すそ洗い 

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2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

福島悪魔払い殺人事件  江藤幸子

2022年05月06日 | ヒトゴロシ
1995年(平成7年)7月5日
福島県須賀川市小作田竹ノ花15番地6の民家

江藤幸子
 
自称祈祷師の女ES(逮捕当時47歳)が、信者らと共謀して「除霊」と称し、信者7人に激しい暴行を加えて6人を死亡させ、1人を負傷させた。
同年には、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生しており、本事件も福島県の犯罪史に残る異様な事件、およびカルト集団による凶悪犯罪として、世間を震撼させた。
加害者らは5人への殺人罪・1人への傷害致死罪などで立件され、主犯格のESは4件の殺人罪・2件の傷害致死罪で2008年(平成20年)に死刑判決が確定。
戦後日本では10人目の女性死刑囚になり、2012年(平成24年)に死刑を執行されている。



本事件の主犯格である江藤幸子は1947年(昭和22年)8月21日、須賀川市で生まれた。地元の小中学校と県立高校を卒業後、20歳で高校の同級生と結婚したが、塗装業をしていた夫が1990年(平成2年)に仕事中の事故で腰を痛めて以降、ギャンブル(競輪・競馬)にのめり込み、家に借金取りが押しかけるようになった。それをきっかけに
江藤は化粧品や食器のセールス、ラーメン屋のアルバイトをして生活を支えていたが、同年には夫とともに新興宗教団体「天子の郷」に入った。「天子の郷」は「病気・執着心・嫉妬などは、肉体内の邪霊や毒素によって起きるものである。それらを天主に宿る神力で取り除くことにより、幸福が得られる」とする教えを説き、抹殺・里造り・神査などの儀式を行っていた宗教団体で、執着心や嫉妬を動物霊に喩えていた。
入信直後、夫の腰痛が治ったことをきっかけに夫婦で信仰を深め、1992年(平成4年)には三女とともに、岐阜県の教団本部で専従として活動を始めたものの、次女の眼病が治らないことや、それに対する教団の対応に不満を募らせ、同年11月に夫婦で脱会した。やがて夫が「天子の郷」で知り合った神戸の女性信者と浮気関係になり、家を出たことから、江藤は酒に溺れ、生活も行き詰まったことから自殺を仄めかすほどに陥ったが、そのような状況下で夫を連れ戻すべく、神戸に出向いたところで「神慈秀明会」という新興宗教を知り、1994年(平成6年)6月に入信。しかし、高額な掛け軸の購入を強引に進められたため、約1ヶ月で脱会し、須賀川に戻ると7月ごろから個人の霊能祈祷師として活動を開始した。
江藤は「天子の郷」で学んだノウハウを用いて知人からの相談に乗り、「肩凝り・腰痛が治った」という評判を得て、信者を集めていった。

1994年(平成6年)の暮れから1995年6月まで、祈祷師の
江藤宅にて「キツネが憑いている」などとお告げを受けた信者7人を、江藤の娘Xと信者の男で愛人のY、同じく信者の男Zが中心となって『悪魔払い』や『御用』と称して太鼓のばちで殴る、蹴るなどの暴行を加え、4名を殺害、2名を傷害致死、1名に重傷を負わせた。
同年7月5日、重傷を負った女性信者Aの入院をきっかけに、須賀川警察署(福島県警察)の捜査本部が江藤宅を家宅捜索したところ、信者6人の腐乱死体が発見された。後に被害者であるAも、暴行に加わっていたことが発覚して逮捕された。Aは1997年(平成9年)3月、仙台高等裁判所で懲役3年・執行猶予5年の判決を受け、上告せず確定している。
この事件による死亡者は、逮捕されたZの妻、男性信者甲とその妻乙、甲・乙夫婦の娘である丙、男性信者丁、女性信者戊の6人。

