こんばんは。たこーすけです。
アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」。
本放送当時、だんちさんの「妄想界の住人は生きている。」のコメント欄や掲示板に書き込ませて頂いた感想を、ここ何回か転載させて頂いてきました。
これから「憂鬱V」と「憂鬱VI」を観た時の過去感想を転載しようかなと思ったのですが。
ちょっと、これらだけでは意味がわかりづらいような感じがしましたので、今日はその前段階として「涼宮ハルヒの退屈」に関する過去感想を転載いたします。
これは、放送順第4話「涼宮ハルヒの退屈」を観た時に感じたことを、放送順第8話「孤島症候群(後編)」でのだんちさんの考察をもとに、放送順第9話「サムデイ イン ザ レイン」のコメント欄に書き込ませて頂いたものです。ちょっと複雑ですみませんwww
「サムデイ イン ザ レイン」の内容は含んでおりませんが、やはりどこか「サムデイ イン ザ レイン」を観たからこその部分もありますので、DVDから初めて「ハルヒ」を御覧になっている方は第7巻発売以降にお読み頂くことをお薦め致します。
Last modified: 2007-01-07 12:15
放送順第8話「孤島症候群(後編)」のレビューにおいて、だんちさんはキョンが着ているTシャツのデザインから、キョンはサッカーファンではないか、もっと言えばキョンは中学の頃サッカー部だったのではないかという考察をなさっていました(だんちさんの「妄想界の住人は生きている。」における『「涼宮ハルヒの憂鬱」第8話を見た。』内の項目「キョンのTシャツ」および「閉鎖空間」)
ぼくはこの考察を拝見した時、自分が放送順第4話「退屈」を観た時に感じた疑問点が解決したと思いました。
書き込みを逡巡しているうちに(当時まだコメントを書き込んだことがなかったのです)、一週遅くなってしまったのですが、この疑問点およびその解決を(かなりの妄想ですが)コメント欄に書き込ませて頂きました。
だんちさんの許可を頂きここに転載いたします。
だんちさんの「妄想界の住人は生きている。」における
『「涼宮ハルヒの憂鬱」第9話を見た。』のコメント欄(-2006/06/02-)より(ごく一部改変・加筆修正)
--------------------------------------------------
(前略)
一つ気にかかっていたシーンがあるのです。
それは第4話、野球大会の話のラストです。
ハルヒが「今度はサッカーとアメフトどっちにする?この前の人数だけで足りる?」とチラシを持ってきます。
キョンは「どちらが少人数で済むのだろうか」と考え、「アメフト!いや、ゲートボールにしなさいっ!」と答えます。
オチのゲートボール(必要人数5人)はともかく、サッカーもアメフトもフィールド上に必要な人数は11人です。
だから、「どちらが人数が少なくて済むか」は判断基準として機能していません。
この物語の舞台モデルは関西圏のようですし、土地柄からいってアメフトを選んだのかなと考えていました。アメフトは関西で活発なイメージがありますから。
でも、だんちさんの考察をみて、次のように妄想しました。
キョンは中学時代サッカーで挫折した。それも深く。
だから、サッカーには触れたくなく、アメフトを選んだ。
まだ何者でもなく、だから何にでもなれそうな気がしていた頃。
少年キョンは中田に憧れ、毎日夢中でサッカーをしていた。
頑張っていれば、中田のようになれると信じて。
でも気づいてしまう。現実はそう甘くねぇと。中田のような特別な存在にはなれないんだと。
それは、たまたまキョンはサッカーでは輝けなかったに過ぎないのに。
あまりにサッカーに夢中になっていたキョンは、人にはそれぞれ輝ける場所があるはず、ということに気づけない。
なあんだ。自分は全然特別でもなんでもないんだ。
破れたヒーロー願望。一つの挫折が、自身の総体の否定に。その時キョンの目に映る世界は、灰色。閉鎖空間。
だから、もしSOS団がなかったら、キョンの高校生活はどうなっていたのだろうかと思ってしまいます。
何か部活に入ったのかな。
入ったとしても、サッカーのように夢中になれたかな。
運動系でも文化系でも何をするんだかよくわからない系でも。
試験期間中でも年中無休で、
なぜだか自然と足が向かう程、
深く入り浸れる部活っていいよね。
キョンもSOS団に救われたんだなと思ってしまいます。
サッカーにおいて中田のような特別な存在になれなくてもいいじゃない。
ハルヒにとって、キョンは光り輝いているのだから。
もしかしたら、はたから見たら、平凡な一組のカップルに過ぎないのかもしれない。
でもハルヒには、キョンはとってもとっても特別な存在なのだから。
毎日毎日、夢中になって練習したジダンのルーレット。
結局、上手く出来るようにはならなかったけど。
第2話第3話のアバンの駐輪場みたいに、誰も見ていないと、ついついこっそりやってしまうのです。
(後略)
追記注)
第2話:「憂鬱I」
第3話:「憂鬱II」
第4話:「退屈」
-----------------------------------------------------------------
あのアバンの駐輪場でのターンを、ジダンのマルセイユルーレットと見るのは、ちょっと難しいかなとも思いながら、まあこれもアリではなかろうかと思い書き込ませて頂いたものでした。
ああ。そして、この頃はまだワールドカップ前だったんだなあ……
ともあれ、ここで触れた「特別」と「平凡」が、「憂鬱V」「憂鬱VI」を視聴した時に自分の中で復活してきたのでした。
ということで、それはまた明日以降、「憂鬱V」「憂鬱VI」の過去感想で。
それでは。
アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」。
本放送当時、だんちさんの「妄想界の住人は生きている。」のコメント欄や掲示板に書き込ませて頂いた感想を、ここ何回か転載させて頂いてきました。
これから「憂鬱V」と「憂鬱VI」を観た時の過去感想を転載しようかなと思ったのですが。
ちょっと、これらだけでは意味がわかりづらいような感じがしましたので、今日はその前段階として「涼宮ハルヒの退屈」に関する過去感想を転載いたします。
これは、放送順第4話「涼宮ハルヒの退屈」を観た時に感じたことを、放送順第8話「孤島症候群(後編)」でのだんちさんの考察をもとに、放送順第9話「サムデイ イン ザ レイン」のコメント欄に書き込ませて頂いたものです。ちょっと複雑ですみませんwww
「サムデイ イン ザ レイン」の内容は含んでおりませんが、やはりどこか「サムデイ イン ザ レイン」を観たからこその部分もありますので、DVDから初めて「ハルヒ」を御覧になっている方は第7巻発売以降にお読み頂くことをお薦め致します。
Last modified: 2007-01-07 12:15
放送順第8話「孤島症候群(後編)」のレビューにおいて、だんちさんはキョンが着ているTシャツのデザインから、キョンはサッカーファンではないか、もっと言えばキョンは中学の頃サッカー部だったのではないかという考察をなさっていました(だんちさんの「妄想界の住人は生きている。」における『「涼宮ハルヒの憂鬱」第8話を見た。』内の項目「キョンのTシャツ」および「閉鎖空間」)
ぼくはこの考察を拝見した時、自分が放送順第4話「退屈」を観た時に感じた疑問点が解決したと思いました。
書き込みを逡巡しているうちに(当時まだコメントを書き込んだことがなかったのです)、一週遅くなってしまったのですが、この疑問点およびその解決を(かなりの妄想ですが)コメント欄に書き込ませて頂きました。
だんちさんの許可を頂きここに転載いたします。
だんちさんの「妄想界の住人は生きている。」における
『「涼宮ハルヒの憂鬱」第9話を見た。』のコメント欄(-2006/06/02-)より(ごく一部改変・加筆修正)
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(前略)
一つ気にかかっていたシーンがあるのです。
それは第4話、野球大会の話のラストです。
ハルヒが「今度はサッカーとアメフトどっちにする?この前の人数だけで足りる?」とチラシを持ってきます。
キョンは「どちらが少人数で済むのだろうか」と考え、「アメフト!いや、ゲートボールにしなさいっ!」と答えます。
オチのゲートボール(必要人数5人)はともかく、サッカーもアメフトもフィールド上に必要な人数は11人です。
だから、「どちらが人数が少なくて済むか」は判断基準として機能していません。
この物語の舞台モデルは関西圏のようですし、土地柄からいってアメフトを選んだのかなと考えていました。アメフトは関西で活発なイメージがありますから。
でも、だんちさんの考察をみて、次のように妄想しました。
キョンは中学時代サッカーで挫折した。それも深く。
だから、サッカーには触れたくなく、アメフトを選んだ。
まだ何者でもなく、だから何にでもなれそうな気がしていた頃。
少年キョンは中田に憧れ、毎日夢中でサッカーをしていた。
頑張っていれば、中田のようになれると信じて。
でも気づいてしまう。現実はそう甘くねぇと。中田のような特別な存在にはなれないんだと。
それは、たまたまキョンはサッカーでは輝けなかったに過ぎないのに。
あまりにサッカーに夢中になっていたキョンは、人にはそれぞれ輝ける場所があるはず、ということに気づけない。
なあんだ。自分は全然特別でもなんでもないんだ。
破れたヒーロー願望。一つの挫折が、自身の総体の否定に。その時キョンの目に映る世界は、灰色。閉鎖空間。
だから、もしSOS団がなかったら、キョンの高校生活はどうなっていたのだろうかと思ってしまいます。
何か部活に入ったのかな。
入ったとしても、サッカーのように夢中になれたかな。
運動系でも文化系でも何をするんだかよくわからない系でも。
試験期間中でも年中無休で、
なぜだか自然と足が向かう程、
深く入り浸れる部活っていいよね。
キョンもSOS団に救われたんだなと思ってしまいます。
サッカーにおいて中田のような特別な存在になれなくてもいいじゃない。
ハルヒにとって、キョンは光り輝いているのだから。
もしかしたら、はたから見たら、平凡な一組のカップルに過ぎないのかもしれない。
でもハルヒには、キョンはとってもとっても特別な存在なのだから。
毎日毎日、夢中になって練習したジダンのルーレット。
結局、上手く出来るようにはならなかったけど。
第2話第3話のアバンの駐輪場みたいに、誰も見ていないと、ついついこっそりやってしまうのです。
(後略)
追記注)
第2話:「憂鬱I」
第3話:「憂鬱II」
第4話:「退屈」
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あのアバンの駐輪場でのターンを、ジダンのマルセイユルーレットと見るのは、ちょっと難しいかなとも思いながら、まあこれもアリではなかろうかと思い書き込ませて頂いたものでした。
ああ。そして、この頃はまだワールドカップ前だったんだなあ……
ともあれ、ここで触れた「特別」と「平凡」が、「憂鬱V」「憂鬱VI」を視聴した時に自分の中で復活してきたのでした。
ということで、それはまた明日以降、「憂鬱V」「憂鬱VI」の過去感想で。
それでは。
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