インドで学んだ、その後

2006年12月2日から2007年2月25日までのプネ(@インド)研修の日々
そしてその後...

MGロード@プネ

2006-12-27 04:06:42 | Weblog
今日はメモ的に書いておきます。

2006年12月25日クリスマス。
プネの中心街、MGロードにリキシャで行ってみる。

中心街だけあって賑やかです。
若干ですがクリスマスの雰囲気も漂っています。

基本的に、電飾や甘いものが好きなインド人には
クリスマスはフィットしていると思うのですが
とりたてて、何かをするという程ではなさそうです。

そういう訳で、普通に
CD2枚とVCD(ファイトクラブ)を買って帰りました。
多分1000円分くらいかな。

途中、ケーキを買って別のアパートメントに
住んでいる人達と「GEISYA@映画:さゆり」のDVDを
見ながら男だらけのクリスマスをしました。

その後、自分のアパートメントに戻り、パソコンで
ファイトクラブを見たのですが5分でやめました。
クリスマスに見るような内容ではないです。


(世界遺産)エローラ・アジャンタ

2006-12-26 02:35:04 | Weblog
12月23日-24日
エローラ(एलोरा)石窟群 (Ellora caves)と
アジャンター(अजंता )石窟(寺院)に行ってきました。

エローラは、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の
34の石窟群から構成されています。

地球の歩き方には、こう表記されています。

ゆっくりとその小山に近づいていく。まだ半信半疑である。
今、自分が見ているように見えるものは、本当は錯覚ではないのか。
本当はもっと小さいもののはずではなかったのか。しかし、
カイラーサナータは錯覚でも幻影でもない。人間が創り出した
巨大で精巧な現実である。756年に工事に着手し、完成までに1世紀
以上を要した怪物である。~省略~
文明がどんどん進歩し、機械の力でどんなに巨大な建造物ができても、
カイラーサナータの偉大さには及ばない。

そのような場所、エローラに訪れる事が出来て本当に幸せでした。
ですが、半日で全てを堪能する事はほぼ不可能に近く
見たという、むなしい事実だけになってしまうので
美しいと評判のジャイナ教石窟群とヒンドゥー石窟群を
中心に見てまわりました。

特に自分がよかったのは一番最初に訪れた第32窟(ジャイナ)
第29石窟(ヒンドゥー)そしてもちろんカイラーサナータ寺院
(ヒンドゥー)と呼ばれる第16窟です。写真を添付します。
途中崖らしきところを通ったり、インドの若者にからかわれたり
からかったり、自称アーティストという言う人と話したり
あーこれぞインドという感じで楽しかったです。

エローラについての詳細はWikipedia(下記リンク)をご参照下さい。



翌日はアジャンタに行きました。

こちらも地球の歩き方を参照すると以下のように
記載されています。

アジャンタ壁画は、中央アジアや中国、日本の
古代仏教絵画の源流といえるもので、大きくふたつの
時代に分けられ、紀元前1世紀頃の前期窟(上座部仏教期)と
紀元前5世紀頃の後期窟(大乗仏教期)から成る。
しかし、5世紀以降アジャンタは姿を消してしまう。
そして1000年以上もの間ジャングルに飲み込まれ
1819年、イギリス騎兵隊士官によって密林の中から
発見される。

そういう歴史を背負ったアジャンタは高温多湿な気候の中
他の石窟群では残っていない壁画が例外的に残っています。
ただ、やはり腐食は激しく且つ暗闇の中の壁画なので
見えにくいのは否めないです。現在も壁画の修復は続いています。

また、壁画を守る為、照明にはオプティックファイバーと
呼ばれる非発熱繊維を採用し、山のふもとからアジャンタ
石窟群までのバスもガソリンを使わないエコバスが使用
されています。

自分の感想しては、壁画も素晴らしいのですが
インド人が憩いの場として来ている事に賛成で
お弁当を食べたり、日向ぼっこをしているのを見ていると
壁画を見ず、ゆっくりぼけーっと過ごすのも有りと思います。
逆に、贅沢な時間過ごし方だなーと思いました。

アジャンタの詳細もWikipediaをご参照下さい。

●エローラ Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E7%9F%B3%E7%AA%9F%E7%BE%A4

●アジャンタ Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E7%9F%B3%E7%AA%9F%E7%BE%A4

<写真>













プネでの1日

2006-12-17 01:31:31 | Weblog
今日は、プネでの1日について書きます。

まずその前に時差についてですが
インドは日本より3時間半遅れています。

自分としてはこの時差を是非とも利用したいと
思っていたので、インド到着当初は11時に寝て
5時半に起きるという、健康的な生活リズムを
送っていました。今も6時過ぎにはおきています。
(ちょっとずつ遅れてきていますが。)

本題に戻りまして、
朝ご飯は、トースターでパンを6枚焼いて
一人2枚づつ食べます。(3人での共同生活です。)

その後、8時15分にアパートメントを出て
8時20分に近くのスーパーに集合しバスで
研修所に行きます。

話はそれますが、研修所は日本にいる時
想像していたような超ハイテクなものではなく
6階建ての至って普通のビルです。

それでも流石にIT研修所だけあって
先日セキュリティカードは貰いました。
エレベータで研修室1階(地上は0階)にあがると
セキュリティーカードを通さないと入る事ができません。
但し、裏の階段から上がると何もなしに入れてしましますが、、、

