すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

ジャニー喜多川 告発史

2023年05月15日 | 社会
鹿砦社(ろくさいしゃ)


ジャニーズ性加害報道、最初は「1965年」 
雑誌や書籍の追及はなぜ見過ごされたか

(弁護士ドットコムニュース2023年 5/12)

BBCや『週刊文春』の報道、カウアン氏の証言によれば、ジャニー喜多川氏は事務所の多くの未成年男子たちに対して性加害を続けてきたという。衝撃的な内容だが、「昔から言われていたことなので、今更驚くこともないというか…」(30代のジャニーズファン)などと特段の驚きもなく受け止める人たちがいる。 その人たちがいう「昔から言われていた」噂とは何なのか。調べてみると、雑誌や書籍では1965年から報じられるようになり、さらには国会でも審議されるなど、事実を検証するチャンスは幾度となくあったのだ。何が報じられ、そしてなぜ見過ごされてきたのだろうか。 

「“ジャニーズ”売り出しのかげに」と題されたこの記事は、ジャニー氏の“みだらな行為”をめぐる、ある裁判を報じたものだ。 アマチュア時代のジャニーズタレント(後に「ジャニーズ」としてデビュー)がダンスなどを習っていた芸能学校が、ジャニー氏に授業料や損害賠償などの支払いを求めた裁判である。

記事によれば、裁判で学校の代表は、生徒から「ジャニー氏が、変なことをしたんです」と、“みだらな行為”について聞いたと証言。同誌の取材に対して、当時はまだ米国大使館の事務職員でもあったジャニー氏は次のように反論したという。 〈「ボクがいったいなにをしたというんです。あんまり失礼だ。そんなことをいわれては、ボクとしても覚悟がある」 と、すわって話していたのが、顔を蒼白にして突然立ち上がった。 「それについては、ほかにいうことはありません」〉 

この裁判の続報は2年後、『女性自身』(1967年9月25日号・光文社)が「ジャニーズをめぐる“同性愛”裁判 東京地裁法廷で暴露された4人のプライバシー」というタイトルで4ページにわたって詳報した。 法廷に入廷するタレントの写真を掲載するところに時代を感じる記事だ(現在は裁判所内での写真撮影は禁止)。
原告の代表側はタレントたちから学校内で聞いた話をもとにしているが、法廷でタレントたちは“いかがわしい行為”については、「おぼえてません」などと否定している。 

その後10数年は、雑誌で“みだらな行為”“いかがわしい行為”疑惑は報じられなかったようだ。 1981年になって久々に扱ったのが『週刊現代』(1981年4月30日・講談社)で、「たのきんトリオで大当たり 喜多川姉弟の異能」という記事で、ジャニー氏に体を触られたという匿名の元タレント証言に触れる。 

また後に度々、取り上げるようになる『噂の真相』が初めて「ホモの館」として、寮(合宿所)のグラビアを掲載したのが1983年11月号のことだった。 この時期までは、匿名での証言を中心に、どの記事も踏み込んで疑惑を書いてはいたが、同じテーマを後追いするライバル誌もなく、一誌が書いてもさざ波のように消えていくのだった。 

その後、風向きが変わるのは1988年のこと。この年、ジャニーズグループ「フォーリーブス」(1967年結成、1978年解散)のメンバーだった北公次氏が『元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)を出版したことが大きな契機となる。北氏はこの本の中で、ジャニー氏から自身が受けた性被害を赤裸々に綴った。 

これを受け、出版から1年ほどは『アサヒ芸能』、『週刊文春』(文藝春秋)、『FOCUS』(新潮社)、『週刊大衆』(双葉社)、『微笑』(祥伝社)などにて、北氏や匿名の元タレントらの証言が掲載された。

