平らな深み、緩やかな時間

184.ビル・エヴァンスとサイ・トゥオンブリー

昔からの友人が、つぎの番組の放送を教えてくれました。
「NHK Eテレ clssicTV 9月9日(木)放送『ジャズに"美と自由"を ビル・エヴァンス』」
https://www.nhk.or.jp/music/classictv/453661.html
正確にいうと、友人が教えてくれたのは、その翌週の再放送のことで、私はその番組の無料配信が「NHK +」で視聴できることをその終了の1日前に知って、職場の音楽が好きな人たちにご案内しました。その放送を聞いてくださった人たちから「面白かった」とずいぶん感謝されて、何だか自分の手柄のようにうれしかったのです。
そんなことがあって、今日もビル・エヴァンス(Bill Evans、1929 - 1980)を久しぶりに聴きながらこの文章を書いているのですが、エヴァンスのことを自分なりに調べていて、ふと彼の生まれた年代と活躍した時期が気になりました。例えば、つぎの人物と比べてみてください。
サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly、1928 - 2011)、アメリカ合衆国バージニア州出身の画家、彫刻家です。トゥオンブリーは、美術に興味がある方でないとあまり知られていない画家かもしれませんが、日本でも1996年に「高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門受賞」という大きな賞を受賞しています。
https://www.praemiumimperiale.org/ja/laureate/laureates/twombly
残念ながら、彼の作品を網羅的に回顧した展覧会は、日本では開かれていません。千葉県佐倉市の「DIC川村記念美術館」に何点かの作品が所蔵され、2016年にはトゥオンブリーの写真展が開催されました。
http://chibatopi.jp/Ie2f193c
また東京の原美術館では2015年に、紙に描かれた作品が中心の展覧会が開催されています。
https://www.pen-online.jp/feature/art/cy_twombly/1
この展覧会については、私もblogに書きましたが、素晴らしい展覧会でした。上記のホームページを開いていただければ、その作品の美しさが伝わってくると思います。

説明が長くなってしまいましたが、見ての通り、エヴァンスとトゥオンブリーは年齢が一つ違いの、同じ時代に活躍した芸術家なのです。
そして、このタイミングでトゥオンブリーのことを思い出したのは、少し前にこのblogにも書いた「ギャラリー檜」で開催された『Chatter Box展』の飯沼知寿子さんの文字を使った作品を見たことがきっかけです。
http://hinoki.main.jp/img2021-9/f-1.jpg
飯沼さんは文字に加えて、透視図法による奥行きのある空間を作品に重ねていますが、トゥオンブリーは文字を書くときの手の動き、それを追いかける視線の方向性、あるいは文字が喚起するイメージなどを独特のやり方で美術に持ち込んだ芸術家です。私はトゥオンブリーについて詳しいわけではありませんが、彼がイタリア・ローマの名家の女性と結婚したのが1959年で、イタリアに制作拠点を移し、言葉のイメージと絵画との関係についてさらに深く探究していったのがその時期なのだと思っています。
一方のエヴァンスがマイルス・デイヴイス(Mile Davis、1926 - 1991)の歴史的な作品『カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)』に参加したのが1959年3月のことでした。すでにマイルスのグループを離れていたエヴァンスは、その後に自分のグループを組み、立て続けに『ポートレイト・イン・ジャズ』、『ワルツ・フォー・デビイ』などの名作を録音しています。
私は音楽のことはよくわかりませんが、音楽と美術との関係、とりわけジャズや現代音楽と現代美術との関係について気になります。ですから、ジャズの名盤と言われるレコードを、ある程度聴いてきました。しかし、その聴き方には偏りがあって、1950年代から1970年代のモダン・ジャズが、アメリカの現代絵画の隆盛期とも重なることもあって、どうしても気になります。その中でもマイルス・デイヴイスは、好きな友人からレコードを借りたので、他のミュージシャンよりは多く聴いていたと思います。
そんな中で、先の『カインド・オブ・ブルー』というレコードに出会いました。『カインド・オブ・ブルー』をはじめて聴いた時、これはそれまで聴いたどのレコードとも違うと思いました。そこには、モダン・ジャズの熱気とは裏腹な、とても静かな美しさがありました。そして、時代の変わり目に発表されたという点では、マイルスが10年後の1969年に発表した『イン・ア・サイレント・ウェイ』という、やはり静かな美しさのあるレコードと似たポジションにあるのかもしれませんが、もちろん内容はまったくの別物です。
そして、その『カインド・オブ・ブルー』の音楽的な革新は、ビル・エヴァンスに負うところが大きいのだそうです。音楽的なことを具体的に語るだけの素養が私にはありませんが、それでも後ほど、私の理解できる範囲で語ってみたいと思います。

