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2006-11-15 水  中国新聞 社説

2006-11-15 16:47:18 | 「保存している記事」から

2006年11月15日付 中国新聞 社説

教育基本法改正 当面の課題解決が先だ

 いじめに絡む子どもと先生の相次ぐ自殺、高校の必修科目履修漏れ、教育改革タウンミーティングでの「やらせ質問」。教育をめぐる大きな問題が続く中、衆院では教育基本法改正案の採決が取りざたされている。その前に現場の課題に取り組むべきではないか。

 いじめが原因の可能性のある子どもの自殺は、この約一カ月で四件わかっている。自殺を予告する子どもの手紙も連日のように文部科学省に届いている。児童の恐喝が明るみに出た北九州市の小学校では校長が命を絶った。

 履修漏れは当初、学校ばかりが批判を浴びた。しかし文科省は四年前に問題を把握していた。同省の委託調査で大学生の16%が世界史の授業を受けていなかったとわかったのに、当時は問題視せずに見過ごしていたのだ。

 「やらせ質問」は文科省と教育委員会が組んだ芝居だった。法改正に賛同者がいると地域でアピールする狙いだったのだろう。

 いじめ問題では、命の大切さを子どもにどう教えればよいか学校や家庭が立ちすくんでいるように見える。一方、履修漏れとやらせでは文科省の信頼は失墜した。

 衆院特別委員会もこれらの問題に大きく時間を割き、基本法自体の論議はかすんでいる。それなのに与党には「審議は十分尽くした」と採決を急ぐ声が多いという。とうてい理解できない。

 現場が直面する問題を切り離して理念の手直しを先行させる意味があるだろうか。現行法が一連の問題を引き起こしたとも言えまい。そもそも、今なぜ改正が必要か―との疑問にも答えが出たとも言い難い。だとすれば、むしろ時間を十分取って論議するのが筋であろう。

 いじめや履修漏れでは教育委員会批判も活発だ。なれ合いや隠ぺい体質が引き起こす未熟な対応に、政府からは「地方に任せられるか」との声も聞こえる。伊吹文明文科相もきのう、教育現場への国の関与を強める考えを示した。

 しかし「教育は地方で」との動きも根強い。地方制度調査会や規制改革・民間開放推進会議は、地方分権による根本的な教育改革を提言している。国の介入が強まると、現場は子どもの目線からさらに離れることになりはしないか。

 安倍晋三首相がいつも口にするように教育は国の根幹である。沖縄県知事選への影響をてんびんにかけての駆け引きがあるとしたら論外である。

 


2006-11-14 火 なぜ変える?教育基本法 (asahi.com 書評)

2006-11-14 16:43:45 | 「保存している記事」から

asahi.com BOOK > ニュースな本  [掲載]週刊朝日2006年11月7日号

なぜ変える?教育基本法 [編]辻井喬、藤田英典、喜多明人

[評者]永江朗

■能力主義で格差が広がる

 教育基本法改定案の審議が始まった。教育基本法というのは、教育についての憲法みたいなもの。事実、現行の教育基本法を戦後間もなく作るとき、憲法の一部に含めては、という意見もあったほど。だから今回の改定案は改憲への地ならしという意味もある。

 辻井喬ほか編『なぜ変える? 教育基本法』を読むと、改定案の問題点だけでなく、与党が日本をどういう国にしたいのかが透けて見えてくる

 寄稿者の顔ぶれが豪華だ。大江健三郎に姜尚中に高橋哲哉に苅谷剛彦に……俳優の牟田悌三の名前もある。もっとも、収録されている文章のほとんどは、雑誌「世界」がこれまで掲載してきたもの。

 第三章「改正案を徹底的に検証する」、なかでも成嶋隆「『教育基本法案』逐条批判」が勉強になる。

改定案はそれだけ読むとなんとなく口あたりのいい甘ったるい文章だが、じっくり読むと激辛でお腹を壊しそうだ。

 愛国と能力主義。改定案のポイントはこの二つだ。「郷土」とかなんとか言いくるめても、目指すところは同じ。まあ、愛国心を基本法に書き込むよりも、愛されるに値する国づくりを政治家に義務づける法律を作ったほうが手っ取り早いと思うけど。

 愛国心よりも、能力主義のほうが根が深くて問題かもしれない。改定案では、一人ひとりの可能性を伸ばす教育ではなく、いまこの時点での能力に応じた教育をほどこそうとしている。恵まれた環境で高い能力を発揮できる子はさらにその能力を伸ばす。それはそれでけっこうだけど、劣悪な環境の子はどうなるのか。これでは階級格差が広がる、というよりも、むしろ狙いは格差の固定と拡大か。

 基本法改正を叫ぶ人たちは、教育の荒廃は戦後民主教育に原因あり、といいたがる。しかし、歴史を振り返るとむしろ逆の事実が見えてくる。日教組がバッシングされ、学校現場の締め付けが厳しくなればなるほど荒廃する。あげくの果てが全国の進学校で起きた履修もれではないか。

なぜ変える?教育基本法
著者: [編]辻井喬、藤田英典、喜多明人
出版社: 岩波書店
ISBN: 4000241583
価格: ¥ 1,785

 


2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 17:53:12 | 「保存している記事」から

2006年11月12日付 東京新聞

週のはじめに考える 教育現場からの議論を

 いじめ自殺、高校必修教科履修漏れなど教育界が大揺れです。教育基本法の改正を中心に諸制度の改革が叫ばれていますが、忘れてならないのは現場の声です。

 音量を少し上げて見たテレビ番組があります。「プレミアム10-この世界に 僕たちが生きてること」というドキュメンタリーで先月、NHKで放映されました。

 二年間にわたって愛知県豊田市の河合正嗣さん(28)に密着取材し、筋肉が徐々に衰える筋ジストロフィー症と闘いながら指先のわずかな力を使って鉛筆画「ほほ笑みの絵」を描き続ける姿を追った作品です。