 その1つ、『微笑』(1988年12月17日号)は「『光GENJIへ』事務所の先輩 北公次が忠告! 俺が陥ちた同性愛の罠」とのタイトルで記事を掲載し、この中で北氏は次のように出版について語っている。
〈「お世話になった事務所の社長を責めるってつもりはないんです。ただ、このことをさけては自分の人生は語れないのだと…… 本当のことだからしようがない……と」〉 『元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』を出版したデータハウスでは翌89年にも『ジャニーズの逆襲』などジャニーズ関連本を何冊か出版している。

一連の出版当時、どんな反響があったのだろうか。データハウス鵜野義嗣代表は次のように振り返る。 「古い話なので正確にはわかりませんが、多いもので10万部、ジャニーズに関連したものは他にも何冊か出しましたが、延べで20、30万部くらいだったでしょうか。当時も取り上げてくれたのは『FOCUS』や『微笑』『噂の真相』くらいで、テレビが扱ってくれた記憶はないですね。出版を決めたのは、雑誌記者さんからの持ち込みがきっかけでした」 データハウスによれば、一連の関連本に対して、ジャニーズ事務所からの反応はなかったというが、売れ行きが渋ってきたこともあり、関連本は以後、出版していない。

それに代わるかのように、今度は元ジャニーズJr.らによる書籍やムックを今に至るまで継続して発行する出版社が現れる。月刊誌『紙の爆弾』で知られる鹿砦社だ。 

同社は『ジャニーズのすべて』(平本淳也、1996年、全3巻)、『二丁目のジャニーズ』(原吾一、1996年、全3巻』、『ひとりぼっちの旅立ち』(豊川誕、1997年)、『SMAPへ そしてすべてのジャニーズタレントへ』(木山将吾、2005年)など元ジャニーズJr.らの告発本やスキャンダル本を多数出版していく。

事務所設立50周年に際しては、事務所さえも出していない『ジャニーズ50年史』をもまとめ上梓している。 鹿砦社の松岡利康社長は「平本さんの本は何冊か出しましたが、多いもので3万部ほど、シリーズ化した『ジャニーズおっかけマップ』は毎年更新し、累計40万部くらいになりました」という。 

ちなみに平本さんの作品では性加害の実態についても、赤裸々に語られている。最初に原稿を読んだ感想については「この問題のパイオニアはデータハウスさんで、北公次氏の作品も読んでいましたから、ああやっぱりと思いました。ただ出版後もテレビの反応はなかったですね」(同) 同社は『ジャニーズおっかけマップ・スペシャル』の出版などをめぐり、ジャニーズ事務所側と計3つの裁判を抱えることになる。いずれも敗訴するが「敗北における勝利」だと松岡社長は考えている。 

元所属タレントらが実名、顔出しで証言したインパクトは大きかったはずだが、テレビや出版業界全体を巻き込んだ大きなうねりとはならなかったようだ。 

元ジャニーズJr.の木山将吾さんは著書『SMAPへ 』(鹿砦社)の中でその無念さをこう著した。 〈僕らが書いた告発本も4、5冊にのぼって、何度か週刊誌の取材も受けてきたが、僕たちがテレビで取り上げられることも、ジャニーのホモセクハラが話題になったり、社会的制裁が与えられるようなこともなかった〉 〈告発以降、ジャニーズとの戦いは、まるで象に噛み付く蟻のようなもので、僕たちは己の非力さ、ジャニー氏の悪のパワーの蔓延を思い知らされるばかりだった〉 「一部の雑誌は決して報じていなかったわけではなかったんです。ただネットもない時代、テレビで取り上げられなかったら、広く世に知らしめることはできなかった。1号だけでは、それで終わってしまいますから。その意味で、『週刊文春』が毎週掲載するというキャンペーンをやり、同誌が与えたインパクトは大きかったと思います」(鹿砦社の松岡社長) それが14週連続で大々的に報じた『週刊文春』のキャンペーン報道だ。

