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たこーすけの、ちょろっと感想

クダン・ミラちゃんのファンブログ。

らき☆すた 第2話 「努力と結果」

2007年04月23日 03時41分59秒 | らき☆すた(各話感想)


こんばんは、たこーすけです。更新終了です。

「らき☆すた」第2話を視聴しましたので、その感想を書きたいと思います。
原作は未読です。

以下、「らき☆すた」第2話までの内容、ネタバレを含みます。未見の方は御注意下さい。
Last modified: 2007-04-23 03:40





目次

[ステージと客席]
[BBCは貧乏だ!]
[WAWAWA忘れ物~]






[ステージと客席]    (目次へ


ステージと客席の間には、境界線が存在します。
コンサートホールやライブハウスなどでは、ステージは客席より一段高くなっていて、目に見えてその境界線を意識することが出来ます。
しかし例えば駅前の路上でのライブなどでは、「高さ」による境界はなくステージと客席(と言っていいものか…えーっと「人だかり」ですかね)は、同じ高さで地続きです。
それでも、演奏者のいるところと聴衆のいるところの間には、確かに何か「境界線」が感じられることと思います。
だからこそ、ちょっと距離をとって、演奏者を取り囲むように人だかりは出来るわけです。
路上であっても、そこはステージです。
当事者でなければ、ちょっと入り込めない空間になります。毎朝、通勤通学途中に歩いている場所なのに。
今朝も、いま目の前で演奏しているその人が立っている、まさにその場所を通ったのに。
酔っ払ってでもない限り、ライブ中に、毎朝踏んでいるその場所に入り込むことが出来ない。
楽器をセッティングしただけで、そこは、ステージ、「場」になるわけです。
物理空間的にも感覚意識的にも、境界線が生まれるのです。

さて、そのステージ上で、今まさにライブが始まるとします。
ライブハウスだとしましょう。
暗転しているステージ上に、演奏者が立ちます。
照明が入り、カウントで、曲が始まりました。
小難しそうな曲です…
が、いきなり、間違えて、曲が止まりました!

「すいません。間違えました。もう一回、最初から」

みなさんは、どう反応なさるでしょうか?
「おいおい…」「呆れた」「あーあ…」という感じかもしれません。
ぼくは、
「いえーい!」です。
学園祭かなにかで、知ってる人たちのステージであったら、
「いえーい!」のあとに、「金返せーw」とか言うと思います(学園祭だからお金とか払ってないのにw)
大好きなんです。そういう瞬間。すごく盛り上がってしまいます。

それは何故かと考えると、「境界線」がおぼろげになる瞬間なのだからかなと思います。
ステージの始まり、曲の始まりの緊張感が、中断により、ふっと途切れる(台無しになるともいいますがw)
そこに、「すいません、もう一回」とか喋りだす。
境界線の向こう側の、手の届かない遠くの存在である演奏者が、なんというか、「ステージ」上の姿から、ふっと「素」に戻る。
さらに、「この曲、難しくて…」とかまで言ってくれたりすると、なんだか「舞台裏」を垣間見るような感じにもなります。
ステージと客席の間にある境界線、それがおぼろげになる瞬間。
ぼくは、そういう瞬間が大好きです。
ぼくも楽器をやり、ライブとかもやったりしていた、いわば「当事者」だからなのかもしれません。
当事者だから、「舞台裏」に共感でき、ついつい嬉しくなってしまうのかもしれません。
ステージの出だしの緊張感にも、難しい曲で間違えてしまうことにも、つい共感を覚えてしまうのでしょう。
あ。でも、ジャンルにもよるとは思います。
クラシックのオーケストラであったり、もしくは「ステージ」が始めから終わりまで1つの物語というか形式になっている場合、例えばミュージカルとか、あるいは打ち込みや映像と同期している場合なんかだと、失敗して曲が止まるというのは、結構シャレにならず、台無しです。
ぼくがやっていたのは、ジャズとかなので、まあなんとなくアリかなーとか思ったり(や。もちろん、「そんなことは許されない」と考える方が多いとは思いますが)

