平らな深み、緩やかな時間

89.『辰野登恵子 オン・ペーパーズ A Retrospective 1969-2012』 『松浦延年 展 - ムイネーの赤い石 -』

2018年の年末に、二つの展覧会を見に行きました。
ひとつは埼玉県立近代美術館で開催されている『辰野登恵子 オン・ペーパーズ A Retrospective 1969-2012』という辰野登恵子(1950 – 2014)の回顧的な展覧会です。もうひとつは横浜のATELIER K ART SPACEというギャラリーで開催された『松浦延年 展 - ムイネーの赤い石 -』という現存作家による個展です。辰野登恵子の展覧会は、このあと2019年2月から3月にかけて名古屋市美術館にも巡回するようです。
規模の異なる二つの展覧会ですが、並べて批評したくなった私の気持ちについては、このblogを終わりまで読んでいただければわかると思います。松浦さんについては、以前にもこのblogで書いていますので、興味を持っていただけたら、そちらも参照していただけるとありがたいです。そのつもりで、以前から継続的に制作されている傾向の作品については、あえて言及しません。一応、それぞれの展覧会について、現時点で参照できるホームページを載せておきます。

『辰野登恵子 オン・ペーパーズ A Retrospective 1969-2012』
http://www.pref.spec.ed.jp/momas/index.php?page_id=385
『松浦延年 展 - ムイネーの赤い石 -』
http://atelier-k.main.jp/nobutoshi_matsuura2018.html
※このblogの松浦さんに関する文章は、2017年5月の『未知の絵画を夢見ること』をご覧ください。

まず、辰野登恵子という作家について、基本的な情報をおさえておきましょう。私の世代で現代絵画に興味がある人なら誰でも知っている作家ですが、4年前に64歳の若さで亡くなっているので、もしかしたら若い方の中にはご存知ない方もいらっしゃるかもしれません。この展覧会のカタログの中の、東京国立近代美術館主任学芸員・三輪健仁が書いた『無名の顔―辰野登恵子の抽象について―』という文章から引用させていただきます。

辰野は、自身が抽象を追求しているという点において一貫しており、その意味では抽象の画家とすることは間違いではなかろうが、一方でこの抽象の追求が彼女にとって苦闘の歩みとなったことは、辰野が画家としてのキャリアを築いていく1970年代から80年代にかけて、日本の美術界において優勢であった抽象観と密接に関係している。端的に言うならば、辰野は抽象表現主義およびその理論的な礎となったアメリカ型フォーマリズムの影響下に制作活動を開始した。辰野の70年代の方眼紙や罫線の入ったノートを用いた版画、ドローイング、絵画は、グリッドやストライプという構造に基づいていたがゆえに、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートと関連づけられ、また70年代末に始まる絵画制作は、抽象表現主義と当然のように結びつけられてきた。であればこそ、後に触れる80年代初頭に始まり90年代以降に前景化していく、画面内にあからさまに現れる具体的な対象を連想させる形象は、ときに具象(再現表現)への転向かといぶかられもし、また80年代に世界を席巻した新表現主義と結びつけられて語られもした。
(『辰野登恵子 オン・ペーパーズ』カタログ「無名の顔―辰野登恵子の抽象について―」/三輪健仁著)

辰野登恵子の画業から当時の現代絵画の状況まで、短い文章の中でまとめられていて見事です。
ちなみに彼女の作品というと80年代以降の大きなタブローがイメージされがちですが、今回の展覧会は「オン・ペーパーズ」と銘打って、版画やドローイングなどの紙の作品を集めたところがポイントだと宣伝されています。しかし私の見た感じでは、タブロー作品も見ごたえのあるものが少数ながら揃っています。むしろ大きなタブローをどかどかっと並べられるよりも、エスキースやスケッチ、版画が豊富に見られる今回の展示が、彼女を回顧するのにふさわしいのではないか、というふうに思います。彼女がキャリアの初めから晩年まで、版画に力を入れていたことも、今回の展示でよくわかります。トータルに辰野登恵子という作家を知るうえで、とてもよいバランスの展覧会です。
そんな良質の展覧会ですが、ひとつだけ企画された方にリクエストをさせていただくとしたら、カタログの値段をもう少し抑えていただきたかった…。ハードカバーでなく、もっと小ぶりでかさばらない体裁の方が、喜ぶ方も多かったのではないでしょうか。(よけいなことを書いてすみません。)