江藤は死刑確定直後、弁護人の阿部潔(仙台弁護士会)に再審請求の手続きを依頼し、責任能力か殺意の有無を争点として、2012年(平成24年)末までに請求手続きを行う予定だった。
しかし同年9月27日、死刑囚江藤(仙台拘置支所在監)は滝実法務大臣の死刑執行命令により、宮城刑務所で刑を執行された(65歳没)。女性死刑囚の執行は、夕張保険金殺人事件の死刑囚(1997年に死刑執行)以来15年ぶりで、戦後ないし、1950年(昭和25年)以降では4人目である。また、死刑執行は同年の8月3日以来だったが、前回との間隔(1か月24日)は1993年(平成5年)の死刑執行再開後、過去2番目の短さだった。


須賀川・女祈祷師事件 集団生活...「魂清める」と信者暴行
(2019年02月06日 福島民友新聞)

事件の舞台となった民家は、事件から間もなく四半世紀を迎える今も、ひっそりと立ったままだ。草木が生い茂り、手入れされている様子はない。近隣住民は「思い出したくない。もうたくさんだ」と口を閉ざす。
 日本中を震撼させたオウム真理教による地下鉄サリン事件と同じ1995(平成7)年、須賀川市でも宗教絡みの事件が発生した。閑静な住宅地で起こった本県犯罪史に残る異様な事件は「福島でもオウム事件か」と周囲を騒然とさせた。
 民家の中では連日、女祈祷師江藤幸子元死刑囚=逮捕当時(47)、2012(平成24)年9月死刑執行=らによる信者への暴行が続けられていた。魂を清める悪霊払いと称した暴行は「御用」と呼ばれた。木製の太鼓ばちや足などによる陰惨な殴打。顔や手足などが腫れ上がった被害者は自ら立ち上がれないほど衰弱、最終的には死に至った。
 須賀川署長として当時、捜査に携わった斎藤克彦さん(76)は「少人数による集団生活。決定権は教祖にあった。序列が付いた信者同士でけん制が始まり、せっかんに発展したようだ」と神妙な表情で思い返す。
 信者の多くは家族の病気など悩みを抱える人たちで、弱みがあった。信者の心理を知り得る江藤元死刑囚は神格化された。その「教え」は絶対だったとみられ、江藤元死刑囚の指示に従う形で、信者の家族同士でも暴行が行われるほどだった。
 なぜ、死亡するほどの暴行が行われるようになったのか。法廷で明らかになったのは、「江藤元死刑囚の私情」だった。愛人関係だった男性信者への独占欲や他の女性に対する嫉妬、金銭トラブルなどが引き金となり、暴行がエスカレートしていった。「背景にあるのは結局、男女関係と金だった」(斎藤さん)。
 被害者は、江藤元死刑囚の「教え」を信じていたとみられ「死者が起き上がる」と疑わなかった信者もいた。当時の捜査関係者によると、江藤元死刑囚は「私には神が乗り移っている。神事だった」などと供述していたという。
 ただ、江藤元死刑囚について「ごく普通の人で、会えばあいさつした」との印象を抱く近隣住民もいた。宗教が絡んだ、閉ざされた空間での異様な集団生活。近所の70代女性は「変だと思っても、なかなか気付かないもの。早く忘れてしまいたいが、誰も忘れられない」。狂気を極めた事件の衝撃は、今も残っている。
              ◇              ◇              ◇
 女祈祷師殺人事件 須賀川市小作田の民家で1995(平成7)年7月5日、県警による傷害事件の家宅捜索中、男女6人の変死体が見つかった。民家では、祈祷師江藤幸子元死刑囚が中心となり、悪霊払いと称して信者同士による暴行が日常的に行われており、6人は連日の暴行で死亡していた。殺人容疑などで江藤元死刑囚らが逮捕された。
              ◇              ◇            





 江藤は地元の高校を卒業後、同級生と結婚。 1男3女をもうけている。 事
件の6年ほど前に、近くの市営住宅から阿武隈川沿いの振興住宅地に引っ
越してきており、当初は化粧品のセールスの仕事をしていた。  