■ほほ笑みの絵の輝き

 正嗣さんの双子の弟、範章さんは二十三歳の若さで呼吸器不全のため他界しました。同じように病気が進行していた正嗣さんは、一日でも長く絵を描き続けたいからと気管切開手術を受け人工呼吸器を付けます。

 引き換えに声を失いました。でも呼吸器から漏れる空気をくちびるで震わせて、かすかな声を絞り出すことはできます。テレビの音を大きくしたのはそのせいです。

 「ほほ笑みの絵」は一一〇人(ひと・と・ひと)を目標に、病院の医師や看護師、患者仲間とその家族を描いています。どの絵も命の輝きをとらえています。

 「笑顔を持っている人たちは幸せな人生を歩んでいる人ばかりじゃない。逆に、苦しい時を乗り越えた人にこそ本当の笑顔がある」「一人だけじゃほほ笑みは生まれない。今ここで僕たちが生きていられるのも人と人のつながりがあるから」

 常に死に直面している自分の弱さを見つめ、逃げずに受容した人の、声は小さくても重い言葉です。

 番組から多くを学びました。命の尊さ、家族や地域の支え合いの大切さ、人の可能性の大きさ、体験から生まれた言葉の力強さ。放送後、NHKには「生きる勇気をもらった」などと反響が続いたそうです。

 その意味ですぐれた教育番組といえるでしょう。助け合いや思いやりある生き方を、子どもたちに伝えていく。知識、学力だけではなく、こうした「生きる知恵、社会に参加する力」を育成する場が学校や家庭、地域であるはずです。事実、笑顔に満ちた実践例はたくさんあります。

 ところが、現場は今、批判の矢面に立たされています。不登校や学力低下、公共の精神の衰退といった従来の指摘に加え、一連のいじめ自殺に対する対応のお粗末さや高校履修漏れが不信に拍車を掛けました。安倍首相肝いりの「教育再生会議」の発足を待っていたかのように諸問題が噴き出したのです。

■矢継ぎ早の制度改革案

 ゆとり教育の弊害だ、家庭がしつけを忘れている、教師が使命を果たしていない、といった指摘にうなずく人が多いかもしれません。国際社会で生き抜くためには教育水準の向上が欠かせない。そんな観点からの危機意識もうかがえます。

 でも、矢継ぎ早の制度改革が再生への特効薬となるでしょうか。「学校の外部評価」「教員免許の更新制度」など、いずれも政治の側面からの改革案で教室や家庭からの発想ではありません。教育に企業社会のような競争原理を導入する点も気になります。履修漏れは受験競争を最優先した反則です。首相提唱の「教育バウチャー制」(クーポン券による学校選択)も地域と小中学校の切り離しや学校間格差拡大が心配です

 ジャーナリストの長谷川如是閑が大正時代に発表した「上から下へ」という文章があります。「日本人は上から下へ抑へつける。西洋人は下から上へ刎(は)ねあげる」と書き出し、「日本人は人を呼ぶのに、掌を下に向けて、指先を下げる運動を繰り返へし、西洋人は、同じ場合に、掌を上に向けて、指先を刎ね上る運動を繰り返へす」「悲しい時に、日本人は俯向(うつむ)く。西洋人は仰(あ)ほ向く」など多くの事例を挙げてこう結びます。

 「日本の文明は上から下への賜物(たまもの)であり、西洋の文明は、下から上への反抗である。『上から下へ』それが日本人の宿命なのか」

 一世紀近く前の嘆息が今も聞こえるようです。現に、教育行政では国-都道府県-市町村-学校という上から下への上意下達で進められてきました。学校も校長-教員-生徒という構造が一般的です。現場の切実な声を吸い上げ、改革につなげていく仕組みは整っていません。

■「上から下へ」の構造

 実際に、これまでも総合学習、生徒の絶対評価、学力テストなどと相次ぐ国からの指導指示に教師は追いまくられ、子どもたちと向き合う時間も心の余裕もないとの悲鳴や苦悩の声をよく耳にしました。

 “愛国心”の盛り込みを含め教育基本法改正案には、こうした国からの指示、関与を強化する意図が読み取れます。東京大の調査で全国の公立小中学校長の三分の二が改正案に反対したのも、国の管理、監視の色彩が濃い改正案に対する懸念からでしょう。今は改正を急ぐことなく、多様な現場の声をすくい上げ、再生への道を探る時ではありませんか。

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 17:45:55 | 「保存している記事」から

2006年11月12日付 毎日新聞

教育基本法改正 一から論議をやり直す時だ

 タウンミーティングの「やらせ質問」問題は、政府の「この催しで教育基本法改正案に国民的な理解を深めてきた」という説明に根拠がないことを裏付けた。履修不足問題を文部科学省が見過ごしていたことも発覚した。こうなっては「真理と正`を希求し」(改正案前文)の文言も空疎に響く。改正案成立を焦らず、真に「国民的理解を深める」ため一から論議をやり直すべきだ。

 衆議院特別委員会で再開された審議は、折しも続発した「いじめ自殺」「履修不足」「教育委員会改革」などをめぐる質疑が大きなウエートを占め、法案自体の論議は棚上げになった観がある。

 そこへ「やらせ質問」問題が発覚した。さらに、履修不足問題では、文科省の委託調査研究会が既に02年の時点で大学生の16%が高校必修の世界史を不履修と突き止めていたことがわかった。