さて、今回の展覧会については、マスコミでもずいぶん取り上げられているようなので、ここでは私の個人的な意見をまとめておきましょう。
私が辰野登恵子という作家を知ったのは、たぶん1980年の藤枝晃雄が企画した『Art Today‘80 絵画の問題展』という展覧会だったと思います。もしかしたら、その当時、私は愛知県にいましたので、実際の展覧会を見たのではなく、カタログだけ購入したのかもしれません。なにせ二十歳の頃のことなので記憶があいまいです。しかしいずれにしろ、藤枝晃雄がカタログの冒頭で「ミニマリズム、コンセプチュアリズムからの脱皮」という状況について書いていたので、その代表的な作家として辰野登恵子が私のイメージの中に刷り込まれることになるのです。「ミニマリズム」からの「脱皮」とはいっても、辰野登恵子、根岸芳郎、依田寿久という選出された三人の作家は、その当時の作風からすると十分に「ミニマリズム」の範疇で捉えられる状態でした。三人とも、その後も「脱皮」を続けて作風が変わりましたから、もしかしたら彼らは藤枝晃雄が予想した範囲を超えてしまったのかもしれません。とくに辰野登恵子は三輪健仁が書いたように、「画面内にあからさまに現れる具体的な対象を連想させる形象は、ときに具象(再現表現)への転向かといぶかられもし、また80年代に世界を席巻した新表現主義と結びつけられて語られもした」のでした。すでに『Art Today‘80 絵画の問題展』に出品された作品の中に、唐草模様のような形状が画面上に現れていました。私はながらく、辰野登恵子がミニマルな形式のタブロー作品をたくさん描いていたのかと思っていましたが、今回の展覧会を見た限りでは、そうではなかったようです。彼女は原稿用紙や罫紙を転写した版画作品をかなり作っていましたが、タブローでの同様の作品は1978年から80年にかけてミニマリズムからの「脱皮」と言えるような作品を制作した時期に限られていたようで、その後は作風が変わります。さきほども書いたように80年代のはじめには唐草模様のような形があらわれ、1981年から82年には抽象的な形象が描かれるようになります。
ちなみに、1980年前後の作品は、タブローもドローイングもすばらしいです。同様のコンセプトで描かれた作品は巷にあふれていたのでしょうが、それらに比べてクオリティーが高かったのだろうと思います。現代美術は、とかく手法としてのオリジナリティーが重要視されますが、こうして年月を経たあとで見てみると、だれが先に始めようがあまり関係ありません。いまでも見るべき質が画面にあるのかどうか、それが問題です。
今回の展覧会を見て感じたことは、確かに彼女の存在はつねに時代の先頭を切っていたかのように見えますが、しかし時代の刺激を受けながらも、結局、彼女は自らの資質が求めるように率直に表現していった作家なのではないか、ということです。
例えば一見、ミニマル・アートのように見える原稿用紙や罫紙を転写した作品ですが、これは厳密にはミニマル・アートとは違った興味で描かれていたと思います。原稿用紙の無機的な線と、その上に鉛筆や色鉛筆で描かれた有機的な線と、それをそのままドローイング作品としてみれば、インクや顔料の物質感の違いも重なって、互いにまったく別な種類の線に見えてしまいます。ところがそれを、版画として転写したことによって独特の融和がなされ、線の質の違いだけが際立つのです。さらにその上からドローイングを加えた作品もありましたが、それは版画の転写と手描きの生な感じとが一層複雑に絡み合う結果になります。これはミニマル・アートというよりは、絵を描くことそのものへの興味、描くことへの根源的な探究、と言った方が妥当だと思います。
彼女が、現代絵画の平面性と正面から向き合ったのは、むしろ1978年から80年にかけての油彩画においてではないか、と思います。油彩というのは透明感の高い絵具なので、どうしても奥行きが強調されてしまいます。彼女はかなりの時間をかけて、キャンバスの上に絵の具を置く行為を重ねて、それが一定の平面性を獲得するところまで描ききっています。こういうことをすると、得てして色彩の感度が鈍くなり、絵の具がもったりと重たい感じの作品になりがちですが、彼女の作品は美しく、無駄なマチエールがまったくない作品のように見えます。その後、唐草模様のような形象が画面に現れますが、しばらくはキャンバスや紙の平面性を触覚的にさぐるような制作が続きます。この時期の作品は、実に興味深いです。
ところが、1982年頃からどんどんイメージ的な形象が勝っていって、画面のイリュージョンが深くなっていきます。この頃の辰野登恵子のことばが、展覧会場で紹介されていました。

イメージは見えている世界からピックアップされてくるものもあれば、心の闇の中から生まれるものもあります。前者は視覚を通して感知するものなので、ある程度パースペクティブに沿った、形あるものですが、後者は無意識の世界から引き出されるので、相当観念的なものです。
(『辰野登恵子 オン・ペーパーズ』カタログ p84 辰野登恵子のコメント)

