K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

上田岳弘『太陽・惑星』より「太陽」

2017年10月12日 | 文学
こんばんは。季節の変わり目で喉をやられてしまったただけいまです。アラサーなので健康には気をつけたいですね。

今回も前回に引き続き上田岳弘さんの小説を取り上げたいと思います。『太陽・惑星』という単行本で、第45回新潮新人賞を受賞した「太陽」と対となる「惑星」が収録されています。
今回は、前半に収録されている「太陽」の所感を記しました。近日中に「惑星」の感想も書きます。




《Story》
アフリカの赤ちゃん工場、新宿のデリヘル、パリの蚤の市、インドの湖畔。地球上の様々な出来事が交錯し、飽くなき欲望の果て不老不死を実現した人類が、考えうるすべての経験をし尽くしたとき、太陽による錬金術が完成した。三島賞選考会を沸かせた新潮新人賞受賞作「太陽」と、対をなす衝撃作「惑星」からなるデビュー小説集!(新潮社ウェブサイトより)


太陽
太陽のエネルギーを使って金(Gold)を作るという、突拍子もないですがかなり濃厚なSF小説です。人類が滅亡することが確実視されながらも、すべてを体験した人類はその道に合意するという何とも皮肉めいた内容。

太陽のエネルギーを利用した、大規模な「錬金術」の話なのですが、元来の錬金術が目的としていたことは「金(Gold)の精製」と「不老不死」でした。そして、本作の内容は「不老不死」を獲得した第二形態の人類である田山ミシェルによって、大錬金が為されることになるのです。
つまり、第一形態(現在の私たちの在り方)の人類が生み出した「錬金術」という手法の目的が、第二形態(個性を失い何者にでもなれる形態)の人類によって到達されるという、ある種人類の壮大な旅を描いているようにも感じられます。

物語の全能的な語り手はナレーターとして存在していますが、もう一人物語を進める上で卓越した思想観を有する人物が、アフリカで赤ちゃん工場を経営するドンゴ・ディオンムです。彼の論文に書かれた思想観が、物語を説明し複雑な設定の理解を補足してくれます。
彼は、第一形態の人類でありながら、あまりにも超越した能力を有していました。生産性を重視する彼は、単価の高い赤ん坊を生産して売るという非人道的な稼業に手を染めます。
そして彼はその「錬金術」を通して一財を築くわけですが、調査団からの責任追求に対して「罪の意識を感じるべきではない」と語ります。幸福になれるかどうかは「確率」の問題であり、その「確率」が低いからといって生まれてくる生命を否定するのは傲慢だと、調査団に対して反駁するわけです。寧ろ、幸福になれるかどうかは売られた後に問題になるのであり、「売れることの責任」を含めて逆に世界に責任を問うべきだとすら考えていたのです。

そんな語り口でお茶を濁すドンゴ・ディオンムですが、彼は論文の中で人類の「第二形態」のことを予期します。「第二形態」とは、偶然性を徹底的な排除した上に成り立っており、そこではあらゆる人類が同じ体験を共有することになります。
そして、人々は「偶然性(=意図せず生まれた子供も暗示しているのか?)」がいかに貴重なものであるかを悟ります。
そして、人類の「第三形態」において真価を理解された「偶然性」が復権するとドンゴ・ディオンムは述べるのですが、その前に第二形態の田山ミシェルが大錬金を成功させ、地球を滅亡に導いてしまう。
田山ミシェルは、第一形態が培った文化を愛し、すべての事象を体験可能な第二形態の在り方を嫌悪する人物だったのです。そんな彼が、第一形態の真の意味での復興となる第三形態へのシフトを待たずに、第二形態の滅亡を選んでしまったことには、異常な虚無感を感じざるを得ません。

「既に人々が経験していないものは終末だけとなった。」

私たちもいずれそのように考えるのでしょうか。


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