1999年10月から、複数の元所属タレントらの証言をもとに性加害を含めた様々な疑惑を掲載し反響を呼び、国会でも審議されることになった。2000年4月、第147回国会の衆議院「青少年問題に関する特別委員会」にて、自民党の阪上善秀衆院議員(当時)がこの問題を取り上げたのだ。 しかし、捜査に進むなどの進展もなく、ジャニーズ事務所らが『週刊文春』の記事を名誉毀損だと訴えた裁判で、東京高裁が性加害の事実を認定しても、大手メディアは黙殺に近い扱いだった。事務所に対して事実関係の調査などを求める社会的な機運も高まらなかったのである。 

こうして振り返ると、どれだけ広がったかは別にして、雑誌や書籍での告発は長く続けられてきた。しかし鹿砦社の松岡社長が指摘するように、インターネットがない時代、テレビが報じなければ情報が広がる対象や期間にも限界があったはずだ。 カウアン・オカモト氏はFCCJの記者会見で、こうした疑惑については把握していなかったと語っている。テレビ報道などで事実を知っていたら「多分(ジャニーズ事務所に入ることは)なかった」とも会見で明かした。 
北氏の告発本でうっすら知っている人であっても、その後20年、30年と詳細に記憶していた人も少ないだろう。「噂として知っていた」という人たちでも、口伝えの情報では断片的で、告発本に書かれたような少年に対する性加害の詳細は知らずにいるのではないか。

告白本には、若干11歳で被害にあったと明かす人もいた。 ある総合週刊誌のベテラン記者は「決してジャニーズ事務所に対する忖度で取り上げなかったというわけではなく、ニュースバリューを感じなかったから。社会も、芸能界の性の問題を“性加害”としてではなく、“枕営業”として被害を軽く見ていた面はあるはずだ」と振り返る。 

被害にあったのが男性であったこと、男性から男性に対するものであったことなど、社会がこの問題をタブー視してきた側面も否定できないだろう。 鹿砦社の松岡社長は、悔しさをにじませて語る。 「1999年に始まった『週刊文春』の連載の後に、『週刊女性』が一時期、報じていましたが、そのほかの雑誌は全くと言っていいほど扱いませんでした。今であれば未成年性虐待、性犯罪だと社会的にも厳しく断罪されるでしょうが、当時はまだ少年愛の嗜好を持つ人物のホモセクハラぐらいに軽視されていたのかもしれない。ジャニーさん、メリーさんが生きている間にこの問題について社会が、特にマスメディアがもっと論じるべきでした。その点は非常に残念です」
 「もうそのまま忘れ去られてしまうのかと思っていた」という松岡社長だが、希望もあるという。 「今回、BBCのドキュメントに触発されたとはいえ、NHKや朝日新聞の若い記者が動き、NHKは短時間ながら放映し、朝日は社説で採り上げました。これまでになかったことです。今後、NHKや朝日がここまでで止まるか、発信を続けるか、見守りたいと思います」 当事者が亡くなっているため、全容の解明には限界もあるだろう。それでも今こそ、長年にわたって放置してきた多くの被害の訴えに、社会が向き合う必要があるはずだ。



豊川 誕(1958年10月5日 - )
僕はいまだに両親の顔を知らない
元ジャニーズタレント・豊川誕の著書『ひとりぼっちの旅立ち』は、
彼が推定3歳の頃(正確な生年月日を本人も知らないため、“推定”とするしかない)、
兵庫県姫路市の公園のベンチで父親に置き去りにされる、切ないエピソードから幕を開ける。
警察に保護され養護施設で元気に育っていた豊川に、衝撃的な出来事が襲いかかる。
当時まだ小学校低学年の彼に対して、養護施設の中学生の先輩が、
おもむろにズボンを下ろし始めた
先輩は、むき出しになった自分の性器を指さし「くわえろ」とだけ言った
豊川にはもともと男性を引きつけるオーラが出ているのか、15歳で家出をした時に、
またしても男性に声をかけられる。連れてこられた先は、どうも、ここは男が好きな客が来る場所らしいのだ
ゲイバーだった。
この場所で、自称“ジャニーズ事務所のタレントのマネジャー”に、「絶対スターになれる」と声を掛けられる。
結局、この自称マネジャーは、ジャニーズ事務所の社員ではなかったのだが、
事務所との仲介はしてもらえた。
この自称マネジャーに連れられて初めて事務所を訪れた時、
6時間も社長室のソファーで待っていたことを、ジャニーの姉・メリーに「根性がある少年」と見なされ、採用。
ちなみに芸名をつけたのもメリーだ。
東京・赤坂の豊川稲荷に捨てられていたという「設定」がデビュー時に設けられ、豊川稲荷で誕生→豊川誕が誕生した。
こうしてジャニーズ事務所に入所した豊川だが、「辛い仕事があった」と当時を告白する。何かといえば、
夜である
合宿所での最初の1週間は、自室で寝ていないという。
では、どこで寝ていたのか
ジャニーさんの部屋であった
彼のベッドで毎晩、自由にされ続けたのだ

