goo blog サービス終了のお知らせ 

つれづれ日記

写真で綴る 七十路の旅

花の移ろい - 44

2015-06-29 08:28:46 | デジカメ散歩

   街散歩


街散歩では花も移ろい、花から実りの時期に入ったものもあり。

又、之からの花も咲き始まって、季節の移ろいを花で感じつつの散歩は日々変化があるものと。

    オシロイバナ

玄関脇から路地に沿ってオシロイバナ、花の色合いがそれぞれにカラフルに、、、。

オニドコロ 

葉が山芋に、しかし、一寸違うかな、、、、。

カンナ 

団地の花壇に一株の黄色いカンナの花。

スイレン 

 百日草

南瓜 

ブロック塀の上から路地を覗くように、大きな南瓜の花が一輪。

アフリカハマオモト 

路地の塀に沿って、漬物の樽に植わった白い花。

早朝散歩ではイヤホーンから流れるラジヲ、「花に興味を持って来た事は老い意味する」と。

他人は何と思うが純白のハマオモトに、しばし、佇み他人は何と言おうが吾は我と錦の心を求めつつ。


花の移ろい - 43

2015-06-21 08:55:34 | デジカメ散歩

   街散歩


街散歩では花の時期から実りの季節に移ろいでいる、気の早い花では秋の花も咲き始まって。

昨年まであった花が今年は無くなっている、花を愛でる価値観がそれぞれ異なるものと思いつつの散歩。

 槿

木通 

小学校の路地に面した校庭に、大きな木通の実が育っていた。

ミズヒキ 

街の散歩では珍しいミズヒキの花、路地に漬物のプラスチックの樽に。

辛夷の実 

花は演歌でも、俳句でも歌われるものの実については話題にもならず。

 ダリア

ダリアは俳句の本見れば、晩夏で7月となっているが。

木苺 

路地裏の空き家なのであろうか、木苺がたわわに実りを。

エゴの実 

紡績工場の新しい街でマンションとマンションの間の小路で、辛夷の名札を見て実は如何かと木の上を。

拳のような緑の塊を発見し帰宅し「パソコンで辛夷の実」で検索、辛夷の実であったのである。

花は目立つが実はグロテスクな感じであった、之も一つの知識になり心の豊かさにプラスかも、、、、と。


花の移ろい - 42

2015-06-18 08:15:06 | デジカメ散歩

   街散歩


 

下町の街散歩は、さまざまな花を観る事が出来るものである。

時には珍しい花も、俳句に詠われる花はそこはかとない親しみを感じるものである。

梔子 

演歌でも歌われ甘い香りが漂う。

椿の実  

 葡萄の実

網のフェンスに小さな花が咲いていたが、何時の間にか実となっている。

蕎麦 

集合住宅の隣の小さな公園の草叢に、そばの花が二輪。

 コスモス

河川敷の花壇にコスモスが、コスモスは秋桜とも、、、。

 、、、?

路地にはみだした鉢に珍しい花が、、、、二種類、、、、。

、、、? 

山の手では見られない風景であろう、路地続きの鉢に植わった花々は下町ならではの風景であろう。

又、路地に近いところに植木鉢を置いてくれる家、行く人来る人にも、、、「どうぞ」、、、と、下町の心意気。


花の移ろい - 41

2015-06-15 08:21:09 | デジカメ散歩

   紫陽花 (西新井大師)


早朝散歩を西新井大師の紫陽花を見に行く事に、環状7号線の車の喧騒避けて裏から境内に。

境内では鬱蒼とした欅の大木の下に、株としては小さな株であるが紫陽花が健気に咲いている。

 

 

 

 

  

 

  

池の畔には紫の紫陽花とハンゲショウの花も見ごろに、本堂の大師さんに合掌して山門へ。

本堂を後に山門に向かって右に大きな楠がありその株周りに、数種類の紫陽花の花が咲き誇っている。

、、、、、早朝散歩で紫陽花を堪能して、大師さんに今日も一日良い旅が出来ますように、、、と。(合掌)


花の移ろい - 40

2015-06-13 08:32:30 | デジカメ散歩

   街散歩


この街のマンションのエントランスの脇に合歓の花が咲く頃、街路樹の下に萩があったが、、、と。

様々な事を思い出しては、街散歩も内容が出て来るものである。

 合歓の花

立葵   

路地の空き地に立葵の花が、色の異なる立葵と八重の花も観る事が出来ました。

イヌタデ 

空き地の草叢にイヌタデが我が季節とばかりに。

朝顔 

ファミリー農園のフェンスの金網に、朝顔の花が咲き始まった。

 唐辛子

ファミリー農園では、ジャガイモの花、トウモロコシ、胡瓜等様々な花も、、、。

鉄砲百合 

袋小路の奥から鉢植えの百合の花が、路地を通る人を見るかのように、、、。

木の実、、、、?。

つやのある木の実に引かれて見れば、木の種類は分からないがたわわに実っていた。

花が終わり実となる野菜、木の実、之も季節の移ろいであろう。

結びの旅路となり気が付く事が多くあるものである、限りある時間を自然の営みを実感する日々である。