれたように学力向上の手綱はゆるめることなく通知をおろしてきた。心にぽっかり穴が空いたような状況の学校現場には、今回の震災から子どもたちに何を学ばせるのか、心のケアをどうするのか、就学援助や経費負担の取り扱いをどうするのか、放射能の影響はどうなのかという学校の願いから乖離していた気がする。
 学校では4月当初から、県教委や市町村教委が何の方針も示さない中で、何の疑いもなく避難転入家庭からもお金を集めようとする学校がほとんどだった。オレはこの非常事態だからこそ学校の受益者負担主義を改めさせる機会だと捉え、せめて避難転入家庭からはお金を集めない学校にするために奔走したつもりだ。
 そして受益者負担主義ではなく、どこの学校へ行っても子どもと保護者がお金の心配をしないで済むように教育費が無償であるべきだという思いを強くした。



 福島では東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故によって、放射性物質との共存を余儀なくされ福島の生活は大きく変わった。そして非日常の日々が日常になりつつあることが一番怖い。
 震災直後県外へ避難する教職員や、ガソリン不足で出勤できない同僚もいるなかで、オレは意地でも出勤するという思いで3月を過ごしまた。それがこれまでの公務員バッシングに対する自分なりの答えだと考えていた。まぁ命までかけるつもりはなかったけれど。
 以前にも書いたが3.11で震災前からあった子どもの貧困や、子どもたちの情緒的幸福度の低さにあらわれる心の貧困などの課題はより鮮明に、非常事態にもかかわらず通常の就学援助認定をしようとする硬直した行政システムの問題や、どこの地域に行ってどこの学校に転入してもお金の心配をさせない学校にするための課題が見えてきた。
 オレらは今、未曾有の大災害に直面し8.15に次ぐ時代の変わり目に生きているのだ。年間に3万人の自殺者を生み出すような3.11以前の決して先進国などとは呼べないこの国のかたちに戻そうとする勢力に抗して、誰かの犠牲の上にしか成り立たない原子力と決別し、憲法が生かされ人々の心が平和で安心して暮らせる社会につくり変えていくために自分にできることを考えたいと思っている。そしてそれが福島で生きることを決めた者の責任のような気がしている。 
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