 文科省は内部で情報が行き止まっていたといい「問題意識が至らず見逃した。連絡体制の不備を反省する」と苦しい弁明をする。しかし、その時、深刻な問題ととらえ、改善策を講じておれば、校長を自殺にまで追い込んだ今回の大混乱は避けえたはずだ。

 この事態を軽視してはならない。やらせで「民意のでっち上げ」ともいうべき操作をやり、学習指導要領の根幹にかかわる大量履修不足を「問題意識なく」見逃す文科省は今や信を失ったといっても過言ではない。

 こんな状況のままで、基本法の改正案の審議が国民の納得と信頼に支えられて進められるなどというのは絵空事だ。根本から論議を提起し直し、改めて真に国民の理解と意見を反映する努力をしなければならない。それを怠り「審議は十分尽くした」と強弁するなら、「百年の大計」と意気込んで作られた改正案自体が内実のない作文とみなされかねない。

 教育目標に「我が国と郷土を愛する態度を養う」など徳目や公共の精神をうたい、生涯学習の理念や国の教育振興基本計画策定義務などを盛り込んだ改正案は、そもそも何のために法を改めるのかという原点がはっきりしないまま今日に至っている。

 新たな時代にふさわしい理念を追加するとか、国が責任を持って施策を進めるためとか、説明はあるが、現行基本法がネックになっているわけではない。また法を改めずともほとんどのことは現行の教育関連法規の運用で実行できるものだ。その辺もすっきりと納得できる政府側の説明はない。

 結局は「現行法は占領軍に押しつけられた。全面的に改めたい」という認識と動機が第一で、法改正そのものが自己目的化しているのではないかと思いたくなる。それが誤解というなら、深みのある論議を十分に経ないまま「残り時間」を言い立てるようなことはすべきではない。

 そして、実のある論議の大前提として、やらせや履修不足問題看過など発覚した重大な問題について責任の所在の明確化と必要な措置をとることはいうまでもない。

毎日新聞 2006年11月12日 0時29分

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 17:41:20 | 「保存している記事」から

2006年11月10日付 産経新聞 【正論】

教基法は教職員の法令遵守が眼目  高崎経済大学教授・八木秀次

 ■左派系教職員組合の影響力排除を

 ≪「愛国心」盛り込む意味≫

 教育基本法の改正案が衆議院に上程され、審議が行われている。今のところ、いじめや高校の必修科目の履修漏れに時間が割かれ、本質的な問題は後回しにされている。

 メディアは相変わらず法案にある「愛国心」に関心があるようだが、政府案の「愛国心」は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」とし、表現も控えめで、5つある教育目標の最後に置かれたものに過ぎない。

 私などには物足りないが、この程度のものが改正反対派からは大問題のように騒がれている。いわく「戦争をする国」への大転換、戦争を担う「お国のための子ども」をつくる狙いだ、国家主義・軍国主義・ファッショへの道だ、等々。十年一日の如く変わらぬ台詞(せりふ)でうんざりする。もちろん為にする議論だ。

 愛国心の涵養(かんよう)については、既に学習指導要領で規定されている。例えば小学6年生の歴史学習の目標には「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てる」とある。しかし、この法的拘束力を持つ指導要領に反する指導が教育現場では横行しているために、上位法である教育基本法で規定せざるを得ないのだ。

 教育現場がどこの国でも行われている自然な愛国心の涵養をしているのであれば、その必要はないが、「国を愛する心情」どころか「国を憎悪する心情」を育てているがゆえにあえて法律で規定せざるを得ないのである。

 ≪日教組や全教の影響力大≫

 このような事態に至った背景には言うまでもなく、左派系の教職員組合の存在がある。組織率は低下したとはいえ、日教組や全教など、いまだにマルクス・レーニン主義を信奉する教職員組合が我が国の教育界では大きな影響力を振るっている。その組合が組織の運動として「日の丸・君が代」反対闘争や反戦教育、反日自虐教育をしているがゆえに、いくら学習指導要領で愛国心の涵養を規定しても実効力がなかったのだ。

 あまりはっきり言う人はいないが、今回の教育基本法改正の眼目の一つは、この左派系教職員組合の影響力を排除し、教育の主導権を国民の手に取り戻すことにある。冷戦が終焉(しゅうえん)して15年以上も経つのに、我が国の教育界には依然として「東側」、いや38度線の北側に位置する勢力が大きな影響力を持ち続けている。そして税金を使って、国家の転覆を考えるような子供や日本に帰属意識を持たない子供を大量生産している。それを正常化するのが教育基本法改正の目的の一つなのだ。

 その意味で改正法案の大きな目玉となるのは「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」とする第16条第1項前段の規定である。

 現行教育基本法第10条第1項の「教育は、不当な支配に服することなく」の規定は、文部科学省や教育委員会の教育内容への関与を「不当な支配」として排除し、左派系教職員組合や連携する外部団体の文字通り“不当な支配”を招いたいわく付きのものだが、そこに法律の縛りをかけることによって、教育は法令に基づいて行われなければならないことを規定するものだ。

 ≪「不当な支配」とは何か≫

 東京都教育委員会の国旗国歌指導をめぐる9月21日の東京地裁判決でも明らかになったが、現行法の第10条第1項の規定は教育公務員たる教職員が法令を遵守(じゅんしゅ)しないことを正当化する根拠となり得る。学習指導要領は「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と、教職員に児童生徒への指導を義務付けているのに、それを遵守せず、入学式や卒業式に「日の丸」にバッテンをしたTシャツを着てきたりサンダル履きで出席した教職員を処分することが「不当な支配」とされたのだ。