あるいは、曲間のMCなんかでは。
通り一遍の曲の紹介やバンドメンバーの紹介ではなく、メンバーのエピソードを、なんというか、「内輪ネタ」や「楽屋オチ」的に語ってくれるのが、ぼくは大好きです。
それもやはり、メンバーの「素」を垣間見れるということで、ステージと客席の間の境界線がおぼろげになっている時なのかと思います。
もちろん、そこではバランスが大事で、あまりに「内輪」過ぎたり、逆に中途半端であったりすると興醒めです。
適度なバランスで。
演奏中の間には遠くに感じていた演奏者を、身近に感じられる時。
それは、「境界線」がおぼろげになっている時。
「内輪ネタ」や「楽屋オチ」がお嫌いな方もいらっしゃることでしょうが。


さて、何の話をしているのかというと、今話の「らき☆すた」で、ぼくは何がどうして面白いと感じたのかという話なのです。

「らき☆すた」第2話。
太鼓の達人のハレ晴レユカイ。
コンプ祭りのクオカード。
ドラマCDとアニメでのキャスト総入れ替え。
WAWAWA忘れ物~。
どうなの。レギュラー陣。

これらは、内輪ネタ、楽屋オチであるのみならず、セルフパロディー、自己言及的であり、いわゆるメタフィクショナルなのだと思います。
ぼくは、こういうのが大好きなのです。

画面の向こう側と視聴者。
その間には、明確な境界線が存在しています。
「~は俺の嫁!」とか言っても、モニタの中には入れないのです。
しかし、わかる人にはわかるネタ。
それに「ニヤっ」とした時、境界線は少しおぼろげになっているのではないでしょうか。
第2話の中には、上記以外にもっともっとたくさんの「ネタ」が仕込まれているのだと思います。
ぼくに知識がないために、明確に、これはこういうネタと指摘は出来ませんが、それでも、「あー。きっとこれは、わかる人にはわかるネタなんだろうなー」と思う箇所がいくつもあります。
そんな箇所も、自分は明確に理解できないにも関わらず、ぼくは大好きです。
ライブのMCでの内輪ネタを、明確に理解できなくても、なんとなく楽しくて、大好きなように。

この「らき☆すた」は深夜アニメです。
原作の4コマ漫画も、新聞のテレビ欄の裏とかに掲載されているわけではありません。
ぼくもみなさんも、こなたのオタクネタに「あるあるw」とか思っています。
このアニメが対象としているのは、ぼくたちです。
ぼくたちはその意味で、「当事者」であるといえましょう。
さらに、ぼくたちはこなたとの境界線がおぼろげなだけではありません。
「あるあるw」だけではなく、「ねーよw」とも思うのです。
こなたみたいな女子高生は、まあ、いないのではないでしょうか。
彼女たちの繰り広げる会話に、「あるあるw」と共感を覚えつつ、でもそんな彼女たちのいる世界は、「ねーよw」とも思う。
特にこなたに対しては、ネタには「あるあるw」と思いながら、その存在は「ねーよw」と思う。
だから、ぼくたちはかがみの「つっこみ」にも共感を覚えるわけです。
こなたともかがみとも、そしてつかさやみゆきさんとも、ぼくたちは境界線がおぼろげといえるのではないでしょうか。
ぼくたちは、このアニメに対して、「当事者」です。
当事者だから、舞台裏に共感でき、内輪ネタや楽屋オチが面白く感じられ、ついつい嬉しくなってしまうのです。





[BBCは貧乏だ!]    (目次へ


「空飛ぶモンティ・パイソン(Monty Python's Flying Circus)」をみなさんはご存知でしょうか。
イギリスのBBCで1969年から1974年まで放送されたコメディ番組でして、そのブラック・ユーモア、毒の強い風刺性、シュールかつナンセンス、またタブーへのぎりぎりっぷりは、さすがイギリスといった感じで、その後のコメディへ強い影響を与えたと言われています。
また、「スパムメール」の語源は、この中のショートコント(スケッチと呼びます)の一つである「スパム・スケッチ」(くどいほど「スパム(アメリカのソーセージ?みたいなもの)」という単語が繰り返される)からきていると言われていることや、メンバーの一人のテリー・ギリアムさんは、その後映画監督として「未来世紀ブラジル 」や「フィッシャー・キング 」、「12モンキーズ 」を作っていることでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

