From mitsuzawa northeast

横浜FCと横須賀・神奈川のローカルフットボールシーンを気ままに応援する日記。時々故郷・静岡県東部のフットボールなども。

京急田浦周辺巡り(2021.04.30)

2021-05-05 | 横須賀・三浦半島ネタ
こちらの続きになります。


京急田浦周辺は普段あまり訪れない場所なので、久々にちょっと歩いてみた次第。
ここの通りは確か昔は屋根付きアーケード街だった筈だけど、いつの間にか屋根が無くなっていた。


この郵便局も近年建て替えられたものっぽい。
このアーケードだった通りは理髪店や本屋があった記憶があるけれど、それらも無くなってしまっていた。





昔の趣を感じられる場所は今ではこの辺りのみ。
かつては海軍時代から続く飲み屋街が皆ヶ作という所まで広がっていたとのこと。
(参考リンク)
横須賀の海軍が押し寄せた「皆ヶ作銘酒屋街」の背景に迫る~皆ヶ作Vol.1
赤線時代から続く元芸者が開いた飲み屋を取材して、皆ヶ作の背景に迫った〜皆ヶ作Vol.2


船越といえばこの東芝ライテックの建物。昔はTOSHIBAの看板がデカデカと掲げられていたのに
今では取り払われて寂しく地味な感じに。








この辺りの風情がまた味がありますね。




海上自衛隊の基地はこちら船越側にもありました。


奥には潜水艦の姿も。


老朽化して立入禁止となった桟橋。どこかエヴァっぽさを感じさせますw


消防署の近くにあった横須賀北部共済病院跡地


三浦札所観世音第二十一番の門柱が目立つ景徳寺




このアングルはクルマに乗り慣れているとよく見る光景。
ここも画面奥には白い建物の屋上にTOSHIBAの看板がかつてよく目についていた。


ここの高台には船越神社という神社があるので初めて上ってみる。上から見下ろすとかなりの急斜面。




神社の敷地はかなり広かった。津波避難には最適な場所と言えそう。


船越神社から見下ろした北部共済病院跡地。何でこんな中途半端な壊し方で更地に出来なかったのだろう。
廃墟感がものすごい。


神社敷地内にあった忠魂碑。奥の方にひっそりと佇んでいる。


忠魂碑を見ると後ろの来歴を読まずにはいられないスタイル。
読んでみると・・・

一、昭和三年十月建之 旧田浦町全域出身戦死者三十八柱を合祀す
一、昭和十九年十一月撤去 大東亜戦争中高角砲陣地として軍命令に依り撤去せらる
一、昭和三十三年十一月再建 □建□機としてさらに満州事変より大東亜戦争に至る期間中
              船越 田浦 長浦町出身の戦死者を加え合計三百九十余柱を合祀する

と書いてあった。(□は判読不明文字)




こちらは庚申堂。元は江戸時代の天保6年に建立されたものだったが地元の歴史的遺産として
平成16年(2004年)にこの地に移されたとのこと。


帰りはお土産に唐揚げを買ってみたり。




京急田浦から逸見で降りるはずが・・・。


うっかり寝落ちして三崎口駅まで来てしまいました。




せっかくなので三浦海岸駅と途中下車。海を観てきました。




久しぶりに波しぶきを観ましたが風がとにかく強かったので早々に撤退。


こちらが京急田浦駅前の店で購入した唐揚げ。家でオーブンで二度焼きすると美味しくいただけました。

長くなりましたがこの辺で。おしまい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 週半ばの神奈川ローカルフッ... | トップ | 週末の神奈川ローカルフット... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

横須賀・三浦半島ネタ」カテゴリの最新記事