 この一事をもってしても現行教育基本法では教育界の正常化は難しい。そこで「この法律及び他の法律に定めるところにより行われるべきものであり」との文言を付け加え、教職員に法令遵守の徹底を求めようというのである。

 必修科目の履修漏れでも明らかなように、教育現場の遵法意識は低い。それが国旗国歌の問題や勤務時間中の組合活動、露骨な選挙運動という違法行為にも繋がっている。

 左派系教職員組合の影響力を排除し、教育界を正常化するためにも早期の教育基本法改正が望まれる。(やぎ ひでつぐ)

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 17:31:59 | 「保存している記事」から

2006年11月01日付 東京新聞

教育基本法 この現実を見て議論を

 いじめ自殺や高校必修漏れなど現実に起きている問題の深刻さは教育の根幹にかかわる。衆院特別委員会で教育基本法改正の審議が再開したが、法改正を急ぐ前に現実を直視した議論こそ必要だ。

 「首相の答弁はいいんです」-必修漏れ問題で民主党の野田佳彦氏がもっぱら伊吹文明文部科学相を追及したのが象徴的だ。与野党を問わずいじめ自殺と必修漏れ問題に質問が集中した。

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は、教育基本法改正と関連づけて「政府案では、いじめや未履修に対応できない」と批判した。

 それほど、教育の現場で発生する問題が悲惨で切実なため、対策が急がれている。同時にこうした問題に対処できる基本法が求められているということだ。

 だが、安倍晋三首相は「この六十年間に教育を取り巻く大きな変化があり、二十一世紀にふさわしい教育基本法を成立させることが国民の声ではないか」と答弁した。政府答弁は改正案の成立を急ぐとしている。現実への危機感が十分とは、とてもいえない。

 一九四七年に施行された教育基本法は教育の基本理念や基本原則を定めたものだ。戦争に突き進んだ戦前の教育への反省が込められ、一人ひとりの人格の完成と教育の独立性を掲げている。

 この現行の基本法に対し、「態度を養う」として愛国心など多くの徳目を求めているのが政府案の肝要な点だ。それ自体に論議は必要だが、愛国心を論じる前に現実問題への対応を優先させるべきで、父母や国民の多くが求めていることだろう。

 岐阜県や福岡県の中学校などで陰湿ないじめがあり、遺書を残して自殺に追い込まれるほど事態は深刻だ。命と人格を尊ぶという戦後教育の基本はどこへいったのか。

 必修漏れが全国の高校でまかり通り、高校が大学受験のための予備校化していることが白日の下にさらけ出された。人間として必要な知識や自立心を養う高等教育や最高学府、大学入試のあり方そのものが鋭く問われている。

 国と教育委員会、学校長の教育上の責任や適正な役割はどうあるべきかという制度上の問いも突きつけられている。便乗して国の指導監督権限強化を言うのは悪のりであり、こうした根本的な問いに応えられる基本法の論議が先である。

 基本法を変える採決を急ぐときではないだろう。目の前の問題に真正面から向き合い、国民とともに本質をとことん議論して“根本治療”につながる処方せんを示すべきだ。

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 17:28:39 | 「保存している記事」から

2006年05月31日付 毎日新聞

教育基本法改正 机上論争の前に現実に目を

 「愛国心」などを争点にする教育基本法改正案の実質審議が30日、衆議院の特別委員会で再開した。議論がともすれば空疎に響くのはなぜだろう。社会や教育界で現実に起きている緊急問題や矛盾とかみ合わないからだ。

 立て続けに表面化したいじめ自殺や高校の大量未履修は、今の日本の教育の骨格を揺るがす問題をはらんでいる。

 いじめに追い詰められた子供の遺書を無視した北海道の教育委員会、教師が率先していじめた福岡の中学校。これらは戦後の学校教育の基本的仕組みである教育委員会制度や教員の資質チェック機能に不信を広め、教委廃止論や教員免許更新制論に弾みをつけた。

 文部科学省は異例の現地調査を踏まえ、全国の教委の担当者を集めていじめの隠ぺい防止と対策改善を強く指示した。その足をすくうように岐阜県で23日、女子中学生が自ら命を絶つ事件が起きた。

 事前の様子や遺書はいじめを示唆するが、学校側の説明は二転三転し要領を得ない。「『ウザイ』などのからかう発言はいじめに当たると思うが、自殺につながるかは推測の域を出ない」。この説明は、いじめは受けた子の身になって判断し対処するという90年代からの共通基準にも反している。

 未履修は、学習指導要領や高校教育とは何か、さらに学力、教養とは何かまでも問う。横行の理由(言い訳)が入試準備のためだから、そんな入試をやってきた大学の責任でもある。問題はわが国の「最高学府」の中身と質まで問うているといっていい。

 文科省は、学校側の指導で未履修組になった生徒も、正直に履修した生徒も混乱の被害者であり、できるだけ不公平感のない措置をするという。ぜひそうしてほしい。だが、乗り切った後、問題の論議を打ち切って幕を引くようなことがあってはならない。

 一連の問題は子供たちに不幸、不運を重ねながら次々に浮上した。その痛ましさや影響の大きさから、教育状況に対する国民の関心はこれまでになく高い。そこで与野党に提案したい。教育基本法改正案の審議も当面は逐条的な論争ではなく、こんな連鎖的な教育危機ともいうべき状況の中で教育の基本問題を真摯(しんし)に考え、率直に論議する場にすべきではないか。

 そうした社会の空気を背景に、30日の審議で、法案だけではなく、いじめや未履修について質問や意見が相次いだのは自然だろう。しかし現実先行の中で、とらえ方はまだ浅く、社会の不信や疑念、不安に答える内容にはほど遠い。また法案阻止の時間稼ぎの方便にこの論議が利用されてはならない。そうした駆け引きは不信を大きくするだけだろう。

