ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

ストロング小林 死去

2022年01月07日 | プロレス
青梅の自宅で寝たきり生活になっている姿を見ましたが
元、国際プロレスのエースだったストロング小林が81歳で亡くなったそうです。

国際プロレスのエースでしかもIWA世界ヘビー級王者だった小林。
グレート草津に散々虐められ、それも関係有ったのでしょう、
チャンピオンのままフリーとなり(東京スポーツ預り)で
猪木との日本人エース対決は会場の蔵前国技館に当日券を求めた
ファンの長蛇の列、消防法も考えずちぎった紙をチケットとして売り
ファンを会場に詰め込んだ元ジャパンプロレス社長で
新日本プロレスの営業部長だった大塚直樹氏。

あの温厚なラッシャー木村が「省三(小林)だけは眼の玉くり抜いてやる!」
という程、当然国際プロレスの人間に恨まれる事になり
国際プロレスのイメージを限りなく下げ切り
埋められない程、新日本、全日本との人気の差がついてしまった国際プロレス。
小林が生涯憎んだ草津の虐めが無ければ(被害者多し)
もしかしたら国際に残っていて引退迄、国際に居たかもですかね?

国際プロレス「追悼 ストロング小林選手」In memory of Strong Kobayashi.


似た顔の猪木が当然格上でしたし試合の内容も猪木が支配していたのでしょう
猪木が原爆固めで勝利する歴史的な一戦でしたが
新間寿も東京スポーツの桜井氏も新日本プロレスの歴史の中で
ベストバウトはモハメドアリ戦やタイガージェットシン戦、藤波戦、ロビンソン戦でも無く
猪木vs小林戦だったそうな。

私がプロレスを見始めた頃は既に小林は引退路線に入っていて
翌年引退、芸能活動のストロング金剛になっておりました。
力技を駆使した影響で腰の怪我が深刻な事になっていたそうで。

小林と言えば、女性らしく、怒らない、同性好きの人かも?と
プロレスとは違い、ファンの中で語られる事にもなり
ボディタッチ等、人気プロレスネタとなっていますが、真相は分からず、
色んな所で語り継がれるという、何とも‥な事に。
今の時代より、こういう話しは世間的に厳しかったですし。

国際プロレス社長、吉原功が亡くなる時、意を決して
見舞いに行った時、吉原功は「色々有ったけどお前が一番の弟子だった」
と言われたそうな。
私は年代的にTBSでも東京12チャンネルでも、リアルで小林の試合を観る機会が得れませんでした。
今はこう国際プロレスのチャンネル迄出来て観れる様になりましたが。

公な本では無いですが、近年自伝を発売していたそうで読みたかったです。

哀愁の国際プロレスのエースだった小林は国際が一番輝いていたのでしょうね。
新日本では外様で猪木、坂口に下でしたし。
小林や国際に関しては、興味深い事だらけです。
悲しいですね。木村では無く、国際崩壊迄、小林がエースだったら
どうなっていたのだろう?
猪木は強い生命力で闘病中でも健在ですが、小林は忘れ去られていた存在となって
正直、残念です。

ご冥福をお祈りします。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 個人売買でヤラレた機材達 | トップ | ギター弦高の上げ下げ »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「ストロング小林」エレジー (凸椪)
2022-01-07 19:50:17
タイトルの「S小林エレジー」とは、力道山の直弟子で、かつて日本プロレス社長も務めた芳の里淳三のアメリカ武者修行(?)の逸話から借りたものです。同行した巨漢の馬場やM.鈴木と引き比べて、現地プロモーターの扱いも悪く、悲惨極まる米遠征となり、とても「凱旋帰国」となる代物ではなかったそうで(もっとも鈴木は女性問題で、途中、離脱したとのことですが…)、その後も日プロのリングには例の田吾作スタイルで上がる破目に…。
アップされた映像では小林もメインエベンターとして華々しい姿を披露していましたが、“伝説の”蔵前猪木戦のあと、国際プロとの冷却期間を設けるためか本場アメリカWWF(?)で暴れていた際に、フロリダのD.ケオムカからG.馬場と引き逢わされて帰国後には全日に誘われたこともあったとのこと。ただ帰国後に新日マットで“冷や飯”を喰わされることになったと同様に、全日入りしても鶴田や天龍の引立て役を担うことになる可能性もあったと思います(特に国際プロを契約破りで離脱しながら、当時、同団体とは友好関係にあった全日では、さらに微妙な立ち位置となったかと…)。
新日時代の小林の試合は何回か観ましたが、Wリーグ戦には出場しながらも、マット上ではセミ前の明らかにアンダーカードで、国際ではメインで迎え撃ったアンドレやB.ロビンソンの負け役専門。パワーの衰えはあったものの、後輩の藤波や長州の後塵を拝し、ホーガン売出しの“咬ませ犬”を演じさせられたことで、プロレス界に見切りを付けた節があったように思えました。私が新日会場で観た時は、名古屋での坂口戦を除いて、日本人選手同士のタッグマッチが多かったと記憶していて、そこでは国際エース時代の面影は感じられませんでした。何故かひと回り近く体躯が小さくなって見えました。ウワサによると男色の気があったとか云われていますが、東映出演時には、主役の真田広之も小林の生真面目ぶりを称賛していたなど、元々、プロレス界では誠実がゆえに世渡り下手だった人かと感じられます【合掌】。
返信する
凸樫さん (太郎)
2022-01-08 20:25:00
馬場は日本人で一番アメリカで売れた人物ですし、マンモス鈴木は
力道山に木刀が折れる程ぶん殴られてもケロッとする肉体の
絶大なアメリカウケキャラだったそうですしね。その2人と同行した吉の里は
確かに、キャラ立ちしていない多くの日系人レスラーと被るかと。需要が少ないでしょうね。
昨夜、新日本側として永源と組み、井上、寺西とのIWAタッグ戦を観ましたが
小兵でイキのいい他の3選手と比べ、体格差だけでは無く一人だけスイングせず気迫が見えないというか。
もうその頃には色んな事情が起きていたのかもですね。
と、新日、全日共に次世代のエースを売り出し入る転換期ですし、当時上位層が
馬場、デストロイヤー以外居ない全日本では国際との関係を除いても急場凌ぎ要因になる感もします。
新日本では坂口と北米タッグ王者になっていた写真は見ますが、後に坂口のパートナーは
新日本推しの長州に変わりますし、漫画で読んだホーガンに3分台で負けるという立場ですね。
越中が全日本から新日本に移籍した時、荒川なんかは越中に最初はノーを示したそうで
やはり外様は余程じゃないと上に上がれない時代ですね。
国際時代、大相撲の幕内から国際入りし小林の付き人をした大居山が言うに
「女性らしく、怒らない」
「青函連絡船で酔った草津さんに虐められてましたね、そりゃ辞めますよ」
と話していた内容がとても興味深かったです。
早速、古舘一郎が小林の追悼として動画を上げていました。
https://m.youtube.com/watch?v=VUUii3HNu34
返信する

コメントを投稿

プロレス」カテゴリの最新記事