「だてにゲイバーで働いていたわけじゃない」と、
ちょっと醒めた感じの玄人感すら滲ませている。
しかし、「辛い仕事」と明かしながら、こうも言っている。

不思議と彼を恨む気持ちはなかったのである

ジャニーには、大きな感謝と敬意を抱いているようだ。
「メリーさんが怒り役のお父さん、ジャニーさんは怒られた少年たちを慰めるお母さん」という表現にも、
とても親愛の情が込められている。
ジャニーは母性の人なのだ。また、ジャニーは、こうも呼ばれていたという。

容姿は、どこかカッコ良さが漂うハーフそのものだったが、当時の事務所のタレントの間ではひょこひょこ歩くその姿から、
「テクテクおじさん」というあだ名で呼ばれていた
全編通して、静かながら熱いトーンで書かれた本書には、
「二人は恩人である。同時に、社会人の僕にとって越えなければいけない高い山なのである」といった、
ジャニーとメリーへの熱い思いが何度となく綴られている。
「破格の扱い」と自分でも書いているが、「夜である」のおかげなのか、入所わずか1週間でステージに上がっていたという。

乱れていた時期に、後にドラッグで逮捕されるフォーリーブスの北公次に、「君とはどこか似ているものがあると思っていた」と声をかけられる。
僕もクスリをやっているんだ。仲良くしよう


「『きみ、誰のファンなの?』
『ジャニーズです』
『ふーん、今何やってるんだい』
『あの…・‥ボーヤやってるんです』
『そうか、一応音楽の仕事やってるんだね。どう、芸能界に興味ある?』
『……ええ……』
 何者か判らないハンサムな青年は、そっとおれの肩に手をかけ、しゃべり続けた。
 ジャニーズがその青年のプロダクションに所属しているということを聞かされたおれはからだじゅうが熱くなるのを感じた。
まさかーまさか、あのジャニーズのプロダクションの社長がこの人だなんて……。 
ジャニーズに会えるかもしれない。自分がスカウトされるとは思えなかったので、この人物を介してジヤニーズのサインがもらえるかもしれない、
16歳の少年はそんな興奮で胸が一杯になった。
『よかったらうちでボーヤやらないか。ジャニーズのボーヤやりなさい、面倒は見てやるから』
 ジャニー喜多川と名乗る青年は優しく肩に手をかけたまま耳もとでささやきかけた」


後に明らかになるジャニー喜多川のスカウティングのパターンである。


最初の出会いでは決して自分がジャニー喜多川であることを名乗らない。人なつこく近づき、相手の気持ちをほぐして相手をぐっと惹きつける。


ジャニーズの付き人となった公次は、四谷のお茶漬け屋の2階に住み込んだ。
その頃のジャニー喜多川との関係については、同書が88年にホモセクハラを行っていたと暴露する。


