いわき平競輪「選手の風」

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がんばっぺ!いわき

2012-03-08 12:08:29 | インポート

いわき平競輪場から元気発信

被災地から希望の光 スポーツの底力】いわき平競輪場(福島県いわき市)は、東日本大震災で被災した東北3県で唯一の競輪場だ。施設の損傷が少なく、震災翌日から被災者支援の活動拠点となった。震災から3カ月後に競技は再開され、被災地支援競走として復興を支えてきた。今週11日には、同競輪場で開催がある。最前線で陣頭指揮した現場のトップに激動の1年、さらに競輪の持つ可能性を聞いた。 いわき平競輪場6階の公営競技事務所にいた小泉幸治所長(当時次長)は突然、椅子から立ち上がった。所長室の神棚が床に落ち、資料は散乱。激しさを増す揺れに、「この地震は異常だ!」と直感した。  翌12日から開催を控え、小泉さんは場内の宿舎にいた選手の安全を確認。バンクのチェックなど深夜まで対応に追われた。地震で断水したが、停電はせず信号機は動いていた。車で自宅に戻ると、家財道具が倒れて中身が散乱。2階の自室のベッドや床は本棚から落下した本だらけ。長女(27)からのメールで無事は知らされていたが、1階で寝ていた夫人の春江さん(59)と長女の顔を見て安堵した。  開催は中止となり、競輪場は12日から被災者支援の前線基地となった。駐車場に救援物資が運ばれ、自衛隊の炊き出しも行われた。180人を収容できる選手宿舎は、他県からの医療チームの宿泊に使われた。小泉さんは「半年はダメだろう」と覚悟したが、開催することが使命と信じて災害対策本部と競輪場を往復。連日4時間ほどの睡眠で4月を迎えた。  5月23日、全国競輪施行者協議会から、6月20~22日の開催が発表された。“被災地で競輪なんて…”との見方もある中、ライフラインの復旧、支援物資の集配状況、地域経済の活性化、他の開催場の売り上げへの影響など関係者の総合的な判断から、小泉さんの予測より早い開催となった。ところが、競輪を統括する財団法人JKAがあっせん(レースに出場する選手を配分すること)した選手のうち、主に西日本の30人が辞退。原発事故の影響に不安を感じたからだ。そこで施設内の放射線量の数値を計測した結果、開催に支障のないレベルと判明。小泉さんは選手集めに奔走し、115日ぶりの開催にこぎつけた。初日はバンクで選手と関係者が犠牲者に黙祷を捧げた。 12年最初の開催(1月2~4日)を終えた翌5日、入院していた春江さんが急死。「震災後のつらい時期で一番の支えになった良き理解者」だった。携帯電話の待ち受け画面は、笑顔の春江さんの画像に変わった。  震災から1年。地元選手会の献身的な協力、全国の施行者の支援に感謝する小泉さんは、「いわきから元気を発信したい。ビッグレースを誘致して、復興にぜひとも花を添えたい」と言葉に熱がこもる。若者向けにアミューズメントパークのようにして、ナイター開催中はバンクの内側をビアガーデン風にするなど様々なアイデアもある。  被災地で唯一の競輪場は、試練と苦難を力に変えて魅力ある競輪の実現を目指している。

【日本選手権】成田シリーズ制GI初V/競輪

2012-03-08 09:00:00 | 競輪
【日本選手権】成田シリーズ制GI初V/競輪

成田が悲願達成-。熊本競輪場で開催された「東日本大震災被災地支援・第65回日本選手権競輪」(GI)は最終日の4日に決勝戦が行われ、成田和也(33)=福島・88期=が中団から差し脚を伸ばして優勝。賞金6400万円(副賞含む)を獲得した。成田のビッグレースVは3度目で、シリーズ制のGI優勝は初めて。福島勢によるダービー制覇は、岡部芳幸、伏見俊昭に続いて3人目となった。

目の前に突然現れたVロード。無我夢中でペダルを漕いだ成田和也に勝利の女神が微笑んだ。長塚の後輪と前を任せた山崎の前輪が接触した瞬間、進路変更。すかさず内へ切り込みダービー王の座を手にした。

 「山崎がハスったから、もう無理だと思って内に行ったらコースがあいてた。正直、山崎が獲るものだと思っていたのに…」

 思いもよらない結末に、驚きを隠せない様子だった。しかし山崎が引き揚げてくると肩を抱き合って喜びを分かち合い、そして「ありがとう」と感謝の言葉を口にした。山崎も「勝ったのが成田さんで良かった」と笑顔で応えた。山崎とはアマチュア時代からともに汗を流し、競輪学校も同期で同じ釜の飯を食った間柄。東北地方に大きな被害をもたらした3・11のつらい経験も、同じ福島県出身者として一緒に乗り越えようとしている。

 「今は新潟にいますが、冬は練習できないので宮古島に行く機会が多くですね。今回も山崎と練習してきましたよ。優勝を目指して頑張ろうって」

 震災後は兄・恭一(奈良・94期)を頼って滋賀県に避難。今は新潟県阿賀野市に拠点を移している。福島まで1時間半もの時間をかけて練習に行くなど、苦労することも多いが、強くなるために妥協は許さない。今までは自転車競技もやっていたが、昨年から競輪一本に絞った。

 「今までこの時期は世界選手権とかがあったけど、昨年それ(ナショナルチーム)を辞めた。これにすべてをかける」

 力強く語った成田から闘志がみなぎる。昨年5月にSSシリーズ風光る2011を制して以来、2度目のGI制覇を飾り、早くも年末のKEIRINグランプリ(京王閣・12月30日)の出場権利を得たが、気を緩めることはない。

 「そんな簡単にはグランプリまで行けないし、少しでもいいレースができるよう練習していきたいです」

 4日制以上のGIを初めて制し、真のタイトルホルダーの仲間入りを果たした成田は、ダービー王にふさわしいレーサーとしてさらに精進する。(仲野谷有紀)

(紙面から)