すそ洗い 

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ナニをしているのかよくワカラナイ

末井昭が

2022年05月18日 | 社会
末井昭 がんがきっかけで健康志向に


7歳のときに母親をダイナマイト心中で亡くす衝撃の体験をした末井昭さん。身近にあった死についてや、70代半ばに差し掛かった現在の生き方などを伺った。 (『中央公論』2022年6月号より抜粋)

――新著『100歳まで生きてどうするんですか?』のあとがきに、「100歳までも生きるなんて欲張りすぎると思っていたのに、いつの間にか自分も100歳まで生きてみたいと思うようになっていました」とあります。そのような心境の変化が起きたのは、どういうことなのですか。  


以前は自分が老人になるのがすごく嫌だったんですよ。かっこいい老人もいますけど、だいたいはどこか暗い感じがしたり、見苦しいところがあったりするじゃないですか。  それが70歳を過ぎたあたりから少しずつ、ああ、自分も老人だなと感じることが増えてきた。走ろうと思っても足が萎えて上がらないことなど、身体の変化が大きいですね。  ところが、医学的にはその身体を大事にしていけば、けっこう生きられる時代になっているという。健康で100歳まで生きる、それなら生きてやってもいいかなって、そんな気になってきたんです。

 ――年を重ねることをプラスに捉えるようになったのですね。  

振り返ってみると、一番の転機は、64歳のときに会社を辞めてストレスフリーになったという経験を得たことです。  僕は雑誌を作っては廃刊、作っては廃刊を繰り返してきた編集者だったので、そのたびに付き合う人が全部入れ替わって、リフレッシュできていたんですね。ところが、勤めの最後の10年間ぐらいは、現場から離れた取締役として、机の上でハンコを押すことが仕事みたいになっちゃっていた。これがものすごく苦痛だったんです。  月に8回くらいあった会議でも、本を出しても売れない時代なのに、そんなことじゃダメだなどと、心にもないことを言ってみたり、その一方で社員のリストラを進めたり。いろんなことが重なって、自分の中でかなりのストレスになっていた。  会社を辞めてからはっきり変わったのは、夫婦喧嘩をしなくなったことですね。以前は会社でためた嫌な気持ちを帰宅後も引きずっていて、家の中でむつっとしていたんだと思います。辞めてから、うちの奥さんは「悪魔が入ってこなくなった」と言うんですよ(笑)。だから楽しくなりましたね、家庭での暮らしが。

――昔から「亭主元気で留守がいい」だなんて言いますが、定年退職して毎日亭主が家にいるようになり、それが奥さんにとっては負担で、挙句の果てに熟年離婚してしまったりしますよね。末井さんご夫婦のようにいかないのはどうしてでしょう?  

奥さんを愛していないからじゃないですか。愛し合っていない夫婦って多いと思いますけどね。  出版社に勤めていた頃、印刷会社の担当者が定年退職になって、それから半年ぐらいしたらうちの会社に遊びに来ている。「あれ、どうしたの?」と尋ねたら、「いやね、行くところがなくなっちゃってね」と言っていて。最初の3ヵ月くらいは、印刷会社のいろいろな部署に顔を出していたらしいんですけど、一回りしてしまい、今度は取引先のうちの会社に足を運ぶようになった。  その方も、家にいづらかったのでしょうね。 

――自分の居場所を失うことの不安は、多くの会社員や元会社員がお持ちだと思います。  

そうですよね。やっぱり会社の中で成り立っている人間関係が大きいものだったりするんでしょう。  ただ僕は、そういうような友達は一人もいなかったですね。仕事上の必要がなければ、会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。自分が飲みに行きたいと思う人とは行く、行きたいと思わない人とは行かない、という感じでやっていたら、結果的に社外の人ばかりと飲んだり遊んだりすることになっていましたね。  だから会社を退職して人間関係がなくなって、ということは別にない。もともと友達は少ないですけどね。所属しているバンドのメンバーとか、その程度で。 

――末井さんは30代からずっとサックスを吹いておられるんですよね。よく定年前に趣味を探しておこう、と言われますが、それについてはどう思われますか。  

趣味を探そうって、それおかしいですよ。この趣味がいいですか、こちらの趣味はどうですか、と紹介所に勧められて選ぶとか、そういうものじゃないと思うんですよね。自分の内面からやりたいという気持ちが出てこなければ、何を始めたって続かないですよ。  楽器だって一応、楽しく演奏できるようになるまでは練習をしないといけない。基礎練習ですね。それは楽しくないです。その段階で挫折する人も多いと思うし。別に趣味なんかまったく持たなくても楽しい人だっているだろうし。  僕はサックスを吹いていますけど、最初は見掛けがかっこいいなと思ったんですよね。友達と3人で楽器店に行ったら、サックスがキンキラ輝いていた。いろんな金属の棒がついていて、見た感じが工場の配管みたいじゃないですか。ちょっと吹いてみたら音が出るので、これ買おうかと。  きっかけはその程度のものだったのですけれど、30年も続いているのは、僕にとってサックスを吹くことが、自分の中の言葉にならないモヤモヤを吐き出す手段だったからじゃないかと。だから出鱈目に吹いてもいいフリージャズが好きです。練習しないからいまだに下手ですけど、今もバンドを続けています。サックスに出会えて良かったと思います。

