松尾芭蕉の名俳句 いづれの人か筆をふるひ詞を尽くさむ
1644~1694 日本の俳諧師『おくのほそ道』見るところ花にあらずといふことなし。思ふところ月にあらずといふことなし。
彼らが世界を破壊する
彼らが世界を穢す
彼らが調和を乱す
彼らが全ての命を殺す
全ての命が救われる
永遠の平和が訪れる
一つの命を殺すことによって
一つの種の命を殺すことによって
何も間違っていない
何一つ間違っていない
真理 正義だ
私が常に憂慮しているのは、いつかはついに、人間を殺すのに最も手っ取り早い方法がとれる、何らかの秘密が発見され、諸民族、諸国民全体が滅ぼされてしまうのではないかということです。
月日は百代の過客にして行きかふひともまた旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。
出典 『おくのほそ道』松尾芭蕉
『おくのほそ道』の冒頭である。李白の詩『春夜宴桃李園序』をふまえている。
The months and days are the travellers of eternity. The years that come and go are also voyagers. Those who float away their lives on ships or who grow old leading horses are forever journeying, and their homes are wherever their travels take them.
俳聖、俳句の原点にして頂点。
本名は宗房、若い時は桃青(とうせい)という俳号であった。
1689年3月27日(西行の五百年忌にあたる)
弟子の曾良を伴い旅に出る。
下野・陸奥・出羽・越後・加賀・越前など(約2400km)を旅する。
その旅路は『おくのほそ道』として記される。
聖道を行く。
果てない道を果てるまで行く。
大阪の御堂筋の本町に、芭蕉の臨終の地の石碑が立っております。
観光に訪れた際は、観てみるのも良いかもしれません。
松尾芭蕉の句
春や来し年や行けん小晦日
芭蕉の句の中で判っている中では、最も古い句である。
野ざらしを心に風のしむ身哉
出典 野ざらし紀行
『野ざらし紀行』の題名の由来である。悲愴な決意をして旅立った。
古池や蛙飛びこむ水の音
出典 春の日
静かな古池と、蛙が勢いよく飛び込むが対比されている。
蛙を扱った句は少なく、扱ったとしても蛙の鳴き声に注目していた。
芭蕉は蛙の飛ぶことに注目した。
そして蛙が動くことそのものだけではなく、動くことによって静寂を引き立てる効果がある。
吹き飛ばす石は浅間の野分かな
出典 更科紀行
風が激しく吹き荒れている様子を詠んでいる。
当初は「秋風や石吹き下すあさま山」と詠んでいた。
世にふるもさらに宗祇の時雨かな
古人の宗祇の句をふまえている。
世にふるは、時雨降ると世に経るとを掛けている。
名月や池をめぐりて夜もすがら
出典 孤松
旅人とわが名呼ばれん初時雨
出典 笈の小文
旅人として呼ばれたい気持ちを詠んでいる。
以前の旅の出発と違い、心穏やかに旅立とうとしている。
夏草や兵どもが夢の跡
出典 おくのほそ道
平泉において詠んだ句である。
源義経や奥州藤原氏が栄華を夢見て戦った地であるが、今は草が生い茂るのみである。
五月雨の降り残してや光堂
出典 おくのほそ道
光堂の歴史と共に、五月雨が幾度となく降り注いだ様子を詠んでいる。
『おくのほそ道』では、光堂と経堂の両方を見たと記述がある。
『曾根日記』では、経堂は別当が留守のため見ていないとの記述がある。
五月雨をあつめて早し最上川
出典 おくのほそ道
降り注ぐ雨を集めた最上川が、勢いよく流れる様を詠んだ句である。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
出典 おくのほそ道
出羽国の立石寺に参拝した時に、詠んだ句である。
立石寺の静寂と、芭蕉の清澄の心境、それが蝉の声によって集約する。
斎藤茂吉と小宮豊隆の間で、蝉の種類についての論争があった。
この蝉がアブラセミかニイニイゼミかの論争である。
荒海や佐渡に横たふ天の河
出典 おくのほそ道
出雲崎において詠んだ句である。
日本人の心の故郷、祖先からの海の幸と禍の記憶を思い起こさせる。
蛤のふたみに別れて行く秋ぞ
出典 おくのほそ道
『おくのほそ道』の最後の句である。
美濃国の大垣で詠まれた。
蓋身と、目指す二見を掛けている。
別れがたい蛤の蓋と身が別れるように、名残惜しみながら人々と別れ、二見ケ浦へと出発する。
さまざまの事おもひ出す桜かな
あえて心情を表現しないことで、聞く者の心情に委ねる手法である。