さて、この「空飛ぶモンティ・パイソン」中には、その放送局であるBBCを描写したパロディからなるスケッチが数多くあります。
おそらくBBCで当時やっていたであろう番組のパロディであったり、「BBCからの謝罪」をスケッチ中に出してみたり、BBCのアナウンサーに扮して、ありもしないニュースを読み上げたり、はたまた本物のアナウンサーが出てきたり、さらにはライバル他局のアナウンサーが出てきたりまでもします。

「BBCは貧乏だ」というのも、そのようなスケッチの一つです。
出だしは「沈みゆくマザーグース号」というスケッチで始まるのですが、途中から「BBCは予算不足のため、台詞のある役者に発生するギャラが払えず、台詞をしゃべれない」というような感じになったり、衣装がズボンなしになったりします。
そこにBBCのアナウンサー(に扮しているメンバー)がカットインして、「BBC倒産の話は根も葉もない噂です。(BBCが間借りしている)家主のケリーさんは、今月末まで使用を許可。社員の腕時計をかたに電力会社とも交渉したおかげで、今夜は予定どおり放送できます」というニュースを読み上げたりします。
最後には、「沈みゆくマザーグース号」のスケッチ中にセットが引き上げられて、じつはそこはケリーさんの家の居間で撮影していたことがわかったり、台所で馬術の「障害レース・ショー」をやり始めたりして、ケリーさんの家を追い出されてしまいます。

このように、楽屋オチ、セルフパロディ、そしてスケッチ中のスケッチという多重構造であるメタフィクション性を持つ点に、ぼくは「らき☆すた」と「空飛ぶモンティ・パイソン」に類似点を感じています。

また、モンティ・パイソンのメンバーの大半は、オックスフォード大学やケンブリッジ大学といった名門大学の出身であり、その教養に裏打ちされたブラック・ユーモアからなるスケッチも数多くあります(彼らは役者であると同時に放送作家でもあります)。
「らき☆すた」の監督の山本寛さんと音楽の神前暁さんは、京都大学出身です。
そんなところにも類似点を感じてしまうのは…ちょっと強引ですかね(笑)

そんな強引なところはともかく、ぼくが「らき☆すた」を観ながら「空飛ぶモンティ・パイソン」を思った理由は、もう一つあります。

「空飛ぶモンティ・パイソン」の各話は、6~8個のスケッチからなります。
しかし、それらのスケッチをただ並べているのではなく、それぞれがリンクしていたりします。
前後のスケッチが共通の要素でつながっていたり、最初のスケッチに出てきたネタが、途中で再び出てきたり、エンディングで出てきたりします。
さて、「らき☆すた」です。
今話、
GWの宿題。
ゲームセンター。
五月病で休みたい。
テストで一夜漬け。
コンプ祭り。
再び五月病の話。
歯医者さん。
ドラマCDとアニメのキャスト。
にらめっこ。
活字離れ。
アルバイト。
というように、いくつかの話からなっています。
これは、おそらく原作4コマ漫画のいくつかの話をもとにしているからだと思います。
そして、おそらくそのうちの一つが「努力と結果」というタイトルなのでしょう。
これらの話のうちいくつかは、「GWの宿題およびその後の中間テスト」「五月病」「アルバイト」といった要素でつながっています。
また、「努力と結果」というテーマでも、
宿題に対する努力と結果。
テストに対する努力と結果。
ゲームに対しておそらくこなたが費やしている努力とその結果。
努力をしてよい結果を達成したあとの虚脱感からくる五月病というもの。
クオカードを得るという結果のための、アルバイトという努力。
努力なしで結果を得てしまうにらめっこ。
というように、それぞれの話は共通のつながりを持ちます(他の話だって強引に関連付けられるかもしれません)
このように、いくつかの話がリンクを持って並んでいるという構成。
ここに、ぼくは「空飛ぶモンティ・パイソン」と「らき☆すた」の類似点を感じています。
そして、ぼくは「空飛ぶモンティ・パイソン」が大好きなように、「らき☆すた」も大好きだということなのです。





[WAWAWA忘れ物~]    (目次へ


さて、「らき☆すた」には、明確な「境界線」を持つ3つの世界が存在します。
「美水かがみ劇場(本編)」と「らっきー☆ちゃんねる」、そしてぼくたち視聴者のいるこの世界、の3つです。