 一方、教育基本法改正論に対しては「それで現場の難問が解決するのか」という異論が常にある。推進派もそれに答える意味で、眼前にはだかる現実問題とまず向き合い、国民的論議に広げていくべきだ。それが、ひいては法の改正をめぐる論議に厚みをもたせることにもなる。

毎日新聞 2006年10月31日 0時03分

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 17:22:21 | 「保存している記事」から

2006年05月25日付 朝日新聞

教育基本法 民主案にも問題がある

 「我が国と郷土を愛する態度を養う」という政府案に対し、民主党は「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」との対案を示した。

 教育基本法の改正案の審議が衆院の特別委員会で始まった。二つの案は愛国心の表現で微妙に異なっている。

 政府案では、「国」が統治機構でないことを示すために郷土と一緒に並べたうえ、「心」を「態度」に変えた。民主党案は国や郷土、自然を含めた言葉として「日本」を使ったといい、態度ではなく心とした。

 もうひとつの違いは、「愛国」の規定が政府案では教育の目標を掲げた条文に盛り込まれているのに対し、民主党案では前文に置かれていることだ。前文は法律の全体的な理念を表現したものであり、条文にあるよりも強制力は弱い。民主党はそう説明する。

 しかし、二つの案の違いが、多くの国民に理解できるだろうか。愛国心を持つよう教室で教えるという点では、大きな差があるとは思えない。

 特別委員会の審議で、小泉首相は教室での評価を問われ、「小学生に愛国心があるかどうかを評価する必要はない」と述べた。野党議員が愛国心を3段階で評価する通知票の事例を示したのに対しても、「こういう項目は持たないでいいのでは」と答えた。

 しかし、愛国心の規定が盛り込まれていない今の教育基本法の下でも、一部の学校が通知票で子どもの愛国心を評価するような現実がある。

 国を愛する心は人びとの自然な気持ちであり、何ら否定すべきものではない。しかし、法律で定めれば、このように国を愛せと画一的に教えたり、愛国心を競わせたりする動きが広がらないか。そうした心配があると、私たちは社説で主張してきた。その心配は、政府案と同じように民主党案でも解消されない。

 教育基本法が施行されたのは、敗戦の2年後である。人びとが食糧の配給で飢えをしのぎ、引き揚げ者のラジオ情報に耳を傾けた時代だ。

 戦前まで軽んじられていた個人の尊厳や個性、自発的な精神が盛り込まれた。教育行政について「不当な支配に服することなく」と定めたのも、国が教育をゆがめたことへの反省からである。

 それから60年近くたって、社会は変わり、新たな問題も出てきた。現行法でも教育がめざす人間像として、「国家及び社会の形成者」「勤労と責任」「自他の敬愛と協力」などが書き込まれている。しかし、愛国心を心配する人の中にも、公共の精神が必要なことをもっと強調すべきだという人もいるだろう。

 新しい項目を加えなければならないとすれば、それは何か。基本法を改正しなければできない教育政策があるとすれば、それは何なのか。国会では、そうした根本的な議論をする必要がある。成立を急ぐよりも国民が納得できるまで中身の濃い論議をしてもらいたい。

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 17:04:10 | 「保存している記事」から

2006年05月17日付 東京新聞 【主張】

教育基本法 じっくり議論を深めて

 教育基本法改正案の審議が、衆議院で始まった。現行法にない「愛国心」が条文化されるなど、国論を分かつ理念も盛り込まれている。誰にも分かる言葉で、しっかり議論を深めてほしい。

 小坂憲次文部科学相は、改正案提出の趣旨説明で次のように述べた。

 一九四七年制定の現行法を取り巻く環境は、少子化や情報化社会の進展などで激変した。国民が豊かな人生を実現し、わが国が一層の発展を遂げ、国際社会の平和と発展に貢献できるよう教育基本法の全部を改正する。

 民主党が近く国会に提出する予定の「日本国教育基本法案」の前文にも「日本を愛する心を涵養(かんよう)」する、とうたわれている「愛国心」については、早くも文言をめぐってのやりとりがあった。

 政府案が、教育の目標で定めている「伝統と文化を尊重し、我が国と郷土を愛する態度を養うこと」などとする、「態度」という言葉について、民主党教育基本問題調査会会長の鳩山由紀夫氏が、「心」とどう違うのかをただした。

 これに対し、小泉純一郎首相は「態度は心と一体として養われるものである」と述べるにとどまった。答えになっていない。これで納得できる人は、いるのだろうか。

 条文の中にある「伝統」や「文化」についても、きちんと議論してもらいたい。抽象的すぎて一体何を指すのか分からない。それが決まらなければ尊重のしようがない。

 日本経済史・思想史が専門のオーストラリア国立大学教授のテッサ・モーリス=スズキさんは、本紙への寄稿で次のように述べている。

 「伝統と文化」や「愛国心」が政治的に議論されると、「尊重されるべき伝統と文化」そして「愛されるべき国の姿」を、政府や与党が恣意(しい)的に決定してしまう。

 このような批判を避けるためには、審議を通じて問題提起し、家庭や職場でも、議論が巻き起こるようにすることである。

 そもそも、自分の国を愛するような感情は、自然にわき出てくるものであり、われわれはこれまで、条文化にはそぐわない、と主張してきた。いま、なぜ、教育基本法に盛り込まなければならないのか。そこのところも、納得のいくまで、分かりやすく議論を尽くしてほしい。

 改正案を審議する特別委員会のメンバーは全部で四十五人。うち自民が二十七人、公明は三人。与党が合わせて三十人を占めている。議論が生煮えのまま、法案を数で押し切るようなことは許されない。