 ――趣味とは少し違いますが、末井さんは定年退職した人に、家事をお勧めになっています。ご自身が会社を辞めてから、朝食作り、食器洗い、猫の世話、洗濯、掃除……と積極的にやっていらっしゃる。それはどういう経緯で?  
今の奥さんと暮らし始めて、彼女が家事をやらないからです。彼女は料理を作るのはうまいんですよ。ただ作るんだけど、台所はやりっぱなしです。食べた後も置きっぱなし。部屋のものも散らかしっぱなしで、整理整頓をしようとなると、いろいろ押し入れの中に入れているものを出して、仕分けしたりしている段階で止まるから、余計に散らかってしまう。そういう感じだから、僕がフォローをしていたら、だんだん楽しくなってきたんです。 

――どんなところが楽しいのでしょうか。  

まず食器洗いは、やり始めたら徹底的にきれいにしようと思うので、食器は洗剤でよく洗ったら食器かごに順序良く入れて、ゴミも袋に全部入れて、そうするとシンクのステンレスが汚れていることに気が付く。そこを今度は拭いて。丁寧に拭くと光るようになるじゃないですか。終わったときにはもう神々しい感じで光って、その達成感がたまらない。  あと洗濯物も畳みますが、これも好きなんですよね。畳むときに工夫します。タオルは工夫はいらないけど、Tシャツだったら絵柄がぱっと見えるように畳もうとか、パンティは両脇を折って丸めて端を挟み込むとか。きれいに畳めるとこれも達成感があります。僕はそういう単純作業が本来好きなんだと思います。  それに、家事は健康にもいいんです。洗濯物は1階の洗濯機から2階のベランダに持って行って干すので、階段を上がったり下りたりする。猫のトイレ掃除も、猫が1階と2階に2匹いて、トイレも上と下にあるから、やはり上がったり下りたり。洗濯や猫のトイレ掃除だけで強制的に運動をさせられているわけです。  そして、家事をやれば奥さんが喜びますよね。「あ、きれいになったね」と。だから夫婦円満の秘訣でもあります。嫌々やっていると続きませんから、家事はそれ自体を喜びとしないといけないですね。  僕の場合、原稿を書いていて行き詰まったとき、洗濯物を畳むと調子がいいんですよ。いろいろ考えながら畳んでいるでしょう。ただじっと椅子に座って考えていても書けないけど、洗濯物を畳んでいるとふっとアイデアが浮かんだりする。そういう意味で、仕事にうまく家事を取り入れているという気もしますね。

――文筆を専業にされたのも、ここ10年ぐらいのことですよね。ご自身に合っていましたか。  

だいたい自分のことを書いているんですよ。それが楽しいですね。  僕は少年時代に母親がダイナマイトで心中をしていて、そのことを何回も何回も書いています。それはね、他人に言えなかったことです。親しい人の1人か2人には言っていたけど、同情されてね。暗い感じになるからそれからは言わなかった。  それが、飲み屋でたまたまクマさん(篠原勝之さん)たちに話したら、「すげえ!」みたいな感じでウケたんです。ウケるっていうのは初めての体験だったんですよ。27、28の頃でしたか。マイナス要因しか浮かばなかったことが、人に喜んでもらえるみたいな、そういう転換があったんじゃないかなと思います。  それから書くことも好きになって、基本的には人に笑ってもらったりするのが好きなので、面白く書けたら楽しくて踊りたくなります。ただ、書けないとやっぱり辛いですよね。死にたくなる。(笑)

 ――死といえば、末井さんは58歳で大腸がんが見つかって手術なさっています。死生観は変わりました?  

がんとはいえ初期だったので。ポリープのようながんが1ヵ所あったわけです。担当医から「まだ小さいから内視鏡で取ることもできますよ」という説明をされたのですが、一緒に聞いていたうちの奥さんが勝手に「切ってください!」と言うから手術することになったんです。  がん保険に入っていたので、慶應義塾大学病院の個室に入院できて、すごく楽しかった。看護師さんもみんな美人で、見習いの看護師さんが担当になってくれて、体温を測りに来た後、いつも30分ぐらい、いろいろ話をしてくれて。ここにずっといたいみたいな感じで。(笑)  そういう入院だったから死生観を変えるほどの体験ではなかったのですけど、最初にがんと言われたときにちょっと来ましたね。「え!?」っていう。それで、死生観は変わらずとも、健康志向になったというのはあります。  それまでと同じ不健康な生活を続けていると、死にますよと。そういう信号みたいな感じで受け取ったところはあって、あまり運動などしてこなかったし、タバコもバカバカ吸っていたんだけど、散歩を始めたし、禁煙したし、朝まで酒を飲むとかもしなくなりましたね。飲み仲間も気遣って、誘ってこなくなった。がんは水戸黄門の印籠みたいなところがある。「がんだよ!」みたいな。

 ◆末井昭〔すえいあきら〕 1948年岡山県生まれ。工員、キャバレーの看板描き、イラストレーターなどを経て、セルフ出版(現・白夜書房)の設立に参加。『ウイークエンドスーパー』『写真時代』『パチンコ必勝ガイド』などの雑誌を創刊。2012年に白夜書房を退社後、執筆活動の傍ら、バンド「ペーソス」でテナー・サックスを担当する。『自殺』(講談社エッセイ賞)、『結婚』『生きる』など著書多数。 

 
 
 

 
 
 
 
 
 
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