「らっきー☆ちゃんねる」において、あきらさんと白石みのるさんは、明確に「視聴者」に語りかけ、そして「本編」に言及していることから、これら二つの世界を認識しています。
「視聴者」は、もちろん「美水かがみ劇場(本編)」も「らっきー☆ちゃんねる」も認識しています。
「美水かがみ劇場(本編)」において、こなた達は、「らっきー☆ちゃんねる」を認識しているようには見えず、「視聴者」のことも…「ネタ」は「視聴者」向けでありますが、少なくとも、認識して直接こちらに「語りかける」わけではありません。
このように、これら3つの世界は、
「ステージ」である「美水かがみ劇場(本編)」、
「舞台裏」「楽屋」である「らっきー☆ちゃんねる」、
「客席」である「視聴者のいる現実」、
という形になっています。

「境界線」は、前述のようにおぼろげに感じられる瞬間もありますが、これら3つの世界を明確に切り離しています。

この中で、「舞台裏」「楽屋」である「らっきー☆ちゃんねる」は、「ステージ」と「客席」の境界線をおぼろげにして結びつけるのみならず、「行き来」できる点で特異です。
「美水かがみ劇場(本編)」は、それはそれでこなた達の言動がメタフィクショナルでありますが、「らっきー☆ちゃんねる」は、その中で「本編」Aパート45カットの稽古をしたり、「レギュラー陣」に対して言及したり、それどころかあきらさんは、やさぐれている「素」のあきらさんが、自称スーパーアイドル「小神あきら」を演じているわけで、「らっきー☆ちゃんねる」自体は「フィクション」であるがゆえに、メタフィクションの最たるものです。

それを言うと、「白石みのる」さんの特異性はさらに際立っています。

公式サイト」によると、原作には登場しない、アニメのオリジナルキャラクターである「白石みのる」さんは、そのC.V.である白石稔さん本人でもあるそうです。
ということは、「白石みのる」さんは、
「美水かがみ劇場(本編)」にも出演し、
「らっきー☆ちゃんねる」でアシスタントをする存在であるだけでなく、
声優「白石稔」さんとして、ぼくたち視聴者のいるこの世界にも存在しているわけです。
つまり、彼は、今のところ唯一、3つの世界全てを行き来できる存在ということです。

そんな「白石みのる」さんが、「白石稔」さんが「涼宮ハルヒの憂鬱」において演じた「谷口」くんの「WAWAWA忘れ物~」を口にするわけです。
これは、もちろんメタフィクショナルなわけですが、ぼくたちは「白石みのる」=「白石稔」を知っているので、この「WAWAWA忘れ物~」をすんなり受け入れることが出来る仕組みにもなっています。
他のアニメのそれぞれ別のキャラクターが、同一の声優さんであることを通して引用した台詞を言っているのではなく、あくまで「白石稔」さんが言っているという仕組みです。一段階少なくなっているといいますか。

このように、「らき☆すた」はとてもメタフィクショナルであり、ぼくはその点がとても大好きです。
しかし、これはとても微妙なバランスの上に成り立っているとも言えます。
今のところ、3つの世界を行き来できるのは「白石みのる」さんだけです。
果たして、あきらさんは、「本編」に出演するでしょうか。
こなた達は「らっきー☆ちゃんねる」に飛び出してくるでしょうか。
「らっきー☆ちゃんねる」で、本物の「おハガキ」が読まれるでしょうか。
あきらさんでなく、「今野宏美」さんが出てくるでしょうか。
こなたではなく、「平野綾」さんが出てくるでしょうか。
ぼくとしては、3つの世界を行き来できるのは「白石みのる」さんだけであって欲しいと思います。
そして、それがこの作品の「バランス感覚」なのではないかと思っています。

…とかいって、そういうシチュエーションになったら、それはそれで納得してしまいそうですが(笑)


さて、そんな「らき☆すた」。
第3話「いろいろな人たち」も、とても楽しみです!

えーっと。すごく長くなってしまいました。
お読み下さって、本当にありがとうございます。
また、更新がとても遅くなって、大変申し訳ありませんでした。


…というか、さっき観ちゃったんですけどね。第3話。
テレ玉は今週も選挙速報で開始が遅かったので、ぎりぎり書き上げるのが間に合うかと思ったのですが、ダメでした。

第3話の感想も、たぶん平日中は無理そうです…
それでは、また次の土日に…


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4 コメント

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Unknown (ひふみー)
2007-04-23 05:55:07
いや、いつもながら新鮮な視点です。
そして驚きました。
たこーすけさんも“パイソニアン”だった事に!