その研修所で朝の9時から13時まで午前中の英語の授業を受けます。
授業の内容はリスニング中心です。
先生も感じの良いオバちゃんです。

13時から14時まではランチタイムで
屋上でケータリングサービスのインド料理を食べます。

日本では、絶対食べなかったインド料理も
インドに来てしまえば、すんなり食べれます。

主な料理は
チャパティー、ダル、○○カレー、ヨーグルト、野菜系です。

昼休みを経て、午後はITコースです。
これは、14時から18時までですが
皆、先生の言っていることを
理解するのに非常に苦労しています。

生徒が先生についていけないので先生も困っているようです。
特に概念的な内容を説明されている時は、
皆頭に(?)がついています。

但し、内容がITなのでUMLとかに入ってくると
皆が頷いたりするので、先生も水を得た魚のように
テンションがあがり、ペースが急激にあがります。
辞書との格闘をしている我々には追いつけません。

私は、その瞬間から頭痛が止まらなくなります。


18時から19時は、基本的に自由です。
(インド人が日本語を勉強している)人達と会話したり
宿題をしたり、近くに買物をしたりして過ごします。
(この間、携帯を買いました。外国はやはりNOKIAです。
 凄く小さくて、24みたいです。)

因みに宿題ですが、量が多くて帰宅後はほとんど
宿題をしています。
(ほとんど外出していないので全く焼けていません。)


19時からは、夕食です。
夕食はコンチンネンタルというらしく、私には意味がさっぱり
わからないのですが、インド料理でなく中華風です。

味は、私には合っていてます。
これならば余裕で3ヶ月過ごせると思っています。

20時には帰りのバスがくるので
皆でアパートへ帰ります。

その後は、上述したように宿題が待っています。
この日々の繰り返しです。

それでも、幸いに風邪も下痢にもなっておらず
日本にいた時より、元気です。

この間買った携帯の写真を添付します。

プネ(インド)着

2006-12-17 01:11:32 | Weblog
プネ(@インド)に着いたので報告。

今回の空の旅はヘビーでした。

12月2日(土曜)
まず、成田⇒バンコク(AI309)。
座席は、3人がけの窓際の席だったのですが
隣の人がとてもふくよかな女性で
機内のセンターにある映画上映用のスクリーンを
見ると「何みてんのよ。」といわんばかりの
流し目をされ、そのまま深い、とても深い
眠りについていらっしゃいました。

ただ困った事に一度だけトイレに行きたくなり
一度起こしてしまい、軽くため息をつかれて
しまいました。

その為、二度と起こすまいと思い
あまり水を取らないようにして
過ごしていたのですが着陸の際
俺のシートベルト(?)がその人との間にある
肉厚で埋もれた肘掛に巻きついていて
全く取れず、起こすべきか、シートベルトせずに
着陸すべきか迷った挙句、命には代えられないので
申し訳ない雰囲気をかもし出しながら
もう一度起きてもらう事にしました。
(ストレス30%)


乗り換えのバンコクでは、
時間がなくて煙草1本だけしか吸えず
すぐにバンコク⇒ムンバイ(AI359)
に乗り込みました。
(ストレス50%)

バンコク⇒ムンバイ間では、先ほどの
女性から開放されたので寝ようと
思ったのですが、隣の人が家族連れの
インド人で、JPモルガン(@日本)で
働いている人だった為、機関銃のごとく
日本の訳の分からない話を4時間ぐらい
され、途中からは適当に頷きつつ
ムンバイで煙草を吸う事ばかりを考えていました。
(ストレス70%)


ムンバイに着くと、早く外で煙草が吸いたい一身で
荷物取場の入り口を陣取り、まだか、まだかと
待機していたのですが2~30個ぐらい
トランクが流れたら、係員の人が出てきて
「OVER」と言って終わってしまいました。

トランクがロストしました。
(ストレス120%)

その後、荷物カウンターと折衝しましたが
結局その日は、どうしようもなくて
後日、滞在先の研修所に送ってもらう事に
なりました。
(ストレス150%)

ムンバイからは、他の研修生と共に
バスに揺られること3時間。
朝5時前、やっとの思いで研修先の町につきました。
(疲労度∞)

---------------

今住んでいる部屋の写真を添付。

プネ

2006-12-16 22:31:59 | Weblog

<プネについて>

プネー(Pune पुणे)は、デカン高原に位置する
インド・マハーラーシュトラ州で二番目に大きな都市。

ムンバイから南東へ約200Km。(列車でもバスでも4時間程度)

1999年以前は、プーナ(Poona)の名称も並行して使われていたが、
イギリス統治以前の名称であるプネーに政治的に統一された。

海抜600メートルの高原にあるため、ムンバイの避暑地として発達した。
現在はデカン高原を防御する軍事施設の中心。

大きな工業の中心であり、多くの研究施設や、高等教育機関がある。
ソフトウェア開発で注目され国が力を入れている。
ハイテク機器のバンガロールとならんで示される。

また、マハトマ・ガンジーが一時期監禁された場所でもある。

(quoted by Wikipedia)