江藤の夫はペンキ職人だったが、腰を痛めて仕事をやめてからはギャンブルに狂い、借金から新築したばかりの家を手離す寸前までいく。
こうしたこともあって、夫婦そろって、ある岐阜に本部を置く宗教団体入信
することになった。

それだけではなく、その後夫婦は 「おがみやさん」 と称して自ら宗教活動のようなものを始めた。
しかしその際勝手に宗教団体本部の名前を使ったということで、入信の2年
後に、入信した宗教団体からは破門されている。

92年頃夫が失踪するが、その頃から江藤は教祖としての才能を見せ始め、
徐々に信者を獲得するようになっていく。 
江藤宅は土日を中心に若い人が多く集まり、近くの空地には車が停められ
るようになった。 「練馬」 ナンバーなど、遠方からやってくる人も多かった。  

近所には昼夜問わず、太鼓を叩く音やお祈りする声が聞こえてきたという。

その頃、近くに住むある女性が江藤に診てもらったところ、「だんだん足が
動かなくなります。手も動かなくなります」 と催眠のようなものをかけられた。江藤はこの行為について、「汚れた肉体を殺し、魂を浄化するためのもの」と説明したというが、女性は気味が悪くなったという

その後94年末頃から、江藤宅には信者2家族10人ほどが同居するように
なっが、この頃から、「悪魔祓い」「御用」 と呼ばれる暴力行為がエスカレートし始める。
江藤はこの集団生活の中で、自らを 「○○様」と呼ばせていたといい、また、
信者である根本裕と愛人関係となった。
そんな中で、ある日同居するA子さんが根本裕に色目を使ったと思いこみ、
その嫉妬から江藤は 「悪いキツネが憑いている」 とA子さんの全身を太鼓ば
ちで叩き、さらに自身の長女である裕子やA子さんの夫である関根にまで殴
るように指示し、その結果死亡させた。

その後も、Bさん一家、Eさんさん夫婦を無数の打撲などで死に至る挫滅症
候群で死亡させた。

殺害されたのは江藤のやり方に疑いを持った者や、借金の申し出を断った者
だったという。 暴行を受け重傷を負い、事件発覚のきっかけとなったZも、こうした儀式に参加した1人だった。
こうして、94年暮れから95年6月までの間に4名を殺害、2名を障害致死、1名に重傷を負わせた。
 
95年7月、重傷を負った女性信者Z(当時37)の入院をきっかけに警察が江藤幸子宅を家宅捜査したところ、信者6名の腐乱遺体を発見。 4人が逮捕され、後に被害者であるEも、暴行に加わっていたことが発覚して逮捕された。
福島県須賀川市に住む男性が 「6月頃から息子が行方不明になっている」
と須賀川署に捜索願を出したのが事件として警察が動き始める発端だった。  

署員が息子(43歳)の妻・X子(当時37歳)から事情を聞いていたとろ、2人とも5月上旬から6月中旬にかけて、市内の祈祷師・江藤幸子(当時47歳)方に身を置いていたことがわかった。

X子は江藤宅で数人から暴行を受けて入院しており、7月5日署員らは江藤方を傷害容疑で家宅捜索した。

すると1階八畳間で、男性2人、女性4人の計6つの腐乱遺体が発見された。
布団の中で寝ている状態で、一部はミイラ化していたという。

江藤と、信者と見られる江藤の長女裕子(当時23歳)、元自衛官の根本裕(当時21歳)、同県鏡石町の土木作業員関根満雄(当時45歳)がその場で緊急逮捕された。

遺体を放置していたことについて、「魂は死んでいないので、そのまま寝かせ
ていた」 と供述。信者らは遺体の悪臭が消えたら蘇生すると信じて疑わなかった。

7月6日、遺体となって発見されたうち5人の身元がそれぞれ判明する。 遺体はすべて死後数ヶ月たっており、何かで叩かれたような後があった。

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