小6の頃、タモリのTV初登場と共に放映された
「爆笑!チャンネル泥棒~」を見て以来、自分にとってもモンティ・パイソンは
“心の故郷”wでしたが
まさかヤマカンとの共通点という視点には至らず
パイソニアン失格かも。
そういえば京アニのお笑い演出は強烈ながらもどこか上品というか
マニアックかつスタイリッシュな部分があって
(それが今一物足りないという人もいるかも)
その辺りは似ているかもしれませんね。

フィクションと現実のクロスオーバー・メタ感覚は
東浩紀氏のいう所の、ポストモダン的な「作品消化の2面化」に
近いものかもしれません。
あるいはTVという媒体を自ら意識して、それを遥か以前にやってのけた
モンティ・パイソンが先鋭的すぎたのか………
返信する
お久しぶりです (yukita)
2007-04-23 22:24:05
お久しぶりです。yukitaです。

これだけ、深く分析するなんて。
これなら、更新が遅れても大丈夫だと思います。

たこーすけさん、ジャズをやってらしゃったんですね。
別枠で、その当時の想い出を知りたいです。

僕もついに、ブログを始めました。
でも、たこーすけさんや、他の皆さんのサイトを読むと、自分の『アホさ加減』を思い知ります。

『らき☆すた』は、本当にネタが多くて、どこに照準を合わせて良いものか、迷います。
でも、それがこの作品の面白さかなぁ・・・。
(白石みのる君の活躍を、密かに期待しています。)




返信する
お返事なんかしちゃったりなんかして (たこーすけ)
2007-04-27 02:40:57
ひふみーさん、お読み下さりコメントをありがとうございます!
こんばんは、たこーすけです。

うわー!ひふみーさんは、リアルタイムですか!日本版の!うらやましいです!
ぼくは、NHKで2000年くらいにやっていた再放送で初めて知って(じつは、その時初めて観たのが「BBCは貧乏だ」でした)、DVDボックスを買ってという感じでして、吹き替え版を観たことがないのです。
いつか観てみたいと思っているのですが、「空飛ぶ~」シリーズでは出てないですよね?たしか。
「アンド・ナウ」のDVDは、日本語吹き替えも入っているのかな。たしか。
なんといっても、
故・山田康雄さん、納谷悟朗さん、飯塚昭三さん、青野武さん、広川太一郎さん、古川登志夫さん、
による吹き替えですものね。
とくに、広川太一郎さんのアドリブを聴いてみたい!

という程度のパイソニアンでして、お恥ずかしい限りです…
「空飛ぶ~」のDVDは何回も何回も観直していますが…
あ。あと、スクリプト集も持ってたりします。
一時期、それでもって英語のヒアリングの勉強にしようと思ってました(笑)

そうそう!「チャンネル泥棒~」には、若き日のタモリさんも出ていたんですよね。
「四ヶ国語麻雀」とか。いわゆる「密室芸」の時代。
「いいとも」以前のタモリさんは、やっぱ、子供には不気味で怖い感じでした。
というか、子供といえば、小6で「モンティ・パイソン」というのはどうかと思いますよ!(笑)
刺激が強すぎるというか(笑)
その意味で、「モンティ・パイソン」を「上品」と言ってしまっていいのかは難しいところですが(笑)、
京アニの演出は、「マニアック」かつ「スタイリッシュ」であるのみならず、「上品」であるとぼくも思います。
そしてそのように京アニ作品は、深夜アニメでありますが、安心して子供にも見せることができるという点においても、とても「良質」であると思います(「フルメタ」はまだ観てないのでわかりませんが)