草臥て宿かる頃や藤の花
ひらひらと上る扇や雲の峯
雲の峰いくつ崩れて月の山
紅梅や見ぬ恋つくる玉簾
鶯や柳のうしろ藪の前
しばらくは花の上なる月夜かな
時鳥声横ふや水の上
油かすりて宵寝する秋
菊の香や奈良には古き仏たち
唐崎の松は花より朧にて
松風の落葉か水の音涼し
あつき日を海に入れたり最上川
鎖あけて月さし入れよ浮見堂
蛸壺やはかなき夢を夏の月
出典 猿蓑
蛸壺の中にいる蛸と同様に、人間の一生も儚いということを詠んでいる。
行く春を近江の人とおしみける
出典 猿蓑
ここで詠まれている近江の人とは、近江の門人達に加えて琵琶湖の意味もある。
此道や行人なしに秋の暮
此道を、前に歩いている人もいない、後ろに歩いている人もいないという意味の俳句である。
又自らの後継争いについてを読んだ句でもある。
秋深き隣は何をする人ぞ
出典 笈日記
秋の郷愁を感じる。隣の人も同様に孤独を感じているのであろうかと詠んでいる。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
出典 笈日記
芭蕉の最後の句。
旅の途中で、病に犯され寝こんだ。
だが夢の中では、未だに旅の途中である。
松尾芭蕉の言葉
西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其の貫通する物は一なり。
出典 笈の小文
いづれの人か筆をふるひ詞を尽くさむ
出典 おくのほそ道
『おくのほそ道』の松島の段である。
芭蕉はあまりにも感動し、句作することができなかった。
代わりに曾良の句を文末に置いた。
国破れて山河あり 城春にして草青みたり
と笠打敷 時のうつるまで泪を落し侍りぬ
出典 おくのほそ道
『おくのほそ道』の平泉の段である。杜甫の詩が引用されている。
古人の跡を求めず、古人の求めたる所をもとめよ
出典 許六離別の詞
虚にいて実を行ふべし。実に居て虚に遊ぶことはかたし。
昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、わが生涯、いひ捨てし句々、一句として辞世ならざるはなし
出典 『芭蕉翁反古文』文暁
備考
荘子
中国の戦国時代の宋の思想家
【中国の思想家】荘子 人皆、有用の用を知るも、無用の用を知る莫きなり
李白
701~762 盛唐の詩人
夫天地者萬物之逆旅
光陰者百代之過客
而浮生若夢
爲歡幾何
古人秉燭夜遊
良有以也
況陽春召我以煙景
大塊假我以文章
會桃李之芳園
序天倫之樂事
出典 『春夜宴桃李園序』李白
杜甫
712~770 盛唐の詩人
国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻更短
渾欲不勝簪
出典 『春望』杜甫
白居易
772~846 中唐の詩人
在天願作比翼鳥
在地願為連理枝
天長地久有時盡
此恨綿綿無盡期
出典 『長恨歌』白居易
『おくのほそ道』の末の松山の段の、はねをかはし枝をつらぬる契のことである。
能因
988~???? 日本の歌人
『おくのほそ道』は、能因や西行らの歌枕や名所旧跡を辿る目的もあった。
都をば霞と共に出でしかど秋風ぞ吹く白河の関
出典 古今著聞集
能因の和歌
たけくまの松はこの度跡もなしとせをへてや我はきつらん
能因の和歌
『おくのほそ道』の武隈の段において、この和歌について触れている。
世の中はかくても経けり象潟のあまの苫屋をわが宿にして
能因の和歌
西行
1118~1190 日本の歌人
深く入りて神道の奥をたづぬればまた上もなき松風
出典 千載和歌集
西行の和歌
『野ざらし紀行』に引用されている。
道のべの清水流るる柳陰しばしとでこそ立ち止まりつれ
出典 新古今和歌集
西行の和歌
『おくのほそ道』の殺傷石の段で、清水ながるる柳についてふれている。
白河の関屋を月のもるかげは人の心をとむるなりけり
西行の和歌
朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯れ野のすすき形見にぞ見る
西行の和歌
『おくのほそ道』の笠島の段の、かたみの薄のことである。
陸奥のおくゆかしくぞおもほゆる壷の碑外の浜風
西行の和歌
西行名言集 願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃
宗祇
1421~1502 日本の連歌師
世にふるも更に時雨の宿りかな
宗祇の和歌
ミゲル・デ・セルバンテス
1547~1616 スペインの作家『ドン・キホーテ』
世界の遍歴に精神を費やし、快楽を求めずに苦難の道を経て、優れた人々は不朽の座に昇ると申すことが、もしや、無駄な仕事、無益な時間の浪費であるかな?
