#2
「ドラマ撮影の前日、睡眠薬を大量に飲んだ」
母親のW不倫、虐待、16歳での自殺未遂…
10代の遠野なぎこ(43)を襲った“絶望”
幼い頃から母親の虐待や育児放棄に遭い、成人後もそのトラウマに苦しんできた俳優の遠野なぎこさん(43)。母から解放されるために絶縁するも、それによって精神的に不安定な状態に陥り、自傷行為に及んだこともあるという。 いったい、彼女の過去に何があったのか――。著書『一度も愛してくれなかった母へ、一度も愛せなかった男たちへ』(ブックマン社)でも公表している壮絶な母子関係や家庭環境について、改めて話を聞いた。
――6歳で子役を始められて、16歳で家を出て1人暮らしをされたとのことですが、遠野さんはどのような子供時代を送られたのでしょうか。 遠野なぎこ(以下、遠野) 小学校5年生のときに両親が離婚して、翌年、母が再婚をしたんです。その再婚相手が、私の子役の現場にいたスタッフさんでした。 でも、それから母が妻子持ちの男性とW不倫を始めて。その男性は、当時、母が勤めていたスナックのオーナーで。それがのちの母の3人目の旦那で、母の自死のきっかけになった人なんですけど。 ――著書の中で「母の不倫相手の妻が家に怒鳴り込んで来た」と書かれていましたが……。 遠野 ありましたね。私がまだ13歳のときに弟や妹たちと家にいたら、いきなりインターホンが鳴って。子供たちしか家にいないと知られたら危険なので普段通り居留守を使ったんですが、何度も何度もインターホンを鳴らされて。すると女性が「ちょっと! いるのはわかってんのよ! あの女を出しなさいよ!」と叫びだしたんです。 恐ろしくてみんなで身を寄せ合って気配を消して。でもこれ以上騒がれると近所の人に知られてしまうので、仕方なく受話器越しに「母はいません、帰ってください、家族の前に現れないでください」と大声で伝えました。 ――遠野さんは怖くなかったのでしょうか。
遠野 いえ、恐ろしくてたまらなかったです。恐怖で震えていましたが、とにかく「この子たちを守らなきゃ」という一心で。私のすすり泣く声が聞こえたのでしょう、インターホン越しに相手は黙り込んで、そのまま帰って行きました。
――お母様はかなり奔放な印象を受けますが、子育てなどはどうされていたのでしょう。 遠野 まったくですよ。「ラブホテルに行く」と言って家を空けることもありましたし。だからきょうだいたちの面倒は、いつも私が見ていました。 ――不倫を隠そうとする気はなかったということですか? 遠野 はい。2人目の旦那も分かっていましたけど、何も言いませんでした。なんなら、母は私に恋愛相談みたいに「今日、ダンスしながらキスしちゃったの」とか、逐一報告してきたり。 あとは、私にいきなり「この写真を見てほしい」と言って、不倫相手の勃起した男性器の写真を見せてきたこともありました。思春期で、しかも処女の娘に。 ――では遠野さんは下の子たちの面倒を見ながら学校へ行って、子役のお仕事までされていた? 遠野 そうですね。だから自分のことを、あの子たちの母親だと思っていました。お弁当を作ったり、夜ご飯を作ったり。弟や妹たちには食事も、家庭的なきんぴらだとか、そういうものを作って食べさせてあげたかったんです。私が親からしてもらいたかったことを、全部してあげたかった。
一番下の妹が火傷をして救急病院へ、そのとき母は…
――彼らの成長が心の支えだったんですね。 遠野 はい。一番下の妹は一回りも年齢が違うので、私が1人暮らしを始めてからもうちに泊まって、うちから学校に通わせたりして。 でも一度、一番下の妹が実家で火傷をしてしまったことがあって。カップラーメンを1人で食べようとしたらしいんですけど、内股に大きなケロイドができてしまったんです。それで私、すぐに実家へ駆けつけて、夜中に救急病院へ連れて行ったんですよ。まだ小さな女の子がそんな傷を、って心配だったので。 ――そのとき、お母様はどちらへ?
