K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

ラージクマール・ヒラニ『PK』

2017年12月17日 | 映画
こんばんは。年の瀬ですっかりご無沙汰でした。忘年会ラッシュ……改めてサラリーマンであることを実感しますね。

最近映画のことをめっきり更新できていなきったので、今回は久し振りに映画の紹介。例のよって例のごとく、今年も終わるというのに去年の作品について書きます。※誰も求めてない

今回紹介するのは、ラージクマール・ヒラニ監督の『PK』というボリウッド映画です。彼の作品だと『きっと、うまくいく』が世界的に大ヒットしましたが、同作に引き続き、アーミル・カーンが主演を務めるヒューマンコメディです。




《Story》
留学先で悲しい失恋を経験し、今は母国インドでテレビレポーターをするジャグーは、ある日地下鉄で黄色いヘルメットを被り、大きなラジカセを持ち、あらゆる宗教の飾りをつけてチラシを配る奇妙な男を見かける。チラシには「神さまが行方不明」の文字。ネタになると踏んだジャグーは、"PK" と呼ばれるその男を取材することに。「この男はいったい何者?なぜ神様を捜しているの?」しかし、彼女がPKから聞いた話は、にわかには信じられないものだった──。驚くほど世間の常識が一切通用しないPKの純粋な問いかけは、やがて大きな論争を巻き起こし始める──。(「映画『PK』公式サイト」より)


宇宙人PKが地球の不文律に堂々と切り込んでいく痛快なSFコメディ。笑いあり、涙あり、トキメキありという、目まぐるしく展開されるストーリーは、二時間半という長尺を全く感じさせません。前作『きっと、うまくいく』も三時間でしたが、全く飽きのこない面白さ。繰り返される"Aal Izz Well(All is well)"というキーワードが耳にこびりついています。
クラウン的な立ち位置の主人公PK(=酔っ払い)が、神の存在と宗教の在り方という、一般生活者では踏み込みづらいテーマに切り込んでいきます。



社会に取り込まれた人々は社会の違和感(作中では神様への電話のかけ間違いと表現)に気づくことはできず、社会を俯瞰することのできる外部の存在、或いは社会に取り込まれていない存在の客観的な視点が必要です。宇宙から来たPKはまさにその視点を持って、社会で生活していれば湧いてこない疑問を投げかけ続けることで、透明だった違和感を露わにするのです。宇宙人が人間社会のコンサルティングをしているような感じかもしれません。
神は存在する、しかし神は献金を要求しないし、装いで人を判断しない。それらはいずれも「神の代弁者(司祭)」の過ちなのだ、という結論は確かにと思う反面、なかなか際どいところをついた作品ですね。あらゆる宗教行為は無駄だという、蓮舫の事業仕分けさながらの切り捨てコンサルティング!
仕事でも昔からある風習で今となっては無駄と感じざるを得ないものなどありますが、その無駄省きをする気力は内部の人間にはありませんから、そういう意味でも身近に感じてしまいますな。職場にもPKみたいな存在がいると良いななどと思ったけど、空気読めないおっさん的な立ち位置になってしまいそう笑……あれ、ぼくのことですか?

本作のヒロイン ジャグーを演じたアヌーシュカ・シャルマが個人的には大好きでした。失恋して傷つきながらも、仕事に精力的に取り組む彼女のキャリアウーマンとしての姿。なかなか元気付けられるものがありましたよ。



最新の画像もっと見る

post a comment