出典 『ドン・キホーテ』ミゲル・デ・セルバンテス
【スペインの文豪】ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』 見果てぬ夢を追いかけて
河合曾良
1649~1710 日本の俳諧師
芭蕉と共に旅し、『曾良旅日記』を記す。
『曾根日記』は長い間見つからず、その書物の存在は疑われていた。
1943年再発見した山本安三郎により出版される。
卯の花に兼房見ゆる白毛かな
出典 おくのほそ道
河合曽良が平泉において詠んだ句である。
松嶋や鶴に身を借れほととぎす
出典 おくのほそ道
河合曽良が松島において詠んだ句である。
与謝蕪村
1716~1784 日本の俳人 画家
芭蕉去りてそののちいまだ年くれず
与謝蕪村の句
上田秋成
1734~1809 日本の国学者『雨月物語』
葛飾北斎
1760~1849 日本の画家『富嶽三十六景』『北斎漫画』
小林一茶
1763~1828 日本の俳人
正岡子規
1867~1902 日本の俳人『歌よみに与ふる書』
正岡子規 九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす
幸田露伴
1867~1947 日本の作家『五重塔』『運命』
北村透谷
1868~1894 日本の詩人
鈴木大拙
1870~1966 日本の仏教学者『日本的霊性』
島崎藤村
1872~1943 日本の作家『破戒』『夜明け前』
老人だ、老人だ、と少年時代から思ひ込んで居た芭蕉に対する自分の考え方を変えなければ成らなくなって来た。思いの外、芭蕉という人は若くて死んだのだと考えるようになって来た。
出典 『芭蕉』島崎藤村
島崎 藤村(しまざき とうそん)名言集 夜明け前より瑠璃色な
高浜虚子
1874~1959 日本の俳人
芭蕉は真宗でいえば親鸞聖人、日蓮宗でいえば日蓮上人
出典 『俳句とはどんなものか』高浜虚子
芭蕉の思想は仏教の影響が極めて大きいようである。芭蕉の道というのは仏の道であろうと思う。すくなくとも仏者の道に加うるに儒者の道であったのであろうと考える。
しかしそれが芭蕉の俳句と如何に交渉があるかという事は難かしい問題である。そうしてそれがまた如何に俳句の価値に影響したかということも考えて見ねばならん。
出典 『俳句への道』高浜虚子
その景色を叙したのは、芭蕉の心がその景色を叙さねばならん衝動に駆られたのである。我らがこの句を咏じて感動するのは、その景色に感動するばかりでなく、芭蕉の心に感動するのである。
出典 『俳句への道』高浜虚子
夏山のトンネル出れば立石寺
高浜虚子の俳句
寺田寅彦
1878~1935 日本の物理学者
芭蕉は万葉から元禄までのあらゆる固有文化を消化し総合して、そうして蒸留された国民思想のエッセンスを森羅万象に映写した映像の中に「物の本情」を認めたのである。
出典 『俳諧の本質的概論』寺田寅彦
正宗白鳥
1879~1962 日本の作家
「細道」の文章を簡潔だの印象的だのと云うのは、私には全然首肯しかねる。芭蕉の紀行はどれも、多少の感傷的の味いがあるだけで、概して蕪雑で、印象的でも描写的でもないのである。
出典 『月を見ながら』正宗白鳥
種田山頭火
1882~1940 日本の俳人
古池や蛙とびこむ水の音
―蛙とびこむ水の音
―水の音
―音
芭蕉翁は聴覚型の詩人、音の世界