さて、それではサイ・トゥオンブリーがイタリアに拠点を移した年であり、ビル・エヴァンスがマイルスと共に『カインド・オブ・ブルー』を作った1959年というのは、いったいどのような年だったのでしょうか。
美術に関していえば、現代絵画に革新をもたらしたジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)が亡くなったのが1956年で、抽象表現主義絵画の、均質に画面を描き尽くす絵画から、バーネット・ニューマン(Barnett Newman、1905 - 1970)やマーク・ロスコ(Mark Rothko,1903 - 1970)らによる色面によって画面が覆われた絵画や、色の染みが広がっていくヘレン・フランケンサーラー(Helen Frankenthaler, 1928 - 2011)のような絵画、いわゆる「カラー・フィールド・ペインティング」へとアメリカ絵画が移行していった時期だと思います。
https://youtu.be/eIf9f8Ju5so
https://www.moma.org/collection/works/37042
https://www.moma.org/collection/works/78722
その後には、完全に均質な色の面になってしまうミニマル・アートが時代を席巻しますが、この時期はその種が準備されていた時期だとも言えるのです。またトゥオンブリーの年長の友人であるロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg, 1925 - 2008)が1954年頃から「コンバイン・ペインティング」と呼ばれる一連の作品を発表し始め、1958年にはジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns, 1930 - )と同じくニューヨークの画商レオ・キャステリの画廊で個展を開き、1964年にはヴェネツィア・ビエンナーレで最優秀賞を受賞しました。アメリカ美術が完全に世界を席巻したのです。
http://www.new-york-art.com/old/Mus-met-rauschenberg.php
今から振り返ると、視覚的な絵画の画面を単純な色の面にまで還元するというミニマルな方向と、抽象表現主義の直後の世代であるラウシェンバーグらによる現代アメリカのイメージを結合させる(combine)複合的な方向と、抽象表現主義以降のアメリカ美術の流れができ始めていた頃なのだろうと思います。
ところがサイ・トゥオンブリーは、その流れのいずれにも属さず、単独でニューヨークを離れイタリアへと渡りました。そこで彼が追究したのは、文字を書くような手の動きと、文字が喚起するイメージの積極的な導入でした。
トォオンブリーの作品の文字が表す内容は、ギリシャ・ローマ神話の神々の名前や、神話に登場する動物などの名前でした。ローマに移住しただけあって地中海的なイメージの援用が目立ちます。遠く日本にいて、その異国の言葉によるイメージを十分に味わうことは難しいと思います。
しかしヨーロッパにおいては、トゥオンブリーの自由な線描と、文字の含むイメージに触発されたフランスの大物の批評家、ロラン・バルト(Roland Barthes、1915 - 1980)がずいぶんとトゥオンブリーについて書いています。

不器用さが軽やかさであることは稀である。多くの場合、不器用に書くとは力を込めることである。真の不器用さは自己主張し、強情を張り、愛されたいと願う(母親の作ったものを見せ、得意気に見せびらかす子供とそっくりだ)。私が今述べたこのような非常にねじれた不器用さをひっくり返すのがTW(トゥオンブリ)の仕事である。TWの不器用さは、まったく逆に、力を込めない。少しずつ消えてゆく。消しゴムのかすかな汚れを残しながらも、少しずつぼかされてゆく。手は花のような跡を残し、次いで、この跡の上をうろつき始める。花は書かれ、次いで消される。しかし、この二つの運動はぼんやりと二重写しとなって残る。
(『美術論集』「サイ・トゥオンブリ または 量ヨリ質」ロラン・バルト 沢崎浩平 訳)