辰野登恵子は後者のイメージを表現する仕事に集中していきます。このコメントから察せられるのは、無意識から湧くイメージは視覚的なパースペクティブに従属しない新たな形象の現れである、という認識ではないかと思います。おそらく彼女のなかには、これまでの絵画にはないものを自分は「無」から生み出している、という気概があったのだろうと思います。そう思えるだけの才能が彼女にはありましたし、それなりの成果もあったと思います。しかし私には、この時期以降の彼女の作品について好悪が分かれて見えてしまいます。80年の頃のように、キャンバスや紙と触覚的に葛藤し、平面性を意識していることが感じられる作品はよいのですが、それがあまり感じられない作品は、彼女の作品といえども旧套的なパースペクティブに取り込まれてしまっているように見えてしまいます。具象的な絵画であれ、抽象的な絵画であれ、視覚的なパースペクティブと無縁である絵画はないだろう、と私は考えます。それは、「絵画が平面である」という現代絵画が再認識した事実との間で矛盾しているのですが、そもそも絵画とはそういうものなのです。私たちはその矛盾した表現領域の中で、一人一人が何を表現できるのか、が問われているのです。
日本の現代絵画の中で、先頭を切って走っていた彼女の場合、表現することの困難度は、私の想像の及ばないところでしょう。しかしそのなかで、つねに自分の資質に対し、率直に表現してきた彼女の軌跡が概観できて、とても有意義な展覧会でした。

一方、『松浦延年 展 - ムイネーの赤い石 -』ですが、松浦延年も「ミニマリズム、コンセプチュアリズムからの脱皮」という範疇で捉えられなくもない作家です。しかし私は以前のblogで書いた通り、彼を「絵画の原点を見つめなおす試み」を継続している作家だと思っています。以前は「絵画を構成する絵の具の層というミクロな部分に焦点をあてながら、思わず凝視せざるを得ない表現の高みに達する」と彼の作品を評しましたが、今回はその試みを継続した作品と同時に、点描による作品がありましたので、そのことについて触れておきたいと思います。
今回、点描による作品が二点あって、一つは概ね緑色に見える作品と、もう一つは白く見える作品です。「概ね」と書いたのは、それらの作品が、実はさまざまな色の集積で出来ているからです。緑色に見える作品にもさまざまな色の点があり、多様な緑はもちろんのこと、補色関係にある赤系統の色の点まで散見できます。白く見える作品の方は、よく見ると純粋な白の点ではなくて、少し青系統の色が混ざっていたり、赤系統の色が混ざっていたりして、近づいて見ると柔らかな変化があるのです。あの松浦延年の作品ですから、当然のことながらその下地になる色も周到に重ねられています。ですから単色で統一されているように見えて、実は相当に豊かな表現となっているのです。単色で描かれたオール・オーバーな絵画と言えば、当然、ミニマル・アートの絵画作品が想起されるわけですが、これはミニマル(最小限)どころか、最も贅沢な表現なのかもしれません。
考えてみると、1980年代の「ミニマリズム、コンセプチュアリズムからの脱皮」を指向した作家たちは、苦心してアイデアをひねって、何らかの新しい方向性を見出したと思っても、その先に豊かな領野が広がっていたわけではなく、結局のところ停滞するか、新表現主義と言われる方向へと「脱皮」していく、というようなことが多かったのです。それはフォーマリズムの尺度でいえば「脱皮」ではなく、「逸脱」といってもよいのかもしれません。
しかし、いまとなってみれば、表現をミニマルにすることにどのような意義があったのでしょうか。それがグリーンバーグの提唱した絵画論によるものならば、絵画の平面性を指向するがゆえに意義があった、ということになるはずです。そう考えると、今回の松浦延年の作品は、まさに現代絵画のひとつの方向性を指し示していると思います。画面全体は統一された平面のように感じさせながら、そこには豊かな色彩を宿しているわけですから、その表現がミニマルであるかどうか、というような見方を飛び越えて、絵画の一つの方向性を示しているわけです。
まあ、そういう理屈をこねなくても、作品が多くを語っています。例えば私は、白い色がこんなにも多くの含みを持っていることに驚きましたし、それまでの松浦延年の作品とは、また別の種類の美しさを感じました。ミニマル・アートと言われる作品の中に白い単色の作品が数多くありますが、たいていの作品は痩せて禁欲的な面持ちをしています。それは、白を色味としてではなく、たんに表現を零度にする手段として使っているからです。言ってみれば「消去」、もしくは「還元」するための白だったのです。そのことを思うと、松浦延年の作品がいかに画期的なものであるのか、わかると思います。

実は私自身、2019年2月に展覧会を予定しています。制作上の迷いや焦りも、当然のごとくあります。この時期に、このような二つの展覧会を見ることができたのは、幸運だと思います。せめてもう半歩前に出ないといけない、というような勇気をもらった気がします。
何を表現したいのか、自分の方向性を明確にしなくてはなりませんね。そのことを、近いうちにこのblogで書けるといいな、と思っています。

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