北公次

「部屋で一人寝ていると黙ってジャニーさんがもぐりこんでくる。そしていつものようにぬいぐるみを愛撫するようにおれのからだをまさぐってくる」

「おれが外で若い女の子と口をきいたりするとジャニーさんはいつも夜嫉妬めいた口調で責めてくる。それと同じようにおれもジャニーさんが他のタレントと親しい口調で話しているのを見てしまうと嫉妬めいた感情が胸に渦巻く」(『光GENJIへ』)
 そして、深く関わったからこそ見えてくるこんな分析も。
「というよりもジャニーさん自身がホモの男を嫌っていたのだ。同性愛者というのは、ホモの性癖のある男を求める場合と、ホモの性癖のある男には見向きもしない二つの傾向がある。ジャニー喜多川さんは後者、つまり元気で少年っぽい10代の男の子が大好きだった」」(『光GENJIへ』)



なぜ東京高裁は「ジャニーズ性加害」を「事実」と認定できたのか 
1999年文春報道の裁判

(弁護士ドットコムニュース 2023年5月13日

2023年3月に放映された英放送局BBCの報道をきっかけに、ジャニーズ事務所の創業者、故ジャニー喜多川氏(享年87)による「性加害」問題に注目が集まっている。古くは1960年代から雑誌で報じられていた疑惑だ。

1999年にキャンペーン報道した『週刊文春』の記事をめぐっては、ジャニーズ事務所らが発行元の文藝春秋を名誉毀損で提訴。文春の代理人をつとめた喜田村洋一弁護士は、ライター・高橋ユキ氏の取材に「負けたら文春の記事が間違いとなってしまいますので、とにかく勝たなくてはいけないという一心でした」と当時を振り返る(〈ジャニーズと裁判で戦った文春側・喜田村弁護士「とにかく勝つという一心だった」〉弁護士ドットコムニュース)。 この裁判で争われた1つの重要な点が、少年らが逆らえばステージの立ち位置が悪くなったりデビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、ジャニー氏がセクハラ行為をしたのか否か、だった。 今から約20年前にあった裁判について、判決文をもとに振り返る。 

ジャニーズ事務所とジャニー喜多川氏は1999年11月、〈「ジャニーズの少年たちが『悪魔の館』(合宿所)で強いられる“行為”」〉など計8本の記事について、文藝春秋を名誉毀損で提訴した。 裁判では「セクハラ被害」(性加害)以外にも、合宿所等での日常的な飲酒喫煙、所属タレントの万引き事件、メンバーに対する冷遇措置など9点の争点について、これらの記述が(1)記事が原告らの名誉を毀損するか否か (2)名誉毀損だったとして真実性および真実相当性の有無、が争われた。 ・東京地裁(2002年3月27日判決) 文春側が5つの争点で敗訴。計880万円(ジャニーズ事務所とジャニー喜多川氏に対して、それぞれ440万円)の支払いをするよう文春に命じる。 ・東京高裁(2003年5月15日判決) 文春側が4つの争点で敗訴。「セクハラ被害」の真実相当性が認められる。計120万円(ジャニーズ事務所とジャニー喜多川氏に対して、それぞれ60万円)の支払いに減額される。 文春は上告せずジャニーズのみが上告したが棄却。高裁判決が確定している。 この記事では、9点の争点の内、「セクハラ」に関する記述をめぐり裁判所はどう認定したのか追っていく。

一審の東京地裁は2002年3月27日、名誉毀損があったとして、880万円の賠償を文藝春秋に命じた。 判決では(1)の名誉を毀損するか否かについて、所属タレントに対する「セクハラ」の報道が「原告喜多川、ひいては同原告が代表者を務める原告事務所の社会的評価を低下させるものというべきである」などと判断を示した。 (2)の真実性および真実相当性については、少年らが被害日時について「具体的かつ明確に述べていない」、取材班も「取材源の秘匿を理由として、これを明らかにすることはできないとしている」などとして、「少年らの供述は、原告らの十分な防御を尽くすことができない性質のものであって、原告喜多川のセクハラ行為を真実であると証明するのは、なお足りるものではない」。つまり、少年らの供述を真実と認めなかった。 その理由として、取材の不十分さがあるとの判断を示している。   「被害者とされる少年らの側のみではなく、加害者とされる原告喜多川ないしは原告事務所の側に対しても、可能な限りの取材を尽くす必要があった」 としたうえで、 「原告らが被告らに対し取材拒否の姿勢を示したとみることはできず」 「報道機関である被告らとしては、なおさら慎重を期して、適切な期間をもって取材申入れを続けるべきであったといえる」 と述べ、 「可能な限りの取材を尽くしたと認めることはできない」として真実相当性は認められないとした。 もう1つが、少年の供述の不確かさだった。   「少年ら等から捜査機関に対する告訴等がされた形跡もなく、捜査機関による捜査が開始された状況もうかがわれない」 「(少年らが逆らえばステージの立ち位置が悪くなったりデビューできなくなるという抗拒不能な状況にあるのに乗じ、セクハラ行為をしていることに関し)その重要な部分が真実であるとの証明はされていないといわざるを得ない」 この判決を不服として、双方が控訴する。