自分のカンバスにVirgilと書くことによってトゥオンブリは、まるでウェルギリウスの世界の大きさそのものを、その名に込められたあらゆる関連事項を、手に凝縮しているかのようだ。だからこそ、トゥオンブリの標題から類推による推論をしようとしてはならないのである。『イタリア人たち』と称する絵があっても、どこにもイタリア人を探してはならない。まさに、そういう名前以外には。「名前」には絶対的な(十分な)喚起力があるということをトゥオンブリは知っている。イタリア人たちと書くことはすべてのイタリア人たちを見ることである。「名前」は、何という話だったか、もう忘れたが、『千夜一夜物語』に出てくる壺のようなものだ。悪魔が壺の中に閉じ込められている。その壺を開けるか、こわすと、悪魔は煙のように出ていき、立ちのぼり、形を変え、空一杯に広がる。標題をこわすと、絵全体が逃げてしまう。
(『美術論集』「芸術の知恵」 ロラン・バルト 沢崎浩平 訳)

バルトは自分でも、絵を描きました。
http://www.art-annual.jp/news-exhibition/news/64669/
特に上手いとは思いませんが、さすがにバルトは現代絵画をよく知っている人だと思います。だから、トゥオンブリーの描く絵画が、ヘタウマに見えてもいかに自由であることか、それがいかに難しいことなのかを知っていると思います。たぶん、バルトの絵を50枚も見れば、そこにはパターンがあり、バルトのできることと、できないことが透けて見えてしまって飽きてしまうと思います。それがトゥオンブリの作品なら、何百枚でも見てみたい!と思うのです。
バルトの悪口を言ってしまってすみません。しかし絵画に比べて、バルトの文章は自由です。美術批評の比喩として、突然、アラジンの魔法のランプが出てくるというのも素敵です。ちなみに、ウェルギリウスはローマ時代のラテン語文学の詩人だそうです。
このように、トゥオンブリーは不器用な文字書きのような描き方によって、かつてポロックの絵画が「アクション・ペインティング」と呼ばれ、その後、絵を描くことをパフォーマンスのようにおこなった一群の画家たちとは一線を画する形で、絵画の行為性について独自の道を歩みます。その描画パフォーマンスを行なった画家たちの作品が、行為の残骸と化し、今ではその大仰な動作が滑稽に見えるのに対し、トゥオンブリーの不器用な線は今でも生き生きと画面上を躍動しています。
それから、トゥオンブリーの同時代のアメリカの画家たち、例えばラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズが大衆の公約数的なイメージを作品化したのに対し、地中海の古い世界を想起させる言葉を投げかけたトゥオンブリーが、結果的に普遍性を得ているように私には思えます。ジャスパーの星条旗の作品はともかく、ラウシェンバーグの作品中のオブジェは骨董品の陳列のように見えます。ラウシェンバーグがヴェネツィア・ビエンナーレで大賞を受賞したのが1964年でしたが、トゥオンブリーが受賞したのは2001年、72歳の時です。ビエンナーレの社会的な意味が違ってきているので、単純な比較はできませんが、トゥオンブリーの作品が世界に浸透していくのには、それだけ時間がかかったのだと言えると思います。しかし、それはそれだけ射程距離の長い作品だったとも言えるのです。
ただし、私は写真でしか見ていないので何とも言えませんが、トゥオンブリーのビエンナーレ受賞作品は、彼にしては大作的な描き方をしているように見えて、ちょっとがっかりしたおぼえがあります。彼には紙の作品がピッタリなのかもしれませんし、とにかく壮年期の作品が充実していたことは確かです。