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 16:58:56 | 「保存している記事」から

2006年05月17日付 毎日新聞

教育基本法改正 必要性と緊急性が伝わらない

 後半国会の焦点となっている教育基本法改正案の審議が16日、衆院で始まり、本会議で政府による改正案の趣旨説明と質疑が行われた。会期延長がなければ国会閉会まで残り1カ月というタイミングでの審議入りだが、基本法をなぜ今、改正しなければならないのかという必要性と緊急性は、この日の政府側の説明でも相変わらず伝わってこなかった。

 現行の教育基本法制定から半世紀余りで、情報化、国際化、少子高齢化など教育をめぐる状況の変化やさまざまな課題が生じ、道徳心や自立心、公共の精神、国際社会の平和への寄与などが求められている。新しい時代の教育理念を明確にして国民の共通理解を図り、未来を切り開く教育の実現を目指す--。これが、小泉純一郎首相や小坂憲次文部科学相が繰り返し語った提案理由である。

 しかし、状況の変化は今に始まったことではなく、教育を取り巻く課題は基本法を改正したからといって解決するわけでもないだろう。現行法のどこに問題があり、どのように変えればどんな課題が克服されるのか、という具体的な「設計図」が見えてこない。

 毎日新聞の全国世論調査(電話)では、改正案を「今国会で成立させるべきだ」と答えた人が17%に対し、「今国会にこだわる必要はない」は66%に上った。改正の必要性・緊急性が国民に十分理解されていない以上、国民の多くが早期改正を望まないのは当然だ。

 対案の法案をまとめた民主党の鳩山由紀夫幹事長は本会議で「1年、2年をかけて議論しよう」と呼びかけた。民主党案は焦点の「愛国心」表記で「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」との表現を盛り込んだ。改正案で公明党に配慮した自民党への揺さぶりを狙ったとも受け取れるなど、改正にどこまで熱心か分からない部分もあるが、じっくり議論すべきなのはその通りだ。

 改正案が成立した場合、教育現場にどのような影響があるのかという説明も、この日の政府側答弁ではほとんどなかった。現行法で「9年」と定めている義務教育期間を改正案で削ったことについて、「将来の延長も視野に入れている」と答えた程度だ。

 教育目標の一つとして盛り込んだ「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現については「児童・生徒の内心にまで立ち入って強制するものではない」と答弁した。しかし、国旗・国歌法の国会審議で当時の小渕恵三首相が「内心にまで立ち入って強制するものではない」と答弁したものの、実際は卒業式の国歌斉唱をめぐって混乱する自治体もあり、教育現場への影響ははっきりしない面もある。

 また、改正案は教育行政に関する条文で「全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため」として、国に教育施策の策定と実施の権限があることを明記した。しかし、実際には文科省が教育指針となる学習指導要領を作成したりしている。わざわざ明文化して念押しする必要があるのだろうか。文科省はその意図をきちんと説明する必要がある。

毎日新聞 2006年5月17日 0時06分


余録:愛国心求める人と、国を愛する人と

 愛国心といえば「一旦(いったん)緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以(もっ)テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という教育勅語の一節を思い出す年配の方もいよう。その文法上の誤りも聞いたことがあるかもしれない。「緩急アレバ」は「緩急アラバ」でなければおかしいというのだ▲辞書「言海」を著した大槻文彦はそう指摘したが無視された。ジャーナリストの大宅壮一は中学生の時に先生に質問したが、「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」--君主の言葉は取り消せないと諭された。勅語の起草者は漢学は得意でも、日本語は不得手だったのか▲たとえば日本語研究に一生をささげた大槻と、指摘を黙殺した文部省の役人のどちらが愛国者だろう。そう考えたのも「愛国主義は無頼漢の最後の避難所だ」という有名な格言で知られる英国人S・ジョンソンも、独力で史上初の英語辞典を書き上げたとびきりの愛国者だったからだ▲明治人が教育勅語によって国の安泰を託せると思ったその子らの世代は国を滅ぼしてしまう。だがその痛恨の体験から日本人は少なくとも二つを学んだ。一つは子弟の教育は思い通りにいかないこと。もう一つは他人に愛国心を求める人と、国を愛する人とはまったく別だということだ▲「我が国と郷土を愛する態度を養う」を条文に掲げる教育基本法改正案の審議が始まった。野党・民主党は前文で「日本を愛する心を涵養(かんよう)」と政府案よりも愛国心をはっきりと打ち出したクセ球を対案に用意したという。自民党内の愛国者をもって自任する議員への揺さぶりらしい▲いずれであれ法改正が国を愛する態度や心よりも、お役所や学校で他人に愛国心を求める人ばかりを増殖させてはたまらない。教育の基本は学んだことを次世代に淡々と伝えていくことなのをお忘れなく。

毎日新聞 2006年5月17日 0時17分

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 16:52:11 | 「保存している記事」から

2006年05月16日付 産経新聞 【主張】

教育基本法 民主案もいいではないか

 後半国会の焦点の一つである教育基本法改正をめぐり、政府案に加え、民主党も対案をまとめた。十六日から本格的な論戦が始まる。

 民主党案は「日本を愛する心」の涵養(かんよう)を前文に盛り込んだ。愛国心の表現を「国と郷土を愛する態度」とした政府案と比べると、「国」が「日本」、「態度」が「心」になっている。前後の文章を読み比べても、政府案にある「他国を尊重」などという言わずもがなの言葉がなく、愛国心がより素直に表現されているといえる。

 政府案には公明党への配慮から「宗教的情操の涵養」という文言が入っていないが、民主党案は「宗教的感性の涵養」を明記した。「情操」と「感性」は意味が少し違う。民主党案は政府案にない宗教的な伝統や文化をはぐくむ重要性をうたっている。

