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山下 清 展

2011-04-15 23:45:17 | アート・文化

先日、福岡市博多区にある、福岡アジア美術館へ、

流浪の天才画家 山下 清 展”を見に行った。

平日だったが、展覧会初日ということもあって、けっこう混雑していた。

 

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このビルの7・8階部分が美術館となっている。

 

日本のゴッホ”と称され、

テレビドラマ“裸の大将”で有名な、放浪画家・山下清の展覧会だ。

最近ではタレントの塚地武雅が、以前は俳優の芦屋雁之助が、

どもりのある独特のしゃべり方と、ひょうひょうとした愛嬌あるキャラクターをコミカルに演じていた。

 

だが、そのテレビドラマによって、誰もがイメージしている山下清と、

実際の山下清とは、まるで異なっているというのはあまり知られていないだろう。

 

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今回の展覧会は、彼が12歳のときに、学園(知的障がい児施設)で、

貼り絵(当時はちぎり絵とよばれていた)を学び、

18歳で放浪の旅に出かけ、天才画家として有名になり、

49歳で亡くなるまでの間に手がけた、貼り絵のみならず、ペン画や油彩画、陶器の絵に至るまで、

様々な作品を代表作も含め一挙に展示された見応えのあるものだった。

直筆の日記や手紙、実際に愛用していたリュックサックなども展示されており、

彼の生涯を十二分に知ることができるものだった。

 

初期は大きくパーツの形どおりに切った色紙を貼り付けて絵を完成させる単純なものだった。

トンボやチョウ,ハチ,ホタルなど、昆虫ばかりである。

彼は小学校時代に受けた ひどい いじめにより、人間不信に陥っており、

友達だと思っていた昆虫ばかりを制作していた。

 

学園生活を送るうち、次第に友人と呼べる存在が生まれ、

彼の貼り絵に、徐々に人物が登場し始める。

そして単純だった貼り絵も、どんどん細かくなってゆく。

学園生活が貼り絵の題材になり、木の床の木目や、衣服のしわ、

体重計の針や目盛りまで、細かくちぎった色紙で見事に描かれている。

 

新聞紙や古切手を上手く使用し、衣類の陰影や、植物の花びらなどに立体感を持たせるなど、

誰に教わることもなく、少年時代に彼が独自に編み出した技法に唸ってしまう。

彼の絵は評判を呼び、学園の生徒の作品展覧会は、ほぼ彼の個展に様変わりした。

 

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購入したポストカード。

中央の桜島と、下の長岡の花火はドラマでも登場した有名な作品。

その他はヨーロッパ見物で描いたもの。

上:ロンドンのタワーブリッジ

左:オランダの風車(水彩画)

:パリのエッフェル塔(ペン画)  

 

18歳のとき、彼は突然、学園を抜け出し放浪の旅に出る。

学園生活に飽きてしまったことが理由だが、

唯一できる貼り絵のために、日本中を見て回りたかったに違いない。

当時は第二次世界大戦真っ只中、徴兵が嫌で逃げ出したという説もある。

 

そして彼は32歳までの間、幾度となく放浪の旅を繰り返す。

途中、連れ戻されたり、病気や盗難に遭って仕方なく戻ってきたり、

東京大空襲で母親が心配になって戻ったり、単純に放浪に飽きたり・・・。

その戻ったときに、旅先で見た景色を驚異的な記憶力で次々と作品に仕上げていった。

 

ドラマでは旅先で画用紙を広げスケッチし、旅館などで貼り絵を制作し、

そして現地のひとへプレゼントしているが、それは完全に創作であり、

実は旅先ではスケッチもしなければ、貼り絵制作をすることもなかった。

驚異的な集中力と記憶力、彼はサヴァン症候群だったのではないかと思われる。

 

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購入したコースターセット。

使うのがもったいない!

 

この頃の作品に、あの有名な“長岡の花火”がある。

漆黒の夜空に明るい花火が咲き、川の水面にもそれが眩く映る。

そしてそれを見物する、大勢の人々。

これがわずか2mm四方にちぎられた色紙で描かれていく。

花火の部分はこよりで、水面などは幅1mmくらいの細長くちぎった色紙で、

ちぎった色紙片の大きさや形、並べ方によって、絵に奥行きが出てくるから実に不思議だ。

 

放浪をやめたのち、著名な画家として後生を送ることになる。

この頃から油彩画やペン画にも取り組む。

自分の意志で、突然ヨーロッパ旅行へ旅立ったり、

各地の窯元を訪ねては、陶器の絵付けも精力的に行った。

地方で個展も開かれ、彼は欠かすことなく会場へと足を運んだ。

東京の百貨店で開催された個展には、80万人の動員を記録し、

この数字は、日本美術史 史上、未だ破られていないという。

 

晩年、体調を崩し養成に入る。

この頃、先に5年の歳月をかけて見て回った、

東海道五十三次を彼流にペン画で制作を進めていた。

だが、その制作途中に脳出血で倒れ永眠してしまう。

 

彼の東海道五十三次は、名古屋の熱田神宮で制作は止まり、未完成に終わったと思われていたが、

彼の死後、部屋のアトリエの押入から、残りが見つかり、京都まで全て完成していることが発見された。

これが彼の遺作となった。

 

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自画像(貼り絵)

顔や衣類のしわや陰影まで、細部まで緻密に描かれている。

 

作品以外の遺品にも注目するものがたくさんあった。

驚くのは母親や学園の園長先生に宛てた直筆の手紙。

わりときちんとした文字で、難しい漢字も使用してすらすらと、葉書にびっしりと綴っている。

彼は幼少から漢字の暗記も抜群だったそうで、驚異的な記憶力に繋がるものがある。

 

またビデオコーナーでは、実際の彼の映像を記録したものが放映されていた。

真剣な制作風景、気の遠くなるような根気の要る作業を、汗を拭いながら一心不乱にやっていた。

決して繊細とはいえない、太くゴツゴツした男性の手で、

驚くスピードで指に糊をたくわえ色紙をちぎり画用紙に貼ってゆく。

彼の素晴らしい作品が、多くの人を魅了してやまないのは、

これほどまでに真剣で、ひたむきな制作過程があってのことだろう。

 

「貼り絵」という特殊な作品ジャンルから、比較対照する作家が居ないが、

“天才画家”と称された偉業を知ることができた。

この先もこのジャンルにおいて、彼を超える作家は現れないのではなかろうか。

充実していてすごくいい展覧会だった。

2時間半もかけて、じっくりと見て回って吟味した。

 

 

 

古いガンダムの漫画本がある。

メディアワークス社から発売された、『ダブルゼータくんここにあり』。

既に絶版となっていて貴重なものである。

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この作中に、山下清がモデルとなっているであろうキャラクターが登場している。

それを思い出して、この本を引っぱり出してみた。

 

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SDガンダム達が織りなすギャグ漫画で、

子ども向けのマンガなのだが、

実はすごく哲学的な内容で、最後はちょっと感動的でもある。

この放浪画家のジ・O先生は、

主人公のダブルゼータくんの、将来を決める重要な役割を果たす。


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