一方のビル・エヴァンスですが、1950年代のモダンジャズがまるでスポーツのようなアドリブ合戦の様相を呈している中で、エヴァンスとマイルスの目指したのはコード展開の緩やかな、旋律を重視する自由なアドリブだったのだそうです。それまでの熱いハード・バップと呼ばれるジャズは、演奏者の反射神経を試すような素早い展開の音楽でしたが、それだけコード展開の規則性がしっかりとしていた、ということが冒頭のEテレの番組でも強調されていました。
番組の中で映像が出てきたチャーリー・パーカー (Charlie Parker、1920 - 1955)とディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie、1917 - 1993)の共演盤『バード・アンド・ディズ』(Bird and Diz)を聴いてみましょう。
https://youtu.be/frFbJlS5txI
マイルスの師でもあった天才肌のパーカー(愛称バード)と、名手ガレスピーが1950年に録音した名盤です。
そして、この9年後にマイルスとビルの録音した『カインド・オブ・ブルー』の一曲目『So What』と、発売時はマイルス作曲とクレジットされましたが、その後ビルの名前が入ったという『Blue In Green』を聴いてみてください。
https://youtu.be/ylXk1LBvIqU
https://youtu.be/TLDflhhdPCg
どちらがいいとも悪いとも言えませんが、10年ほどの間でジャズが変わろうとしていたことは確かです。この変化の原動力となったエヴァンスの音楽性の中には、クラシック音楽の素養があったことも番組で取り上げられていました。エヴァンスはクラシックのピアニストとしても、将来を嘱望されていたのだそうです。
私の考えるところでは、即興による芸術は何であれ、長く続けると新鮮さを失い、いずれは衰退していってしまうのだと思います。即興は芸術に生命を与えるものですが、それを維持するためには、たえざる更新が必要なのです。
トゥオンブリーは、抽象表現主義以降の即興絵画が行き詰まろうとした時、あえて古い伝統のあるヨーロッパ世界へと移動しました。そして新興国アメリカではあり得なかった絵画の展開を、自らの芸術に吹き込んだのだと思います。それがどういうことなのか、トゥオンブリーについては、バルトが饒舌に語った通りです。
エヴァンスの場合はどうでしょうか。エヴァンスがどういう思いで『カインド・オブ・ブルー』のレコーディングに臨んだのか、エヴァンス自身がレコードのライナー・ノーツを書いていますので、読んでみましょう。

アーティストが自発的になることを余儀なくされている日本の視覚芸術(墨絵?)があります。彼は、不自然なストロークや中断されたストロークが線を破壊したり、紙を突き破ったりするように、特別なブラシ(筆)と黒い水彩絵の具(墨)で薄く伸ばした紙に描く必要があります。 消去や変更は不可能です。
(『Kind Of Blue』ビル・エヴァンスのライナー・ノーツ)

たぶん、エヴァンスは日本の墨絵が、白い和紙に下絵らしきものもなく、即興で描いていることに共感を覚えたのでしょう。消すことも、やり直すこともできない紙の上に、みごとな筆致で絵を描いていることに興味を感じたのです。そして自分たちの音楽に目を向けてこう書いています。

直接の行為が最も意味のある反映であるというこの信念は、ジャズや即興のミュージシャンの非常に厳しくてユニークな分野の進化を促したと私は信じています。グループの即興はさらなる挑戦です。集合的で首尾一貫した思考という重い技術的問題は別として、共通の結果に逹するために、すべてのメンバーからの共感に対する非常に人間的で社会的な必要性さえあります。この最も難しい問題は、このレコーディングで美しく解決されたと思います。
画家は紙のフレームワークを必要としていますが、即興の音楽グループは時間内にそのフレームワークを必要としています。Miles Davisは、シンプルさにおいて絶妙でありながら、主要な概念を確実に参照しながらパフォーマンスを刺激するために必要なすべてを含むフレームワークをここに提示します。
(『Kind Of Blue』ビル・エヴァンスのライナー・ノーツ)

画家個人の即興と、バンド演奏との違い、絵画に空間的なフレームがあるように、音楽には時間的なフレームがある、という芸術的な特性の差異が意識されています。
そして具体的なレコード制作についてはつぎのように書いています。

簡単に言うと、5つの設定の正式な特徴は次のとおりです。「SoWhat」は、ピアノとベースを自由なリズムで紹介した後の、1つのスケールの16小節、別の8小節、最初の8小節に基づく単純な図です。「FreddieFreeloader」は、効果的なメロディックでリズミカルなシンプルさによって新しい個性を与えられた12小節のブルースフォームです「BlueinGreen」は、4小節の導入に続く10小節の円形で、ソリストがさまざまな時間値の増減で演奏します。「AllBlues」は6/8の12小節のブルース形式で、わずかなモーダルな変更とマイルス・デイビスの自由なメロディーの概念によってムードを生み出します。「FlamencoSketches」は5つのスケールのシリーズで、ソリストがシリーズを完了するまで、それぞれが望む限り再生されます。
(『Kind Of Blue』ビル・エヴァンスのライナー・ノーツ)

