つれづれなるままに 日暮らし、硯にむかひて、
こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。
所在なく退屈であるのに任せて、一日中、硯に向かって、
心に浮かんでは消えてゆくとりとめもないことを、とりとめもなく書き付けていると、
不思議に気持ちが高ぶってくるものだ。
随筆「徒然草」の冒頭の部分です。
自分の考えていることを文章にするって、人間の基本的な欲求なんでしょうね。
「気持ちが高ぶってくる」感覚、みなさん最近味わいましたか?
なぜ勉強するのか、なぜ本を読むのか・・
すべてここにつながってくるのではないかなあと、私は感じます。
自分の考えを書ける喜び、興奮を得るために、知識を増やし、表現力を磨き・・
今、こうやって文章を書きながら、そんなことを考えていました。
さて、前置きはこの辺にして。
本時は「徒然草」の世界観についてお話したいと思います。
時は鎌倉時代末期。
戦が絶えず、栄えていたものも衰えていく盛者必衰の時代です。
「徒然草」の作者は、そんな時代に生きた、吉田兼好という男性です。
彼は、もともと神社(吉田神社)に関わる家系だったため、「吉田」という姓を持っています。
その後、出家をしたため、兼好法師と呼ばれるようになったわけです。
そして、この「徒然草」は、随筆という作品ジャンルに分類されますが、
随筆というのは、何か。
これは、現代でいうなれば、「エッセイ」でしょう。
形式にとらわれることなく、独自の観点から物事を論じた文章のことをいいます。
ここで、日本三大随筆を覚えておきましょう。
まず、平安時代は、清少納言による「枕草子」
鎌倉時代は、吉田兼好による「徒然草」と鴨長明による「方丈記」
この3作品が日本三大随筆といわれています。
「枕草子」から随筆の特徴を捉えてみましょうか。
「春はあけぼの~」という出だしですが、清少納言は、「春は夜明け前が良いものだ」
と言っています。
みなさんはどうですか?
「いや、春こそ夜が良いものだ」という人だっているかもしれません。
「いや、太陽がさんさんと降り注ぐ昼だ」なんて人もいるかも。
それはそれで、新しい随筆ができますね。
「独自の観点」というところがキーポイントです。
だから、「徒然草」だって、世の中の様々なものに焦点をあてて、
兼好の考えが記されているわけです。
人生観、宗教観、恋愛観、自然観、趣味論、世間話、処世論・・・
「あ~、同感」って感じる人もいるでしょうし、
「いや、それは違うなあ」って感じる人もいるでしょう。
そこが、随筆の面白いところです。
兼好法師の考えの基調となるものは、「仏教的無常観」に貫かれています。
これは何か。
さきほど「盛者必衰」という言葉を使いましたが、「永遠に変わらないものは一つもない」
という意味ですね。
歳だって老いてゆくものだし、世の中だって変わってゆく
花だって枯れてゆくし、恋だって・・
鎌倉時代の随筆は、無常の世の中を切捨て、来世を期待した平安時代に比べて、
そんな世の中をしっかりと受け入れようとする姿が作品中に見られるはず。
三大随筆の「方丈記」だってそう。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
川の流れは絶えることなく、それでいてもとの水ではない。
「ずっと変わらないものはない」という無常観が表れていますね。
久しぶりということもあって、かなり長く書いてみましたが、
私自身、数ある作品の中で、「徒然草」がとっても好きなんです。
「わかるなあ~・・」「でも、こういう考え方もあるんじゃ・・」って、
読みながら、自分の考えと比較したりするのが、とても楽しい。
授業で扱ったものだけでなく、できればもっともっと兼好法師の考えに、
触れてほしいなあ~なんて思っています。
では、次回からは、「花は盛りに」のお話をしましょうね
こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。
所在なく退屈であるのに任せて、一日中、硯に向かって、
心に浮かんでは消えてゆくとりとめもないことを、とりとめもなく書き付けていると、
不思議に気持ちが高ぶってくるものだ。
随筆「徒然草」の冒頭の部分です。
自分の考えていることを文章にするって、人間の基本的な欲求なんでしょうね。
「気持ちが高ぶってくる」感覚、みなさん最近味わいましたか?
なぜ勉強するのか、なぜ本を読むのか・・
すべてここにつながってくるのではないかなあと、私は感じます。
自分の考えを書ける喜び、興奮を得るために、知識を増やし、表現力を磨き・・
今、こうやって文章を書きながら、そんなことを考えていました。
さて、前置きはこの辺にして。
本時は「徒然草」の世界観についてお話したいと思います。
時は鎌倉時代末期。
戦が絶えず、栄えていたものも衰えていく盛者必衰の時代です。
「徒然草」の作者は、そんな時代に生きた、吉田兼好という男性です。
彼は、もともと神社(吉田神社)に関わる家系だったため、「吉田」という姓を持っています。
その後、出家をしたため、兼好法師と呼ばれるようになったわけです。
そして、この「徒然草」は、随筆という作品ジャンルに分類されますが、
随筆というのは、何か。
これは、現代でいうなれば、「エッセイ」でしょう。
形式にとらわれることなく、独自の観点から物事を論じた文章のことをいいます。
ここで、日本三大随筆を覚えておきましょう。
まず、平安時代は、清少納言による「枕草子」
鎌倉時代は、吉田兼好による「徒然草」と鴨長明による「方丈記」
この3作品が日本三大随筆といわれています。
「枕草子」から随筆の特徴を捉えてみましょうか。
「春はあけぼの~」という出だしですが、清少納言は、「春は夜明け前が良いものだ」
と言っています。
みなさんはどうですか?
「いや、春こそ夜が良いものだ」という人だっているかもしれません。
「いや、太陽がさんさんと降り注ぐ昼だ」なんて人もいるかも。
それはそれで、新しい随筆ができますね。
「独自の観点」というところがキーポイントです。
だから、「徒然草」だって、世の中の様々なものに焦点をあてて、
兼好の考えが記されているわけです。
人生観、宗教観、恋愛観、自然観、趣味論、世間話、処世論・・・
「あ~、同感」って感じる人もいるでしょうし、
「いや、それは違うなあ」って感じる人もいるでしょう。
そこが、随筆の面白いところです。
兼好法師の考えの基調となるものは、「仏教的無常観」に貫かれています。
これは何か。
さきほど「盛者必衰」という言葉を使いましたが、「永遠に変わらないものは一つもない」
という意味ですね。
歳だって老いてゆくものだし、世の中だって変わってゆく
花だって枯れてゆくし、恋だって・・
鎌倉時代の随筆は、無常の世の中を切捨て、来世を期待した平安時代に比べて、
そんな世の中をしっかりと受け入れようとする姿が作品中に見られるはず。
三大随筆の「方丈記」だってそう。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
川の流れは絶えることなく、それでいてもとの水ではない。
「ずっと変わらないものはない」という無常観が表れていますね。
久しぶりということもあって、かなり長く書いてみましたが、
私自身、数ある作品の中で、「徒然草」がとっても好きなんです。
「わかるなあ~・・」「でも、こういう考え方もあるんじゃ・・」って、
読みながら、自分の考えと比較したりするのが、とても楽しい。
授業で扱ったものだけでなく、できればもっともっと兼好法師の考えに、
触れてほしいなあ~なんて思っています。
では、次回からは、「花は盛りに」のお話をしましょうね