遠野 ラブホテルで不倫相手と会っていました。妹が火傷をしたことを伝えたんですが、何のショックも受けていない母に対して驚いてしまって。 それに、妹を病院へ連れて行ったのはいいものの、私がまだ子供で、保護者ではないということで、何もできない状態で帰るしかありませんでした。 つらかったです。「私は結局お母さんになれないんだ」というのが。どれだけ母親らしいことをしていても、子供たちにとってはやっぱり、本当の母親は1人だけなんですよね。特に、私と違ってあの子たちは、母から殴る蹴るの虐待を受けていたわけではないから。
――当時、お母様の虐待や育児放棄に対して、周りに助けを求められる人はいませんでしたか。 遠野 いなかったですね、誰も。うちの問題はうちの問題だし、言っちゃいけないと思っていました。それに、言えないじゃないですか。暴力を振るわれているとか、母親が不倫して子供たちだけを置いて外出しっぱなしだとか。 口止めをされているわけではなかったと思いますけど、ただただ下の子たちを守るのに必死で。あの子たちの身を守ることが一番大事だったから、周りにどんな目で見られるかとか、どんな目に遭わせられるかとかを考えると、本当に言えませんでしたね。 ――お母様も俳優を目指していらしたということですが、子役・俳優としての「遠野なぎこ」をどう思っていらしたのでしょう。 遠野 うーん、どうなんでしょう。人には自慢していたと思います、アクセサリー感覚というか。でも、自慢の中にもどこかトゲはありましたよ。 ――「自分は子供ができたことで夢を壊されたのに」というような? 遠野 それはあったかもしれないですね。だから褒められたりしたことは一度もなかったです。私は母のために仕事を頑張っていたようなものだから、ただ認められたかっただけなんですけど。 ――親から否定され続けたり認められなかったりした経験があると、大人になってからも、まだどこかで承認を求めてしまうものなのでしょうか。
遠野 私がバラエティ番組に出始めたのは母と絶縁したあとなんですけど、それでも「観てくれてるのかな」と思ったりしましたね。舞台をやっているときは「もしかしたら来てくれているんじゃないだろうか」とか、馬鹿みたいですけど思ってました。 今はもう居なくなったからそんなことはなくなりましたけど、つい最近までやっていた舞台でも「もしかしたら」と淡い期待を抱いている自分がいて。自分でも「まだ母に認められたいのか」と思いましたけど。
――どこかで、お母様との関係を修復したかったのでしょうか。 遠野 いえ、それはありませんでした。修復できるわけがないほどのことをされてきましたから、そこまでは夢見てませんでしたね。 ――もしもお母様が舞台を見に来られていて「すごいね」と言ってくれたとしたら、遠野さんはどういう風に感じたと思いますか。 遠野 嬉しかったと思います。でも、そこから関係修復はないでしょうね。だって、また傷付けられるに決まっているから。 期待してしまうと、突き落とされたときに本当につらいんです。もうこれ以上裏切られてしまうと、「自分を保てない。死を選んでしまうかもしれない」とすら思っていました。 ――衝動的に死を選んでしまいそうになる、ということですか。 遠野 そうです。16歳の頃、初めて自殺未遂をしてしまって。連ドラに続いて単発ドラマへの出演が決まり、女優の仕事にやりがいを感じ、演技に喜びを感じていた頃でした。 でも、その頃に母が2度目の離婚をして。それ自体は良かったんですが、母はすぐに不倫相手と再婚し、3人目の旦那がうちにやってくることになりました。どうして大人はこんなに勝手なんだろう、こんな人たちからあの子達を守らなきゃ、というプレッシャーで心が大きく揺れたんです。 ――それも衝動的に、ですか。 遠野 はい。次の日に、私がメインとなるシーンの撮影がいくつもあったことも負担の要因だったのかもしれません。 撮影の前日に、自分の部屋で睡眠薬を大量に飲んでしまって。気付いたらベッドに横たわっているんですが、体が動かないんです。立ち上がろうとすると全身を殴られるような衝撃があって。それから、救急車で病院に運ばれました
病院で目を覚ますと、駆けつけたマネージャーが青ざめた表情で「あなた、なんてことをしてくれたの」と。そして体調を気遣う言葉もなく「明日の入り時間、少し遅らせてもらったから」とか言うんですよ。 ――助けを求められる人が周りにいなかった、という遠野さんの言葉が、理解できたような気がします。 遠野 そうですよね。その後、事務所の決定で、ドラマの撮影が終わったタイミングで女優業を休業することになってしまって。 私が引き起こしたことですが「自分から芝居をとったら何が残るの」と。そこも母から認めてもらいたいと言う気持ちがあるんだと思いますけど、絶望感でいっぱいでしたね。
――活動を再開されたのは、その3年後だそうですね。 遠野 はい、事務所から2年半ぶりに電話があって。「朝ドラのオーディションを受けてもらうから」と。それがNHKの連続テレビ小説『すずらん』のヒロイン役でした。合格が決まった時、うれしくて一番最初に母親に報告したんです。 母とは16歳のときに家を出てから連絡すら取っていなかったのですが、真っ先に知らせたくて。 ――お母様はどんな反応でしたか? 遠野 電話越しに合格を告げると「そう」とだけ。それから「明日、事務所にもう一度確認してみなさいよ。あんた昔からそそっかしいから、聞き間違えだったら恥ずかしいじゃない」と言って一方的に電話を切られました。 ――まったく興味がない、というような? 遠野 いえ。私に祝福の言葉をかけたくないだけで、その場にいたスナックの客たちには自慢していたと思います。
へ続く
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