>東浩紀氏

うわー。「東浩紀」さんを引き出してしまった!
うぐぅ…
や。ぼく怖いのですよ。
東浩紀さんの評論や、あるいはなんというか「ポスト・モダン」的なものを扱った評論をぼくは読んだことがないのです。
そもそもあまり、というか全然、本を読まないのですが、その中でも「ポスト・モダン」的なもの(すみません。用語を把握できてません)を取り扱ったものは、怖いのです。
なんというか、「読んだら戻れない」というか。
絶対に「ハマる」のだろうなーと思ってまして。
やー。だって好きですもの。きっと。そういうの。
だから、どんどん読み漁っていってしまう気がしていて、なんか、こう、いろいろ「日常生活」に不都合をきたすような気がしてるんですよ。
だから読んだことがないのです。
でもなー。いつか手を出すんだろうなー。
そうすると、ぼくの「感想記事」は、その影響をモロに受けちゃうんだろうな…
とか思っております。

今回、「メタフィクション」という言葉を出すのも、結構ためらいました。
自分がよく把握できてない状態の用語ですので。
というか、「ハルヒ」での古泉くんの台詞で初めて耳にした単語でした(苦笑)
というわけで、ぼくとしては、メタフィクショナル?みたいな?感じですか?ですよね?
という感じで書いてまして…冷や汗気味なのです。

えーっと。今後もそんな感じですので、どうぞ生温かく見守ってやって下さい。プリーズ。
それでは!

返信する
ブログ開設おめでとうございます! (たこーすけ)
2007-04-28 02:25:16
yukitaさん、お読みくださり、コメントをありがとうございます!
こんばんは、たこーすけです。

ブログ開設おめでとうございます!
やー。なしおさんのところでの鋭い考察の数々。
いつか、yukitaさんにブログを開設して頂きたく願っておりましたので、とても嬉しいです!
今後とも、何卒よろしくお願い致します!

ぼくも皆さんのところを拝見する度に、自分の「アホさ加減」を思い知っています。
もう地団駄を踏みまくりですし。
でも、「Kanon」において、だんだんとそれなりの感想記事を書くことが出来るようになったと思えたように、「らき☆すた」でも、皆さんのレビューに刺激や影響を受けながら、少しずつそれなりのものを書けるようになるかなーなんて淡い期待をしていたりして。
いや、でも、「自分のアホさ」も個性のうち!と開き直ったりもしてw


>これだけ、深く分析するなんて。

いえいえいえ、滅相もないです!(汗)
結局のところ、今回の感想記事は四行でまとめますと、

・ライブのMCとかの「楽屋オチ」や「内輪ネタ」が、ぼくは大好きです。
・「空飛ぶモンティ・パイソン」も、ぼくは大好きです。
・「らき☆すた」は、これらと共通点を持っているように思います。
・したがって、ぼくは「らき☆すた」も大好きなのです。

ということを言っているに過ぎないですし(苦笑)
白石みのる君については、書いたものの、決定的なことを言えるほどは考察が至っていないですし…
うーん。結構中途半端感が…

>(白石みのる君の活躍を、密かに期待しています。)

ぼくも結構期待しています。
もっと話が進んで、彼が活躍しだしたら、もう少し考えることが出来るかなーと思っています。


>『らき☆すた』は、本当にネタが多くて、どこに照準を合わせて良いものか、迷います。
>でも、それがこの作品の面白さかなぁ・・・。

やー。ほんと、照準を合わせづらい作品だとぼくも思います。
開き直っちゃえばいいんだと思うのですけれども、まだぼくの中でも迷いがあったり。
第3話感想記事は、この第2話感想記事と似た方向性になりそうです。
でも、それでスタイルが固定されるかというと…どうだろう…


>たこーすけさん、ジャズをやってらしゃったんですね。
>別枠で、その当時の想い出を知りたいです。

はい!学生の頃やってました。ちょろっとですが。
うー。別枠で書こうと思って、はや数ヶ月…です。
主に「Speak Like a Child」のmementoさんという方に向けて、オススメのアルバムを紹介したいと思っていまして…はや数ヶ月です。
「この辺りは、『ジャケ買い』しても大丈夫だと思いますよー」という記事なのですが。いつか書きますです。
やっていた当時の「想い出」や「経験」的なことは、これから「らき☆すた」感想記事でも部分的に、自然に出てくるかもしれないです。
やはり「自分の個性」に立ち返った場合、自然に出てきちゃうところだろうなーと思っています。

yukitaさんも、バリバリ書いちゃって下さい!
どしどし拝見しに行っちゃいますよー。

それでは、今後ともよろしくお願い致します!
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