私は英語がわからないので、自動翻訳機の翻訳を使ってみましたが、読みにくくてすみません。それに私には音楽的な難しいことも分かりません。しかし、先日のテレビの解説でうかがい知る限りでは、このレコーディングでの決まりごとはとてもシンプルで、それだけに演奏者の自由度が広がります。それから、文中の「モーダルな変更」というのは、モード奏法と言われるジャズの手法ことだと思います。マイルスたちがこの『カインド・オブ・ブルー』で取り入れた手法なのです。モード奏法をネットで調べてみると、次にようなことが書いてあります。だいたい何を調べても同じことが書いてあります。

ジャズなどで調などの既成概念にとらわれず自由にメロディやハーモニーを作る、モード手法を使った楽器奏法のこと。モードとは旋法と呼ばれ、メロディ作りの基本となるスケールのこと。 教会旋法の略としても使われる。
(「コトバンク」より)

何のことやら分かりませんが、少なくとも『カインド・オブ・ブルー』を聴く限り、スピード感やリズムよりも旋律を大事にしている、ということぐらいなら感じとることができます。おそらく、そういうことなのでしょう。特に先ほど聴いていただいた『Blue In Green』は、美しい旋律が漂うような、メロディの美しさと自由な展開が合わさったような感じがします。

さて、こんなふうに、年齢が一つ違うというだけの画家と音楽家を比較して、何が分かったのでしょうか。
私は文化というものは、分野を超えて伝播すると考えています。仮に私のような三流の芸術家であっても、大海の一滴の水飛沫程度には、大きなうねりと関わりがあるのだろう、と思うのです。ましてや同じ国の(サイ・トゥオンブリーはその後、イタリアの人になってしまいますが・・・)優れた芸術家同士ですから、時代の息吹も限界も感じ取っていたと思います。
とくに1950年ごろのモダン・ジャズと抽象表現主義は、音楽と美術の世界で同じ現象が起こっていたのだと思います。そして奇しくも、その起爆剤となった二人のヒーロー、パーカーとポロックは生年こそポロックの方が早いのですが、亡くなったのは一年違いという同時性があるのです。麻薬やアルコールが彼らを犯し、寿命を縮めたのは明らかで、即興芸術を維持することの過酷さを物語るようでもあります。
ビル・エヴァンスも同様に、ギリギリの人生を生きたようです。サイ・トゥオンブリーはイタリアに渡り、当時の芸術界の喧騒から距離を取ったのが幸いしたのでしょうか、長寿をまっとうしました。ただ、先ほども書いたように、晩年の作品は若い頃のようにひたむきなものであったのかどうか、実物を見る機会がないので何とも言えませんが、ちょっと疑問が残ります。

最後になりますが、ビル・エヴァンスの番組を教えてくれた友人が、エヴァンスが晩年に録音した新譜が続々と出ていて、それらが素晴らしいこと、特にロバート・アルトマン監督のコメディ映画『M*A*S*H』のテーマ曲を演奏したものが良い、ということを教えてくれました。それはたぶん、つぎの曲でしょう。
https://youtu.be/ECtNyyLEW7E
そういえば、『M*A*S*H』を若い時に見て、シリアスな映画じゃないので、軽く見てしまった記憶があります。内容もほとんど憶えていないので、もう一回見てみなくてはいけませんね。ちなみにこの曲のタイトルは『Suicide is Painless』で、つまり「自殺は痛みがない」ということのようです。オリジナルのサウンド・トラックは、たぶん、これです。
https://youtu.be/ODV6mxVVRZk
インターネットでこの曲を調べてみると、村上春樹が訳したものとして〈自殺をすれば痛みは消える。それがいちばんラクかもね。するもしないも、あなたの自由〉という一節がありました。『村上ソングズ』に収録されているそうです。これは入手しなくてはなりません。
この曲のできた経緯ですが、どうやら映画にふさわしく、できるだけ馬鹿げた曲を作りたい、とアルトマン監督が望んでできたものらしいのですが、馬鹿げた言葉がひとまわりして、身も蓋もない真実を表現するものになってしまったようです。でも、インターネットで感想を見てみると、どんなに痛みに満ちた人生でも、まだ自由にできる選択肢があると思うと元気が出た、という英語のコメントがあり、言語表現の深さを感じます。イギリスでは相当なヒット曲になったそうなので、みんなそう思ったのでしょうか。

 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「ART」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事