 「宗教的情操」は現行教育基本法が制定された当時、GHQ(連合国軍総司令部)の干渉により、日本側原案から削除された文言だ。公明党の支持母体である創価学会を除くほとんどの宗教団体が、この文言の条文化を求めているといわれる。

 日本の地域に伝わる伝統行事や生活習慣は、それぞれの神社や寺などと深い関係にあり、それらを子や孫たちに継承したいという宗教界の願いが込められている。自然に対する畏敬(いけい)の念やその恵みに感謝する気持ち、死者をいつくしみ先祖を尊ぶ心などの日本的感性をはぐくむためにも、宗教的な情操や感性の涵養は必要であろう。

 また、民主党案では、現行法にあり政府案にも残された「不当な支配」という文言がない。「教育は不当な支配に服することなく」という現行法一〇条の規定は、教職員組合などが国や教育委員会の指導に反対する根拠として使われてきた。教育基本法改正に反対してきた日教組出身議員らを抱える民主党内で、この文言が削除されたことの意義は大きい。

 全体として、自民党と公明党の折衷案とされる政府案より、民主党案の方が、戦後教育の問題点を正し、新しい時代に即しているように思われる。自民党内にも政府案を疑問視する声がある。与野党でさらに議論を尽くし、日本の未来を担う子供たちのためのより良い改正案を目指してほしい。

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 16:47:30 | 「保存している記事」から

2006年05月16日付 読売新聞

民主「教育」対案 政府案との妥協点を探るべきだ

 政府案との共通点も目立つ対案だ。与党と民主党は審議を通じて、妥協点を探ることができないのか。

 民主党が教育基本法改正案の対案をまとめた。

 愛国心について政府案は公明党に配慮して直接の表現を避け「我が国と郷土を愛する…態度」としている。

 民主党案は「日本を愛する心」と、はっきり書いた。自民党内で「心」と修正するよう求める強い主張があることを意識してのことだろう。

 民主党案が明記した「宗教的感性の涵養(かんよう)」も、公明党の反対で政府案には盛り込まれなかった部分だ。これにも自民党内には不満の声がある。民主党案には自公分断の狙いがうかがえる。

 政府案に対する与党内の批判を対案に採り入れたのは、16日から始まる国会審議を通じて、与党内の足並みの乱れを誘う意図が働いているようにもみえる。

 だが、政府案との共通点も多い。「公共の精神」を育(はぐく)む大切さを掲げ、「家庭教育」の条文も新設した。政府案が教育の目標に掲げた「職業教育」については一条を設けた。いずれも1947年に制定された現行法に欠落する部分だ。

 現行法を改め、時代に合った基本法を制定することが喫緊の課題、との認識が民主党にはあるのだろう。

 ただ、民主党内も一致しているわけではない。旧社会党系議員を中心に、「愛国心を強制する教育につながる」として改正に慎重な意見は根強い。

 民主党案は、政府案が残した教育行政に対する「不当な支配」を削除した。

 現行法には「不当な支配に服することなく」の文言がある。日教組などが、教科書検定などの教育行政を否定する根拠としてきたのは、この文言だ。

 民主党案は「支配」は削除したが、一方で学校教育は「学校の自主性及び自律性が十分に発揮されなければならない」との文言を盛り込んでいる。これでは、かえって日教組などの教育行政への介入を許すことになりはしないか。

 こうした根幹部分について、党内の意思統一ができるのかどうか。民主党内でも、審議の中で、立場の違いによって相反する主張が出るという滑稽(こっけい)な場面も出かねない。

 教育基本法は「教育の憲法」とも呼ばれる、国家の基本を成す法律だ。多くの政党が賛同して制定されることが望ましい。政略を優先したり、ましてや審議をいたずらに引き延ばす国会戦術で対応すべきではない。

 民主党は、政府案との共通点を生かす道を歩んでもらいたい。

(2006年5月16日1時43分  読売新聞)

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 16:37:24 | 「保存している記事」から

2006年04月30日付 毎日新聞

教育基本法改正 各党の本音を聞きたい

 政府が教育基本法の改正案を閣議決定し、5月の連休明けから審議入りする見通しとなった。安倍晋三官房長官らは「自民党結党以来の悲願」と意気込むが、実際には与党内の意見もまちまちだ。十分な審議時間を確保するには国会の会期延長が必要と政府・与党も認めているが、その会期延長も明確な結論が出ていない中での国会提出である。

 戦後間もない1947年の制定以来、初の改正となる今回の改正案は、基本理念と言うべき前文を変更し、教育の目標、大学、私立学校、家庭教育、幼児期の教育などの条項を加えたものだ。

 とは言っても、やはり最大の焦点は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」との文章を盛り込んだことだろう。

 何でもかんでもつめ込んだような文言になったのは、「『愛国心』という言葉は戦時中の国家主義・軍国主義を思い起こさせる」と公明党が反発したからだ。その結果、当初の自民党案にあった「国を愛する心」の「国」が「我が国」に、「心」が「態度」に変わり、「他国の尊重」も加わったという経緯がある。

 ところが、長い協議の末、決着したという割には、自民党には「なぜ、公明党側に配慮するのか」「愛国心ときちんと書くべきだ」との不満が今もくすぶっている。一方で、小泉純一郎首相の関心は元々高くないといい、自民党内にも今国会成立にこだわる必要はないとの意見がある。

 公明党も力が入っているわけでない。自民党と妥協したのは、来年は参院選などがあり支持者の反発も予想されるため、「どうせ成立させるのなら、なるべく早く」が本音だったという。野党の民主党にも「愛国心の明記」を主張する議員もいて、意見集約は容易でなさそうだ。要するに各党とも腰は定まっていないのだ。