一方の東京高裁(2003年5月15日)は、少年らの供述は具体的で全体として信用でき、「セクハラに関する記事の重要な部分について真実であることの証明があった」として、賠償額は880万円から120万円に減額した。 東京高裁は判決文の中で「少年らが逆らえばステージの立ち位置が悪くなったりデビューできなくなるという抗拒不能な状況があるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係わるものであるほか、公益を図る目的でその掲載頒布がされたもの」であるとした。 地裁判決とは真逆の判断である。何がポイントになったのか。 少年らから刑事告訴がなかったことについては「社会的ないし精神的に未成熟であるといった事情」や、ジャニー喜多川氏と少年らとの社会的地位や被害内容の性質を踏まえ、次のように指摘した。   「少年らが自ら捜査機関に申告することも、保護者に事実をうち明けることもしなかったとしても不自然であるとはいえず、(中略)セクハラ行為を断れば、ステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなると考えたということも十分首肯できる」 また、法廷でのジャニー氏の証言内容にも言及する。   「一審原告喜多川は、少年らの供述するセクハラ行為について『そういうのは一切ございません』と述べるだけであって、ある行為をしていないという事実を直接立証することは不可能であるとしても、少年らが供述する一審原告喜多川からセクハラ行為を受けた時の状況やその他セクハラ行為に関する事実関係について、一審原告らは具体的な反論、反証を行っていない」 

なお、東京高裁の判決では、『光GENJIへ』(北公次著)、『ひとりぼっちの旅立ち』(豊川誕著)についても触れた。 これらの作品の中にある「セクハラ行為」の記述について、「一審原告喜多川がこれらの著作について抗議したことがなかった」「(抗議をしなかった理由について、抗議するとまた書かれて、エスカレートするだけだからと供述するが、実際に抗議したことはなかったのであるから、実際にそのような経験をしたわけではない)」などとして、ジャニー氏側が積極的な反論、反証を行っていないことも指摘したのだ。 ジャニーズ事務所側は上告するが、最高裁は2004年、棄却。高裁判決が確定 

ジャニー氏の性加害をめぐっては1960年代から雑誌で報じられており、1980年代には元所属タレントの北公次氏らが自身の被害を著書の中で明らかにしたことで、雑誌のインタビュー記事などで広がっていった。その後に続いた『週刊文春』の報道、そして裁判所の認定により、社会は動いたと言えるのだろうか。 過去の新聞記事を「G-Searchデータベースサービス」で検索すると、一審判決は産経新聞、毎日新聞、朝日新聞が報じているが、性加害を認定した高裁判決、上告棄却について書いたのは朝日新聞のみだった。 なお朝日新聞はジャニー氏が亡くなった際にも、「シャイで物腰が柔らかく、言葉づかいはいつも丁寧」との人柄や功績を讃えるとともに、「文春側を名誉毀損で訴えた裁判では、損害賠償として計120万円の支払いを命じる判決が確定したが、セクハラについての記事の重要部分は事実と認定された」(2019年7月10日)と言及している。 カウアン・オカモト氏は会見で事実を知っていたら「多分(ジャニーズ事務所に入ることは)なかった」とも3月の記者会見で明かした。ファンをはじめ、一部では知られていた話も、テレビなどでも積極的に報じられなかったことで、新たな被害者が生まれた側面は否定できないだろう。 