種田山頭火の言葉
斎藤茂吉
1882~1953 日本の歌人
萩原朔太郎
1886~1942 日本の詩人『月に吠える』
僕は少し以前まで、芭蕉の俳句が嫌いであった。芭蕉に限らず、一体に俳句というものが嫌いであった。しかし僕も、最近ようやく老年に近くなってから、東洋風の枯淡趣味というものが解って来た。あるいは少しく解りかけて来たように思われる。そして同時に、芭蕉などの特殊な妙味も解って来た。
出典 『芭蕉私見』萩原朔太郎
芭蕉の歌ってることは、常に同じ一つの咏嘆、同じ一つのリリシズムでしかない。故にそのリリシズムを理解しない限りにおいて、百千の句は悉く皆凡句であり、それを理解する限りにおいて、彼の全ての句は皆よいのである。
出典 『芭蕉私見』萩原朔太郎
釈迢空(折口信夫)
1887~1953 日本の詩人 民俗学者
芭蕉の書いたものだけ見ていると反論があがらぬが、それと並行してある同行者が芭蕉の行動を緻密に書いているとしたら、芭蕉の虚構の文学は実際の記録によつて破壊せられる。だが、破られてふと思ふのは、実は我々の持つていた小偶像が破壊せられるだけで、芭蕉の文学の真実性は決して亡びるものではない。
出典 『文学に於ける虚構』折口信夫
芥川龍之介
1892~1927 日本の作家『羅生門』『蜘蛛の糸』『地獄変』『藪の中』
芥川龍之介の『枯野抄』は、松尾芭蕉の臨終の場面を描いている。
芭蕉の俳諧の特色の一つは、目に訴へる美しさと耳に訴へる美しさとの微妙に融け合つた美しさである。
出典 『芭蕉雑記』芥川龍之介
横光利一
1898~1947 日本の作家『機械』『微笑』
岡潔
1901~1978 日本の数学者 多変数解析関数論
情緒を数学という形に表現しているのです
岡潔の言葉
湯川秀樹
1907~1981 日本の物理学者 中間子理論
湯川秀樹の自伝の題名は『旅人』である。
未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅行者である。地図は探求の結果として、できるのである。目的地がどこにあるか、まだわからない。もちろん、目的地へ向っての真直ぐな道など、できてはいない。
出典 『旅人』湯川秀樹
ドナルド・キーン
1922~ 日本学者
biim兄貴
日本のRTAゲイ人『ラスボス先制』『メガトンコイン』
誰からも馬鹿にされているものに価値を認め、永遠の愛を奏で日本の心の精神を表現するものを掛けて、永遠不変の公式を構築する。
知るかバカそんなことより〇〇〇ーだ
ドラゴンクエスト4RTAの終わりの俳句
善悪、正しい間違いを決定することなど、所詮人には不可能である。
裁判官になろうとする人間を(自らも含めて)嘲笑っている。
下ネタを含んでいるのは、彼の照れ隠しのためであろう。
統一は戦のなかの一休み
天地を喰らう2 諸葛孔明伝RTA_6時間46分16秒の終わりの俳句
中国の悠久の歴史の中、長きに渡る戦乱が思い起こされる。
蝉兄貴
日本の俳人『真夏の夜の淫夢』
性道を征く。
果てない道を果てるまで征く。
ミーンミンミンミーン(迫真)
蝉兄貴の句
『真夏の夜の淫夢』名言集
TDN、DB、HTN、TNOK、NSOK、DRVS、SBR、GO、マジメ君、田所、遠野、蝉兄貴、MUR、KBTIT、KBSトリオ、変態糞親父、織田信長、平岡公威、ジャン・ジュネ、媚癒夢兄貴