 しかし、問題はそんな各党事情だけではない。今回の文章を盛り込むことにより、実際に教育がどう変わるのかという説明が、まだほとんどされていないことだ。

 戦後日本社会は「個人」が優先される余り、「公共」といったものを軽視しがちだったのではないかという問題意識に異論はない。今の教育がすばらしいと言う国民も少ないはずだ。

 ならば、仮に今回の改正案が成立した場合、それを受けて学習指導要領や学校教育法は実際にどう変更されるのか。そして、それによって日本の教育はよくなるのか、ならないのか。必要なのは、そうした議論だ。それができなければ、結局、推進派の本音は国家の統制を強めたいだけではないかという話になる。

 教育基本法の改正は、確かに戦後日本のあり方を見直すテーマであり、今後の憲法改正論議にも直結する。この際、各党、各議員にはとことん本音をぶつけ合っていただこう。それが政治の実像を国民が知る機会にもなる。

毎日新聞 2006年4月30日 0時44分

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 16:35:06 | 「保存している記事」から

2006年04月29日付 東京新聞

条文化にはなじまない 愛国心

 教育基本法改正案が国会に提出された。「愛国心」を条文化するなど、現行法にはない理念が盛り込まれている。国民の声を聞きながら、改正の是非も含め、じっくりと議論を進めてほしい。

 政府案は前文と十八条からなっている。主な改正点は次の通りだ。

 前文で「公共の精神を尊ぶ」ことを明記し、義務教育の延長をにらんで、現行法で「九年」としている年限を削除。さらに教育を取り巻く環境の変化を考慮し「生涯学習」「家庭教育」「教育振興基本計画」などの理念を盛り込んでいる。

 国会の審議で最大の焦点となる「愛国心」については「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」と条文化している。

 制定後約六十年たつ現行の基本法については、現状にそぐわない部分もでてきたとして三年前、中央教育審議会が改正の答申を出していた。

 小泉純一郎首相は常々、靖国参拝を「心の問題」と強調している。

 自分の国を愛する、というような感情も、よい政治が行われ、国民一人一人の安全や安心が担保されていれば、国民の心の中に自然と芽生えてくるたぐいのものだ。基本法を改定してまで条文化することにはなじまない。

 教育の憲法ともいえる基本法に明記すれば、当然、それに連なる学校教育法などの関連法令、さらには教える内容を定めている学習指導要領にも色濃く反映され、強制の度合いを深めていくことになろう。

 小中学校の社会科や道徳で先取りしている「国を愛する心」を持つとの目標を、さらに拡大・推進したい、との思いが見て取れる。

 教育現場では既に二〇〇二年、福岡市の小学校で「愛国心」を通知表で評価していることが表面化したが、条文化すればこうした動きにも法的な根拠を与えることになる。

 国旗国歌法が成立したとき、小渕首相(当時)は「強制するものではない」と、国会で答弁した。にもかかわらず、国歌を斉唱する際、起立を事実上強制する教育委員会が出てきたのが現実だった。

 愛国心が基本法で明文化されれば、学校の現場で拡大解釈されない、との保証はない。

 与党は連休明けに、衆院に特別委員会を設け、会期内の成立を目指す。巨大与党の数にものをいわせ、法案を押し切るようなことだけは、やめてもらいたい。

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2006-11-12 日 「社説--比べて読めば面白い」 教育基本法改正

2006-11-12 16:28:40 | 「保存している記事」から

2006年04月29日付 日本経済新聞

教育基本法改正が問うもの

 戦後日本の教育が「知」と「徳」のバランスを欠いてきたことは、公共心や社会性を欠いた子どもたちが増えている現実を見てもあきらかだろう。家族やコミュニティーの変容に加え、国際化や情報化がすすむ社会基盤の変化も大きくかかわる。

 こうした背景の下で、教育の目的として「我が国と郷土を愛する態度を養う」などを明記した政府与党による教育基本法の改正案が閣議決定され、国会に提出された。今国会で成立すれば、占領下の1947年に制定された現行法がおよそ60年ぶりに改められることになる。

 現行の教育基本法は個人の尊厳の重視や真理と平和への希求を理念として掲げ、個性あふれる文化創造をうたっている半面、戦前の国家主義教育に対する反動から国の伝統や公共的な価値とのかかわりを避けていいる点が指摘されてきた。「教育の憲法」と呼ばれる基本法の欠落を埋めて、新しい人材育成の指標とすることを巡って与野党間や学校現場で賛否の論議が重ねられてきた。

 首相の私的諮問機関だった教育改革国民会議が「郷土や国を愛する心や態度を育てる」という観点をふまえてまとめた2000年の報告をもとに、自民党と公明党でつくる与党協議会で重ねられてきた改正案の論議では「愛国心」の表記を巡って溝を広げたが、公明党などへの配慮から「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という表現で合意した。

 改正案は前文で個人の尊厳の重視など現行法の基本的な精神を踏襲、その上で公共の精神に基づく社会発展への寄与や伝統文化の尊重と継承などをうたった。また家庭教育や生涯学習、障害者への配慮などの条文も新たに付け加えられている。

 教育基本法は理念法であり、法改正が直ちに子どもたちの教育と現場の改革につながるわけではないが、あわせて提出される「教育振興基本計画」では学力向上といじめや不登校の削減など具体的な課題で5年ごとの政策目標を掲げる。画一化した教育行政の見直しも重要な課題になる。教育行政の在り方も含めて十分な国会審議をすすめ、新しい理念の下で知徳のバランスある人材育成を具体化する道筋を示したい。

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