『週刊文春』の加藤晃彦編集長は、ライター・高橋ユキ氏のインタビューに対し、「1999年に『週刊文春』が報じ、2003年に裁判で性加害が認定されたあとも、ジャニー喜多川氏による性加害が続いていた」ことに対し驚いたと答えている(〈ジャニーズ性加害問題、週刊文春編集長が指摘する「メディアと事務所の利益共同体」〉弁護士ドットコムニュース)。 社会はなぜ、この問題を見過ごしてきたのか。ジャニー喜多川氏が亡くなった以上、ご本人からの弁明を聞くことはできないが、実際に何が起きていたのかの検証は必要だろう。そして社会もまた、元少年らの言葉に耳を傾けていれば、その後も続いたとされる少年たちの被害は防ぐことができたのではないだろうか。 

ジャニー喜多川氏の性加害疑惑
「報じなかったマスコミ」に北村弁護士激怒 
「全くまともではなかった」

北村晴男弁護士が2023年4月26日に公開したYouTube動画で、ジャニーズ事務所創業者として知られる故ジャニー喜多川氏による少年らに対する性加害疑惑について、過去のマスコミの姿勢を糾弾した。 

  北村弁護士は「大変な事件ですよね。少なくとも東京高裁の判決が出た2003年7月当時、日本のマスコミがまともであれば大々的に報道されたと思います。そして日本国民の大部分がそれを知ることになった。これは間違いないです。『まともであれば』ですよ」とした上で、実際のマスコミの報道に怒りを露わにした。
「しかし、全くまともではなかった。どうしようもないマスコミばかりだったと言えると思います。マスコミの役割、報道の役割、これを考えると、怒りを禁じ得ないですね。怒りがふつふつと湧いてきます」

   日常的に起こる様々な犯罪や不祥事が報道されることで「不祥事を起こした団体や個人は社会的な制裁を受ける」とするも、前出の文春報道をめぐる判決についてはこう述べている。

「判決だけだと、この場合で言うと訴訟を起こした側がジャニーズ事務所ですから、『ジャニーズ事務所が賠償金を貰う額が減った』というだけなんですね。何の制裁も受けないんです、民事では。報道されないと、この訴訟で文春側が大部分勝ったと言えるにもかかわらず、世間は全く知らない。なぜならば、世間の人たちは『判例時報』なんて読みませんしね。裁判所で裁判を傍聴する人はごくわずか。そうすると、このとんでもない行為を行っていたということを知る人は、関係者などごく僅かな人に限られるわけです」
   報道されなかった後の展開として北村弁護士は、本人が「誰も自分を責めないんだな。社会で自分は許されている」などと考えるとして、「一般的なパターンとしては、同じことを続ける」との見解を述べている。

北村弁護士は、マスコミが報じなかった影響をこう話している。
「マスコミもそのことを百も承知。マスコミの役割とか、マスコミの影響というのはマスコミが一番よく知ってますね。そういう社会にとって大変重大な意味を持つ判決が出ても、自分たちが報道しなければ誰も知らない。ほとんどの人が知らない。だからその後、そんなことを知らない少年の親が、ジャニーズ事務所に自分の子供を入れる。そんなことを知らない少年が入る。そして様々なしがらみに絡め取られて、多くのなのか、一部のなのかは分かりませんけど、少年が同じような被害に遭っていくということになるわけです」
   
北村弁護士は「とんでもないことだと思いませんか? もちろん加害者はとんでもない。ですが、世の中にはいろんな組織、いろんな人がいて、こういう悪事を行う人間はいっぱいいるんですよ。でも、報道されることによって『ああ、もうこれをやっちゃいけないんだ』『もうこれは許されないんだ』といって、立ち直る、更生する、やめる、という大きなきっかけになっていくんですよ」と続けていた。

(2023年04月27日Jキャストニュース)





 

 
 

 
 
 
 
 
 
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